【二五四《立場が違えば》】:二
「多野くん、ちょっと買い食いしよっか」
「真面目な田畠さんらしくないですね」
「休憩時間のうちだから問題ないよ」
そう言って移動販売車まで駆けていく田畠さんは、無邪気にメニューを眺める。
「私がご馳走するから多野くんも好きなの選んで」
「ありがとうございます。じゃあ、チョコバナナクレープを」
「分かった。じゃあ私はいちごホイップにしよう。すみません、チョコバナナといちごホイップを一つずつ下さい」
クレープを注文し、しばらく待ってから受け取ると田畠さんは近くの公園まで行き、ベンチに座る。
「はい。多野くんの分」
「ありがとうございます」
ベンチの端にサンドイッチの袋を置いて座り、田畠さんからチョコバナナクレープを受け取る。
「いただきます!」
「いただきます」
田畠さんが美味しそうにクレープへかぶり付くのを見てから、俺も自分の分のクレープへかぶり付く。これからサンドイッチもあるが、きっと田畠さんを含めた正社員の編集さん達は俺よりも遅くまで残ることになる。だから、サンドイッチだけでは足りないのかもしれない。
「多野くんは大学楽しい?」
「大学ですか。まあ、もう三年の秋ですし、真新しさは感じなくなりましたね。例年通りの秋って感じです」
「ダメだよ。学生のうちにもっと楽しんでおかないと。そういえば、最近の大学生って友達と何の話をするの?」
何気なく田畠さんにそう聞かれて、俺はふとこの前、喫茶店で飾磨が言ったことを思い出す。
「田畠さんは、彼女が居ても他に好きな人が出来るやつのことをどう思いますか? 大学の知り合いに、俺は凛恋だけを好きなのはおかしいって言われて」
「彼女さん以外に? 私は彼女さんだけを好きな多野くんは一途で素敵だと思うよ?」
田畠さんの答えを聞いて、俺は自分の考えが間違っていないと安心する。
「その話を俺にしたやつが、俺が凛恋だけを好きだって言い張るのは、俺を好きになってくれた人に失礼だって言うんですよ。俺は凛恋だけが好きって思って、他の人のことを全く見てない、それで今ある以上の得を失って損してるって」
「塔成大生ってそんな難しそうな話ししてるの?」
「いや、そいつが特別なだけだと思います」
「私は会社とか飲み会でしか多野くんと接しないけど、多野くんが自分を好きだと思ってる子に優しくないとか不誠実だなんて考えられない。きっと、その多野くんのお友達が言ってるのは、多野くんに振り向いてもらえない子の側から言ってるんだよ」
「……いや、飾磨は女性が好きですよ?」
「違う違う」
田畠さんの言葉の意味は分かってはいたが、俺がちょっと深刻な話になりそうで冗談を言う。すると、田畠さんはクスッと笑ってから首を振った。
「多野くんを好きな人からしたら、多野くんともっと深い関係で話をしたいって思うし、きっとデートだってしたいって思う。でも、多野くんは彼女さんが居るから絶対に友達のラインから踏み込ませようとしないだろうし、デートなんて行かないよね?」
「当然ですよ。でも、女友達と喫茶店で話したり、色んな人を交えて飲みに行ったりしますよ?」
「好きな人とは特別な関係になりたいって思うのは当然だよ。だから、みんなと同じで満足なんて出来ない」
「でも、それを相手に満足させようとしたら、浮気になりますよね?」
「そうだよ。だから、私は多野くんの考えは間違ってないと思う。でも、多野くんを好きな子の立場からはもどかしいし辛い。それは自分勝手な考え方だけど、恋愛なんて基本は自分勝手だからね。相手のことを知りたい、自分のことを知ってほしいって気持ちでみんな動くんだから」
田畠さんはそう言い終えると、また美味しそうにクレープにかじりつき始める。俺はその田畠さんから目を離し、目の前にある公園の街灯の明かりを見詰めた。
俺は間違ってない。それは俺自身も思っているし、話を聞いてくれた田畠さんも間違っていないと断言してくれた。だけどなぜだろう、田畠さんの話を聞いた後に俺は罪悪感を抱いた。
