【一〇〇《考えの先延ばし》】:一

【考えの先延ばし】


 ホテルの部屋に居ても、特にやることはない。自宅謹慎は、ずっと自宅の中に居なければいけないのだが、ホテル住まいの今は落ち着いて眠ることも出来ない。


 昨日、爺ちゃんが今後どうするかという話を俺にした。

 とりあえず、今日の午後には月単位で契約出来る賃貸住宅、いわゆる月決め賃貸マンションに入ることになるらしい。そして、燃えた家は撤去され、新しい家を建てることになった。


 爺ちゃんは「色々とガタが来ていたし、丁度良かった」そう、ポジティブな言葉で話していた。

 それに、婆ちゃんも「そうね」と同意していた。でも、その二人の言葉が本心ではないのは分かっている。


 爺ちゃんと婆ちゃんの、あの家との付き合いは俺よりも遥かに長い。

 その分、俺なんかよりも厚く濃い思い出があの家にはあったはずだ。だから、それを奪われた悲しさや苦しさや悔しさは俺よりも何倍も分厚くて濃縮されたものになっているに決まっている。


 それでも、爺ちゃんと婆ちゃんは前に向かって歩こうとしているのだ。でも、俺は進むべき道は決まっているだろうか?


 今、俺は前へ進むことは出来ない。目の前には自宅謹慎という高い柵があり、左右には見下ろすのも怖い切り立った崖になっている。

 それに、たとえその高い柵が取り払われても、二手に分かれた道の片方にはバリケードが設置されている。


 処分無し。その道の方にはバリケードが俺が進むのを阻んでいて、ご丁寧に矢印の案内板で進路変更を促している。そして、矢印の向いている方向には、自主退学という道がある。


 処分無しは見通しの良い明るい草原に続いているのに、自主退学は岩がごつごつ突き出た歩きにくそうな渓谷に続いている。俺は今、そんな状況だ。


 このまま行けば、きっと退学になる。

 自宅謹慎の柵が解かれなければ、自主退学を選んで柵を取っ払ってもらい、自主退学の道を歩くしかない。

 自宅謹慎を解いてもらって、なおかつ処分無しを妨げているバリケードを取り除くには、俺の退学処分を要求している保護者九割と、俺の処分反対に賛同しなかった生徒七割の過半数を味方につけなければいけない。でも、そんなこと、出来る気がしなかった。


 俺は立ち上がって部屋から出て、爺ちゃんに『少しコンビニに行ってくる』とメールを送る。すると少し遅れてから『分かった』と短い返事が来た。

 勝手に出て行けば、爺ちゃん婆ちゃんが心配する。それに、凛恋が知ったらまた凛恋を悲しませる。


 コンビニに行っても何か買う物があるわけじゃない。でも、ゲームも何もないホテルの部屋では気を紛らわす物がないのだ。

 ホテルの中にもコンビニはあるが、時間潰しのために行くのだから、ホテルから出てしばらく歩いた場所にあるコンビニへ向かう。


 俺がエレベーターから下りてロビーを歩いていると、スマートフォンが震えて電話の着信を知らせる。画面に表示されている番号は見たことがなく、そもそも登録されていない番号から電話が掛かってくること自体が不自然だ。


 間違い電話かとも思った。しかし、友達が俺に登録されていない電話から掛けてきている可能性もある。


「もしもし?」


 恐る恐る、電話の向こう側に尋ねる。


「刻雨高校の理事長をしております。長谷川(はせがわ)と申します。多野凡人さんのお電話でしょうか?」

「はい、多野凡人は私です」

「今からお時間はあるでしょうか? 今後のことについてお話をしたいと思っています。場所は、刻雨高校の校長室で良いでしょうか?」


 急に知らない電話番号から掛かってきたと思ったら、刻雨高校の理事長からで、しかも今から学校に来いと言う。

 それは、流石に自分勝手で礼を失する物言いでしかない。でも、向こうは俺に対して礼儀をわきまえる気がないとも取れる。


「すみません。祖父と祖母に確認を――」

「いえ、凡人さんご本人のみで構いません」

「分かりました」


 今の今まで、こちらからは何も出来なかった。それが、今になって向こうから話があると言ってきている。

 礼儀の話に関しては思うことがあるが、それで交渉の場を突っぱねるのは得策じゃない。

 たとえ相手に低く見られても、貶されても、俺は凛恋と一緒に居るために何だってする。凛恋とずっと一緒に居るためには、学校を卒業して大学に入って就職しなきゃいけない。その将来のために、一時的に酷い扱いを受けようとも我慢する。昔から、悪口を言われたり嫌がらせを受けたりすることには慣れている。だから、大丈夫だ。

