【一三四《彼女は寂しさを抱えて》】:二

 合格発表があってからの最初の土曜。

 俺と凛恋、そしてお母さんと優愛ちゃんは新幹線に乗って、塔成と成華女子のある都市にやって来た。


「おおー! 都会だー!」


 駅から出た瞬間、優愛ちゃんが駆け出して駅の周辺をぐるりと見渡す。


「優愛、観光に来てるわけじゃないんだから走り回らないの。危ないでしょ」


 凛恋が優愛ちゃんに近付きながら、困った表情を浮かべる。

 今日は俺と凛恋が住む物件探し、なのだが、実はあんまり探す必要はない。


 今日までに、凛恋と凛恋のお母さんと一緒にインターネットの情報や実際にこっちの都市の不動産会社に電話をして物件の情報をかき集めていた。


 大前提としてセキュリティがしっかりした物件を探した。

 凛恋は家賃が安いことをとしていたが、お母さんは当然凛恋の安全のことを考えて、安心して凛恋を住ませられる物件にしたいと言った。


 俺もお母さんの意見には賛成だった。しかし、セキュリティがしっかりした物件になると、どうしても家賃が高くなる。だから、二DKの間取りでセキュリティがしっかりした物件という条件の、二DKを一DKにすることを提案した。


 セキュリティがしっかりして間取りもそこそこ広いとなると、当然家賃は高くなる。

 だから、間取りを狭くすれば家賃を抑えられると思ったのだ。しかし、凛恋のお父さんには「お金のことは心配しなくていい」と言われ、爺ちゃんには「お前を凛恋さんと一緒に寝させるか」と言われた。


 凛恋のお父さんは俺を信頼してくれているから、分かっていてもあえて口にしないのだろう。だが、爺ちゃんの方は凛恋のことを過剰に可愛がる上に、基本的に俺のことはいつまで経っても小学校低学年くらいの扱いをする。


