【二五九《対等か不等か》】:一

【対等か不等か】


 他人の気持ちを知ることが出来ないのは当然だし、他人に自分の気持ちを知れと求めるのも間違っている。ただ、人は想像することが出来るし、相手の気持ちを推し量って配慮することも出来る。しかし、それも出来るからと言って他人に求めるべきことじゃない。それは他人に自分の中の常識を押し付けるのが良くないから、ということが理由な訳でもない。

 単純に、他人という存在にそこまで期待するのが間違っているからだ。


「私は何もハロウィンパーティーのことは知らなかったんです。企画を全て王室の者に任せていて、私は何も」


 大学の食堂で、いつものようにまったりとしていた俺のところへ、突然、取り巻きをぞろぞろ引き連れたロニーがやって来て、挨拶も無しにいきなりぺちゃくちゃと話し始めた。そのロニーに俺は黙って視線だけを返す。


「知らなかったから悪くないって言いたいんですか? でも、あの夜の自分の行動を思い返して下さい。あのステージで、凡人くんにパイを投げたのは誰ですか?」


 俺の隣に座る理緒さんが冷たい言葉と視線をロニーへ向ける。


「それは……あの状況では――」

「最低」


 ロニーが何かを言い終える前に、理緒さんはそう一言で斬り捨てた。


「結局、あなたは自分の保身のために凡人くんを傷付けた。知らなかったとしても、パイを投げない選択は出来たはずです」


 俺ではなく理緒さんが怒りを露わにすると、ロニー王子の後ろに居た取り巻きの女子学生が一言呟いた。


「ロニー王子を平手打ちした暴力女のくせに」


 その言葉を発した女子学生に理緒さんは視線を向ける。でも、理緒さんはすぐに視線を外してロニーに戻した。


「場がしらけることと人を傷付けることを天秤に掛けること自体があり得ない」

「私は筑摩さんではなく多野さんと話が――」

「俺には話すことは何もないので。この後、"凛恋と"約束があるので帰ります」


 ロニーに話し掛けられて、俺は不快感を露わにしながら立ち上がる。


「凡人くん、また明日」

「また明日」


 理緒さんに挨拶をしてロニーの横を通り過ぎ食堂を出る。

 ロニーと話すことなんてない。それは俺の正直な気持ちだ。

 俺はロニーにハロウィンパーティーのことを謝ってほしいなんて思っていない。もう、そんなものを期待するような感情なんてロニーに抱いていない。


「凡人っ!」


 校門から出た瞬間、横から凛恋が俺の腕を抱いてしがみつく。


「凛恋、顔を見ずにいきなり飛び付いて人違いだったらどうするんだ?」

「私が凡人を間違える訳ないでしょ。目隠ししてても臭いで分かるし! いや、私くらい凡人のこと大好きだったら気配だけで凡人って分かるからっ!」


 いつにも増してグイグイくる凛恋は、俺の腕を抱きながら頻りに校門周辺を見渡す。そして、俺の腕を自分に引き寄せながら小さく息を吐く。


「理緒は居ないわね」

「さっきまで食堂で一緒だったけど、凛恋と用事があるから帰るって言ってきた」

「ちゃんと私の名前を出して断ってくるなんて偉い!」

「いや……だって、本当のことだろ? 凛恋が買い物して帰ろうって言ったんだから」

「それでも、理緒に凡人には私っていう彼女が居て、理緒が割って入る隙間はないって思わせないといけないの。行こっ」


 組んだ腕を引っ張って歩き出す凛恋に付いて歩き出してすぐ、俺と凛恋の目の前に人影が立ち塞がる。それは、走って息を切らしたロニーだった。

 立ち塞がったロニーの顔を見た瞬間、俺の腕を抱く凛恋の腕に力が入り、凛恋は顔を俯かせて黙り込んだ。

 ロニーに対していい気味だなんて思うことよりも、凛恋を怖がらせたロニーに対して強い怒りを覚えた。


 ハロウィンパーティーのパイ投げ事件からずっと、凛恋はロニーに対して強い恐怖心を抱いている。ロニーは俺や理緒さんに、自分は知らなかったと言っていたが、理緒さんが言っていた通り知っていたか知らなかったかは大した問題じゃない。結果的にロニーが何をしたかだ。

 いくらロニーがそんなつもりじゃなかったと言い張っても、ロニーは凛恋を怖がらせた。その事実は消えてなくなる訳じゃない。まあ、自分が凛恋を傷付けたなんて、目の前に居るこいつは思ってもみないだろうが。


