のぞまない 異世界転生させられて 我衣手は露に濡れつつ
自分の「今後の身の振り方」が決まるまで、王宮の客間に滞在させてくれることになった。
右も左もわからない、言葉が通じるだけで世界のことをまるで知らない自分をお世話をしてくれるメイドさんの存在は大変ありがたかった。ベッドのスプリングも柔らかかったし、ご飯も三食出してくれた。天蓋付きのベッドに寝そべり、部屋を眺める。黒壇のぴかぴかしたチェスト、テーブルの上の金の羽ペン……。さすが王宮の客人待遇はスゴイなあと、他人事のように思う。
螺鈿を施されたサイドテーブルには、馴染みはないけれどご馳走と思しき一皿が置かれている。メニュー名は分からない。〜何らかの動物のお肉の煮込んだものに、こんがり焼いた平たいパン的なものを添えて〜だ。当然だけれども、洋食でも和食でもない。フリスビーのような形をしたパン的なものは三編みのような模様がある。煮込みは茶色いソースの中にプツプツと何か得体のしれない穀類が浮いている。匂いは何やら美味しそうだけれど、とても積極的に食べたい気分にはなれなかった。
それでも時間が経てば、気持ちと裏腹にお腹は空く。ちょっとだけパン的なものをつまもうと思った。指では千切れない硬さだった。気が咎めつつ、口元に持ってきて歯で食いちぎると、口の中に塩味がして、その後に、ゴワゴワぼそぼそと荒くそっけない穀類の香りがした。口の中の水分が全部持っていかれ、強引に飲み下せば胃の中でドスンと落ちる感触がした。
(ヤマザキ春のパン祭り……)
前後に関係なく唐突にそう思った。日本の四角くくて白い食パン。ふんわりと柔らかく、甘く、飲み物がなくてもそのまま一枚ぺろりと食べられたアレを、自分はもう一度食べることはないらしい。ということは、あの春の祭りで得点シールを集めて白い皿をもらうことも、ないということだ。
この世界に来て、新たな自分を知った。
(それなりに、元の生活が好きだったんだな、わたし……)
あんなに頭を悩ませていた進路も、もう悩む必要ないのだと思うと、笑えてしまう。だって、もう、目指すべき高校も専門学校も企業も夢も、綺麗サッパリ無くなったのだから。
未来の地図は真っ白も真っ白。純白の純白でホワイト企業も顔面真っ白になるピュアホワイトさだ。驚きの白さに笑えてくる。
学校に行けば毎日会えた友達とも、もう会えないらしい。自分の良いところもダメなところもよく知ってる鬱陶しい両親にも、二度と会えないのだと言う。
「…………」
好戦的で面倒くさいクラスメイトとも、意図的に距離をとる必要もなくなった。自分の部屋の軋むベッドで寝ることもない。本棚の、お気に入りの本をもう読み返すこともない。コンビニでアイスを買って帰る道の小さな幸せも、週末になったら観ようと思っていた録画も、来春公開の楽しみにしていた続編映画も、有名人の不用意発言を多角的に吊るし上げるメディアも、一向にフォロワーの増えないSNSも、つい昨日まで、わたしを悩ましたり、わたしを楽しませたりたり、わたしを困らせたりする全てが、全てから、あまりにも突然、さよならしてしまった。
「うう〜〜〜……」
そう思うと、自然とポロポロと目から涙が溢れてしまった。口に含んだ硬いパンの塩気が、余計に涙をさそった。さようならも、ありがとうも、ごめんなさいも、一言も告げられなかった。
(帰りたい……)
泣いてもどうしようもないと分かっていても、泣けて泣けてしょうがなかった。
その喪失感たるや……。仮に自分が平安時代のひとだったら、この悲しみで百首くらい詠んで、一人で百人一首を変遷しそうなくらいだ。悲しみにまかせてベッドに身を投げても、こちらの文化には枕がない。枕を涙で濡らすこともできない。ほら、また、もうこれだけで、もう一句増えた。この百首、どうやって後世に残せばいい!
