【一九《伝える大切さ》】:二
座って息を吐いた凛恋が、赤城さんにジトーっとした視線を向ける。その視線を向けられた赤城さんは、罰が悪そうに俯いてボソリと口にする。
「だって……栄次に嫌われたかと思って」
その赤城さんの言葉を聞いて、俺も栄次に視線を向けて口を開く。
「こっちも、恐ろしく正気のない声で、希に嫌われた……って言われたしな。結局、お互いに嫌われたと思い合ってただけだったが」
「希に嫌われたかと思って、どうすればいいか分からなかったんだよ」
栄次が顔を逸らして、赤城さんと同じように罰が悪そうに言う。
「まあ、良かったわ。二人の誤解が解けて」
ニコッと凛恋がはにかんで言うと、赤城さんも笑みを浮かべる。
「二人ともありがとう。でも、凛恋に相談して良かった。経験者の意見が――ンンーッ!」
「の、希ッ!」
慌てた様子で凛恋が赤城さんの口を押さえる。その様子を睨んでいると、隣から栄次の声が聞こえた。
「カズ、経験者って……まさか、カズに先を越されるとは思わなかった……」
栄次がため息を吐いて落ち込んだように言う。しかし、俺はその栄次の反応に構っている場合じゃない。
両腕を組んで、赤城さんの口を押さえる凛恋に視線を向ける。
「凛恋……どういうことだ」
「凡人? 落ち着いて聞いて! これには深い訳があるの!」
「そ、そうなの! 多野くん、凛恋の話をちゃんと聞いてあげて!」
「ちょっ! 希が原因なんだから希が説明してよ!」
「そ、そんなぁ……」
ウルウルとした目で凛恋を見詰める赤城さんは、そっぽを向いた凛恋を見てガクンとうなだれる。
「実は、夏休みに入る前、お昼ご飯の時に凛恋からティッシュ借りた子が居て、その子が凛恋の鞄に、その……えっと……アレが入ってるの見付けて、それで仲良しグループの中でちょっとからかったことがあって」
「アレというと?」
「コ、コンドームの箱……」
真っ赤な顔をして赤城さんが言った後、俺は視線を凛恋に向ける。
「だ、だってしょうがないでしょ! いつ必要になるか分かんないし!」
「なんで箱のままなんだよ……中身だけポーチに入れるとかあるだろ……」
頭を押さえて視線を赤城さんに戻す。
「それで、グループの子達が面白がっちゃって、色々と凛恋から聞き出して」
「凛恋、何を白状した」
「……初めての時のシチュと感想」
「他にも言ったな」
凛恋の歯切れの悪そうな感じですぐに分かった。
「凡人、別れる以外のことならホントになんでもするから、聞かないで……」
俺は頭から手を離して深いため息を吐く。どうやら、少なくとも栄次の前では言えないことを聞かれたらしい。だが、俺もそこまで鬼じゃない。
「誰が別れるか。ただし、なんでもするって言うのは約束したからな。凛恋じゃなかったら絶交ものだぞ、全く」
「ホ、ホントにごめん!」
「もういい。……ちょっと待てよ? 夏休み前にってことは、栄次が用事で居なくて三人で会った時には……」
サッと二人に視線を向けると、凛恋と赤城さんは二人揃って視線を逸らす。
どうやら、あの栄次と赤城さんの初キス話の時には、既に赤城さんは知っていたらしい。
「まあいい。今日はとりあえず栄次と赤城さんの誤解が解けてそれで良しとする」
「凡人、ありが――」
「俺達の件は俺と凛恋で話す問題だ」
「かーずーとー……」
懇願するように俺の顔を見る凛恋から視線を栄次に移す。
「で? 解決したのか?」
「ああ、二人のおかげだ。ありがとう、カズ、八戸さん」
「ううん! 希と仲良くしてあげてね! ……あっ! いや! 別にそういう意味じゃなくて、普通に! 普通に仲良くしてあげてね!」
