第34話 監督雑談
「ところで神代さん、なんで六道をセカンドで起用しているんですか?」
六道咲良。両投げ両打ちながら何故か左投げでセカンドをする特殊な選手だ。
「考えがあってというのもわかりますし、左投げでセカンドをできるだけの身体能力もあるとも思います。それでも両投げならセカンドなら右投げでも良いと思いますし、左投げなら外野起用でもいいんじゃないですか?」
セカンドを守る上で左投げのメリットは少ない。そのことは当然神代先生も理解しているだろう。それにも関わらず咲良は左投げでセカンドを守っている。
きっとなんらかの理由がある。――そう思った巧が疑問を口に出した。
ただ、返ってきた答えは単純だった。
「左投げでこそ使えるセカンドだから」
単純な答え。それでも巧の疑問はまだ拭えない。
その疑問を解消するように、神代先生は続ける。
「咲良は私がスカウトしたけど、左投げでセカンドを守るって条件で入ってくれたんだ。だから私も咲良に『実力があれば使う』って言ったんだよ。チーム状況とかで別のポジションを守ることはあっても、咲良はセカンドで競わせている」
つまり、他の選手と同じように上手ければメインポジション。それ以上に上手い選手がいれば別のポジションで使う。以前の明鈴であれば亜澄がまさに同じで、珠姫がいたためメインポジションから外れていた。
左投げという不利な条件でも、他のセカンドより上手ければ使われる。現状のレギュラーは咲良のため、神代先生の言う『実力があれば使う』をクリアしているということだ。
「それはわかりました。……でも、六道自身がなんでそこまでセカンドにこだわっているんですか?」
野球をしていれば左投げでファースト以外の内野をすることやキャッチャーが不利となることは理解しているはずだ。小中学生の頃であれば、チーム事情によって身体能力の高い選手がセカンド、ショート、サード、キャッチャーなどの左投げが不利なポジションに入ることもなくはない。
ただ、やむなくすることであって、『右投げ』という選択肢のある咲良には当てはまらないことだ。
それでもセカンドにこだわるということは、咲良自身にしかわからない理由が何かあると巧は考えていた。
しかし、神代先生の答えは簡潔だ。
「それは私も気になったから聞いたことがあるよ。そしたら咲良曰く、『左投げが不利なのはわかってるけど、せめて同じ土俵に立ちたい』ってさ」
その言葉だけで、今までに左投げだからという理由でセカンドを外されたことがあるということは想像できる。
「今までの指導者が右投げを強要してきたから練習してて、ある程度できるようになったって感じ」
「なるほど……。ということは、元々左利きってことですか?」
「まー、そういうこと」
「じゃあ、陽依とは真逆か」
二人が話している中、今まで全く会話に参加してこなかった榛名さんが口を開く。
「あの子は元々右投げ右打ちだったけど、私が『可能性を広げてみな』って言って左投げも始めたんだ。……まあ、今ではあんまり使わないみたいだけど」
両投げ両打ち。一見同じタイプの選手だが榛名さんのいう通り、咲良と陽依とは全く逆の選手と言える。
そんなことを考えていると、巧は一つの疑問が浮かんだ。
「あれ? 陽依が右打ちから両打ちになる理由はわかるんですけど、六道は左投げだったって左打ちですよね? なんでわざわざ両打ちにしたんですか?」
左打ちにはメリットが多い。
若干ではあるが右打席よりも左打席の方が一塁に近く、スイングの勢いのまま走り出すことができる。
そして右投げのピッチャーのモーションが見やすい。一般的に右投げが多いため、このメリットは大きいと言える。
デメリットを挙げるとすれば、右利きの選手が左打ちをすると長打が打ちにくくなる。打ちにくくなるだけで打てないわけではないが。
それは打球を飛ばすためには押し込む力が必要となり、右利きの選手が左打ちをするとなると利き腕ではない左で押し込むこととなる。
つまり、左利きの選手の左打ちはほとんどデメリットがないということだ。
逆に、左利きの選手が右打ちをするということはデメリットだらけだ。
咲良の場合は両打ちのため、右投手であれば左打ち、左投手であれば右打ちとしている。しかし右打ちとなれば一塁が遠くなり、その上長打力が不足する。
メリットはピッチャーのモーションが見やすいくらいだ。
巧の疑問に対し、神代先生は答えることに難色を示した。
「んー……、その疑問を答えると咲良の弱点を話すことになるからなぁ」
「つまり弱点を克服するために右打ちをしたってことですか?」
「まあ、そういうこと。左打ちだとほとんど打てなかった相手に、右打ちを試したら面白いくらい打てるようになったって聞いてる。詳細も知ってるけど、それ以上は流石に言えない」
ただ気になったことを聞くつもりが、咲良の弱点を暴こうとする形となってしまった。
合宿をともにする仲間という見方もできるが、互いに甲子園に進めば戦うべきライバルとも言える。
そんな相手に対して探るような真似をしてしまったことに「すいません」と巧は一言謝罪の言葉を口にした。
「気にしなくていいよ。全国探してもいないようなあの子のことが気になっちゃうのはしょうがない」
