一日目の終わり

 ――劇の幕が降りる。


 気付けばすっかりと夢中になって観劇していた紅と聖は、下がっていく幕の奥で手を振っている役者たちに向け、興奮冷めやらぬまま必死に拍手を送っていた。


 そんな中……


「……そこの君、普通科の、満月ちゃんよね?」

「え?」


 肩をトントンと叩かれて、声を掛けられる。

 紅が振り返ると、そこには紅が出稽古に出てきた時に見た覚えのある、芸能科の一年の少女が居た。


「黒乃先輩からの頼みでね、ついてきて。そっちのお連れさんも一緒に」

「あ、はい……?」


 少女に先導され、紅と聖が席を立ち、その後をついていくと……そこは、ステージ脇の楽屋の中だった。



「お、お邪魔します……」


 おっかなびっくりと、そのドアを潜る。何かデジャヴを感じながら入室すると――


「わー、満月ちゃんいらっしゃい!」

「ふぎゅ!?」


 横合いから、舞台衣装から制服へと着替えた藍華に抱きつかれた。


「はい藍華、そこまで。君も遠慮なく引き剥がしていいんだよ?」

「お、女の子にそれはちょっと……」


 やはりと言うか、ぞんざいに藍華を引っぺがして助けてくれた黒乃。いくら女の子としての生活に慣れてきたとはいえ、さすがに紅にはまだ、そこまで乱雑に女の子を扱う事はできない。


「観に来てくれていたんだね、嬉しいよ」

「はは……見つかっていたんですね」

「まあ、君はステージの上からでもよく目立つからね」


 そう軽く笑った後……ふっと真剣な表情になる二人。


「報道の人に絡まれたくなくて、逃げてきたんだろう?」

「……お見通しでしたか」

「まあ、一般生徒にすごい子がいるって騒ぎになっていたからねぇ」


 心配そうな黒乃と、困ったものだと溜息を吐く藍華だったが……


「でも……本気でこっちの道に入る気は無いかな?」

「いや、私には無理ですって!」


 突然の勧誘に、慌てて紅は頭を横に振り「無理」と主張する。


「でも、満月さんは物覚えもいいし、ビジュアルは満点だし、なんなら身体能力も凄いからダンスなんかもいけそうだし、才能あると思うけどなー」

「もし君がそういう道に興味があるならば、口利きするくらいはしてあげられるけれど……」

「いや、無理、無理ですってば!」


 存外に熱心な二人の勧誘を必死に断っていた紅だったが、ふとトーンダウンし、真面目な顔になる。


「でも……皆さんと練習させてもらったおかげで、大事な事を思い出せました」

「……ふむ?」

「正直言って、恥ずかしいし、人前で喋るのは緊張するし、そういうのが苦手って言うのは変わらないと思います」


 胸に手を当てて、訥々と、自分の想いを語る紅。

 芸能界を目指したこともなければ、そんな道に自分が進む事もまるで想像がつかない、と。


「だけど……やっぱりなんだかんだで、私はゲーム内で人に見られての配信活動を楽しんでいるんだな、好きなんだなって、再認識できました。だから……本当に、ありがとうございます」

「そうか……まあ君に得る物があったのならば、本当に良かった」


 そう言って、紅の言葉に満足そうに頷いてくれる黒乃。


「うーむ、あわよくば演劇部にって思ったんだけどねー。残念だけど、仕方ないかなー」

「そうだね、それに将来的に仕事が絡むと色々としがらみも加わるから、無理強い出来ることでもないからね」


 残念そうにしながらも、紅の意思を尊重してくれる二人。


「だけど……まあ、また何かあった時は、真っ先に協力を頼みに行くよ」

「また一緒に、お仕事しようね!」

「あはは、その時は是非、力にならせてもらいます」


 そう、紅が二人の申し出に快諾した時だった。


「――あの、その時は私もご一緒させていただいていいですか!!」

「聖……?」


 これまで黙って話を聞いていた聖が、突然そのような事を言い出す。


「……へぇ? ふんふん、なるほどなるほど」


 驚いている紅と黒乃の傍らで、藍華が一人だけ、何かを察したように聖を見つめ……にまーっと笑ってその耳元へ口を寄せる。


「……恋人が自分と違う時間を過ごすのが、寂しい?」

「――ッ!?」


 藍華が何事かを耳打ちすると、聖がみるみる耳まで真っ赤になっていく。

 その様子をおろおろと見守っていた紅へ、藍華はその肩にポンと手を置くと、諭すように口を開く。


「あはは、いじらしい彼女さんじゃない。大切にしてあげなよ?」

「え、あ、はい」


 突然そんな事を言われて、紅は訳も分からずただ頷いた。

 だが彼女は「これ以上は自分で考えなさい」と取り付く島もなく、ただただ首を傾げるのだった。


「で、彼女の申し出について、私は賛成。恋する乙女は大歓迎よー」

「ふむ、よく分からないけど藍華がそう言うなら断る理由はないな。今度二人でまた遊びにおいで」

「「は、はい!」」


 ピッタリ揃って返事を返した紅と聖に、藍華はまた、面白そうに笑うのだった。




 ◇


 そうして話も終わり、のんびりした空気が流れ始めた頃。


「ふぃー、つっかれたぁ!」


 不意に、そんな大きな声を上げながら部屋に入って来た者が居た。

 それは、つい先ほどまでステージで司会をしていた『霧須サクラ』……の中の人、学校指定のジャージ姿の桜だった。


「桜さん、お疲れ様です!」

「お、ありがとー」


 紅が、劇参加者に配られていたスポーツドリンクのうち彼女に取っておかれた一本を差し出すと、彼女は封を開けるなり一気に半分くらい飲み干す。


「くぅー、生き返るぅ。っていってもこっちの体はずっと眠ってたんだけど。もー、身体中バッキバキよ」


 ステージに『霧須サクラ』として立つ間、彼女の体はずっと控室奥の小部屋に設置された仮眠ベッドに横になっていたとのことで、体のあちこちを伸ばしながら愚痴る。


「こんだけステージに出ずっぱりでもカロリー消費できないのは、VRアイドルの困ったとこだよねぇ」

「ま、演劇とかだとこんな時間喋り通しだとキロ単位で体重減るしな」

「むぅ、不公平だー」


 藍華と黒乃の他人事な言葉に、プッとむくれる桜。

 彼女は決して太っているという事はなく、むしろスタイルは良い方なのだが、それはそれ。女の子としてはどうしても気になるのだという事は、紅も今ならばよく分かる。


「……っと、ごめんごめん、愚痴っぽくなっちゃったね。満月さんもお疲れ様。最初の司会ぶり、すごく良かったよ!」

「あ、ありがとうございます……皆さんの指導のおかげです」

「うんうん……でも私たちの想像以上に良すぎたみたいでねぇ。何だが報道の人に目をつけられちゃったみたいで、本当にごめんね?」

「いえ、大丈夫です。気にしないでください」


 申し訳なさそうな彼女に首を振り、もう一度楽しかったと伝えると、彼女も嬉しそうに頷いた。


「ま、何はともあれ……皆、1日目はお疲れ様!」


 そう明るく声を掛ける彼女の言葉とともに、杜之宮学園祭、1日目の終わりを告げる午後四時半の鐘の音が、学園中へと鳴り響いたのだった――……


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