はじめてのおでかけ

 ――結局、ひじりによる紅が明日街に着ていく服選びは彼女が予想以上に熱中したことで難航し、夜の消灯時間ギリギリまで続いてしまった。


 すっかり遅くなったからというそらの申し出によって、彼女が家へと車で送られて帰っていった、その翌日。


 ひさびさに現実の街へと外出できる――そんな期待に、紅は自分でも驚くほど早起きし、身支度を整え終えたのだった。





 そうして迎えた、日曜日の朝。


「聖、昴、こっちこっち!」


 病院の駐車場に、まだ幼さが残る少女の声が響く。




 ――病院の、入院患者関係者用の駐車場に止まっている、宙の車である紺のクロスオーバーSUV。

 紅は、用事があるからと宙が一度病院に戻ったため、一人その中で皆が来るのをそわそわと待っていた。


 宙の手により、紅や天理のを考慮して抜かりなくUVカットフィルムの張り巡らされた、その車窓。

 久々に見る現実世界の外の景色を楽しそうに眺めていた紅は……やがて、駐車場入り口からこちらに向かってくる聖と昴の姿を目敏く見つけたのだった。




 そうして紅は、日光避けにと宙が買ってきてくれたややゴシック風な意匠の日傘を開いて、いそいそと車から降りていった。


 傘をさしていないほうの手をブンブンと振って友人二人を呼ぶ紅。その姿に……


「……なんか、えらく可愛い生き物がいるな」

「へへ、でしょー。紅くんスタイルいいからねー」


 小動物じみた動きで二人を呼ぶ紅の姿に、昴が親友のすっかり変わり果てた姿に愕然とする。それに対して、なぜか隣で聖が自慢げに胸を張っていた。



 今の紅の格好は、チェックのスカートに白のフード付きサマーセーター。

 体質もあり、初夏とはいえ肌には毒となる日光を避けるため、露出は極力避けて脚は黒のニーハイソックスで覆い隠し、フードは深く被ってはいるが……その肩や腰の細さ、スラッとした脚の長さなどは隠せていない。


 そして、フードから覗く髪の毛は見事なまでの純白であり、キラキラと陽光を反射して煌めいているのだった。



 そんな、街でもあまり見かけないような、予想以上に女の子している紅の姿に、昴は珍しく固まっていた。


 しかし、昴がポカンとしている間に、紅はまだ若干おぼついていない足取りでトテトテと近付いてくると、その両手を広げて今の姿を昴へと見せつけた。


「えっと……ど、どうかな?」


 それは紅にとって、聖や宙のように「可愛い」しか言わない者以外からの、率直で忌憚ない意見が欲しかったための、とくに他意はないもの。


 だが……そのターゲットになった昴本人にとっては、たまったものではない。


「いや……うん……」

「なんか言えよ、黙りこまれるとこっちが恥ずかしいんだよ」


 言葉につまり視線を逸らす昴。だがしかし悲しいかな、彼も健全な男子高校生であり、セーターの隙間から覗く鎖骨と……その下の淡い空色の物体へと視線がチラチラ泳いでいる。


 そんなことは露知らず、切実に意見を欲している紅は、さらにずいっと距離を詰めて下から覗きこみ、返事を急かすのだった。


「ふふん、昴ってば何緊張しちゃってるのかなあ?」

「いや、僕は別に……」

「正直にお姉ちゃんの見立てた紅くんコーデを褒め称えたまえー」


 そんな昴を面白がってグイグイ押してくる双子の姉の言葉に……昴は、はぁ、とため息を吐いて評価を口にした。


「あー、まあ、可愛いな」

「そ、そうか……なら良いんだ」


 すっかり照れの入った、らしくない昴の言葉に、紅もいたたまれず視線を逸らす。

 複雑な気分ではあるものの、可愛くないよりは可愛いほうがいいに決まっている……そう無理やりに呑み込むと、気を取り直し、今しがた降りてきた宙の車の助手席へと戻ろうとして……


