【一二六《忘れられた恋》】:二

 鷹島さんはそう言って、それっきり黙ってしまう。

 少ししんみりとした雰囲気になってしまい、俺はない頭を使って必死に話題を考える。しかし、思えば鷹島さんが好きな話題なんて知らない。


「そういえば鷹島さんが好きなものって何?」


 会話が出来ない人間が、会話をしようとしたらこうなった。そんな典型的な話題を振ってしまう。でも、何も無く黙っているよりマシだった。


「えっ!?」

「え?」


 鷹島さんは、俺の尋ねた言葉に驚いて目を見開いて聞き返した。しかし、俺は鷹島さんに聞き返されたことに驚いて聞き返してしまう。

 何か俺は不味い話をしてしまったのだろうか? でも、俺は鷹島さんの好きなものを聞いただけ、のはずだ。


「鷹島さんの趣味とか聞いたことなかったから、何が好きなのかと思って」

「しゅ、趣味の話ね。趣味は最近はDVD鑑賞かしら? 鑑賞というほどのことでもないけれど」

「DVD鑑賞か。どんなジャンルを観るんだ?」

「えっ!?」

「えっ?」


 また聞き返されて、また聞き返した。

 ただ観るDVDのジャンルを聞いただけなのに、なぜ聞き返されたんだろう。


「そうね……最近はその……恋愛物を観るわ」

「恋愛物か。やっぱり女子って恋愛が好きなんだな」


 そう答えたが、内心、意外だと思った。鷹島さんなら、ミステリー物が好きそうな感じがしたからだ。


「他にもミステリーも観るしファンタジーもSFも観るわよ。ただ、ホラーは苦手だけど」

「凛恋もホラーは苦手なんだ。ビクビクして栄次達と観てた時はずっと俺にしがみついてた」


 栄次の家でお泊まり会をしたときのことを思い出して思わず笑う。

 凛恋がホラー映画を観てずっと俺にしがみついてて、寝るときもずっと俺に抱き付いていた。


「多野くんはゲームが好きだったわね」

「ああ。でも最近はあまりやれてないかな。受験もあるし」

「そうね。多野くんは――私が心配する必要はないわね。心配される学力なのは多野くんじゃなくて私の方だし」

「鷹島さんも心配する必要はないんじゃないか?」

「周りからは大丈夫と言われてるけど、やっぱり実際に合格出来るまでは不安よ? 多野くんはやっぱり不安はない?」

「俺は……不安はないっていうか、受からないって選択肢がない。成華女子に凛恋が決めたのは、俺が原因でもあるからな」


 俺もそうだが、世の中の受験生の多くは本命の大学以外に、滑り止めの大学を数校受験するはずだ。

 でも、俺は塔成大学に落ちるという選択肢はない。


 今の凛恋の成績から考えれば、凛恋が受験当日に熱を出して入試を受けられなかった、なんてことがない限り成華女子不合格はあり得ない。だから、凛恋と出来るだけ近くに居るには塔成しかない。

