【一六一《アクが強い人》】:二
次の日、大学の講義が終わってすぐに月ノ輪出版の受付に行き、レディーナリーの編集部にインターンシップに来たことを伝える。すると、すぐに受付へお姉さんが下りてきた。そのお姉さんは、昨日、俺を部屋まで案内してくれた人だった。
「ついて来て」
「はい、よろしくお願いします」
俺がお姉さんの後ろを歩いてついて行くと、エレベーター待ちをしながらお姉さんが話し掛けてきた。
「古跡さんの即採用の被害者一六人目」
「はい?」
「古跡さん、インターンで来る子を全員即採用してるの。でも、三日保った子は今まで一人も居ないけどね」
お姉さんは苦笑いを浮かべて言う。
昨日、古跡さんは辞めていった人達を五人から覚えていないと言っていたが、正確な数字は一六人だったらしい。それは、結構多いのではないだろうか。でも、月ノ輪出版が大手出版社ということを考えると、少ないような気もする。それに一週間ではなく三日保たないというのも、かなりな仕事のハードさを感じる。
「あっ、インターンが始まる前からこんなこと言ってごめんね」
「いえ、大丈夫です」
お姉さんは苦笑いのまま謝る。謝られたが、聞いてしまった以上、今更ではある。
「私は|帆仮木ノ実(ほかりこのみ)。これは名刺」
「ありがとうございます」
「多野くんは大学一年だよね? 若いな~。私も去年までは大学生だったんだけど」
「ということは、今年から社会人ですか?」
「そう。社会人一年目」
エレベーターのドアが開いて中に乗り込みながら、俺は帆仮さんと話を続けた。
「月ノ輪出版のレディーナリー編集部。入る時は凄く良さそうに見えたんだけどな~」
「やっぱり大変ですか?」
「うん、凄く大変」
帆仮さんは困ったように笑って小さくため息を吐く。
「今日も終電ギリギリかな……」
エレベーターに響く小さな呟きを、俺は聞いたことにしようか聞かなかったことにしようか悩んだ。しかし、あまり突っ込むのも良くないと思い聞かなかったことにした。
「でも、男の子が来たのは初めてだよ? やっぱり、女性情報誌の編集補佐って出すと女の子ばかりが集まるから。実際、うちの編集部は女性ばっかりだし」
「やっぱり不味かったんですかね? 男が来ちゃ」
「ううん、そんなことはないよ。編集部の仕事って体力を使うから、男の子の方が続くかもね」
帆仮さんが明るい笑顔でそう言うのを聞いて、俺は内心「体力に関しては自信がありません」とは思ったが口には出さないことにした。
エレベーターが編集部のある階に着き、俺は帆仮さんと一緒に編集部のフロアに入る。すると、沢山のデスクが並んだ一番奥にあるデスクに座った古跡さんの姿が見えた。
「古跡さん、多野凡人くんを連れて来ました」
「ありがとう。多野、早速だけどこれのコピーをお願い」
古跡さんは、沢山積み上がった紙を指さして俺に言う。
「コピー機はあっち。使い方は帆仮に聞いて」
淡々とノートパソコンを操作しながら話す古跡さんに、俺は恐る恐る話し掛ける。
「あの」
「何?」
「優先順位ってどこを見て判断すれば良いですか?」
「束の表紙にメモの付箋(ふせん)が貼ってある。そこに、提出期限や会議日の日付が書いてあるからそれで判断して。そこに、コピーする部数も書いてあるから」
「分かりました。早速やります」
「よろしく。帆仮は多野にコピー機の使い方を教えたら自分の仕事に戻りなさい。提出期限が過ぎてる仕事があるでしょ。今日以上は延ばせないわよ」
「は、はい」
古跡さんに言われた帆仮さんは、さっきの明るい表情を消して顔を強張らせる。まあ、古跡さんは上司なのだから、帆仮さんの行動は正しい。
俺は帆仮さんにコピー機の使い方を教えてもらい、付箋に書かれた通りにコピーをしていく。
そして、コピーが終わったものからホチキスでバシバシ綴じていく。
大変だ大変だと言われた割りに、やっている仕事は簡単だ。まあ、量が多いということを考えると大変かもしれないが、やることはコピーして、綴じる指示があるものはホチキスで綴じて、バラの指示があるものは一応ターンクリップでバラけないようにするだけだ。
「多野、それが終わったら買い出しに行って来て。メモはこれね。とりあえず一万渡しておくから、帰ってきたらレシートとお釣りを。あと、何か好きな物を買って良いわよ」
近付いてきた古跡さんが紙を手渡しながら俺に言う。領収書を求められなかったということは、個人的な買い物なのだろう。
「分かりました」
メモに書かれているのは、ハンバーガーの買い出しだが、指示された個数はかなりの量がある。ということは、編集部のみんなの分なのだろう。
「じゃあよろしく。多野、書類の綴じ方、誰から教わった?」
「いえ、付箋に書かれてある通りにやってますけど」
俺が綴じた書類を捲る古跡さんを見ながら答えると、古跡さんは捲っていた書類を置いて俺を見た。