柄にもなく、わたしはこのあと二週間も、泣いたり食べたり寝たりした。ジメジメぐずぐずと、梅雨時期のナメクジのようだった。泣いて泣いて泣いて泣いて、目から自分本体が液体になって流れ出そうになった頃に、やっとムクリと体を起こした。恐ろしいことに、フッと「飽き」がやってきた。
たった数行で郷愁を拭い去る薄情者だと思わないでほしい。心も体も疲れ切り、枯れ果てた涙の途切れ目に、冷静さの風がタイミングよく吹いたのだ。
親も友達もいない。これから知らない異世界の異国の地で、どうやら生きていかなきゃいけない。
だって、死にたくない。
かといって、帰れない。
だったら、腹をくくって、前を向くしかないんだ。
(……わたしに、できることを、する……)
わたしは自分の手のひらを見る。働いたこともない、家事もろくに手伝わなかった、生っ白い手の平。勉強もそこそこで、運動もそこそこそしか身についていないこの手で、何ができるというのだろう。
その時、やっと思い出した。
(召喚士のおじさんたち、わたしに「魔力がある」って言ってた……)
不思議な丸い水晶に手をかざした試験で、自分に少しの魔力があることがわかったのだった。「少し」というところが、いちいち自分らしく情けなくもあり、「ある」ということが妙に誇らしくもある。
(ひょっとしたら、わたしは魔法が使えたりするのかな……)
そこに思い至った時、不謹慎ながら、ほんの少しだけワクワクした。ファンタジーの奇跡で代名詞の、魔法を使う? わたしが? そんな事を想像するのは、幼少の頃以来だ。
(「出来ることをする」……って、魔法使い、になるってことも、選択肢に入ってくるよね……)
学校の進路指導には、全くない選択肢。
進路について相談していた友達に「わたし、いろいろ考えたけど、異世界移転して魔法使いになるよ」と一大決心を伝えたら、どんなリアクションをするだろう。正気を疑われるだろうか? おでこに手を当てられて、熱でもあるのかと心配されるかもしれない。あ、だめだ、さっきまで泣いていたのに、少しだけ、可笑しい。
わたしはベッドから降りて、革のローファーを履いた。そして、恐る恐る重たい部屋の扉を押して、部屋を出てみる。
部屋の外の空気は新鮮で、明るくて、胸の中の小さな勇気をピカピカに磨いてくれた。外に控えているメイドさんに自分の考えを相談して、召喚士のおじさんたちを呼んでもらうことになった。こちらの世界でも、「進路相談」をセッティングしてもらうためだ。
後日行われた話し合いの結果、わたしは魔法使いに、それも王宮で働く「召喚士」として生きていくことになった。
■
数ある魔法使いの中で、「召喚士」という種類の魔法使いの道を選んだことにはいくつか理由がある。
一つ目の理由は、召喚術のことを知ることが、元の世界に帰ることに必ず繋がると思ったから。
異世界から人を「お取り寄せ」ができるなら、やりようによっては逆に「お届け」だってできるハズ、という簡単な発想だ。召喚術を研究して発展したら、その分お家に帰れる可能性が上がる。それをお給金を頂きながら研究できれば、一石二鳥だと思ったのだ。
二つ目は、「真の勇者を召喚するため」。自分で魔王を倒せないならば、やることはひとつ。わたしが別の勇者を召喚する。そして、魔王を倒してもらうのだ。
真の勇者さんには大変なお役目を負わせてしまうことになるけれど、望まぬ滞在を余儀なくされている全ての〈ハズレ異世界人〉たちに免じて、どうか大目にみて貰えたら嬉しい。
三つ目は、なんだかんだ言って、刷り込みなのかもしれない。
この世界に来て、一番たくさん関わったのが召喚士の人たちだから。
召喚士の人たちだけじゃない。メイドのおばさんたちも、清掃のおねえさんも、すれ違う廊下で律儀に挨拶をしてくれる騎士さんたちも、王宮の人たちはみんなわたしに優しかった。もちろん自国の事情で異世界人を巻き込んでしまった負い目もあるのだろう。それでも心に響くのは、本心から出た優しい言葉たちだ。
「こんな年端もいかない子を我々のミスで」、「こちらの一方的な都合で」、「親元から離して一人にしてしまい」、「こちらで支援できるところはできる限りさせて頂くので」、「食欲はないかもしれないけれど、少しでも温かいものを食べて、元気を……」等。わたしがもらった言葉は、みんなどれも本心で暖かなものばかりだった。
だから、というわけじゃないけれど、私は王宮内で働くのが、一番落ち着くのだと思い込んでしまった。
国王陛下が住んでいる王宮だもん、
■
こうしてわたし、
日本に居た時と変わったことが二つある。
ひとつは、郊外にある小さな一軒家を借りて一人暮らしをするようになったこと。
そしてもうひとつは、「ユウ=ヅツ」というこちら風の名前をもらったことだ。
「ユウ=ヅツ」はこちらの言葉で「夕方の一番星」という意味だそうだ。召喚前、一番星に成れなくて嘆いていた自分が、一番星の名前をもらうなんて、不思議な因果があったものだ。でも、響きは割とファンタジーっぽくて気に入っている。
カラッポでハズレ異世界人なわたしは、新たにユウ=ヅツとして、異世界で勇者を召喚する生活が始まったのだ。
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