「紅くん、裾!」

「おっ……と」


 聖から珍しく鋭い叱責が飛び、慌ててスカートを押さえながら助手席に乗り込む。


「全くもう……まだまだ女の子の練習不足だよ、紅くん」

「……はい」


 しょうがないなぁと苦笑する聖に、むぅ、と頬を膨らませる。


 ――先が思いやられるなぁ。


 そう、暗澹とした気持ちでため息を吐く紅なのだった。





「二人とも、ごめんね、こちらまで来てもらって」

「いいえ、宙おじさまもお仕事お疲れ様でした」


 そう言って、病院内から両手に荷物を抱えて戻ってきた宙が、後部座席に乗り込んでいた聖と昴に頭を下げる。


 今、宙が抱えてきた荷物は、先日まで仕事で持ち込んでいた機材たちの残り物だ。


 病院ではもう必要無くなったそれらを回収してトランクに仕舞い込みながら、迎えに行けなかったこと、待たせてしまったことなどについて謝罪する宙に、聖がにこやかに労いの言葉を掛ける。




 そうして荷物も積み終わり、運転席に乗り込んだ宙が車のスタートボタンを押すと、水素燃料電池から電力を供給されたモーターが僅かな音だけを上げて、静かに始動した。


『自動運転を開始します』


 そんなアナウンスが車内に流れて、今まで宙が握っていたジョイスティック型の操舵装置が格納されていく。


 やがて車はゆっくり動き出して駐車場から車道に入り、無事に交通の流れに乗ったのを確認し……皆、ふぅ、と息をついてシートに背を預けた。


「それで、どうだい、久々に外に出た感想は……って、紅さん、どうしたんだい?」

「いや……外に出ると、どうにも落ち着かなくて」


 そう首を捻りながら語る紅は……車内へと乗り込み他人の視線が無くなってから、ずっと自分の胸を、訝しむようにペタペタと触っていた。


 そんな手にセーター越しに感じるのは、ごわごわとした堅めな手触りとその表面を覆う繊細なレースの感触。

 そして何より胸に直に感じる、敏感な場所をふんわりと柔らかく包み込んで守っているかのような、恐ろしいまでにきめ細かなナイロン生地と、その中に仕込まれた柔らかなパッドが織りなす優しい肌触り。


 それは、今日の紅が着用しているのが、リハビリ中に慣れ親しんでいた体にぴったりフィットするスポーツブラではなく……可愛らしいデザインのハーフカップブラであるということを、否が応でも実感させられた。


 好意的に言えばスレンダーである……悪く言えば同年代女子より幼い今の紅には、谷間ができるほどのものは無い。


 だが、下から支えられるように締め付けられる感触と、それにより補正されることで生まれた眼下を僅かに遮る膨らみの存在が、どうにも気になって仕方がない。


 更には肩ぐりの大きめなサマーセーターの隙間からブラのストラップがチラチラと覗いているため、「ねぇこれ見えてるけど本当にいいの? ていうかセーター薄いんだけど隙間から透けてない?」と思ってしまって落ち着かなく、紅は頻繁に肩のストラップの位置を調整しては、感触に納得できずに首を傾げていた。


「……まあ、ほどほどにね。僕や昴くんには目の毒だから」

「……?」


 気まずそうに咳払いしながら、そう忠告する宙に、紅はよくわかっておらず首を傾げる。


「なあ聖……これ、紅のやつ、多分僕らが元の姿を知ってるからなんとも思わないはずと、信じて疑ってなくないか?」

「あはは……ごめんね昴、学校に通うようになる前に、よぉ……っく言い聞かせておくね?」


 何故か早くもシートを深く倒して、両手で顔を覆いぐったりしている昴と、上品に膝を揃えて座っているだけなはずなのに微妙に背中あたりがピリピリする気配を発し始めた聖。


 そんな幼なじみの様子に、いったいなんだろうと紅は再度首を傾げるのだった――……

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