「でも、ホチキスかバラの指示しかないでしょ。それなのに綴じ位置が正しい」
「昨日、ビジネス現場の雑用について調べて、ビジネス現場での書類の閉じ方が丁度あったので」
「そう。このやり方で問題ないわ。買い出し、よろしくね」
「はい」
古跡さんが自分の席に戻って行くのを見ながら、俺は視線を残りのコピーしなければならない山に向ける。すると気のせいか、書類の山が高くなっている気がした。
コピーを終えてハンバーガーショップに買い出しに行った俺に待ち構えていたのは、大量の編集部の編集者宛てに送られて来た郵便物の仕分けだった。
幸いにも、個人が使うデスクに名札が付いているからどこが誰の席かは迷わずに済んだ。
「多野、悪いんだけどこれのホチキス」
「分かりました」
終業時間ギリギリに少数のコピーを女性編集さんに頼まれ、俺は一日目にして使い慣れた感があるコピー機へ向かう。
付箋の指示通りにコピーを済ませて、コピーを頼んだ編集さんに届けると、古跡さんと目が合った。
「多野、ちょっと来なさい」
「はい」
自分の席から立ち上がった古跡さんが、編集部のフロア出入り口に向かって歩きながら言う。何だか、その古跡さんの雰囲気からは、今から自分が怒られるのではないかという恐怖を感じる。
俺は数歩前を歩く古跡さんについて行きながら、今日の仕事振りを思い出して、自分に失敗がなかったか思い返す。しかし、俺が分かる範囲では失敗がなかったはずだ。
フロアを出た古跡さんは、自販機のコーナーまで歩いて行って自販機にお札を投入する。
「好きな物を押して」
「ありがとうございます。いただきます」
どうやら古跡さんは俺にジュースを奢ってくれるために呼び出したらしい。だが、さっきの呼び出した時の雰囲気は、全くジュースを奢られるようには感じなかった。多分、編集部の人達も俺が怒られていると思っているかもしれない。
「この前辞めたインターン生は、連絡が取れなくなって、次の日から来なかったわ」
俺が缶コーヒーを押すと、同じ缶コーヒーを買った古跡さんが俺を見ずに言う。
「そうなんですか」
仕事をホチキス人が居る、ということを噂話としては聞いたことがある。でも、本当にそういう話を聞くと、その来なくなったインターン生が酷く幼稚に思えた。
仕事の合う合わないはあると思う。俺も前のスーパーでのアルバイトで、主にやっていたグロッサリーの品出しと違い、人と話すことが増えるレジ打ちは苦手だった。だから、編集補佐の仕事が合わないと思った人が居てもおかしくはない。でも、合わないからと言って、何も言わずにばっくれるというのはあまりにも子供過ぎると思う。
俺は人と話すのが大の苦手で、辞めるということを言い辛いのも分かる。しかも、それが昨日始めたばかりなら尚更だ。でも、それでもちゃんと筋を通すのが大人だと俺は思う。
「多野は明日来られる?」
「シフトが入ってるのでもちろん来ますけど」
質問に当然の答えを返すと、古跡さんは表情を変えずに呟く。
「雑誌編集部は華やかだってイメージを持つインターン生が多いの。実際は地味で大変なんだけれど」
「まあ、女性誌ですからね」
雑誌なんて全く読まない俺は、雑誌に対して憧れもなかったし、女性誌編集部に華やかなイメージも持たない。というか、そもそも早く決まって給与がもらえるならどこでも良かったという理由がある。
「多野は変なイメージを持ってない分、憧れからの落差がなかったのね」
「まあ、前のアルバイトと同じくらい大変なくらいなのもありますね」
「前のバイトは何をしてたの?」
「スーパーでグロッサリーっていうジュースとかの品出しをやってました。最後の方は他の部門もやってましたけど」
「辞めた理由は?」
「店長に嫌われてシフトを週一に減らされたので」
俺は古跡さんに、事実を話す。
きっと、前の職場で上司に嫌われたので辞めました。なんて理由を聞いたら、今の職場で上司になる古跡さんは思うだろう。
こいつは大丈夫なのか? と。でも、俺は古跡さんに偽ろうという気は起きなかった。
昨日、俺が古跡さんへ「手っ取り早くアルバイトを決めたかっただけなので」と言っても、俺を採用した古跡さんの主観から、言っても大丈夫なのではないかと思った。
「まあ、多野はアクが強そうだから、人を選びそうね」
俺の想像通り、古跡さんは大して気にした様子もなく、普通の世間話のように言った。
どっちかと言えば、アクが強かったのは店長の方なのだが、まあ俺も人としてはアクが強い部類に入るのだろう。
「それを飲んだら、ハンバーガーを一個持って帰って良いわよ。タイムカードは押し忘れないように気を付けて。修正するの結構面倒だから」
「はい」
「じゃあ、お疲れ様」
「お疲れ様でした」
古跡さんは空き缶をゴミ箱に捨てて編集部に戻って行く。俺はそれを見送りながら、缶コーヒーをグッと飲み干した。