神代先生がフォローを入れてくれたため、重苦しい雰囲気にはならなかった。
「実力もあるし右投げよりも左投げの方が上手いから、咲良が望む限り左投げセカンドとして起用するつもり」
神代先生はそう言い切ると、グラスに入っていた酒を一気に飲み干した。そして新たな酒を注文すると、再び口を開く。
「そういえば、咲良の話で面白いことがもう一つあるんだけど」
そう切り出した神代先生は続ける。
「中学生の頃に公式戦で二番セカンドで出た試合があって、表の攻撃でいきなりツーラン打ったんだよ。注目してなかった選手だったから私は普通に『良い逸材だなぁ』って思ったんだけど、その裏の守備でさ、あの子左投げ用のグローブ持って守備に就こうとしたんだよ。まあ、そこまでは『変わった選手』ってくらいの認識だったんだよね」
そう言った神代先生は思い出し笑いを堪えながら言葉を続けた。
「ベンチから監督が大激怒して、すぐにベンチに引っ込められて交代させられてたんだよ。……ふふっ。後から聞いた話だと右投げで出ろって言われてたけど、試合になったら止められないだろうって思って左投げで出たらしい」
話切った神代先生は堪え切れなくなり、「あはははは!」と笑い始めた。平然と左投げ用のグローブを持ってグラウンドに出る咲良を想像し、巧もクスッと笑ってしまった。
「我が強いんですね」
「意外と素直なところはあるけど、こだわってることに関してはとことん強いねぇ」
巧からすると素直な咲良というのは想像できない。合宿中ではかなり大人しく、光陵以外の生徒と関わっている場面はあまり見ない。プレーを見ていても我の強さを感じる選手だ。
「その我の強さのせいで中学時代はあんまり試合に出れてなかったけど、私は咲良に期待しているんだよ」
「期待?」
「そう。琥珀はシニアでもトップクラスの選手……女子では敵なしと言ってもいいくらいだった。そんな琥珀と肩を並べる仲間として、そして力を競い合うライバルとして。もちろん琥珀だけじゃなくて咲良自身の成長もチーム全体が成長するためにも、咲良はうちにいなくてはならない選手だ」
神代先生は力強く言い切った。ちょうど注文した酒が届き、神代先生はそれをグラスに注いでいる。
以前の合宿の際に琥珀がチームの中心だと言っていたが、光陵の選手たちのことも考えているとも言っていた。
間違いなく神代先生は選手たちと真摯に向き合っている。
「我が強いのは大いに結構だ。右投げもできるのに、なんでそこまで左投げに固執しているのか聞いたことがあった。そしたら咲良は『難しいからこそ挑戦したい』って言ったんだよ」
諦めない心。
それを咲良は持っている。シニアでは孤立していた琥珀だが、少なくともその咲良の信念は琥珀に良い影響を与え、チームの前に立つことで他の選手たちにも良い影響を与えることは間違い無いだろう。
「私が監督になったのは監督という立場が好きで憧れていたというのが一番の理由だけど、高校三年生の頃の甲子園で圧倒的な実力差を見せつけられて、選手を諦めたっていう理由もあるんだ」
「……それって、決勝での明鈴との試合ですか?」
「そうだよ。榛名と戦った時の明鈴のエースはすごかった。あいつに圧倒的な実力差を見せつけられた私は選手としての自信を失った。でも咲良は琥珀を前にしても一歩も引かないどころか、実力差があってもその差を縮めようとしている。……琥珀を一人にさせないんだ」
神代先生がグラスを持ち上げるとカランと氷の音が響く。吐き出した言葉の代わりに、グラスの中の酒を飲み込んだ。
神代先生にそこまで言わせる明鈴の元エース。その人物のことが気になった巧は疑問を口にする。
「その明鈴のエースだった人っていうのは、今は何をしているんですか?」
甲子園の決勝で神代先生に勝ったということは、甲子園優勝投手だ。実力を考えればプロになっていてもおかしくないだろうが、中学生まで女子野球に興味のなかった巧にとって、女子プロ野球も知らなければ卒業生の進路なんて知るはずもなかった。
そんな巧の言葉を聞いた神代先生……そして榛名さんは驚いた表情を浮かべる。
「え、巧は知らないの?」
「知りませんけど……」
まるで知っていて当然という言葉で神代先生がそう言った。
そして続けて榛名さんが巧の疑問に答える。
「今はアメリカに行ってるんだけど……」
名前を聞くと巧は驚きを隠せない。
女子野球に疎かった巧でも聞いたことがあるほどの有名な選手だ。三重県出身ということは知っていたが、まさか明鈴出身ということまでは知らなかった。
最初は『監督』についての話から徐々に咲良の話でとなっていき、気が付けば明鈴の元エースの話になっていたが、驚く話を聞くことができた。そんな会話もしばらく続くと徐々に夜も更けてきたため光陵に戻ることとなる。
そして一番驚いたのは、不意に見てしまった会計が食べ放題チェーン店よりも十倍ほどするその金額だった。
しかし、神代先生は何事もないようにカードで支払いを済ませ、大人の凄さに巧は驚きを隠せなかった。
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