【一六二《作業と仕事と才能と》】:二

 頼まれた資料作りをし、買い出しも終えた俺は、帆仮さんが会議室でインタビューをしている間、差し入れのお菓子を椅子に座って食べていた。すると、目の前にコーヒーが入ったカップが置かれた。


「飲み物無しだと喉に詰まらせるわよ」

「ありがとうございます」


 俺にコーヒーを持って来てくれた古跡さんは、自分の分のコーヒーに口を付けながら俺に視線を向ける。


「多野は私のこと怖くないの?」

「え?」


 突然のその質問に、俺はどう答えて良いやら困った。

 古跡さんが怖いか怖くないかで言えば怖い。雰囲気はピリピリしているし、編集長という肩書きも近寄りがたさを感じる。

 ただ、それを正直に言えるわけがない。


「多野は私を見ても怯えないでしょう? 編集部の若い子達はみんな私と話している時はビクビクしてる。帆仮もそうよ」

「上司だからじゃないですか?」


 帆仮さんやホチキス内心は分からないが、少からず編集長という肩書きが影響しているのは明らかだ。それに、俺にとっても古跡さんは上司だが、社員の人達からすればその印象は俺よりも強いに決まっている。


「でも、それじゃダメなのよ。編集部は全員で一つの雑誌を仕上げるの。まとめ役は必要だけど、そのまとめ役に怯えて意見出来ないようじゃダメ。私は、編集部に入った頃から上の人間に意見して来たけど、私と同じことが出来る人間ばかりじゃないし」

「……まあ、古跡さんみたいな人は稀有な人だと思いますよ。大抵の人が、上司には意見しなくて従う人ばかりでしょう」

「その点では、私と多野は似てるわね」

「え?」

「面接で、手っ取り早くアルバイトを決めたかったから来た。なんて言ったのは、多野が初めてだったわ」


 カップから口を離した古跡さんが、ニヤッと笑って俺を見る。


「でも、あれって古跡さんに言わされた形だったと思いますけど?」

「それでも言わなかったのよ、今までの学生達は。でもそれが世間一般的には普通。本音と建て前を使い分けられない人間は、大抵の会社で生きてはいけない。間違っていると分かっていても、上司の指示に従わないといけないし、間違っていると思っていても指示されたこと以外をするべきではない。そういう風潮がどこの会社でもあるし、そういう風潮のところが圧倒的に多いからそれが普通になってる。でも、私はそれはただの作業だと思うの」


 そう言いながら、古跡さんは視線を帆仮さんが使っている会議室の方向に向ける。


「よく、ライターやイラストレーターをクリエイターと呼ぶけど、私達も雑誌という作品を作っているクリエイターの一人。そのクリエイターが想像力を消して作業にだけ徹していたら、面白い雑誌なんか作れないわ」


 古跡さんの呟きに、俺は何かを返せるだけの知識がなかった。俺がやっているのは、古跡さんの言っている『作業』でしかないからだ。

 その古跡さんの言葉に、俺は何となく古跡さんから『多野も考えて仕事をしろ』そう言われているように思えた。


 俺の仕事は指示を受けてその指示の通りに動くだけの楽なものだ。でも、それは仕事ではなく作業でしかないからだったのだ。

 インターンシップはお金を稼ぐのが目的ではなく、仕事を実際にやってみてその仕事や職場の雰囲気を感じ、将来の就職に役立てること。俺はそれを全くやっていない。

 そう、古跡さんに言われた気分だった。


「インタビュー終わりました」


 古跡さんの話について考え込んでいた俺の耳に、帆仮さんのその声が聞こえる。

 編集部に戻ってきた帆仮さんは真っ直ぐ俺の近くに居る古跡さんに近づく。


「お疲れ様、インタビュー結果を見せて」

「はい」


 帆仮さんがインタビューのメモを取ったであろうノートを古跡さんに差し出し、ボイスレコーダーをデスクの上に置いた。


「音声も流して」

「はい」


 古跡さんの指示に従って帆仮さんがボイスレコーダーのボタンを押すと、インタビューの内容が聞こえてくる。

 聞こえてくるインタビューは、帆仮さんからの質問に数人の読者が答えるというシンプルなものだったが、返答はやっぱり人それぞれだった。


 まず、恋人が居ない理由が、居ないのではなく必要ないと断言する人も居れば、自分に釣り合う人が居ないだけと突き放す人も居る。でも、恋人は欲しいけど出会いがないと回答する人も居た。


「多野はどう思う?」


 インタビューの音声が終わったところで、帆仮さんのノートを見ている古跡さんに問われた。しかし、その問いもかなり困るものだ。

 質問の幅が広い。どの人の意見についてかも限定されていない。だけど、その漠然とした言い回しは、古跡さんが意図してそうしたのが何となく分かった。


「…………滅多な言い方になりますけど、みんな勝手だなって思いました」


 俺は慎重に、言い方に気を遣った言葉を返す。


「その心は?」


 謎掛けのようにまた古跡さんに問われて、俺は言葉を濁すことを諦めて答えた。


「みんな、自分のことしか考えてないなと。恋人が居ないって事実が同じで、理由はそれぞれ違うんですけど、全員が自分のことしか考えてないなって俺は思いましたね。必要ないって断言した人は、なんで必要ないかの理由に家事も仕事も全部自分で出来るからって答えてましたけど、それって裏を返せば、恋人に求めるものが家事と仕事ってことですよね? それって、結局のところ恋人を自分の小間使いくらいにしか考えてないんじゃないかって印象を受けます」