その日の夜、テレビを見ながらボーッとしていると、電話が掛かってきてスマートフォンが震えた。
「もしもし」
『凡人くん、お疲れ様』
「真弥さんもお疲れ様です」
電話に出た俺は、電話の向こうから聞こえてくる明るい真弥さんの声に返事をする。
『今日はインターン初日だったよね? あのレディーナリーの』
「はい。つつがなく雑用をやり終えてきましたよ」
昨日したメールで、レディーナリー編集部でのインターンが決まったことを伝えていた真弥さんは、さっそくその話題を話し始める。
『毎月読んでる雑誌の編集部に凡人くんがインターンに行くなんて、これも運命かな?』
「結構人気雑誌みたいですし、読んでる人は多いんじゃないですか?」
『あっ、今の凡人くんは可愛くない』
「俺に可愛いは必要ないんです」
からかう真弥さんに淡々と答えると、電話の向こうでクスリと笑う声が聞こえた。
『でも、拗ねた凡人くんは可愛いよね』
「ありがとうございます」
『ごめんね、ちょっと凡人くんの声が聞きたくなって』
「何かあったんですか?」
『うん。凡人くんが大学に帰っちゃって会えなくなったから寂しくなった』
その言葉にどう返したものかと悩んでいるうちに、今度は真弥さんのクスクス笑う声が聞こえた。
『反応に困って顔をしかめてる凡人くんを想像したら元気出た。ありがとう。じゃあまたね』
「はい」
俺は電話の切れたスマートフォンを見つめて、いったい何の電話だったのだろうと思う。しかし、切れてしまったのだから確かめようがない。
「凡人、露木先生から?」
「ああ、よく分からないけど、声を聞きたかっただけみたいだ」
スマートフォンをポケットに入れると、隣に座って来た凛恋が、俺の肩に両手を置いて横から軽くキスをする。
「凡人、お疲れ様」
「凛恋も一日お疲れ様」
風呂上がりの凛恋は短パンとTシャツとラフな姿をしている。そのラフな姿のまま、凛恋は俺に向かい合うように膝の上に座った。
「凡人。今の私、露木先生にチョー嫉妬してるから。だから、私の機嫌取っ――」
膝の上に座る凛恋の頭を引き寄せて、俺は熱く濃いキスをする。すると、凛恋は目を閉じて力を抜いてキスを受け入れた。
「まだ機嫌直ってないよ?」
唇を離してそう言う凛恋の手を引き和室に行く。そこには既に布団が敷かれていて、手を繋いだ凛恋がクスッと笑った。
「愛する彼氏のために準備しておきました」
「流石、俺の愛する彼女だな」
布団の上に立って凛恋を抱きしめると、凛恋が俺を見上げてシャツの上から胸を撫でる。
「夏休みの間はエッチの回数減ったよね」
「そりゃあ家は別々だし、朝まで遊ぶ日もあったからな」
布団の上に座りながら言うと、俺の前にあひる座りをした凛恋が俺の頬に軽くキスをする。
「私はチョー寂しかったな~」
「俺もだ。朝起きて隣に凛恋が居なくて寂しかった」
俺は凛恋の髪を撫でようとして、凛恋の髪がまだ濡れているのに気付く。
「凛恋、乾かさないと風邪引くだろ」
「良いよ。乾かす時間がもったいない」
「俺は凛恋に風邪を引かせたくないんだ。ドライヤー持ってくるから待ってろ」
俺は一旦和室を出てからドライヤーを持って来て凛恋の後ろに座る。そして、コンセントを繋いで凛恋の髪を乾かし始めた。
「痛くないか?」
「ううん、全然痛くない。凡人、同棲してから毎日やってくれてありがとう」
「俺は合法的に凛恋の髪が触れて嬉しいけど」
「凡人なら、私のどこに触っても合法よ? あんなところもこんなところも」
前から凛恋のからかう声が聞こえ、俺は丁寧に凛恋の髪を手ですきながら応える。
凛恋の髪はツヤツヤで柔らかく手触りが良い。それに、甘いシャンプーの香りもする。
「凡人に髪を乾かしてもらうと気持ち良い」
「良かった」
「編集部のインターン、続けられそう?」
「まあ、仕事量は今のところ辞める直前のスーパーと変わらないし、上の人は良い人だよ。アクが強そうだけど」
「そっか。でも、嫌なことあったら、私にバンバン愚痴ってね」
「じゃあ遠慮なく。仕事しながら凛恋に会いたくて辛かった」
俺がそう言うと、凛恋が勢い良く振り返り、髪が半乾きのまま俺を押し倒した。俺は、覆い被さる凛恋にキスをされながら、手に持ったドライヤーのスイッチを消して、そっと畳の上に置いた。
「私は大学の講義中からずっと凡人とエッチしたかったし」
「何を張り合ってるんだよ。しかも、とんでもないこと言って」
「だって本当だもん」
凛恋は俺の体を抱きしめて、俺のシャツの裾から腰に直接触れる。
「もー無理。これ以上我慢出来ない」
体を起こした凛恋が自分のシャツの裾を掴むのを見て、俺はその凛恋の手を掴みながら今度は俺が布団の上に押し倒し返した。
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