「凛恋さん、先日は私のせいでパーティーでの楽しい気分を台無しにしてしまって申し訳ありませんでした」


 ロニーはそう言って、深々と凛恋へ向かって頭を下げた。さっきまでは、食堂で俺や理緒さんに自分は悪くないなんて話をしていたのに、凛恋の前ではあっさり自分の非を認めた。いや……好きな凛恋に、自分が自分の悪くないことでも真摯に受け止め責任を取る男だと思ってもらいたいだけなのかもしれない。


「あのパーティーは、凛恋さんに楽しんで頂きたくて、それでもっと凛恋さんと仲良く――」

「……私、あの、凡人にパイを投げ付けたあなたの姿を一生忘れません」

「凛恋さん……」

「私は……私の大切な人を傷付けたあなたが大嫌いです」

「――ッ!?」


 凛恋は、体を震わせながら、全身を強張らせながら、目に涙を浮かべながらロニーへこれ以上なく分かり易い拒絶の言葉を発した。だけど、俺はその言葉を受けたロニーの顔を見て、怒りが収まるどころか……より怒りを逆撫でられた。

 ロニーは、驚いたのだ。まさか、自分がそんなことを言われるとは思っていなかったかのように、目を見開いて愕然とした表情をした。だから……そんなロニーに怒りが収まる訳がなかった。


「そんな……私は……」

「ごめんなさい。私は凡人を傷付けたあなたが嫌いで、私に凡人を傷付けさせようとしたあなたが怖くて嫌いで……もう二度と顔を合わせたくありません。お願いだから……もう私達に関わらないで下さい」


 凛恋は軽く頭を下げて、俺の腕を引っ張りロニーの横を通り過ぎる。

 他人の気持ちを知ることが出来ないのは当然だし、他人に自分の気持ちを知れと求めるのも間違っている。ただ、人は想像することが出来るし、相手の気持ちを推し量って配慮することも出来る。ただ……どんなに慎重に、自分なりに精一杯相手の気持ちを推し測って配慮しようとしたとしても、全て上手く行く訳がない。だって、どう足掻いても人は他人の気持ちを正確に捉えることなんて出来ないのだから。今までの経験から作り出せる想像でしか相手の気持ちを想定出来ないのだから。


 ロニーは世界のどんな男でも羨む富と名誉がある。きっと、そこから色んな経験をしてきただろう。俺みたいな日本の一大学生では経験出来ないことを沢山経験してきたはずだ。でも、多分ロニーは他人から――女性から否定される経験をしたことがない。


 イケメンで金も持っていて、しかも一国の王子。それだけ持っていれば大抵の女性はロニーを持ち上げる。多少、自分の価値観と合わない言動をされても、顔や金や地位でそれは相殺されるどころか掻き消される。だから、女性はロニーを否定せず、ロニーには女性に肯定される経験しか積まれない。そして、ロニーは自分の行動で人を傷付けたという自覚もなく、人を傷付ける経験をせずに成長した。その結果、ロニーは自分の行動で人が傷付くなんて思わないし、人を傷付けた時にどうすれば良いのか分からない。

 それは、いい気味だと思う以前に、哀れみを感じる以前に、純粋に可哀想だった。


 ロニーが自分の行動が人を傷付ける可能性があると思わないのは、ロニー本人のせいではない。全ては、ロニーを取り巻いていた人間全てが原因だ。

 ロニーに傷付けられた人が、ロニーに傷付けられたと言っていれば、ロニーは自分が人を傷付けると知ることが出来た。


 ロニーの言動で人が傷付くことを見ていた人が、ロニーに言動で人を傷付けると注意していれば、ロニーは自分の言動を改めることが出来た。

 でも、ロニーを取り巻いていた人達はそうしなかった。そうすることが出来なかった。それはきっと、ロニーの容姿と家柄と財産がそうさせたのだろう。

 だけど、そう俺が思ったところでどうしようもない。いや、そう思う必要なんてない。 それは、俺が自分でも冷淡だと思うほど、ロニーのことを他人だと思っているからだ。




 レディーナリー編集部で任される俺の仕事は、ほとんどの場合、編集部内で終わることが多い。外に出て行くのは、古跡さんに買い出しを頼まれた時くらいで、その他で編集部から出て行くことなんてほとんどないのだ。