「他の人に対しても聞かせてくれる?」

「はい。自分に釣り合う人が居ないという人も、好きな人が居ないからという点では理解出来ますし、共感も出来ます。やっぱり、好きな人と付き合うべきだと思いますから。でも、その釣り合う釣り合わないの理由が、容姿や経済力という点ばかりなのは、男としては聞いてて気持ちの良い話じゃないですね。一人目の方への意見と重なりますけど、男は女性のアクセサリーじゃないです。自分のステータスを上げるために男を選ぼうとするのは、正直言って聞いてて不愉快です」


 そう答えると、古跡さんが小さく吹き出して、それからすぐに真面目な顔に戻って更に尋ねる。


「出会いがないと言っていた人はどう思う?」

「出会いを作るために何もしていないのが気になりましたね。恋人が欲しいって思うんだったら、合コンに行ったり婚活したりするはずです。それをしていませんでしたし、良い感じまでいった男性についての話では、相手が何もしてこなかったというのが気になりました。自分が好きで付き合いたいって思ってるのに、相手からアプローチをしてくるのを待ってるっていうのがよく分からなかったです。俺も積極的な人間ではないですけど、自分が相手を好きで付き合いたいって思ってるなら、受け身にならず自分から行動しろって思いましたね。全部男性側に何もかもを任せようとするのは自分勝手です。自分が好きだから相手も自分のことを好きなんてことは絶対にあり得ないわけですし。多分、そういう人だから相手の男性とも恋人になれなかったんじゃないでしょうか」


 俺がそれを言い終えると、隣から肩を掴まれる。その手の主は、目をキラキラと輝かせた帆仮さんだった。


「多野くん! 多野くんの意見を記事にして良い?」

「えっ? …………はいぃッ!?」


 帆仮さんの申し出に、俺は予想外過ぎて声を裏返しながら聞き返してしまう。


「女性側だけの意見じゃなくて、男性側の意見も欲しいと思ってたの! それに、多野くんの意見は尖ってて面白い」

「いや、尖ってはないと思いますけど」

「女性二人の前で女性を批判出来るんだから、十分尖ってる! 古跡さん、良いですよね?」

「良いわよ。帆仮の言う通り、女性側の意見だけを載せるよりは遥かに面白いわ。名前は毒舌男性編集者Tとでもしておくから安心して」

「えっと……まあ、誰だか分からないようにしてくれるなら」


 古跡さんの雰囲気に押されて承諾すると、帆仮さんは輝かせた目のままノートパソコンに向かう。そして、その帆仮さんを穏やかな表情で見つめていた古跡さんに肩を叩かれる。


「お疲れ様。もう終わりの時間よ」

「えっ? あっ、はい。お疲れ様でした」


 その言葉に時間を確認した俺は、頭を下げて帰り支度を始めた。




 家に帰る途中、凛恋から稲築さんと外で夕食を食べるとメールが来て、俺も外で食べることにした。ただ、外食をするわけではなく、何かを買って家で食べるだけだ。

 コンビニで弁当とサラダを買い、電子レンジで弁当を温めていると、スマートフォンに電話が掛かってくる。その電話の主は萌夏さんだった。


「もしもし?」

『凡人くん、お疲れ様』

「萌夏さんもお疲れ。今日もケーキ屋でアルバイトだったんだろ?」

『……うん。そう』

「萌夏さん、何かあったのか?」


 萌夏さんの声に元気がなく、俺は萌夏さんに何かあったのだと感じた。それを尋ねると、萌夏さんの乾いた笑いが混ざった声が返ってきた。


『今日、学校で散々怒られてさ。それで、バイト先でも先輩に怒鳴られて。それでちょっと……ううん、結構凹んでさ』

「誰だって失敗するさ。でも――」

『私さ、パティシエールに向いてないんだってさ。実際に、店で働いてるパティシエールの先輩に言われちゃった。自分が素人の時はさ……もっと上手く……出来たって……』

「萌夏さん……」


 電話の向こう側で、萌夏さんがすすり泣く声が聞こえる。


『実際にプロでやってる人から言われるとさ……結構堪えるよね』

「俺は萌夏さんが向いてなかったら、ほとんどの人が向いてないと思うけど?」

『でも……』


 俺の言葉に、萌夏さんはその元気のない声を返す。でも、失敗した上に先輩から叱られた後だ。いくらいつも明るい萌夏さんだとしても、ポジティブになれる状況ではない。


「俺ってさ、ゲーム好きだけどひたすらやり続けたら疲れて途中で止めるんだよ。たとえ好きなことでも、やり続けるってかなり大変なんだ。でも、萌夏さんは夏休み中、ずっとケーキ作りの練習をしたり、自分のオリジナルのケーキを考えてたりしただろ? 同じ製菓学校に通ってる人でも、萌夏さんくらいケーキのことを四六時中考えてた人って居ないんじゃないか?」


