銀の国の貴公子

「あ、パパ、久しぶり!」


 目敏く要の姿を見つけた聖が、嬉しそうに自分のトレイを持って紅たちのいるテーブルへと近寄ってきて紅の隣に座る。

 そのあとに続いてきた昴は、どこか微妙に機嫌悪そうに要の隣の席に着く。


「……まあ、親父、お仕事お疲れ様。今日は仕事は休み?」

「ああ……社長に言われてな。いいから――」

「いいから今日は休みを取って一日子供達と一緒にいてやれ、いい加減グレられるぞ、と言ってやったのだ」


 突如聞こえてきた、要の言葉を横取りする声。

 そこには……



「やあ、楽しんでるかい?」

「聖も昴もごめんね、せっかくの旅行なのに仕事にかまけちゃって」


 ハーフパンツにアロハシャツというラフな格好の宙と、落ち着いたワンピース姿の茜。


 そして……もう一人。


「もう今回の仕事で我らのすることは無くなったからな。緊急で何かトラブルがあれば別じゃろうが、今日は我ら全員オフだと向こうには伝えて来たわ」


 先程、要のセリフを横取りした声……天理の姿も。

 ノースリーブのニットのトップスにタイトなパンツスタイル、頭にはサングラスといういかにもな女社長のオフといった風情の天理もその後ろから、トレイ片手にこちらへと向かって来ていた。



「それじゃ、今日は……」

「うん、旅行最終日だし、皆で遊ぼうか」


 期待に目を輝かせた紅に……宙が、にっこりと笑い頷くのだった。






 ◇


「父さん、早く早く!」

「パパ、遅いー!」


 紅と、聖の声がビーチに響く。

 二人は先日と同じ水着を纏い……同じく水着に着替え、その上からアロハを羽織った宙と、ラッシュガードを羽織る要を引きずって海辺へと引き摺り込んでいた。


「い、いやぁ、これは照れるね」

「父親としては嬉しいが、な」


 嬉しそうに父親の手を引いてはしゃぐ娘たちに引っ張られている宙と要ら父親は、困った様子ながらもその頬はユルユルであり、とても嬉しそうだった。




「いやぁ……世の中の反抗期の娘さんを持つお父さん方からは血の涙を流して嫉妬されそうな光景ですねー」

「うむ、うちの紅も、主らのとこの聖嬢もお父さん大好きっ子じゃからなぁ……」


 離れたところでしみじみと呟いているのは、今着替えて更衣室から出てきたばかりの昴と、もう一人、こちらは大胆な赤を基調としたビキニとロングパレオ姿の天理。


 ファザコン娘二人は、どうやらよほど嬉しかったようで、周囲から生暖かい視線にすら気付いていない。やれやれと、肩をすくめる昴なのだった。




「そういえば、今日は景色が違うんですが、これが?」

「そうじゃな、ちょうどシアター稼働中じゃ。今は……たしかフィリピンのとある島の光景じゃな」


 そう言って見渡す先には……ずっと遠くまで続く、純白の砂浜と澄み切ったアイスブルーの海。

 日本のものではないそんな光景に、あちこちで歓声を上げて海に入っている宿泊客の姿があちこちに見える。


「背景だけでなく地面も水面も、テクスチャ張り替えているんですね……」

「そうじゃな、めちゃくちゃ同期に手間取ったが、どうにか納期に間に合ったわ。現場監督をしてくれたお主らの父親には、感謝の言葉しかないな」


 昴が、天理の手放しの父親に対する称賛の言葉に、少し照れながら目を逸らす。

 その一方で、興味本位にNLDのAR表示をオンオフ切り替えるたびにガラッと変化する二つの景色に、はー、と感嘆の吐息を漏らす。


「親父が、これの責任者だったんですね」

「うむ、誇って良いぞ」

「そうですね……」


 実は昴は、聖とは違い家を留守にしがちな父親にあまりいい感情を持っていなかったのだが……


「僕も、もうちょっと距離を縮められるよう頑張ってみます。紅があなたを許したみたいにね」

「む……」

「最近、紅のやつが嬉しそうに、あなたと話をしたことを報告してくるんですよ。頑張って向き合ってみて良かったですね?」


 そんなことを呟く昴に、天理が珍しいことに、してやられたという顔をする。

 そんな様子を見て、昴は眼鏡の位置を直しながら、してやったりと意地の悪い笑みを浮かべるのだった。





 ◇


「――さて、時間じゃな」


 不意に、天理がそう呟くと……若い娘らの体力についていけず、ひぃひぃ息を切らしている宙と要へと呼びかける。


「おーい、宙、要……それに紅も、一度、こちらに戻って来い」

「おっともうそんな時間でしたか。行きましょう」


 そう引き上げていく宙たちに首を傾げつつ、素直についてくる紅と聖。


「はい、こっちに座って座って。紅ちゃんと聖は、ジュース要る?」

「あ……はい」

「ありがとう、ママ」


 茜がそんな二人に席を勧め、ドリンクを配り終えると、天理が今皆を呼びつけた説明を始める。


「これからシアターに映されるのは、この世界に無い光景じゃ。こんな仮想世界もリアルに投影できるんですよというアピールのためにな……と、いうことになっておるのじゃが」