 なのだが、今日俺は、初めて来たハウススタジオの端で落ち着かない精神状態のまま立っているという意味の分からない状況になっている。


 俺はもう何度か見返している企画書を音が立たないように再び捲る。

 今回の企画は、世界的なファッションモデルのマリア・ヘルトロ・フェルという人へのインタビュー。今は、インタビュー記事に使う写真の撮影をしているところだが、俺はなぜそのファッションモデルのインタビューの現場に自分が居るのか分からない。


 俺の本来の仕事は、写真撮影に携わるカメラマンを始めとした撮影スタッフのアポ取りと、撮影に使うハウススタジオの押さえが仕事だ。そこから先の撮影とインタビューは編集さんに引き継がれて、俺が現場まで出てくることはない。

 一旦撮影を終えて、カメラマンと打ち合わせをするブロンドの女性は、俺の方に視線を向けるとパチッとウインクをした。そのウインクに眉をひそめていると、隣から家基さんの呟きが聞こえた。


「多野、あれで男って落ちるものなの?」

「あれって今のウインクですか?」

「そう」

「まあ、あのモデルさんは美人ですからドキッとする人は居ると思いますけど」

「多野はどう思った?」

「そうですね……なんでウインクしたのかなって思いました」


 再開された撮影をボーッと眺めながら俺が言うと、家基さんが口元を隠してプッと笑った。


「その感想、あのマンイーターが聞いたら怒りそうね」

「マンイーター?」

「あれ? 多野は知らないの? あのモデル、仕事で関わった男を片っ端から食ってるって有名なの。だから、マンイーター」


 家基さんの話が、人食い人種という意味でのマンイーターな訳がない。だから、家基さんの話で視線の先に居るモデルがどういう人なのかは概ね理解出来た。


「ウインクされたってことは狙われてるわね」

「もしかして、俺がこの現場に連れて来られたのって」

「元々、あのモデルの撮影はうちの案件じゃないの。別のファッション誌の案件。でも、向こうサイドが若い男が居ないとダメだって言い出したらしくて」

「若い男性社員なら月ノ輪出版にゴロゴロ居ると思いますけど?」


 家基さんの話は、モデル側が若い男を現場に同行させて欲しいと要望を出したという話だ。でも、業界でも大手の月ノ輪出版になら、なにもアルバイトの俺を引っ張り出さなくても若い男性社員はいくらでも居る。それなのに、なぜ俺なのかが分からない。


「なんで多野かは分からないわ。でも、今のウインクを見たら、どこかで多野のことを見て気に入ったのかもね。多野って背は高いし顔も悪くないし。それで多野が指名されて、その付き添いに私が来たって訳」

「でも、背が高くてイケメンの社員くらい他に沢山居たと思いますけど」


 そんなことを家基さんに言っても仕方ないのは分かるが、家基さんの言ったことが俺が駆り出された理由と考えるのには弱く感じた。


「まあ何にしても、明らかに多野のことを狙ってるって分かってたから古跡さんが私を付けたのよ。うちの編集部でガッチリ多野をガード出来るのは古跡さんか私くらいだろうし」


 ほとんど撮影見学会としか言えない状況で突っ立って待っていると、撮影が終了したのかカメラマンの男性にモデルの女性が軽く頭を下げる。そして、真っ直ぐ俺の方に歩いてきた。


「この後、時間あるかしら? 二人きりで食事でもどう?」


 流ちょうな日本語を使った堂々としたストレートな誘いに、俺は清々しさを感じながら首を横に振って左手の薬指にはめたペアリングを見せる。


「すみません。大切な人が居ますので」


 断った俺を見て、モデルの女性はフッと小さく微笑み首を傾げる。


「では、皆さんで打ち上げに行きましょう。それなら良いでしょう?」


 きっとモデルの女性は最初からみんなで打ち上げに行くつもりだったのだ。そのつもりで、俺のことをからかって二人で誘おうとした。それを、ニッコリとした笑顔から想像する。


「すみません。彼は――」

「打ち上げの食事くらい良いじゃないですか」


 ニコニコ笑った男性がそう言いながら歩いて近付いてくると、怖い顔をして俺と家基さんに小声で言った。


「モデルの機嫌を損ねて今後の仕事が流れたらどうする気だ」

「良いですよ。ご飯をみんなで食べるくらい」

「多野、悪いわね」


 家基さんに笑顔で言うと、家基さんは辟易とした表情で肩をすくめた。

 結局、家基さんも俺もほとんど仕事らしい仕事をしないまま撮影スタッフやモデルと一緒に、ファッション誌の男性編集さんが用意したレストランへ入る。店のたたずまいからして、かなり良い店だというのが分かる。


「とりあえず赤ワインを。隣は彼が良いわ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る