【二〇四《デコラシオン・スマイリー》】:二

「凡人っ!」


 クルーザーから降りると、すぐに凛恋が飛び付いて来て腰に手を回して抱き付く。


「心配した……」

「ごめん。でも、あいつに言いたいことは言ってきた」


 俺が凛恋の頭を撫でていると、中年の白人男性が若い白人女性を連れ立って歩いてくる。


「オーリックホテルズCEO、モーリス・オーリックです。多野凡人様に直接謝罪したいと」


 白人女性は流ちょうな日本語で白人男性を紹介する。白人女性に紹介された白人男性は丁寧に頭を下げた。


「私の息子があなたに大変失礼なことをして、本当に申し訳ありませんでした」


 俺はモーリスさんが丁寧な日本語を話したことに驚いて反応が遅れる。その遅れて出来た間に、モーリスさんはクルーザーの方に視線を向けて声を荒らげた。


「(レオポルドッ! ここに来いッ!)」


 モーリスさんが怒鳴った瞬間、凛恋が体を震わせて俺にしがみつく。


「(お前はなんてことをしてくれたんだッ! 宿泊して下さったお客様を追い出すなんて何を考えているッ!)」


 レオポルドを叱り付けるモーリスさん。何を言っているかは分からないが、声色と表情からかなり憤っているのが分かる。


「(それに……女性に対して失礼な言動をしたそうだな。本当に……父親として……男として情けない……)」


 モーリスさんは詰まりながらもレオポルドに何かを言っている。そのモーリスさんの言葉の意味は分からなくても、俺はモーリスさんがレオポルドに父親として何かを伝えようとしているのが分かった。

 レオポルドははっきり言って救いようがないくらい最低だ。でも、一つだけ救いようを作るとしたら、レオポルドには父親が居ることだ。


 部下達の前で自分より遥かに年下の男に頭を下げ、部下達の前で声を荒らげ、部下達の前で泣く。そういう恥を掻いてでも責任を取ろうとしてくれるモーリスさんという父親が居る。それが、レオポルドに対する救いようのたった一つだ。


「(多野凡人さんは、お前が傷付けた女性にしっかりと謝罪し二度と関わらないことを望んだ。誠意ある謝罪をしろ)」


 モーリスさんはレオポルドの腕を掴んで萌夏さんの前に歩いていく。そして、レオポルドは頭を下げた。


「(本当に申し訳なかった。もう君には二度と会わないし二度と関わろうとしない。スタージェの邪魔も絶対にしない。だから許してくれ)」


 すると、モーリスさんがレオポルドの後に萌夏さんへ頭を下げた。


「(本当に申し訳ありません。私の息子があなたに怖い思いをさせた。許してもらえることだとは思っていません。ですが、私が責任を持って二度とあなたに近寄らせません)」

「(私はレオポルドを許しません。彼がやったことは女性を軽く見て侮辱した行為です。今でも、レオポルドの顔を見るだけで恐怖と嫌悪が溢れてきます。ですが、私の最愛の人に免じて、もうこの話を忘れます。二度と、私の前にその男を出さないで下さい)」


 萌夏さんが言い終えると、モーリスさんはまた頭を下げる。そして、頭を上げたモーリスさんは、レオポルドの黄色いスポーツカーを指さしながらレオポルドに言う。


「(レオポルド、先に家に帰りなさい。今日はもう家から出ることを禁止する)」

「(分かった)」


 レオポルドは重い足取りでスポーツカーに乗り込み、港からゆっくりと出て行った。そして、俺と凛恋の前に戻って来たモーリスさんは、白人女性に視線を向ける。


「我が社が多野凡人様に大変失礼なことをしてしまったことは、オーリックホテルズ全社的に深刻に受け止めております。今後、二度とこのようなことが起こらないよう、レオポルドの名前を出されても従わないように通達します」

「よろしくお願いします」


 今回、いくらCEOの息子から指示されたとは言え、オーリックホテルズ側が取ったことはあり得ないことだ。宿泊客を追い出しただけではなく、宿泊記録の改ざんもしているし、俺は宿泊代を支払っているのだから詐欺にもなる。それは、単に馬鹿なお坊ちゃんのわがままの範ちゅうには収まらない。レオポルドに従った社員達にも落ち度がある。


「多野凡人様と八戸凛恋様の楽しい旅行を台無しにしてしまった償いにはならないと思いますが、我が社に出来るせめてもの罪滅ぼしとして、我が社が運営しておりますロイヤル・ファンテーヌ・ホテル・パリのロイヤルスイートを一部屋用意しました」


 俺は誠意ある謝罪は受けたし、本当の目的であるレオポルドを萌夏さんから引かせるということも達成した。俺はそれで良いと思った。


「いえ、せっか――」

「ありがたく泊まらせてもらいます!」


 オーリックさんの申し出を断ろうとした俺は、その元気の良い声を真横から聞き、その声の主にジーッと視線を向けた。すると、目をキラキラと輝かせる凛恋の横顔があった。その横顔はめちゃめちゃ可愛――……いやいや、今はそうじゃない。