 はっきり言うと、爺ちゃんにいくら止められようとも、二人暮らしをしてしまえば爺ちゃんは何も出来ない。

 今日物件選びをする前に、ある程度候補を絞っているから、今日は候補の物件を回って最終的にどこにするかを決めることになる。

 家電製品の買い揃えや引っ越しの荷物を送る必要もあるから、今日決めてしまわないと時間がない。


「二人共! 行くよ!」


 優愛ちゃんの腕を掴んでいる凛恋が笑顔で手招きをする。

 それを見て、俺は隣に立っていたお母さんと顔を見合わせて小さく笑い合った。


 俺達が見当を付けている物件は、箕蔓駅と呼ばれる駅の近辺に集中している。

 箕蔓駅は都市中心部にはないが、中心部へ向かう路線が通っていて、塔成大と成華女子大に通うのに便利が良い。

 最初に、箕蔓駅周辺の物件を例に出した凛恋の見立てはバッチリ合っていたということだ。


「ママは優愛のこと見てて」

「はいはい」


 凛恋がお母さんの背中を押して前を歩く優愛ちゃんの隣に並ばせると、凛恋は俺の隣に並んでニコーッと笑う。そして、指を組んで俺の手を握った。


「やっぱりキッチンが充実してる方がいいよね。IHだと掃除も楽だし」

「台所関連は俺は分からないからな。それに一番使うのは確実に凛恋だし、凛恋の好みで選んだ方が良い」

「凡人は何かこだわりないの?」

「コンビニが近いとか駅まで近いとか、あとはやっぱりセキュリティーがしっかりしてるってのが一番重要かな」


 前を歩くお母さんと優愛ちゃんを追い掛けながら言うと、凛恋はクスッと俺の顔を見て笑う。


「コンビニが近いと駅が近いって、凡人は楽したいんだね~」

「そりゃそうだろ」

「私はコンビニよりスーパーが近い方が良いかな。出来れば、最寄り駅から物件までの道の途中にあると嬉しい。駅からの通り道だと買い物しやすいし」


 俺の希望はただめんどくさがりなだけで、凛恋の希望はなんだか主婦らしかった。

 もちろん凛恋はまだ主婦ではない。それに、やっぱり凛恋に料理をやらせてしまうのだから、俺も何か家事をやるのは当然だ。


 料理は俺がやったら凛恋の邪魔にしかならない。

 少しずつやっていくのは有りだが、いきなり主戦力としては俺の能力じゃダメだ。

 だったら、あとは掃除洗濯くらいしかない。


 掃除は得意ではないが誰でも出来る。

 もちろん、掃除でお金を貰っているプロの掃除業者のような完璧な掃除は出来ないが、一般家庭で問題ない程度の掃除の技量はあると思う。

 ただ、問題なのは洗濯だ。


 俺の服なんて適当に洗濯機に放り込んで洗剤を入れれば良いが、凛恋の服は洗い方にも気を使わないと色落ちだったり縮んだりしてしまう。

 それを全て把握出来るかと言われたら自信はない。


「最低でも凛恋のブラとパンツはネットに入れるのは忘れないようにしないと」

「えっ!?」

「あっ……」


 最低限知っている洗濯の知識を口に出しながら思い出していると、凛恋が横からニヤッと笑って首を傾げる。


「凡人、私のブラとパンツの洗濯したいの?」

「いや、そういうわけじゃなくて、凛恋に料理を任せるなら掃除と洗濯くらいは俺がやろうと思って」


 小声で話し掛ける凛恋に同じく小声で返すと、一瞬キョトンとしてすぐにクシャッと笑った。


「ありがと。二人暮らし始めたら、一緒に掃除と洗濯しよ。それに料理も一緒にしたいな」

「俺がやっても邪魔にならないか?」

「凡人が私の邪魔になるわけないじゃん。それに、今までだって時々私が料理する時手伝ってくれてたでしょ?」

「それはそうだけど」

「それに二人暮らしなら、凡人のお婆ちゃんに『凛恋さんの邪魔しないの!』って怒られないでしょ?」


 凛恋が可笑しそうに笑うのを見て目を細める。

 俺の家で凛恋が料理を作ってくれている時、凛恋の料理が気になるし、何より凛恋の側に居たくて凛恋の周りをよくうろちょろする。


 そうすると、毎回婆ちゃんに凛恋の邪魔をするなと怒られる。

 俺には当然邪魔しているつもりはないが、婆ちゃんとしては凛恋の邪魔をしているようにしか見えないらしい。


 まあ、婆ちゃんが居る時は手を出したらより怒られる。だから、何もせずに本当にうろちょろしているだけだ。

 そう考えると、邪魔にしか見えなくて仕方がない。


「私は全然邪魔じゃないんだけどね~。後ろで構ってほしそうにうろちょろしてる凡人可愛いし。だから、二人暮らしを始めたら凡人と一緒にやりたいな~。料理も洗濯も掃除も、他にも色々」

