【二一三《ブラックメール》】:一

【ブラックメール】


 それは、俺のアパートにある郵便受けの中に入っていた。

 真っ黒い封筒の表には真っ赤な文字で『愚者へ』とだけ書かれている。裏返しても差出人の名前も住所もない。まあ、愚者へという宛名に手紙を送るのだから差出人の名前が書いているわけがない。


 俺は封筒の口を閉じている封蝋を見る。よく西洋ファンタジー映画で封蝋を使って手紙に封をするのは見る。だが、現代で封蝋を使う人なんてほとんど居ないだろう。欧米ならもしかしたら封蝋を使っている人が居るのかも知れないが、少なくとも現代の日本では一般的ではない。


 封蝋に押された絵柄は上下が逆になっている。木の棒の先に袋を下げその棒を肩に載せてあるく人と、その人の足下を付いてくる犬。俺はその絵を実際に見たことはないが、そういう絵を知っている。俺の記憶が正しければ、タロットカードの愚者のカードがそういう絵柄だったはずだ。


 俺はスマートフォンを取り出して、タロットカードの愚者について調べて見る。すると、全く同じではないものの、旅をする男性とその男性と一緒に歩く犬という似た構図の画像が沢山出てきた。

 タロットカードはカードゲームでも使われるらしいが、タロットと聞いて大抵の人がイメージしやすいのはタロット占いだろう。そして、そのタロット占いでは、出てきたカードの絵柄以外に、カードの“向き”でもそのカードの意味が変わってくる。


 宛名の愚者へという文字と、封蝋に押されたタロットの愚者の絵柄とそっくりなスタンプから、間違いなくタロットカードの愚者を示しているのは確かだ。そして、封蝋に押されたスタンプが上下逆なのは、タロットカードの愚者の逆位置を示しているのだろう。


「軽率、わがまま、落ちこぼれ、ネガティブ、イライラ、焦り、意気消沈、注意欠陥多動性。か……」


 ネットで調べた逆位置の愚者の意味を口にして、俺は視線を封蝋された封筒に戻す。

 タロットの意味は見事なまでに悪いことばかりだ。それに、黒い封筒に赤文字ということで、封筒から感じる雰囲気も良いものではない。ただ問題なのは……。

 これが、誰に宛てて送られたか。


 封筒は俺と凛恋が住んでいる部屋の郵便受けに入っていた。だから、宛先は俺か凛恋しか居ない。しかし、俺は宛名の愚者と言う言葉に当てはまるとすれば、俺自身しか居ないと思った。

 凛恋は俺からすれば完璧な子だ。見た目は文句の付けようがないくらい可愛いし性格も優しい。怒ると口が悪くなることもあるが、それも俺にとっては可愛げにしか感じない。それに比べて、俺はどうしようもない愚か者だ。だから、この手紙は俺に送られたものだと確信した。


 俺はそう自分の中で決め付けて封蝋で綴じられた封筒を開ける。そして、中身を取り出した。

 真っ黒の封筒と同じく真っ黒な便せん。その便せんには、規則正しい赤文字でおびただしい数の『死ね』という言葉が並んでいた。


 中身を確認して、俺はその手紙を握り潰して部屋の前に置いてある燃やせるゴミを溜めたゴミ箱の中に放り込んだ。

 自慢ではないが、俺は人生で死ねと言われた回数は同年代の男子大学生に比べて多いと思っている。だから、今更何一〇回死ねと言われてもどうも思わない。死ねば良いのにと思っているやつには思わせておけばいい。


「凛恋、俺が居ない時は部屋の鍵を閉め忘れないように気を付けておけよ」

「うん、毎回しっかり鍵閉めてるよ。でも、急にどうしたの?」


 部屋の中に入って凛恋にすぐそう注意を促すと、凛恋が眉をひそめて首を傾げる。


「変な手紙が来てた。差出人の名前がない真っ黒の封筒で宛名が愚者って赤文字で書いてある。中身は真っ黒い便せんに死ねって文字がびっしり書かれてた。多分、俺宛の手紙だろ」