 そこで、ニヤリと悪い笑みを浮かべる天理。


「実際には、我のめちゃくちゃ私的なものをそれっぽい理由を付けて用意した風景じゃな」


 そう公私混同甚だしいことを呟くと同時に……周囲の光景が、一変した。



 ――常夏のビーチから、かなりの高所と思しき場所から見下ろす銀世界へと。



 突然の雪景色に、寒さを錯覚してしまった観客たちから悲鳴が上がりかけるも、気温の変化は無いため戸惑いの広がる周囲。




 ――寒さのせいか、澄み切った空気。


 ――頭の真上の空に浮かぶ、巨大な月。


 おそらく今いるところが最高峰なのだろう、他の山々が全て眼下にあるという高所から見下ろした一面の銀世界には、まるで分断するように虹色に輝く水晶の森が横切っており……はるか彼方には、かなり大規模なものと思われる街に囲まれた、ドーム型の何かも見て取れる。




 それは、あまりにファンタジーな大パノラマの絶景。

 その幻想的な雪景色に、観客は皆、うっとりと魅入っていた。


「もしかして……母さんが見せたかったものって」

「ああ……故郷、というものは生憎と忘れてしまったが、ここは、我がひと所に滞在した時間としては最も長く過ごした場所ではあるな」

「ついでに、僕たちが出会った場所だったりもします」


 懐かしそうに遠くを眺めながら語る天理と、照れくさそうに頬を掻いて笑っている宙。


 そういえば、近くて遠いファンタジー世界に行ったことがあると、両親二人が言っていたことを紅がふと思い出す。


「それじゃ、ここって……」

「うむ、お前を連れていけぬ世界、そして我の思い出の風景じゃ……だから、お前にも一度見せてやりたかった」


 そう、天理は紅の肩を抱き寄せて顔を寄せ、愛しげに呟くのだった。




 ◇


「――驚きましたね。まさか、こちらでこの景色を見るとは」


 不意に、背後から掛かる声に、紅がぎくりと体を強張らせる。


 ――紅は、その声を知っていた。


 リアルでは聞いた事が無い……ゲーム内、『Destiny Unchain Online』の中でのみ聞いた覚えのある声だった。


「おっと、お主、もうこちらに来ておったのだな?」

「ええ。祖父の仕事が予想外に早く片付いたので、今朝の連絡船に間に合うように来れました」


 何やら母、天理と仲睦まじげに談笑している、紅たちと同年代くらいの青年。



 見事なまでに艶やかな銀の長髪を右肩あたりで束ねて垂らし、やや鋭い切れ長の目、その瞳はなんと珍しいと言われているはずの鮮やかな紫水晶アメジスト色。


 また、日本人ではありえない白い肌と顔つき。下手なアイドルなど歯牙にも掛けないであろうその顔は眉目秀麗といって差し支えなく、何処かの国の王子様と言われたならばおそらく信じてしまうだろう。



 そんな彼を、愕然と凝視している紅。

 周囲を見れば、他の皆……『ルアシェイア』初期メンバーの皆も、だいたい似たような反応だった。


 そんな皆を代表するように、紅が叫ぶ。


「お前……お前、まさか、ソールレオン!?」

「ええ、こちらではお初にお目にかかります、『赤の魔王』様。よもやこちらでも、ゲームと同様のとても愛らしい姿をしているとは思いませんでしたが」


 そう言って彼は有無を言わさず紅の手を取ると、反応もできないほど鮮やかに、恭しく跪いてその手の甲に唇を寄せる。

 そこには慣れぬものがファッションでやるような鼻につく気障っぽさはなく、普段からそうした社交に慣れている者の貫禄があった。


 予想外の扱いに、プルプルと、顔を真っ赤にして硬直している紅に向け……彼は、にっこりと、というにはいささか腹黒そうな笑顔で笑いかけ……



「お察し通り、私はソールレオン……こちらの名を『玖珂くが 玲央れお』と申します。以後お見知りおきを」



 そう、彼はまるでどこかの王子様であるかのような所作で胸に手を当てて、紅たちに一礼しながら名乗るのだった――……







【後書き】

 作中に出てきた仮想ビーチのイメージは、「ボラカイ島」で検索したら出てくるかと。

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