【一二九《独りじゃない》】:一

【独りじゃない】


 元旦。俺は賽銭箱を前に両手を合わせて拝んでいた。

 みんなが志望校に合格しますように。

 一年に一回しか頼みに来ないんだから、絶対に叶えてほしい。

 みんな、自分の志望した、自分の一番行きたい進路へ進んでほしい。そう、目を瞑りながら神様に祈った。


「凡人は何をお願いしたの?」

「みんなが志望校に合格しますようにって」

「私も」


 隣に立つ凛恋に話し掛けられて答えると、凛恋がニコッと笑って言う。


「私もみんなが合格しますようにってお願いしたよ」

「俺も」


 希さんと栄次が笑顔で言って、その向こう側から溝辺さんが苦笑いを浮かべる。


「私は自分のことお願いする余裕しかなかった」

「僕も」


 溝辺さんと一緒に小鳥も苦笑いを浮かべる。


「切山さんはまだ拝んでるみたい」


 クスッと笑った筑摩さんが視線を向けた先には、ずっと両手を合わせて拝み続ける萌夏さんが居た。

 萌夏さんは冬休みのクリスマスビュッフェに行った後、一足先に製菓専門学校の一般入試を受けた。そして、年明けに合否通知が来ることになっている。

 その萌夏さんが受けた専門学校の合否通知が来るのは今日。だから、萌夏さんはずっと合格を祈っているのだと思う。


「あー! ヤバい! めちゃくちゃ緊張して胃が痛い~」


 やっと拝みを止めた萌夏さんが、本堂を見ながら嘆く。


「萌夏、出せる力は出してきたんでしょ?」

「そーだけどさー……やっぱりはっきりするまで不安だし……」


 凛恋が萌夏さんの手を握って背中を擦る。

 萌夏さんの言う通り、はっきりと答えが出ていない状態で待たされるのは辛い。でも、萌夏さんなら絶対に受かる。


 これからみんなで萌夏さんの実家である純喫茶キリヤマで、萌夏さんの合否通知を待つことになっている。

 それは、俺達からの提案ではなく、萌夏さんからの提案だ。しかし、それはネガティブな理由で「ダメでもみんなとなら耐えられそうだから」という理由だった。


 いつも萌夏さんは明るいし、結構楽観的に物事を見る人だ。だが、そんな萌夏さんでも入試は不安になってしまうらしい。


 俺は基本的にネガティブな人間だ。だから、俺が今更ネガティブな発言をしたって大して影響はない。でも、いつもポジティブな萌夏さんがネガティブになっていると心配になる。

 それに、そんな状態の萌夏さんに、周りのみんなもいつも以上に萌夏さんのことを気に掛けていた。


「萌夏ちゃん、みんな付いてるから大丈夫」

「ありがとう、希」


 希さんが凛恋の反対側から萌夏さんに寄り添って励ます。それに、溝辺さんと筑摩さんも萌夏さんに近付いて励ましていた。


「こればっかりは励ますしかないからな」


 萌夏さんを励ます女子陣を見て、栄次が小さい息を漏らしながら呟く。


「そうなんだよな。俺が不安を肩代わりすることも出来ないし、入試が終わっている以上、あとは結果を待つしか出来ない」


 今年は萌夏さんの合否通知の待機もあって、日が昇ってから初詣兼合格祈願に来た。この後は神社から帰るしかない。


「さて、帰るか」


 俺は少し明るさの無くなったみんなにそう声を掛ける。

 ずっとここで待っていたって始まらない。それは萌夏さん自身も、他の人達も分かっている。でも、みんな言い出せずに居るのだ。だから、誰かがきっかけを作らなければいけない。