「……凡人、警察に言おう」

「まだ一通だ。一通くらいじゃ警察は動いてくれない。それに、警察に言ったってどうしようもないだろ。俺は全国の人間から怨まれてるんだし」


 俺は以前、元文部科学大臣の国会議員と俺の母親が付き合っていたというスキャンダルが週刊誌に報じられた時、全国各地のありとあらゆる人から怨まれた。

 その国会議員は政務活動費で俺の母親が務めていた店を利用していたらしく、納税している国民からすれば税金泥棒だ。そして、何も知らない人間達からは俺は税金泥棒の息子だ。


 俺の母親と国会議員のスキャンダルから、ネタになると判断した週刊誌は俺に対して曲解出来る内容の記事を書いた。そのせいもあって、俺は犯罪者の息子であり酷く性根の腐った性悪人間だと思われている。それは真井さんのお陰で鎮静化したし時間も経ってみんなの興味も他の話題のニュースに移っている。だから、今更嫌がらせが来るとは思っていなかった。しかし、世の中にはいつまでもグチグチと物事を引きずる俺みたいな人間も居る。今回の手紙も、そういう人間からの嫌がらせだ。


「無視して放っておけばそのうち飽きてくる」

「凡人。凡人は死んでもいい人じゃないから。絶対に私に必要で、私はずっと凡人に生きててほしい」

「誰が死ぬか。死んだら凛恋と会えなくなるだろ?」


 俺は冗談めかして笑いながら凛恋を抱き締める。そして、凛恋の頭を撫でながら心の中で深いため息を吐いた。

 俺の家は、マスコミが俺に取材をした時に知れ渡っている。だから、それなりの知識がある人だったらそのマスコミに出た外観から俺の家の場所を調べることは出来るだろう。それに、わざわざ家まで死ねと書かれた紙を投函してくるやつが一度だけで満足するとは限らない。必ず、もう一度やって来る。それが、心配だった。


 もし、凛恋が手紙の投函者と出くわして危害を加えられたら、そう考えただけで気が狂いそうになる。だから、絶対にそうならないように俺がしっかり凛恋を守らなければならない。




