【二二《同類と異類》】:一
【同類と異類】
人と違うことが、こんなにも苦しいものだなんて知らなかった。
今までは、人は人とか、他人のことなんて興味ないとか、そうやって他人と自分が違うことを正当化して来た。違って良いのだと、違って何が悪いのだと思っていた。でも今は、人と同じでありたい。
いや……凛恋と同じでありたい。
凛恋と同じだったら、凛恋の好きなことが分かる。
凛恋が言ってほしいことが分かる。
……凛恋と同じだったら、凛恋が嫌いなことが分かる。凛恋が言ってほしくないことが分かる。
何が起きたのかは分からない。でもハッキリと分かる。
俺と凛恋の間には今、見えない壁がある。
「ぬわー! またまた負けたー!」
隣に座っていた優愛ちゃんがそう声を上げて、降参っという風に両手を挙げる。
やり慣れたことというのは無意識下でも出来るものだ。でも、無意識下では調整は出来ない。
いつもならそこそこの手加減を優愛ちゃんには入れるのだが、今日は全くそれが出来ていなかった。
自分に対してハッキリと見える異変。でもそれは、多分誰にも理解されない些細なものだ。
「お姉ちゃんじゃ、凡人さんに勝てないし……。凡人さん目隠し!」
「目隠ししたらゲームにならないでしょ」
隣に居るはずなのに遠い。そんな不可思議な感覚を抱く。でもそれを根拠として示せる証拠はない。ただそう感じるというだけだ。
あのキャンプの二日目から、あの産業祭りに行ってから、ずっと感じているズレ。そのズレもハッキリと言葉に言い表せる形は無い。でも、確かにズレている。凛恋と接する度に、言葉を交わす度に確実に。
怖い。そう頭に言葉が浮かび、心に冷たい恐怖が溜まる。
凛恋と居るだけで、凛恋が遠くなって行く。それが怖くて、凛恋と接するのが、話すのが怖かった。
どういう態度なら凛恋が喜んでくれて、どういう話なら凛恋が楽しんでくれるのか全く分からなくなった。
前まではそんなこと、意識もせずに過ごせていたのに、急に不安になった。
「優愛。もうそろそろ帰らないと」
「えー、もうちょっとー」
「優愛ちゃん、暗くなる前には帰らないと」
「凡人さんがそう言うなら引き下がります! でも、また次来た時に勝負ですからね!」
「ああ」
凛恋と優愛ちゃんが帰る。そのことにホッとしてる自分が居た。それが堪らなくイライラして憎らしくて、悔しかった。
家を出て、前でいつも通り姉妹らしくじゃれ合って歩く二人。
でも、その姿は微笑ましいながらも遠かった。だけど、手を伸ばしたら届きそうな、そんな淡い期待も感じた。
「凡人」
「な、なんだ?」
先に歩き出した優愛ちゃんから離れて俺の隣に並んだ凛恋を感じて、一気に体に緊張が走る。凛恋と話が出来る嬉しさと、また凛恋を悲しませないかという不安。
「明日からさ。前バイトしてた喫茶店でまたバイトすることになったの。夏休み終わりまで週五入るから、バイトある日は会えなくなる」
話せた嬉しさなんて何処かへ消えていた。凛恋が遠くへ行ってしまった実感が一気に押し寄せて来た。
凛恋の会えなくなるという言葉と……凛恋が、俺と一切目を合わせなかったことで。
顔を上げ時計を見て、時間を確認して顔を枕に埋める。冷房も扇風機も点けずに寝たせいか全身にべっとりと汗を掻いている。
今までほとんど毎日会っていた。会えない日でも連絡は取っていた。
でもここ数日、俺は、凛恋と連絡さえも取れていない。
凛恋から連絡が来ないのもそうだが、俺も凛恋に連絡出来なかった。
今まで普通に出来ていたことが出来なくなって、怖くて仕方なくて何も出来なくなった。
体を起こして頭をガシガシ掻きむしる。最悪の気分だ……今までで最悪の朝だ。
汗で気持ち悪いシャツのまま部屋から出ると、台所の方でガチャガチャと食器を洗う音が聞こえる。
廊下を歩いて居間に行くと、座布団の上にあぐらをかいて新聞を読む爺ちゃんの姿があった。
「おはよう、爺ち――」
「凡人。もう昼前だ」
「ごめん」
爺ちゃんは新聞を畳んでテーブルの上に置くと、俺に視線を向けた。
「凡人、今日は学校に行く日じゃなかったのか?」
「ああ、宿泊研修のレポートは今日中でいいんだよ。だから、昼を過ぎても問題ないんだ」
「そうか。でも、早めに持って行きなさい」
「分かった」
俺は台所の方に歩いて行き、洗い物をする婆ちゃんの背中に声を掛ける。
「おはよう、婆ちゃん」
「おはよう凡人。お昼はそう麺で良いかい?」
「うん、ありがとう」
「そういえば、凛恋さんは最近来ないね」
穏やかな表情で言った婆ちゃんの言葉に、胸が張り裂けそうだった。
「……凛恋は、アルバイトが忙しいみたいなんだ」
「そうなの? また連れて来てね」
「婆ちゃん、やっぱり昼飯はいいよ。先にレポートを持って行ってくる」
俺は走らないように出来るだけ急いで部屋に引き返した。
婆ちゃんに「分かった。近いうちにまた連れて来る」そう言えなかった自分が憎かった。
そんなことも気軽に約束出来ない距離になってしまったことが、辛かった。
着替えを済ませて家を出る。学校に行く時は制服でなければいけないという校則があるから、久しぶりに制服に袖を通した。
堅苦しい感じがして、夏休み気分が一気に失せる。
真夏の真っ昼間の真上に昇った太陽は、容赦なく地面に強い日差しを照り付ける。
太陽の日差しを受けた建物や地面は熱を持ち、ただでも暑い気温を上げている。
暑い……はずなのに、背中にはゾッとした寒気が常にうごめいている。いや……心にも、だ。
学校へ向かう道はとても遠く感じた。それが実際に遠くなっているわけじゃなく、俺の体の動きが遅くて時間がいつもより掛かっているせいだ。
スマートフォンを取り出して、それからすぐに仕舞う。
凛恋と話がしたい。でも、何を話せばいいのか分からない。
何を話せば凛恋を傷付けないのか分からない。何を話せば、凛恋を笑顔に出来るのか分からない。
話すべきじゃなかったんだ。家族のことなんて。あの話をしたから、凛恋と俺は遠くなった。
「全部、俺のせいだ……」
俺が悪いんだ。俺がちゃんと凛恋の気持ちを考えられていれば……。
家族の居る凛恋の気持ちを俺が分からないように、凛恋も家族の居ない俺の気持ちが分からない。
でも……俺は伝えたじゃないか。羨ましかったと。それじゃダメだったのか?