「凛恋。俺達だけロイヤルスイートに泊まれても、希さんの宿はどうするんだよ」

「ロイヤル・ファンテーヌ・ホテル・パリのロイヤルスイートルームは四名まで宿泊できます。お連れの赤城希様もご一緒にお泊まりください」

「だって!」

「だって! じゃないだろ……」


 白人女性の付け加えられた言葉に、凛恋は同調する。


「凡人ぉ~良いじゃん! 高級ホテルのロイヤルスイートルームなんて一生に一度泊まれるかどうかなんだよ!」

「一生に一度泊まれるかどうかってのはその通りだけど、ここで話を受けるのは俺の主義に――」

「凡人の主義なんて知らないもん! 私のこと無視して一人でクルーザーに乗ったんだから、今度は私が凡人の意見を無視する! 是非、ロイヤルスイートルームの話をお願いします!」


 凛恋が完全に俺の意見を無視して白人女性に言う。すると、白人女性は柔らかい笑みを浮かべて頭を下げた。


「凡人くん」

「萌夏さん」


 モーリスさん達が整列して俺達を見送る体勢を取ると、萌夏さんが近付いてきて微笑む。


「話は終わったみたいね。少し凡人くんとみんなを連れて行きたいところがあるの」

「え? 連れて行きたいところ?」

「うん。凡人くんにお礼がしたくて。あと、親友二人と新しい友達に見せたいものがあるの」


 萌夏さんは何だか恥ずかしそうにしている。俺はその様子に首を傾げながら凛恋を見た。すると、俺の視線の先には同じく首を傾げた凛恋が居た。




 一日目に来た高級ホテル、ロイヤル・ファンテーヌ・ホテル・パリの中に入り、萌夏さんの案内でホテル内にあるレストランが入ったフロアに行く。そして、金色の筆記体で店名が書かれたおしゃれな店の前に立つ。

 俺達を先導していた萌夏さんは振り返り、右手で背後にある店を示した。


「ここがスタージェを受けてるクロンヌ・ガトーっていうお店。今日はここで、みんなにケーキのフルコースをご馳走しようと思って」

「ケーキのフルコース?」


 俺は聞き慣れない萌夏さんの言葉に首を傾げたが、その直後に三つの黄色い声が響いた。


「「「クロンヌ・ガトーのケーキフルコース!?」」」


 同じ反応をした凛恋、希さん、空条さんから萌夏さんに目を戻すと、萌夏さんは口を手で隠してクスクスと笑う。


「クロンヌ・ガトーのケーキフルコースはスイーツ界では結構有名なんだよ? ハリウッド女優さんもSNSに上げて絶賛してくれたし、他にも有名な人が紹介してくれて人気なの。凡人くんは知らなかったみたいだけど」

「いや、そういう流行り事には疎くて」

「ダメだよ? 雑誌の編集してるんだから流行りにアンテナを張ってないと」

「萌夏さんの言う通りだな」


 ニッコリ笑って萌夏さんが言うと、店の中からプラチナブロンドの白人美人が出て来る。そして、萌夏さんに視線を向けた白人美人は、俺の方を向いてニッコリ微笑んだ。


「ボ、ボンジュール」


 店から出て来てコックコートを着ているということは、この店のパティシエールの人。そして、この店のパティシエールということは萌夏さんの先輩ということになる。だから、萌夏さんの親友として失礼があってはならないと思い、ぎこちない挨拶をした。


「「「なっ!?」」」


 目の前に立つ白人美人が、笑顔を向けたまま俺に顔を近付けて頬にキスをした瞬間、近くに居た凛恋、萌夏さん、空条さんが驚いて声を上げる。希さんは声は上げなかったが、横で目を丸くして白人美人の方を見ていた。ただ、頬にキスをされた俺は、予想外のこと過ぎて固まってしまう。


