第20話 両投両打 選抜vs光陵
三回裏、ワンアウトランナー二、三塁。
二点を追いかける光陵の攻撃、一番の六道咲良が打席に入る。
一年生でレギュラーメンバーに入っているのは、琥珀、咲良、奏の三人だが、この咲良は言葉には形容し難いセンスを感じる。
それぞれ個性の強い選手が揃ったチームが光陵ではあるが、咲良に限っては両投げ両打ちにも関わらず、内野を守る時も何故か左投げをしていた。
明鈴でも陽依は両投げ両打ちができる選手ではあるが、今のところ実践で左投げをしたことはない。巧の入部を賭けた対決の際に一度披露したくらいだ。
左投げをしない理由としては簡単で、特にメリットがないからだ。メリットがあるのは、ピッチャー、ファースト、ライトくらいだが、それは右投げでも十分できるポジションだ。
ピッチャーに限って言えば、陽依は右投げと左投げで違った持ち味があるため左投げをしてもいいが、そもそもピッチャーとしての登板機会は多くなく、使うタイミングもないためまだその機会はなかった。
咲良が両投げながら左投げをしている理由はわからないが、それだけ左投げにこだわりを持っているということだろう。
そして、左投げでは難しいとされるセカンドのポジションをこなしており、さらには強豪のレギュラーとして起用されているというのは、それだけ身体能力に恵まれているからだ。
その咲良を前にして、内野も外野も前進守備の隊形を取った。内野はサードランナーを本塁で封殺するため、外野はセカンドランナーを返さないためだ。
初球、ボールゾーンから外角低めに食い込むスライダーを咲良は見送った。
「ストライク!」
際どいコースだったというのもあるが、このチャンスで初球から手を出すリスクは高いため、様子を見るために見送ったのだろう。
最初の打席では積極的に振ってきたが、状況によって打ち方を変えてきている、と考えられた。
そして二球目。今度も外角低めだが、今度はストレート。咲良はそれも見送った。
「ボール」
際どくも外れる。
ただ、球は良い。三回になりピンチの状況ではあるが、ベストな状態となってきているように思えた。
続く三球目、今度は真反対、内角高めへのストレートだ。
しかし、咲良はそれも見送った。
「ボール!」
ボール球が続く。それでも球自体は良く、決して悪いようには見えない。
打席から投球を見定めるような咲良の視線に、打たれない球を無意識のうちに投げようとしているように見えた。
「ピッチャー、リラックス!」
巧の声に反応した秀は、巧に視線を向けながら帽子を被り直した。
ただ、簡単にリラックスできるのであれば、すでにしているだろう。
四球目、今度は内角から真ん中へと滑るスライダーも外れてボールとなる。
初球はストライクと良い入り方だったが、三球続けてのボール球に、苦しさを隠せない。
そして五球目……。
「ボール。フォアボール」
外角低め、ワンバウンドしたスプリットが外れてフォアボールとなる。
咲良は一球も振らずに出塁した。その圧によって、秀は負けてしまったというところだ。
「タイム」
たまらず榛名さんはタイムを取る。
フォアボールで出塁を許しても、守備としてはどの類でもアウトを取れるのうになり守りやすくなるので問題ないのだが、その出塁のさせ方がまずかった。
攻めようとした結果、打たれるのを怖がりフォアボールを許した。雰囲気としては悪い状態だ。
内野手も全員集まり、マウンドで話をしている。
外野手は定位置でそれを見守るだけだ。
しばらく話をすると、それぞれが守備位置に戻る。これで解決するかはわからないが、声をかけて守備位置を確認するというだけでもまた違ってくるのだ。
内野陣は話し合った結果からか、ゲッツー態勢を取っている。ワンアウトランナー満塁の状況で、無失点で切り抜けるためということと、内野を抜かれにくくするためだろう。
内野を抜かれてしまえば、それは一気に二点を奪われる可能性もあるということ。二点リードしているこの状況で、弱いゴロの場合は一点を奪われることは覚悟の上ということだ。
可能であれば無失点で、少なくともアウトは確実に一つ奪い、失点を最小限に抑える。
まだ試合は中盤に差し掛かったばかりで取られても取り返せるとはいえ、リードをして優位を保っておきたいというのも本音。先ほどまでは打たれてはいけない、打たれたとしても内野手がバックホームできる体勢か、外野への浅いフライしか許されない。
それを考えると、野手が深く守っている状況は秀としてもまだ気楽に投げられるはずだ。
そして外野陣も内野守備を見て意図を掴み、定位置よりも前進……しかし先程までの前進守備よりも後ろに下がった。
ワンアウトランナー満塁。内野陣はゲッツー態勢。外野陣はやや前進守備。
ここで打席に入るのは、二番の奏だ。
奏も咲良や琥珀と同じく一年生レギュラー……そして二番で起用されているが、一打席目の内容を見る限りでは咲良のような圧も感じない。どちらかと言えば守備がメインと言えるだろう。
もちろんそれでも侮れないことは変わらないため、巧は心して守備に集中していた。
初球、秀が投じたのは内角へのスプリットだ。奏はこれには手を出さない。
「ストライク!」
秀の球はしっかりとストライクゾーンを捉えた。
咲良と対峙していた時の力みは感じない。先ほどのタイムの際に味方の声が響いたのか、守備位置によって気が楽になったのか、自分自身で気持ちの整理がついたのかはわからないが、どちらにしても秀本来のピッチングと言える。