凛恋が好きだから、凛恋以外の誰の気持ちにも応えられない。それは、誰もが納得する理由だ。それを出せば、よほどの人でない限り諦める。でも、俺以外の立場から見れば、俺はその体の良い理由を使って、相手の気持ちをまともに受け止めていないとも取られる。少なくとも、飾磨は俺がそうだと思ったのだ。だから、あんなに不満そうな顔をして話していた。
俺は間違っていない。改めてそう思う。でも、そう思い直しても、俺の心にある罪悪感は拭えなかった。
差し入れのサンドイッチを配ってみんなで食べてから、俺は他の編集さん達より一足先に月ノ輪出版の本社ビルを出た。だが、出た瞬間に目の前に見えた真っ白いリムジンに足を止める。
そのリムジンの運転席からスーツを着た運転手の男性が下りてきて、後部座席のドアが開く。そして、中からフォリア王国第一王子、ロニー・コーフィー・ラジャンが出てきた。
「こんばんは」
「アルバイト先まで来て、俺に何の用ですか?」
「多野さんに二人でお話があります」
「凛恋は渡しません」
「今日は、多野さんに直接謝罪したいことがあって来ました」
「謝罪?」
俺は謝罪と聞いて、ロニーが俺に謝るべき事柄がいくつも頭に浮かぶ。でも、俺はそれらのことをロニーが謝るという姿を全く想像出来なかった。
「ここでは静かに話せません。車で家までお送りします。その道中で話をさせてください」
俺としてはロニーの話とやらを聞いてやる義理はないが、何について俺に謝ろうとしているのかは気になった。
「分かりました。では、お言葉に甘えてお世話になります」
社交辞令で頭を下げてから、ロニーが乗り込んだ後にリムジンの中に乗り込む。そして、リムジンはゆっくりと走り出した。
「まず、多野さんに多大なご迷惑をお掛けしたことをお詫びさせてください。本当に申し訳ありませんでした」
「それは何について謝っているんですか?」
「いくつか多野さんに謝罪のためにご説明をしなければいけないことがあります。まずは、多野さんの夏休み期間中の補講についてです。多野さんの補講に関連して、塔成大学に対して我が国の王室から圧力が掛かっていました」
「フォリア王室の圧力、ですか」
「はい。私の知らないところで、塔成大学に多野さんの成績を操作して補講を受けざるを得ない状況にするようにと話がいっていたようです」
「でも、あの時、ロニー王子は一つしかない航空券を俺に渡しましたよね? 勝手にやったことにしては、ロニー王子は俺が急いでこっちに戻らないといけないことを分かっていた風でした」
「それは、私の世話役の人間が、凛恋さんとデートをするにはその日が絶好のタイミングだと。多野さんは急いで大学に戻らなくてはいけなくて、航空券には空きがない。でも、フォリア王室の職員が使うはずだった航空券を交換条件にすれば、凛恋さんは私とデートをしてくれるはずだと」
「その説明が本当で、俺の補講に関してロニー王子が何も知らなかったとしましょう。でも、それを信じたとしても、あなたがやったことは凛恋を脅したのと同義だと俺は思います」
「それは、そうでもしないと私は凛恋さんとまともに話すことも出来ませんでした」
「凛恋とまともに話すことが出来ないから、凛恋を脅して無理矢理話すことが正しいことなんですか?」
ロニーの自分勝手で自分の都合の良い言い分に、俺は声は荒らげなかったものの怒りを隠さずに露わにした。
自分は何もやらずに、勝手に自分の部下達がやったことが自分に都合が良かったから便乗した。それはもう、自分でやったやらなかったなんて大した問題じゃない。結果的に、凛恋がロニーとデートをしないといけない状況に追い込んで、そこに漬け込んで無理矢理凛恋とデートをしたのだ。そんなの、許される訳がない。
「他にも謝らなければいけないことがあります」