「久しぶりに萌夏さんの淹れてくれるコーヒーが飲みたくなった。寒くて寒くて仕方ない」


 体を抱えて身を震わせると、俺を見た萌夏さんが口を隠してクスクスと笑う。


「凡人くん、ありがとう。無理して明るくしてくれて」

「えっ?」

「凡人くんくらいだと思うよ? そんなにぎこちなく寒がるの」


 萌夏さんに言われて困っていると、凛恋達まで俺を見て笑う。そして、俺の隣では、栄次と小鳥が顔を見合わせて笑っていた。


「みんなありがとう。凡人くんが寒がってるから帰ろうか」

「そうね。みんな、私の彼氏が寒いって言うから帰ろう」


 凛恋が俺の隣に並んで手を握る。そして、俺の隣で言った。


「大丈夫。凡人の優しさ、みんなに伝わってるから」


 先頭を歩き出した萌夏さんに続いてみんながニコニコ笑って歩き出すのを見て、凛恋が俺の腕を抱いて引っ張りながら歩き出す。

 さっきみんなに笑われたが、みんなの雰囲気が良くなって良かった。


「やっぱり俺には出来ないことはやらない方が良いな」

「そんなことないし。ぶきっちょだったけど、凡人が優しさで言ってくれたって分かった。みんなもちゃんと分かった。だから、みんな明るく笑えてるの」

「そうか?」

「そう。だから、ありがとう。萌夏、凄く不安そうだったから、凡人のお陰で気が楽になったと思う」

「萌夏さんの力になれたなら、良かったかな」


 前で希さん達と話している萌夏さんの後ろ姿を見ていると、凛恋が腕に胸を押し付け、腕を抱きながら指を組んで手を握る。


「ちょっとジェラシー」

「凛恋?」

「萌夏にちょっとだけジェラシーを感じたの」

「なんで?」

「だって……凡人が萌夏のために慣れないことしたじゃん。良いな~萌夏」

「俺は凛恋のためなら何だって出来るぞ」


 素直に凛恋へ言うと、凛恋が俺と組んだ手を強く握る。


「じゃあ、一生私と一緒に居て」

「頼まれなくても凛恋と一生一緒に居る」


 凛恋と微笑み合っていると最寄り駅に着いて、みんなで電車に乗り込む。しかし、元旦ということもあって電車の中は混雑していた。

 凛恋達が女性専用車両に乗り込むのを見送ると、俺は栄次と小鳥の後に続いて電車に乗り込む。


「あっちだけスカスカじゃねーか。ズルいな~」


 大混雑の電車の中で、女性専用車両の方を見ながらブツブツと不満を口にする男性の声が聞こえる。

 女性専用車両は、一部の人に男女差別だとか政府の女性票獲得のためだけの政策だと言われているらしい。

 それに、実際問題、痴漢被害の件数は減っていないのもテレビで見た。でも、俺は女性専用車両があって良かったと思う。


 女性専用車両を、女性だけ優遇されていると考える人が居るのも分かる。

 それに実際に痴漢が減っていないなら意味がないと考える人が居るのも分かる。でも、少なくとも凛恋や萌夏さんは女性専用車両のお陰で安心して移動出来ている。


 凛恋も萌夏さんも男性が苦手だ。……いや、男性を怖がる。

 そんな二人が、男女が交ざってごった返す電車の中で安心出来るわけがない。だから、二人のことを考えると、本当に女性専用車両の存在はありがたかった。


 俺は女性専用車両があってもなくても、凛恋達が一緒に乗っていたら全力で邪な考えを持つ男から凛恋達を守る。でも、凛恋達の体は守ることは出来たとしても、心に感じる恐怖だけは俺では完全に遮断できない。

 だけど、女性専用車両に居れば、凛恋達は身体的にも精神的にも安心出来る。


「カズは相変わらず良いやつだな」

「ん?」

「凛恋さん達がちゃんと電車に乗るのを確認してたから。凛恋さんと切山さんのことを心配してたんだろ?」

「そりゃするだろ。凛恋は俺の彼女で、萌夏さんは大切な友達だ」


 栄次に当然のことを答えて、俺は体を支えるためにつり革を掴んだ。

 女性専用車両の方は結構余裕があるようだが、俺達が乗っている一般車両の方はぎゅうぎゅう詰めで、体を縮こませていてやっと乗れている状態だった。


「いよいよ近付いてきたな」

「もう今月なんだよね……」


 栄次が真剣な表情で呟くと、小鳥が不安そうに呟く。

 一月の中旬に、まずは大学入試センター試験がある。そこが大学入試最初の勝負だ。

 そこで、出来るだけ良い点を取っておかないといけない。


 多くの大学では、大学入試センター試験の成績と、大学で個別に行われる個別学力検査で合否が判定される。

 簡単に言えば、センター試験が一次試験で、個別学力検査は二次試験になる。


 受験生は、最初に一月中旬にあるセンター試験を受けて、そのセンター試験の成績請求表を添付して、志望大学の個別学力検査に出願する。

 そこで、大学側がセンター試験の結果を大学入試センターに請求し、その成績で二次試験の個別学力検査を受けさせるか、それとも受けさせずに不合格にするかを決める。


 ただ、この大学入試センター試験、受験者の俺達はすぐ正確な成績を知ることは出来ない。

 追加料金を払って、成績通知を申し出た場合に四月上旬になってから正確なセンター試験の成績が分かる。しかし、それでは不安だ。だから、みんな問題用紙に答えをメモして、試験後に公開される解答を元に自己採点する。


 メモをすると言っても、大学入試センター試験は全てマークシート制だから、解答になる数字や記号にチェックを入れるだけで良い。

 その自己採点の結果を元に、志望校を変更する人も居る。

 それは、良い成績を取ったからレベルの高い大学に受験校を変更するという人も居るが、多くは悪い点を取ってしまったからレベルの低い大学に受験校を変更する人の方が多い。


 国公立大学の入試は毎年全国一斉に行われる。だから、もしその入試がダメだったら、滑り止めに受けた私大か、一年浪人するという選択肢を取るしかない。

 ただ、センター試験で良い結果を取れたからと言っても安心出来ない。


 俺の受験する塔成はレベルが高い大学の部類に入る。だから、大学としての人気も高く、出願者も成績の良い人達ばかりで出願者の数も多い。

 いくらセンター試験で良い結果を取れたとしても、俺よりもセンター試験の結果が良かった人達が全員塔成を受けたら、俺は個別学力検査で落とされる可能性は十分にある。


「大丈夫。みんな頑張ってるんだから、きっとみんな受かるよ」


 小鳥が拳を握って俺達を励ましながら自分も鼓舞するように言う。

 みんな頑張ってるんだからみんな受かる。その小鳥の言葉は希望に満ちている。それに、俺もそうでありたいと思う。でも、現実はそうではない場合もある。


 一〇〇人がみんな一生懸命頑張っているから、定員四〇名の学校に一〇〇人全員入学させよう、なんてことにはならない。

 必ず頑張っている一〇〇人のうち六〇人が落とされる。


 頑張ったから必ず受かるものではない。そういう現実は分かっている。でも、俺はそれが分かった上で思う。

 みんなが志望校に合格しますようにと。

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