 月ノ輪出版レディーナリー編集部では、次号の製作で大忙しである。そして、俺が座っている席の横と前からは、帆仮さん、田畠さん、平池さん、それぞれのため息が聞こえる。


「帆仮さん、スタジオの空き状況調べておきました」

「え?」

「帆仮さんの担当記事、写真撮影でスタジオを使うでしょ? あとこっちはモデルさん含めたスタッフさんの空きスケジュール状況です」

「ありがとう! 今丁度確認しようと思ってたの!」

「田畠さんと平池さんの体裁調整は終わってます。もう一度それぞれ確認してもらって、古跡さんと家基さんに最終確認をお願いして――」

「今ここで確認するわ。まあ、多野のことだから大丈夫だろうけど」


 家基さんが後ろから俺のパソコンを操作して、俺が体裁調整をした田畠さんと平池さんの記事を印刷する。


「田畠も平池も上げてくるまでが早くなったわね」

「ありがとうございます!」


 印刷した記事を確認しながら家基さんが言うと、平池さんは明るい顔で嬉しそうに言う。しかし、隣に座る田畠さんは困った様な笑顔を浮かべた。


「今回も多野くんに助けてもらってばかりで」

「まあ、田畠はまだ経験が浅いから助けてもらうことがあって当たり前よ。それに、今回は私も多野に助けてもらったし、多野の力を借りたことで悩む必要はないわ」

「家基さんもですか?」


 田畠さんが聞き返すのを聞いて、俺が少し笑いを我慢していると、後ろから家基さんに頭を鷲掴みにされる。


「多野、今笑ったでしょ?」

「い、いえ、そんなことはありません」

「まあ、今回は許すわ。危うく発注ミスで大損害出すところだったし」

「大損害?」

「そう。発注書の桁を間違えててね。多野が気付いて確認してくれなかったら、首が飛んでたかも」


 冗談めかして笑いながら言う家基さんは、俺の頭を鷲掴みにした手で俺の頭を荒く撫でる。


「めちゃくちゃ頼りになるけど、頑張り過ぎないでよ? 多野がオーバーワークになったら困るんだから」

「分かってます」

「なら良かった。田畠と平池のはオッケー。私から古跡さんにあげておくわ」

「「ありがとうございます」」


 田畠さんと平池さんはそう言うと、椅子の背もたれに体を預けて大きく息を吐いた。まだ編集者一年生の二人は帆仮さんのように時間の掛かる難しい仕事は任されていない。それでも、毎回着実に仕事は速くなるし、家基さんや古跡さんから褒められることも増えた。


「この締め切りに間に合った時の安心感と脱力感って何とも言えない」

「そうだよね。何とか終わって安心するけど、また次の企画もあるし」

「二人共お疲れ。今日は定時で上がれそうだね」

「帆仮さんは今日も定時無理そうですか?」


 平池さんが尋ねると、帆仮さんは背伸びをしながら苦笑いを浮かべる。


「私は一つの企画だけじゃなくて今回は三つやってるから。別の企画もスケジュール取りしないといけないし、それに予算取りもしてな――」

「帆仮さんの掛け持ち企画二つの予算取りは今終わりましたよ」

「へ?」


 俺はパソコンを操作して、帆仮さんに今終わったばかりの仕事をメールで送る。


「それと、それぞれのスタジオのスケジュールとスタッフさんのスケジュールも合わせて送っておきました。古跡さんから許可もらったら、すぐにアポ取れます」

「うそ!? なんでやってるの?」

「合間の時間にちょこちょこと。どうせ後でやることになりますし」

「帆仮さん、急げば今日定時で上がれるんじゃないですか?」

「うん! 急いで古跡さんに見てもらってくる!」


 平池さんの言葉に頷いた帆仮さんは、慌てた様子でパソコンを確認し俺が送った書類データを印刷して古跡さんのデスクに向かっていった。


「ほんと、多野くんってもったいないよね~」

「何がですか?」

「フリーだったら絶対にうちの編集で取り合いだったよ?」


 からかうように笑った平池さんは、デスクに肘を突いて俺を見ながら話を続ける。


「塔成大生で仕事も出来て、いつも助けてくれる。そんな男がフリーだったらお姉さんすぐに食べちゃうかも」

「それを聞いて、俺に凛恋が居て良かったって思いました」

「それ酷くない? 私には食べられたくないってこと~?」

「そんなことは言ってないですって」

「え~? じゃあ、本気で食べちゃおうかな?」


 平池さんは俺をからかうのが好きらしく、話題に偏りなくよくからかってくる。


「平池さんなら選り取り見取りでしょ?」

「そんなことないわよ~。社会人になってめっきり出会いなくなっちゃったし。あ、でも大学時代は合コンでモテモテだった。あの頃は多野くんの言うとおり選び放題だったわね~」


 平池さんは派手ではあるが美人だし、合コンになんて参加していたら、平池さんと仲良くなりたいと思う男はいくらでも居るだろう。だから、あえて言われなくても簡単に平池さんがモテることは想像出来る。


「美優はどうなの?」

「私も出会いはないよ。私も積極的に飲み会とか行く方じゃなかったけど、それでも社会人になると休みの日は自分の時間に使いたくなるし」

「だよね。だから、多野くんも大学生のうちに遊んどかないと。私も、また一夜だけの恋とか経験したいな~」


 ニコニコ笑う平池さんに俺は笑顔を返す。

 俺は凛恋以外と付き合う気はない。それに、平池さんが口にした一夜だけの恋も必要だとは思っていない。俺には凛恋が居る。


 俺は一夜だけの恋というものを経験したことはない。何でも経験したことがないよりも経験したことがある方が良いには決まっている。悪いことでも良いことでも人生経験にはなる。でも、俺には必要ないと思うから経験したいとは思わない。

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