だったら、俺にはどうすれば良いのか分からない。
分からないことを考えていたら、いつの間にか刻季の校門前に立っていた。
視線の先には石膏像が見え、その更に奥には刻季の校舎が見えた。いつも通りのよく見る風景。でもどうしても、落ち着きはしなかった。
レポートを提出し終えてすぐに帰ろうとした。でも、どうしても帰る気が起きなくて、中庭にある粗末な木のベンチに座る。
ペンキが剥がれて木の板がむき出しになっている。
真上に太陽があるせいか校舎の影は短く、俺の座っているベンチは太陽に照らされている。
「凡人くん?」
ベンチに座って真上にある太陽を見上げていたら、俺を呼ぶ声が聞こえた。
顔を下ろして、太陽を見ていたせいで眩んでいた視界が晴れると、驚いた表情で立っている田丸先輩が居た。
「こんな暑い場所でどうしたの?」
「いや、休憩を――」
「休憩だったら中に入って」
田丸先輩に右手を掴まれ、校舎の中に引っ張られる。
「なんで田丸先輩が」
「私、文化委員長だから夏休みの間に文化祭の準備を始めてるの。夏休みが明けてからだと遅過ぎるから」
「そうなんですか」
文化祭は夏休み明けに体育祭があってからその後だ。でも、準備をする側の人達は、もうこんな時期から始めているらしい。
「大丈夫。もう会議が終わってみんな帰った後だから、残ってるのは私だけだよ」
校舎の一階にある多目的室という名の会議室に入ると、冷房の効いた空気が体を包み込む。少し冷房が効き過ぎているのか、肌寒く感じた。
「片付けが終わるまでちょっと待ってて。すぐに終わらせるから」
テーブルの上に広がった書類を纏めてファイルに挟みながら田丸先輩が言う。少し休憩したらすぐに帰るつもりだった。でも、気付いたら田丸先輩に引っ張り回されている。……だけど、なんだかどうでもいい気がする。なるようになれと、無気力になる。
田丸先輩は片付けを済ませて鞄を手に持ち微笑む。
「おまたせ、凡人くん」
「いや、俺は待っ――」
「夏休みに偶然会えたんだし、せっかくだからお話して帰ろう」
「いや、俺は今から――」
今から帰ります。と言う前に、冷房を切った田丸先輩に手を引かれて、多目的室から連れ出される。
「凡人くんお昼食べた?」
「いや、まだで――」
「良かった! じゃあ一緒に何処かで食べて行こう!」
「…………そうですね」
田丸先輩と話すのは久しぶりだが、こんなに人の話を聞かない人だっただろうか? よく笑う人だという記憶はあるがそれも薄い。
制服の夏服姿で廊下を歩く田丸先輩は、ニコニコ笑って俺を振り返る。
「凡人くんは何か食べたい物ある?」
「いや、俺は何でも」
「そっか。じゃあ、親子丼とか好き?」
「親子、丼ですか?」
田丸先輩はセミロングの髪は少し茶色に染められているが、全体的に大人しい雰囲気をしている。それは大人しい女子という雰囲気でもあり、昼飯に丼物というイメージは無い。
田丸先輩はクスクスと笑って俺をビシッと俺を指さした。
「あー。今、丼が似合わないとか思った?」
「あ、いや……」
「私、結構いっぱい食べるし、親子丼の美味しいお店があるの」
校舎から出て石膏像の隣を通り過ぎて校門を出る。そしてした俺は元来た道とは逆方向に手を引かれて歩き出す。
「そういえば、凡人くんは学校に何か用事があったの?」
「宿泊研修のレポートを提出しに」
「今日までだったもんね。凡人くんは夏休みを楽しんでる? 私は文化祭の準備で大忙しだよ」
「俺の方は、まあそれなりに」
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