「(ああんっ! すっごく可愛いっ! 君、今晩暇? 私と食事に行かない?)」

「(レ、レティシアさん! 何してるんですか!)」

「(何してるのかって聞きたいのは私の方よ。萌夏は休暇中でしょ?)」

「(今日は日本の友達を連れてきたんです。それよりも、私の親友に手を出さないで下さい!)」

「(あら! この子、萌夏の知り合いなの!? だったら萌夏からも食事に行ってくれるように言ってよ。私のタイプなの)」

「(レティシアさんは年下が好きなだけでしょ!)」

「(失礼ね。私は年下なら誰でも良いわけじゃないわよ。私は彼みたいな可愛い男の子が好きなの)」

「(店に来る男の人を見て同じ話を一〇〇回は聞きましたっ!)」


 怒っているのか抗議しているのか、萌夏さんは白人美人にフランス語で話している。


「(萌夏、堅いこと言わないで彼に私を紹介して)」

「(はぁ~……分かりました)」


 白人美人が俺を見てから萌夏さんに笑顔で話し掛けると、萌夏さんは大きく長いため息を吐いて諦めた様子で俺達を見た。


「みんな、この人はクロンヌ・ガトーのパティシエールで私の指導をしてくれてるフェシュネール・レティシアさん」

「(よろしく! 萌夏、彼の名前は?)」

「(多野凡人くんです)」

「ジュテーム。カズト」


 ジュテーム――愛してると投げキッスをされながら言われ、困惑しながら俺は萌夏さんを見る。


「萌夏さん、俺には彼女が居るのでごめんなさいって言ってもらえるか?」

「(レティシアさん。凡人くんには隣に居る彼女が居るんです。だから、諦め――)」

「(何? 萌夏も彼を狙ってるの? さては一人でもライバルを減らしたいって魂胆ね)」

「(なんでそうなるんですかっ!)」

「(そうやって必死に否定する時点でバレバレよ。本当に何度見ても可愛いわね。萌夏が私に秘密にしておきたい理由も分かるわ)」

「(レティシアさん……友達にケーキフルコースをご馳走しに来たのでそろそろ中に入れてください……)」

「(そうだったわね! 彼には特別に私の愛をトッピングしないと)」


 聞き取れず理解出来ない会話が終わると、レティシアさんはウインクをして店の中に戻って行く。すると、俺の腕をがっちり掴んだ凛恋がクロンヌ・ガトーの自動ドアを睨む。


「ライバルにフランス人の美人が増えた……」

「とにかく中に入ろう」


 萌夏さんが中に入ると、シックで落ち着いた雰囲気の店内には、綺麗に磨き上げられたショーケースの中に沢山のケーキが並べられている。しかし、その数が尋常じゃない。


「萌夏さん、ここって何種類のケーキがあるの?」

「常時三〇〇種類出してる」

「三〇〇!? それってめちゃくちゃ多いんじゃ?」

「大きなお店でも一五〇~二〇〇くらいだろうから、かなり多い方だと思う。ちなみに、さっきのレティシアさん、三〇〇種類全部のルセットが頭に入ってるの」

「三〇〇種類全部?」

「うん。レティシアさんって見た感じはただの明るいお姉さんって感じだけど本当に凄いよ。技術もクロンヌ・ガトー系列全店で一番高いし、三〇〇以上店で出すルセットを覚えた上に、自分のオリジナルも数一〇種類持ってるって話だし」

「凄い人なんだな」


 失礼な話だが、萌夏さんと話している時のフレンドリーな雰囲気からは、そんなに凄い人という感じは受けなかった。でも、萌夏さんの話を聞く限り、本当に凄い人らしい。三〇〇種類のケーキの作り方を暗記しているというのはかなり凄い。

 ケーキが陳列されたショーケースの前を通ると、萌夏さんが笑顔でコックコートを着た男性と笑顔で話してから、萌夏さんは店の奥に歩いて行く。


 店の奥は、丸テーブルの上に綺麗なテーブルクロスが掛けられた席が複数あり、ケーキ店とかカフェというよりも、高級レストランという雰囲気がした。


「チョーおしゃれ!」


 凛恋はテンションが上がっているようで、目をキラキラと煌めかせて周囲を見渡す。その凛恋の肩に手を置いて微笑んだ萌夏さんがパチッとウインクをする。


「最近なかなか予約が取れないんだけど、結構無理言って予約入れてもらったの」

「え? 大丈夫なの?」

「オーナーが、いつも頑張ってるご褒美だって言ってくれたから大丈夫」

「そっか! ありがとう! 萌夏が頑張ってくれてるお陰で私達まで良い思いさせてもらって」

「親友達のためだからね。それに、私もお客さんとしてケーキフルコースを食べたかったし。じゃあ、座って待ってようか」


 テーブル席に座って待っていると、レティシアさんとは違う白人女性がプレートに載ったケーキを運んできた。


「日本苺のフレーズ・バニーユっていうケーキ。一番下がアーモンドベースのスポンジで、中層が日本の苺をベースにしたピュレ、そして上層には日本の苺を練り込んだスポンジ。表面には日本の苺で作ったジュレを薄くコーティングしてあるの。日本の苺は糖度も酸味もバランスが良くて、ケーキにも合うのよ?」


 萌夏さんの解説を聞きながら、俺はプレートの上のケーキを見る。萌夏さんが日本で作っていたケーキや日本で売られているケーキを見て思っていたが、やっぱりケーキは綺麗だ。


 もちろん味は大切に決まっている。でも、パティシエやパティシエールが丁寧に作っているのが見えるし、細かな装飾も作った人の技術の高さを感じる。


「凄い……あっさりしてる」

「そう。見た目は結構クリームとかが多くてスポンジも重そうなんだけど、食べたらそんなことないのよ。それは、ケーキのほとんどの甘さが日本苺本来の甘さで出してるからなの」


 得意げに語る萌夏さんは、美味しそうにフォークでケーキを食べる。凛恋も希さんも、空条さんも言葉を忘れながらも、ゆっくりと丁寧にケーキを切って口へ運ぶ。でも、みんな同じく明るい笑顔だった。

 俺は甘酸っぱいケーキを味わいながら、楽しそうな四人を見て口の中に広がったケーキの味がふっと柔らかく優しくなった気がした。

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