 俺はロビーで小さく深呼吸をした後、ホテルの出入り口に向かって歩いて行った。




 学校の校門を抜けて校舎の中に入ると、校舎の入り口に教頭が立っていた。


「付いてきなさい」

「校長室の場所なら分かりますけど」

「謹慎処分を受けている立場の人間に、一人で校舎内を歩かせるわけにはいかない」


 まるで、人を襲う猛獣のような扱いだ。でも、俺は悪いことなんてしてない。だけど、それを教頭に言っても仕方がない。

 前を歩く教頭の後ろを歩いて校長室まで着くと、教頭が校長室のドアをノックする。


「多野を連れてきました」

「通して下さい」

「失礼します」


 教頭の言葉に、部屋の中から電話で聞いた理事長を名乗る男性の声と同じ声が聞こえる。

 理事長の返事を聞いた教頭がドアを開け、視線だけで俺に中に入れと促す。

 その視線に従って中に足を踏み入れて戸惑った。部屋に居たのは、一人ではなかった。


 高そうなスーツ姿の男性は理事長だろう。でもその理事長らしき男性以外に、女性が二人居る。

 一人は槌屋先輩の母親だというのは、一度会ったことがあるから分かる。しかし、もう一人居る女性に見覚えはない。


「久しぶりね」

「どうも」


 槌屋先輩の母親が、俺の方に勝ち誇った笑みを浮かべて俺に挨拶をする。しかし、その隣に居る女性は俺の方を睨み付けている。

 その視線は俺に憎しみを向けている視線だというのは分かる。でも、その憎しみを向けている女性の正体が分からない。

 そもそも、俺は年上の女性から憎しみを買うようなことはしていないはずだ。


「初めまして、石川敦の母です」

「初めまして、多野凡人です」


 俺に憎しみの視線を向けていた女性が口にした言葉で、俺はその憎しみの理由が分かった。

 女性は、あの石川の母親。だったら、石川をぶん殴った過去のある俺のことを憎んでも仕方がない。

 俺は、石川の母親にとって息子に怪我をさせた張本人なのだから。


「息子が、随分とお世話になったようで」

「そうですね。随分と迷惑を掛けられました」


 俺がそう返すと、石川の母親は目をキッと見開いて顔を真っ赤にする。


「多野くん、目上の人には敬意を――」

「初対面の子供に明らかに憤った態度を向ける目上の人に敬意を向ける必要はあるでしょうか? それと、自分が話があるからと、自分の都合の良い時間に自分の都合の良い場所へ相手を呼び出す人に」


 俺がそう言うと、理事長の後ろでプッと笑う声が聞こえた。

 少し体を動かして理事長の背後を見ると、椅子に座ったお婆さんの姿が見えた。

 そのお婆さんはかなり年は取っているようだが、年相応の地味なスーツを着こなしていて、華やかさはないが落ち着いた品のあるお婆さんだった。


「母さん。母さんは口を出さない約束でしょう」

「私は何も口を出してはいないわよ?」


 振り返ってお婆さんを見た理事長が、お婆さんを非難するような声を出す。

 どうやら、理事長の母親らしい。


「多野くん、座って下さい」

「いえ、このままで良いです」

「……そうですか。単刀直入に言います。このまま無期限の謹慎処分を受け続けるのは、多野くんにとって良いことはありません。このまま欠席日数がかさめば、進級に影響もありますし、将来の進路にも少なからず影響があります」

「私は謹慎処分を受けるようなことはしていませんし、そもそも謹慎処分を言い渡したのは学校側です。学校が謹慎を解いてくれれば、私は今からでも授業に戻ります」

「多野くんが我が校に通うことを不安に思っている方々が沢山いらっしゃいます」

「それは何故でしょうか?」


 俺がそう尋ねると、理事長は押し黙った。でも、それは当然だ。

 ここで理事長が「お前の母親が犯罪者だからだ」なんて言えるわけがない。しかし、無言から察するに、それ以外の理由はないということだろう。


「あなたのせいで、光葉ちゃんは犯罪者にされるところだったのよ?」

「槌屋先輩は悪いことをしました。通報されて当然のことをしたんです。それは槌屋先輩本人はきちんと理解して反省し、被害者の女子生徒には直接謝罪をしたというのは、被害者の女子生徒本人から聞きました。槌屋先輩の問題の当事者である二人の間で解決している話です」

「あなたのせいで、私の家には警察が来たのよ! ご近所の人に白い目で見られた私達家族の気持ちはどうなるのッ!」

「私はマスコミが来て家が大騒ぎになりました。しかも放火をされて家も失いました」

「それは自業自得でしょう」

「だったら、人の物を壊して嫌がらせをした結果、警察が来たことも自業自得ではないのですか?」

「理事長!」


 槌屋先輩の母親は、俺から理事長に視線を向けて怒鳴り声を上げる。しかし、その後に口を開いたのは理事長ではなく、石川の母親だった。


「敦に暴力を振るった件については?」

「それは、申し訳ありませんでした。息子さんの取った行動が許せない行動だったとしても、やり過ぎだったと思っています」

「あなた、敦にも非があると言う気?」

「石川は私の大切な人を怖がらせました」

「ただ手を掴んだだけでしょ! それに、なんで敦が腕を掴んだだけで怖がらせるのよ! 敦が人を怖がらせるような子だって言うのッ!?」

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