 それに、凛恋の方が俺の志望校に近い自分の希望に合う大学として成華女子を選んだ、ということもある。


 俺は最初は、俺の志望校に近いという理由を、凛恋の志望校を決める理由に含めるべきじゃないと思った。

 でも、凛恋はそうしたいと言い張ったし、“完全に女子しか入学出来ない女子大”という希望に添った大学が見付かった。

 それが、成華女子だった。


 凛恋は男性が苦手だ。だから、大学を選ぶ前提条件で男性の居ない、男性が入学することが出来ない女子大学を探した。

 でも、最近は女子大学と名前があっても、生徒数の減少という問題から共学化してしまっている大学も多かった。


 成華女子は凛恋の希望には合っている。でも、その希望の一つに俺が影響しているのだ。

 凛恋の進路を限定してしまった俺が、塔成に落ちて別の大学に進学するなんてあり得ない。


「多野くん、原因というより理由にした方が、八戸さんが怒らないと思うわ」

「鷹島さんの言う通りだな。凛恋は俺が何でも自分のせいにしたがるって怒ると思う」


 微笑む鷹島さんに笑顔で答えると、鷹島さんが立ち止まって別の道へ歩き出す。


「私はこっちだから」

「ああ。また」

「そうね。また」


 鷹島さんが小さく手を振って歩き出す。

 その鷹島さんの背中を少し見送って、俺も自分の家へ向かって歩き出した。




 文化祭の準備と言っても、裁縫が出来るわけでも絵が描けるわけでもない俺に出来るのは力仕事くらい。幸い、そういう力仕事は沢山あった。


「多野、おつかれ」

「本蔵さん、お疲れ様」

「多野のクラスはどう?」

「みんな気合いが入ってる。特に女子はいつにも増して団結してやってて、男子は女子に引っ張られてる感じかな」

「そう。私のクラスはほとんど準備は終わった」

「そうか。俺達はちょっと居残りしないといけないからな。今から、ちょっと工具を取りに行かないといけないし」

「ご、ごめん……作業の邪魔して」

「大丈夫。じゃあ」

「じゃあ」


 本蔵さんと別れて廊下を歩く。

 本蔵さんは、前以上に気を遣う。

 俺と話す時はビクビクして、俺に遠慮しているのが伝わってくる。

 本蔵さんとは色々とトラブルになったから、完全にわだかまりなくとはいかない。筑摩さんと凛恋達もそうだったし、俺と溝辺さんも最初はそうだった。


 これから本蔵さんと仲良くなれるという保障はない。でも、仲良くなれないという保障もない。

 すぐには何も変わらない。

 やっぱり、俺には本蔵さんを傷付けた負い目があるし、凛恋を心配させている負い目がある。

 でも結局それは、俺の自己責任でしかない。


 気を取り直して、与えられた仕事をこなすために再び足を進める。

 廊下ですれ違うみんなが忙しそうで、それでいてとても楽しそうな顔をしていた。


「多野くん、演劇頑張ってね~」

「あ、はい。ありがとう」


 すれ違った瞬間、名前も知らない女子生徒に手を振られてそう言われる。


「多野、これうちのラーメン屋の割引券。八戸と一緒に来てくれよ。残りは、可愛い女子に配ってくれ」

「あ、ああ。ありがとう」


 肩を叩かれて男子に呼び止められ、数枚の券を手渡される。そして、去り際にニヤッと笑って背中を叩かれた。

 俺は学校で人に話し掛けられることが多くなった。

 夏休みを明けてから、特にそれが多くなった気がする。

 凛恋は、俺がみんなを助けたからだと言っていた。でも、俺はそんな大層なことをしたとは思っていない。

 それでも、人から悪意を向けられないのは嬉しかった。


 俺に話し掛けてくる人は増えた。でも全員ではない。だけど、それでも嬉しかった。

 人から敵意を向けられないというのは、心地の良いことだった。


「凡人くん!」

「希さん! 希さんも工具?」

「ううん。私は工具じゃなくて掃除用具の予備を取りに来たの」


 用具室の前でばったり出会った希さんと一緒に用具室へ入ろうとする。すると、後ろから肩を叩かれる。


「来ちゃった!」

「凛恋? 教室で作業してたんじゃ」

「みんなが、彼氏手伝わなくて良いの? って言ってくれたの。だから凡人を手伝いに来た」


 凛恋がニコニコ笑って俺の隣に並ぶ。そして希さんを見て首を傾げた。


「希は?」

「予備の掃除用具を取りに。うちのクラスの箒が壊れちゃって」

「そっか。じゃあ、三人で入ろ!」

「り、凛恋?」「ちょっ、凛恋押すなって」


 凛恋に背中を押され、俺と希さんは用具室の中に押し込まれる。


「ちょっ、狭っ!」


 入った瞬間に凛恋がそう声を上げて驚く。

 まあ、用具室と名の付く場所は、大抵物が押し込まれてごちゃごちゃしているものだ。

 段ボール箱が積み上げられ、左右のすぐ近くには鉄製の棚があり、そこにも無造作に物が置かれている。


「希の箒はこれでしょ?」

「うん、ありがとう凛恋」


 凛恋が新品の箒を手に取って希さんに渡すと、凛恋が俺に首を傾げる。


「で? 凡人は何を取りに来たの?」

「電動ドライバーを取りに来たんだ。セットを作ってるやつらが普通のドライバー使ってチマチマやってたからな。あれじゃ日が暮れる」

「そっか。……凡人優しい」

「凡人くんらしいね」


 凛恋がニコッと笑い、希さんがクスッと笑う。

 凛恋と希さんは褒めてくれるが、優しさ以前に作業効率が悪いし、その効率の悪さに気付かない作業者達が良くないのだ。