自ら墓穴を掘っていく凛恋に苦笑いを浮かべながら、嬉しそうに微笑み合う栄次と赤城さんを、ニヤリと眺めた。
仲良く手を繋いで帰る栄次と赤城さんの後ろ姿を見送り、俺は隣に居る凛恋に視線を向ける。
「凛恋、今から家に来られるか?」
「えっ?」
「無理ならいいが」
「行く! ちょっと待ってて! すぐに支度してくる!」
ダッシュで家の中に入って行く凛恋を見送った後、俺は大きなため息を吐く。
まさか、赤城さんに知られていたとは思わなかった。まあ、凛恋が自ら自慢げに話すわけは無いし、赤城さんの言う通り、話のネタにされて聞き出されたんだろう。
正直、聞き出した女子の行動はどうかと思う。しかし、だからと言って、凛恋に対する印象が変わるわけはない。
「お待たせ!」
戻って来た凛恋が隣に並ぶのを見て歩き出す。
雨で濡れた地面に太陽の強い光が当たり、空気がムッと湿っている。なんとも夏らしい空気だ。
「良かったな。ただの誤解で」
「ホント、人騒がせよねー希も。結局、二人の惚気話を聞かされただけって感じよ」
「俺も同じだ」
「しかもベロチュー見せられるし」
真っ赤な顔して凛恋が俯く。なるほど、あの二人、本当に自分達の世界に入り込んでいたようだ。
「仲良いのはいいけど、あれはチョー困った」
「俺は天井を見てたからな」
「……凡人、優しーわね」
「ってことは、凛恋はワザとか」
「まあね、でもチューくらい見せてもらおうって軽い気持ちで見た私がバカだったわ……。ベロチューって、端から見るとめちゃくちゃエロいわ。舌の動――」
「感想を言うな感想を!」
頭にボヤけた想像が浮かんできて、それが鮮明になる前に消し去る。
凛恋がそっと手を繋ぎ、俺にチラッと視線を向ける。
「話しちゃったこと、怒ってる?」
「ああ、チョー大激怒だ」
「ホントごめん! しつこく聞かれてはぐらかせる雰囲気じゃなくなって――」
「でも、凛恋だから許す」
「凡人……ホント、凡人って優し過ぎ。普通、ブチギレて喧嘩別れよ……」
「まあ、俺はごく一般的の範囲外の人間だからな。普通は通用しないかもな。後で、赤城さんに気にしないでくれって言っといてくれ。多分、ホっと安心してつい言っちゃっただけだろうし」
「うん、ありがと」
俺の手を握る凛恋の手が、さっきよりも強い力で握る。その凛恋の手を握り返した。
「凡人、ゲームで庇って身代わりになってくれた時、めっちゃヤバかった。チョー嬉しかった」
「たかがゲームだろ」
「私は嬉しかったの! それと、喜川くん連れて来てくれてありがと。多分、希から行ける状態じゃ無かったから」
「ああいうのは男から行くものだ。それに、俺の所に来た時には、栄次の中で赤城さんに謝りたいって答えは出てたし」
結局、二人とも仲直りはしたかったのだ。ただどうやって仲直りすれば良いのか分からなかった。
相手に拒絶されるのが怖くて、相手に歩み寄ることを躊躇った。
俺と凛恋は二人が仲直りするきっかけを作っただけに過ぎない。そのきっかけも、二人を同じ場所に引き合わせるという些細なものだった。
俺の家に到着すると、俺は凛恋の手を引いて台所に行き、いつも通りお茶を入れる。
凛恋と一つずつお茶の入ったコップを持って部屋に入ると、俺はテーブルにコップを置いて座る。隣に同じようにコップを置いた凛恋が座った。
「ちょっ、凡人。がっつき過ぎだって」
凛恋を強引に抱き寄せ、優しく、でも激しく凛恋の胸に触れる。帰り道に栄次と赤城さんのキスの話をして、スイッチを入れようとしたのは凛恋の方だ。