ロニーはそうやって話題を次に持っていく。でも、俺は凛恋を脅した件を納得した訳じゃない。それに、ただ状況をロニーの側から自分勝手に説明されただけで、ちゃんと謝罪を受けたとも思っていない。
「凛恋さんのご両親の会社に、私のパーティーに口利きをしたのも王室の独断です」
「それは、俺じゃなくて凛恋の両親に謝ってください」
「もちろん、問題の職員に直接謝罪に行かせました」
「それが本当だったら、そもそもそのことは俺に謝る必要のないことなので良いです」
「ありがとうございます。最後に……凛恋さんの誕生日プレゼントのことです」
凛恋の誕生日プレゼント。その言葉を聞いて、俺は凛恋の誕生日に感じたロニーに対する怒りが蘇ってきた。でも、その殺意の寸前まである激しい怒りを必死に抑える。
「凛恋さんの誕生日は前々から知っていました。その日にパーティーを開こうと計画していましたし」
「ちょっと待って下さい」
「はい?」
「凛恋の誕生日にパーティーを開くことを計画していたって言いましたよね? 普通に考えて、凛恋は誕生日に家族か恋人の俺と過ごすと思わなかったんですか? なのに、なんで当日にパーティーなんて計画したんですか」
「それは、凛恋さんの誕生日を最大限の気持ちでお祝いしたいと――」
「そのせいで、俺はまともに凛恋の誕生日を祝えなかった。ケーキを食べたのも誕生日の後日だったんです」
ロニーは自分が凛恋の誕生日にパーティーを開いたことを、他の話をするための過程でさらっと流そうとした。でも、そんなの許せない。
俺は大切な凛恋の誕生日を祝わせてもらえなかったのだ。それなのに、それを大した問題ではないような、過程でさらっと流すようなことなんてさせない。それに……ロニーはそのことに関して謝る素振りも見せなかった。
「ですが、私も凛恋さんの誕生日をお祝いしたかった。ですが、多野さんはそれを許すとは思えませんでした」
「当たり前だ。凛恋の誕生日は二人きりで過ごすつもりだったんだ。そこにあなたを入れる訳がないでしょ」
「だから、パーティーを開いて参加してもらおうと思いました。ですが、私は王室の職員がやったような強制しようなんて気持ちは――」
「でかい会場を押さえられてて、しかも一国の王族が自分の誕生日を祝うためだけに開こうとしたパーティー、そんなパーティーを正常な精神の持ち主なら断れる訳がないでしょ。それに、凛恋の場合は父親の会社にまで話が行ってたんだ」
「私はただの友人としてお誘いしただけです。私と凛恋さんは対等な立場で――」
「本気でそれを言ってるなら、俺はあなたという人間を軽蔑します」
明確な言葉で、俺はロニーを否定した。何がただの友人として誘っただ、何が自分と凛恋は対等な立場だ、そんなことがある訳がない。
俺はロニーの気持ちなんて知らない。本当は王族になんて生まれたくなかったのかもしれない。でも、ロニーは現にフォリア王国という大きな国の王子で、それに伴う影響力は大きい。
ロニーが自分の王子という立場を正しく理解していない訳がない。ちゃんと自分の一挙手一投足が周りに与える影響が大きいことも理解しているに決まっている。それなのに、自分がただの一般人と対等だなんて言葉は、ただの戯れ言でしかない。
「あなたは凛恋には招待状を送ったけど俺には送らなかった」
「それは、多野さんが一緒だと凛恋さんとお話が出来ないので」
「違いますよ。自分が招待状を出さなければ、絶対に入れないって分かってたからですよ。一国の王子が開くパーティーには当然厳重な警備が付けられる。その警備を招待状がなかったら抜けられる訳がない。だから、俺に招待状を出さなければ俺を凛恋の側から排除出来るって分かっていた。それは、あなたが自分の部下が勝手にやったと言っていた、塔成大に掛けた圧力と同じですよ」
「私は凛恋さんのことが好きなんです」
「何でもかんでも好きだって言葉で片付けられると思わないでください。凛恋のことを好きだからって言葉で、その気持ちを押し通すためにあなたがやったことが正当化される訳じゃない」