 いくら日程に余裕があるとしても、ダラダラやることに意味は全く無い。


 用具室の前で希さんと別れ、俺は凛恋と並んで教室へ戻る。すると、校舎と校舎の間を通る渡り廊下に立つ露木先生の後ろ姿が見えた。


「露――」


 声を掛けようとすると、横から凛恋に引っ張られて壁の陰に引っ張られる。


「何するんだよ」

「あれ、他のクラスの男子」

「ん?」


 露木先生の正面には男子が立っている。その男子の表情は真剣そうで、緊張しているように見える。


「露木先生、好きです」

「なっ――」

「バカッ! シーッ!」


 男子の言葉を聞いてびっくりした俺は、思わず声を上げそうになる。しかし、凛恋が俺の口を押さえて静かにするように声を抑えて言う。


「ごめんね」

「分かってます。卒業してから付き合ってください」

「ごめんね。生徒と教師だからダメなわけじゃないの。君とはそういう仲にはなれないから」

「…………そうですか」


 露木先生の言葉を聞いて、冷たさの中に優しさを感じた。

 露木先生は相手の男子に期待を持たせないようにスッパリと振った。

 それは冷たいように見えるが、露木先生の優しさだ。


「ありがとうございました」


 男子が反対側の校舎へ歩き去るのを見ていると、振り返った露木先生がこっちに歩いて来て俺と凛恋は壁に隠れる。しかし、横を露木先生が通り過ぎようとした時、露木先生が立ち止まって俺と凛恋を見る。


「さて、彼氏さんの方に、盗み聞きの責任を取ってもらおうかな」

「は、はい」


 ニコッと笑った露木先生が俺を見る。

 その露木先生の笑顔に、俺は苦笑いを浮かべて頷く敷かなかった。




 両手いっぱいにファストフードのハンバーガーが大量に入った袋を持って、俺は秋風が吹く街を歩く。

 隣には、後ろに手を組んで歩く露木先生が居る。


 露木先生が男子生徒から告白されている場面を見てしまった俺は、盗み聞きの責任を取らされるために露木先生に外へ連れ出された。

 その責任というのが、俺が両手に持っている荷物だ。


「露木先生、自腹で差し入れって……すみません」

「なんで多野くんが謝るの?」

「いや、だってこれだけの量って結構掛かるんで」

「子供がお金の心配しちゃダメだよ。後、気を遣うのもダメ」

「ありがとうございます」


 露木先生が俺の持った袋の持ち手に手を伸ばすのを見て、俺はその露木先生の手を躱す。


「年始の福袋の時も持たせちゃったから、私にも半分持たせてくれない?」

「露木先生に持たせたら、凛恋の分の盗み聞きの責任取れませんからね」

「流石、八戸さん思いの多野くんだね」


 露木先生がニコニコ笑いながら俺の顔を横から眺める。

 その露木先生に、俺はさっき見たことの話をした。


「露木先生の断り方、綺麗でしたね。スッパリとしてて後腐れがないようにしてました」

「期待を持たせちゃっても応えられないからね」

「露木先生はモテるから、経験豊――イテッ!」


 両手が塞がっている俺の額を、露木先生は軽く指で弾く。


「大人をからかわないの。……昔、曖昧に断ったらちょっと困ったことになったから」


 露木先生は、俺の少し前を歩いて話し始める。


「きっぱり断ると相手を傷付けると思って、はっきりダメって言わなかったの。友達としてならとか、まだよくあなたのことを知らないからって。そしたら、結構しつこくされちゃってね……。だから、ちょっと辛いけど、はっきり付き合えないって断ることにしてるの」

「モテる人は色々大変――イテッ!」

「だーかーらっ! からかわないで!」


 露木先生が頬を膨らませる。それを見て俺が笑うと、もっと露木先生は頬を膨らませた。


「多野くん可愛くない!」


 露木先生がすねてツカツカと俺の数歩先を歩き出す。しかし、すぐに振り返って俺の目の前に立って微笑む。


「多野くん、荷物持ってくれてありがとう」

「盗み聞きの責任ですからね」

「本当は盗み聞きしてなくても多野くんに頼むつもりだったの。多野くんは頼みやすくて」

「露木先生に頼まれたら大抵のことはやりますよ」

「ありがとう。やっぱり多野くん可愛い」


 露木先生がニコニコ笑いながら俺の頭をワシャワシャ撫でる。


「どっちですか」

「前にも言ったけど、多野くんがいっちばん可愛い。可愛くて頼りになって良い子」

「あ、ありがとうございます」


 露木先生からしたら俺は子供だ。だから子供扱いされて当然なんだが、なんだか気恥ずかしい。


「露木先生って忘れられない恋ってありますか?」

「えっ?」


 ふと、キャンプの日に筑摩さんが言っていたことを聞いてみる。すると、露木先生が驚いた表情をした。


「すみません。ちょっと調子に乗り過ぎました」


 露木先生の反応を見てすぐ謝る。流石にプライベートな話に踏み込み過ぎた。


「過去の恋愛話で私を散々からかったのに、今更謝るなんて」

「すみません」


 クスクス笑う露木先生は俺の頬を指でグリグリ突く。


「忘れられない恋はあったよ。でも、素敵な恋が忘れさせてくれた」


 そう言ったニコッと笑う露木先生の顔は、凄く嬉しそうで晴れやかで、でも……どことなく物悲しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る