「俺も凛恋と何でも一緒にやりたい」


 二人暮らしを始めたら、今よりも凛恋と一緒に居られる時間が増える。

 いや、凛恋と一緒に居ない時間の方が短くなるのだ。だから、凛恋と一緒に何かをやれる時間はたっぷりある。

 それに、色々な制限を掛けられている高校生と違い、比較的自由に行動がしやすくなる大学生になる。

 もちろん、自由が増えるということは、それに伴って自分が負うべき責任も多くなるということになる。でも、それだとしても二人暮らしが楽しみで仕方がなかった。




 物件選びは案外難航はしなかった。やはり、予め候補を絞っていたこともあったし、凛恋のお母さんが同行してくれたのが大きかった。

 俺や凛恋は親元を離れて生活した経験はない。でも、凛恋のお母さんは大学生の頃から親元を離れて生活している。

 その一人暮らしの経験者としてのアドバイスが役に立った。


「今、手続きが終わったところ。そう、この後は凛恋と優愛が観光をしたいって聞かないから、少しこっちを見て回って帰る」


 凛恋のお母さんがお父さんに電話しているのを少し離れた場所で見ながら、俺は視線を凛恋と優愛ちゃんに向ける。

 二人は熱心にスマートフォンで調べ物をしている。多分、これから見て回る場所の情報を調べているんだろう。


 物件選びが終わって、帰りの新幹線までの時間にまだ少し余裕がある。

 優愛ちゃんは泊まり掛けで来たかったようだが、これから色々とお金が必要なのだから無駄な出費は抑えなくてはいけない。


「とりあえずこっちにしかないブランドの店に行こ」

「そだね。お年玉取っておいて良かった~」


 凛恋と優愛ちゃんのそんな会話を聞いていると、電話を終えたお母さんが凛恋と優愛ちゃんに近付いて腕組みをする。


「途中でお昼を食べるわよ」

「ママ! この店行こう!」


 優愛ちゃんが待っていましたとばかりに、お母さんへスマートフォンの画面を向ける。どうやら、昼飯の店まで計画を立てていたらしい。

 凛恋と優愛ちゃんはロンドン旅行の時もかなり気合いが入っていた。

 ロンドン旅行の情報誌に目を通していたのはもちろん、インターネットでの下調べも徹底的にやっていたようだった。

 俺だけ存在を知らなかったロンドンアイと呼ばれる大観覧車も、二人が調べて目的地の一つに加えたらしい。


「凡人、優愛がここに行きたいって」

「良いんじゃないか?」


 凛恋に言われて優愛ちゃんのスマートフォンを覗き込む。

 その画面には、名前は分からないがお洒落な料理の画像が表示されていた。でも、それを優愛ちゃんが食べたいというのなら異論はない。


「ありがとう、凡人さん! お姉ちゃん、行こう!」

「ちょっ、優愛! 走らなくてもお店は逃げないって」


 優愛ちゃんに手を引っ張られる凛恋は笑いながら優愛ちゃんについて行く。


「凡人くん、ごめんなさいね。優愛に振り回させてしまって」

「いえ、俺は大丈夫ですよ」


 前を歩く凛恋と優愛ちゃんの背中を見ながら、俺はお母さんにそう言って歩き出す。


「優愛は寂しいの、凛恋が家を出るのが。だから今日だってついて来るって聞かなかった」

「あっ……そう、ですよね。優愛ちゃんにとって、凛恋はたった一人のお姉ちゃんですもんね」


 後ろから見える凛恋の方を向いている優愛ちゃんの横顔は笑っている。

 とても楽しそうな弾ける笑顔だ。でも心の中では寂しがっているのだ。

 今まで家に居ることが当たり前で、今まで一緒に生活していた凛恋が、大学生になれば家を出る。


 凛恋が家を出るからと言って、優愛ちゃんが独りぼっちになるわけではない。

 お父さんとお母さんが居る。だけど、そうじゃないのだ……きっと。


 俺には栞姉ちゃんという姉、のような存在が居る。だけど、姉のように思っているとしても、俺と栞姉ちゃんの関係はまだ浅い。

 凛恋と優愛ちゃんの関係に比べれば浅過ぎるくらいだ。


 凛恋と優愛ちゃんは一七年間も一緒に居たのだ。

 そんなに長く共に過ごして来た家族が、突然ある日を境に家から居なくなる。

 それは二度と帰ってこないというわけではなくても、多分凄く辛くて寂しい。


「凛恋の大学受験が終わった後にね。お父さんと私で夜に、大学に進学した後の凛恋の生活について話していたの。しばらくは、凛恋がこっちでの生活に慣れるまでは毎週顔を出しましょうって話してた。その時にね、たまたまトイレに起きてきた優愛が私とお父さんに言ったの。凡人さんを一緒にお姉ちゃんと住ませればいいって」

「優愛ちゃんがそんなことを……」

「当然、私とお父さんはそんなことは出来ないって言ったわ。でも、優愛が言うのよ。お姉ちゃんを一人にするのは心配。でも、凡人さんが一緒なら私も安心出来るって」


 その言葉を発したお母さんはクスクス笑った。


「そう言いながらね。優愛が泣いてたの。目を真っ赤にしてね。優愛が凛恋を行かせたくない、凛恋と離れ離れになりたくないって思っているのはすぐに分かったわ」


 きっと、それが分かったのはお母さんだからだ。

 優愛ちゃんを生まれた時からずっと見ていたお母さんだからこそ、感じ取ることが出来た優愛ちゃんの気持ちだった。


「優愛は凄くお姉ちゃん子なの。髪を染めるのは私が許さなかったけど、髪の巻き方は凛恋を参考にしてるし、服も凛恋のお下がりを欲しがったのよ。普通、お下がりは嫌がるものなんだけど、逆に凛恋が着てる服を欲しいって言って大泣きしたこともあったの」

「寂しいでしょうね、凄く……とっても」

「そうね。私も凛恋が私達の元を離れていくのは寂しいわ。お父さんは特に」


 そう言ったお母さんはまたクスっと笑う。


「でも、私達家族の考えは一緒よ。凡人くんが一緒なら安心」

「ありがとうございます。期待を裏切らないように、絶対に凛恋を守ります」

「ありがとう。でも守るだけじゃなくて、凡人くんも凛恋と一緒に生活を楽しんで欲しいわ」

「はい。凛恋と一緒に色んな場所に行って色んなことをして、凛恋と一緒に沢山楽しみます」


 お母さんに答えると、お母さんは凛恋によく似たからかうような笑みを浮かべ、人さし指を唇に当てる。


「でも、ちゃんと節度は守るようにね」

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