 俺は、確信を持ってそう言った。

 萌夏さんは、俺が知っている天才と似ているところがある。その天才はステラのことだ。

 ステラは、プロが認めるヴァイオリンの演奏技術がある。でも、その演奏技術はただ単に幼い頃からヴァイオリンを弾いていたからじゃない。


 ステラにとってヴァイオリンが生活だったからだ。ヴァイオリンを弾くことが生活として当たり前だと考えられていたからこそ、周りがびっくりするくらいの演奏が出来るようになったんだと俺は思っている。

 もちろん、少からずヴァイオリンの才能というのはあったのかもしれない。でも、それ以上にステラには凄い才能があった。

 その凄い才能を、萌夏さんも持っている。


「俺は萌夏さんには、努力を努力だって思わない才能があると思ってるんだ」

『努力を努力だと思わない才能?』

「そう。努力ってめちゃくちゃ辛いだろ? 努力が出来る人ってそれだけで凄い才能を持ってる。でも、努力を努力だって思わない人は、努力を辛いって思わないんだ。だから、努力を辛いって思わなかったら、際限なく努力が出来る。悪い言葉に聞こえてしまうかもしれないけど、毎日あんなに大量のケーキを作れる萌夏さんは異常だよ」

『でもそれは、楽しいからやってただけで』


 俺は萌夏さんの戸惑った声が返ってきて、口元を歪ませて笑う。やっぱり、萌夏さんは天才だ。


「だから天才なんだよ。名前通り凡人(ぼんじん)の俺から見たら、萌夏さんの努力を楽しいって思えることが凄い才能なんだ。そういう人は、絶対に凄い人になれる。それにさ、そのプロでやってる先輩も卵を綺麗に割れなかった時代も絶対にあったはずだ。でも萌夏さんは卵を割るのめちゃくちゃ上手いだろ?」

『卵割るのとか基本だし。誰でもやってれば上手くなるし』


 その言葉を聞いて、俺は内心で「してやったり」と思った。


「だったら、努力を努力だと思わない萌夏さんも、ケーキ作りを続けてれば上手くなれる。それこそ、その萌夏さんに文句付けた先輩も真っ青になるくらい」

『凡人くん……』


 萌夏さんは自信を失っていた。失敗して、先輩から否定されて、自分にはケーキ作りは向いていないのだと思い込んでいた。でも、俺はそれを否定する言葉を萌夏さんの口から引き出すことが出来た。

 誰でもやってれば上手くなる。その言葉を、萌夏さんの口から自分で言わせられたことには大きな意味がある。


「萌夏さんの目指してる仕事って、俺のやってるコピーとか郵便物の振り分けみたいに、そんな一ヶ月そこらで出来るような簡単な仕事じゃないだろ? 専門学校に通って技術を教えてもらわないと出来るようにならない仕事だ。だったら、まだ向いてる向いてないを判断するには早過ぎる。それに、俺は萌夏さんが、将来自分の店を出すの勝手に楽しみにしてるんだけど? お客さん第一号にしてくれる約束もあるしさ」


 多分、全部聞き入れて、萌夏さんを批判した先生や先輩は何も分かってない。萌夏さんは悪くないと言うだけで良かったのかもしれない。きっと萌夏さんも、俺に愚痴ってストレス発散をしたかっただけなのかもしれない。でも、言いたかった。


 今日の萌夏さんは運が悪かっただけだ。学校とアルバイト先で二回怒られたこともそうだが、その怒られる原因になった失敗が一日に二回あったことも運がなかっただけだ。

 意図的に失敗する人なんて人は誰も居ない。わざと失敗すると言う人が居ても、それは失敗ではなくただの嫌がらせだ。


「萌夏さんはやりたくて失敗したわけじゃない。それに、失敗するってことは何かをしたってことだ。何もしない人は失敗しない。俺は、失敗しても何かをしようと、上手くなろうとしてる萌夏さんは凄いと思う」

『ありがとう。やっぱり、凡人くんに頼っちゃうなー私は』

「別に良いだろ。友達に愚痴るくらい」


 萌夏さんの声が明るくなり、俺はホッと安心して温めの終わった弁当を電子レンジから取り出す。すると、萌夏さんのからかうような声が聞こえた。


『凛恋が居ないからって、コンビニ弁当じゃダメだよ』

「なんで凛恋が居ないって分かったんだ?」


 俺は温めた弁当をテーブルに置きながら萌夏さんに尋ねる。俺は萌夏さんに、今日は凛恋が居ないということを言っていない。


『電子レンジの音がしたから。あの凡人くん大好き人間が、自分が居るのに手料理出さないわけないでしょ?』


 そう言う萌夏さんはクスクス笑いながら、小さく長く息を吐く。そして、いつも通りの明るい声を発した。


『もう少し話して良い? そっちの話も聞きたいし』

「分かった。ただし、飯食いながらな。お腹減ったし」


 俺はテーブルの前に座りながらそう答える。そして、萌夏さんに今日あった何気ない話を話し始めた。

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