「……凛恋さんのプレゼントに関してです」
まただ。また話題を移した。自分に都合が悪くなったら、自分が話し終わったと思ったら、相手がどう思っていようがそれ以上話そうとしない。
ロニーは凛恋には紳士的だ。でも、俺には紳士的じゃない。それは分かっている。だから、今日俺に謝りに来たのも俺に心から謝りたい訳じゃない。
きっと、凛恋の自分に対するイメージを悪化させないための手だ。
凛恋がロニーのプレゼントを拒否したことで、ロニーは少なからず凛恋の自分に対するイメージが悪いと感じただろう。そこからどう挽回しようと考えているかは分からないが。
凛恋の自分に対するイメージを回復させようと考えている時、自分の部下が勝手にやったことが露呈した。それは、当然ロニー自身から見ても不誠実な行いだったのだ。だから、それを自分がさせたなんて“凛恋”に知られたら、よりイメージが悪くなる。最悪、回復することが出来ないほど悪くなると思ったのかもしれない。そう思ったから、ロニーは手遅れになる前に手を打ちに来たのだ。
俺に謝って、非を認めたということを凛恋に知らせるために。
ロニーにとって大事なのは凛恋の自分に対するイメージだけだ。だから、ロニーがやったこと、部下がやったことで俺がどれだけ傷付いてもどうだって良い。問題なのは、ロニーが自分の好意を突き通すため人を平気で傷つけるような冷酷人間だと凛恋に思われないことただ一つだ。だから、さっきからずっと形だけの謝罪しかしない。顔は本当に申し訳ないと思っている風を装って。
「私は凛恋さんのパーティーを開く時に、当然、凛恋さんへ贈るプレゼントを用意しようと思いました。当初は、ダイヤモンドの指輪かネックレスにしようと考えていました」
自分勝手に話を続けるロニーの話を、俺は呆れながら聞く。もう、何かを言い返す気も起きない。恋人でも何でもない女性にダイヤモンドの指輪かネックレスを贈ろうなんて頭がいかれてるとしか思えない。
「ですが、本当に凛恋さんが欲しい物が良いと思い、凛恋さんが欲しい物を調べさせたんです。そうしたら、花と財布とシャンパンだと知りました。ですが、実際は私の部下が多野さんが凛恋さんのために用意したプレゼントの内容を教えたものだったのです」
つまりロニーは言いたいのだ。プレゼントが俺の用意した物と被ったのは偶然ではなかった。でも、それは自分のせいではなく、自分の部下が勝手に俺の用意したプレゼントの内容を調べ上げ、それを自分に報告しただけだった。自分は悪くない。自分は部下の情報を元にプレゼントを用意しただけだ。そう、ロニーは言いたいのだ。
「そうですか。すみません、ここで下ろしてください」
「もう、大丈夫ですか?」
「は?」
俺は、もう我慢が出来ないくらいの怒りが胸の上にせり上がった。俺が下ろせと言った瞬間、ロニーは安心した顔をしてため息を吐いたのだ。俺が怒りでもうこれ以上ロニーと同じ空間に居たくないと思っているのに、こいつは『許された』と思ったのだ。
「多野さんに不誠実なことをしてしまっては、正々堂々と勝負が出来なくなってしまいます。ですから、多野さんに納得して頂いて良かった」
リムジンが停車しドアが開くと、ロニーがいつも通りの爽やかな笑顔を浮かべて言う。その言葉を聞きながら外に下りた俺は、振り返ってロニーを睨んで言った。
「もし、ここまでした会話で本気でそう思ってるなら、日本語を勉強し直した方が良いですね。それと、人を馬鹿にするのも大概にしてください」
「えっ……多野さ――」
後から、ロニーの声が聞こえる。でも、俺はその声を無視して足を進めた。
これ以上あいつと話していたら、俺は今も震えて暴れ出しそうな右手の拳を抑えられない。
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