「ちゃんと順番守って。……最初は、チューからでしょ?」
目の前で横になる凛恋の体を抱き寄せ、凛恋の体を確かめる。
柔らかく温かい凛恋。その愛しい存在をこの世の誰よりも一番近くに感じる幸せに浸る。
「チョー疲れた……。凡人、激し過ぎだって」
「凛恋がスイッチを入れたんだろうが」
「そうだけどさー」
「それに、凛恋のキス、めちゃくちゃエロかったぞ」
「だって、目の前であんなキス見たら、堪んなくなって。にしても、ここ最近で一番疲れたわ……。しばらく動きたくない……」
グダっと体を俺に預けてくる凛恋を支える。すると、凛恋が「あー……」っとだらしない声を出す。
「今頃、希は痛いって泣き叫んでるとこかなー」
「さあな」
「喜川くんの感じだと、痛がる希を見てパニクってそうだし、希の初体験はまだまだ掛かりそうかもね。ホント、私の彼氏は凡人で良かった」
ニッと笑って凛恋が力の抜けた体で俺を抱き締める。
「凡人は初めての時、チョー頑張ってくれたもんね。自分だっていっぱいいっぱいだったはずなのに、私のことを気遣ってくれてさ。それで、男らしくリードしてくれて。もう、マジ最高の初体験だったし。あれ以上の初体験は絶対に無い」
「そう褒められるほどスマートじゃ無かっただろ」
「でも、あの時、痛かったけど怖くなかったの。チョーあり得ないくらい痛いんだけど、凡人なら大丈夫って思えたのよ。何でか分かんないんだけどさ。凡人なら私を大切にしてくれる。優しくしてくれるって分かるの。凡人のおかげでエッチが痛いだけことって思わなくて、幸せなことって思えた」
凛恋が微笑んでゆっくりと息を吐く。
「凡人」
「何だ?」
「私と付き合ってくれてありがと」
「いきなりどうしたんだ?」
凛恋は俺の顔を下から見上げて、真っ直ぐ俺の目を見詰める。
その目は冗談の色が見えない真剣な眼差しだった。
「私、ホントに付き合う前から凡人のことが大好きでさ。絶対にこの人だ! この人以外あり得ない! って思って、チョー凡人のことを追い掛けた。それでやっと追い付いて隣を歩けるようになって、それで付き合うようになって。ホントに毎日幸せなの。凡人のこと、毎日毎日考えちゃってるくらい毎日が楽しくて嬉しくて。だから、ありがと」
「俺だって、凛恋に毎日幸せもらってる。凛恋と会う前からじゃ考えられないくらい、俺は凛恋に沢山のことを教えてもらった。友達が居る楽しさも、友達を悲しませてしまった辛さも、友達を失う怖さも、友達から一歩先へ進む勇気も。それから彼女が居る幸せ、彼女が居る安心、彼女を失うかもしれない不安、彼女を守りたい気持ち。全部、凛恋が居なかったら分からなかった。でも一番は、凛恋が側に居てくれる日常、それが一番だ。ありがとう凛恋。凛恋が隣に居てくれる当たり前が、本当にかけがえの無いものだって俺に分からせてくれた。それは凛恋じゃなきゃダメだった。だから、ありがとう凛恋、俺の側に居てくれて」
「止めてよ、バカ。泣いちゃったじゃん……。嬉しい、チョー嬉しい。どうしよう、私、世界一幸せだ……」
目から涙を溢れさせる凛恋の目を俺は親指で拭う。その凛恋の体をまた抱き寄せて、俺はまた凛恋の存在を確かめる。
人の気持ちなんて言わなきゃ分からない。言葉にして伝えなきゃ分からない。
ごめんと謝る気持ちも言葉にしなきゃ分からない。
好きだという気持ちも、言葉にしなきゃ伝わらない。そしてありがとうも、言葉にしなきゃ通じない。
俺はそれを、今改めて感じる。
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