もしこのスプリットに奏が手を出していれば、恐らく引っ掛けてゴロとなる球だっただろう。場合によってはゲッツーを狙えるため、見送った奏の判断は良かったのかもしれない。
二球目、今度は外角への球だ。しかし今度は滑るようにして逃げていく球に、奏のバットは空を切った。
「ストライク!」
たった二球で追い込んだ。
トントン拍子でツーストライクとなったが、あと一つのストライクが入るかどうかは別問題だ。
ファウルで粘られれば状況は継続、ヒットを打たれる可能性だってある。このままストライクが入らずにフォアボールなんてことも否定できない。
どんなカウントだろうと、あと一つのストライク、もしくは凡打を取らなければ、何の意味もなさないのだ。
それは秀も理解しているだろう。ただ、やはり力みは感じない。
そして三球目。今度も外角への球だ。
ストライクゾーンに向かうその球に、追い込まれている奏はバットを出した。
しかし、秀の投じた球は、ホームベース手前でカクンと落ちた。
「ストライク! バッターアウト!」
「っし!」
三振のコールとともに、秀はマウンドで小さくガッツポーズをする。
自分で招いたピンチ。そのピンチを凌ぐために必要な二つのアウトのうちの一つを、自分の力で勝ち取ったのだ。
嬉しくないはずがない。
そして、内外野ともに守備位置はやや後退の姿勢だ。ツーアウトとなった今、アウトを一つ奪えば満塁など関係ない。打席を迎える流に対して最適な守備位置を取っていた。
秀は三振を奪った勢いそのまま、初球を投じた。
その球は逃げるように滑るスライダー。バッターの流はいきなりバットを振ってきた。
「ファウルボール!」
当てただけのファウル。バットの先に当たっただけの弱い打球だ。
二球目、今度は緩い球。
タイミングを外すその球に流のバットは動いたが、スイングする直前で止まる。
「ボール」
意表を突くようなカーブは、低く外れた。
この回では投球数が減っていたカーブは、使いどころとしては絶妙だ。秀の持ち味が活きる球ではないため決め球としては迫力に欠けるが、カウントを取るためには十分な球だった。それだけに外れてしまったのが惜しいとも言える。
これは空振りを狙った配球だったのだろうが、その球に流は反応してくれない。
ただ、リードをしているのは榛名さんだ。こんなよくある配球のためだけにカーブを取っておいたとは思えない。
そして三球目。
秀の放つ球は低め。コースは甘いが力の入ったストレートだ。
しかし、低めいっぱいよりも、やや浮いてしまった球だ。
その球を流は見逃さない。
浮いた球を掬い上げるようにしてフライを上げる。高々と上がったフライだ。
「センター!」
巧は打球が上がったとともに追いかける。そして追いかけながらも横目にランナーの動きを見た。
当然、ツーアウトのためランナーは全員進んでいる。確実に走者一掃となるだろう。
巧は打球に目線を戻し、追い続ける。
高々と上がっているため、余裕はある。しかし、問題はそこではない。
フェンス付近まで到達すると、落下地点を見定める。
……あと一歩。いや、二歩届かないか。
目測ではあるが、巧の感覚ではフェンス際で手を伸ばしても、ジャンプしても届かない。風もなくスタンドに入ることはなさそうだが、フェンス直撃は免れない。
それならば。
巧はフェンスに向かってさらに加速した。そしてそのまま打球に飛びつく。
これでもまだ届かない。
それは巧自身よくわかっていた。
フェンス……金網を蹴り上げ、さらに上に向かう。スパイクの歯は上手い具合に金網をすり抜け、下に引っ張られることもなかった。
そしてフェンスの上部、金網を手で掴みながら、今度はスパイクの歯をフェンスに引っ掛けるようにして体を支える。
上に向かう勢いをそのままに、巧は目一杯グラブを伸ばした。
スパイクの歯と金網を掴む指先だけでは体を支えるのは難しい。体勢は崩れ、そのまま地面へと落下した。
上手く受け身は取ったが、痛いものは痛い。
ただ、その痛みよりも、巧はやるべきことがあった。
左手……グラブを高く上げる。
「あ、アウト!」
フェンス直撃となるはずの打球を、巧のグラブは収めていた。
巧はアウトのコールを聞くと、力が抜けてその場で腕を広げて寝転がった。大の字になろうとしたが、スパイクがフェンスを蹴り、『ガシャン』と音を立てる。
「ナイスファイト。立てる?」
打球のフォローに駆け寄ってきていた由真は、巧の顔を覗き込むようにして手を出した。
智佳も「手、貸すよ」と言って手を出しながら覗き込んできた。
この一幕だけを見れば、年上のお姉さん二人に手を貸してもらえるというドキドキするシチュエーションだが、巧はそのことよりも、打球をグラブを収めた感触によって気分が高揚していた。
「おー、ありがとう」
寝転がっていては起き上がれないため、一度座り直し、巧は二人の手を借りて立ち上がった。
「巧は怪我、怖くないの?」
由真は巧の体についた砂を払いながら、そう問いかけた。
「怖いよ。中学の頃は怪我して野球できなくなったし」
怪我は怖い。それは巧が一番良くわかっていることだ。
ただ……、
「それでも、全力のプレーをしない方が、俺は怖い」
巧はそう言い切った。
野球をできなくなることも怖いが、野球に妥協する自分は嫌なのだ。
「もちろん選手にこんなプレーをしてほしいとは思わない。今のは体が勝手に動いただけ」
常に全力なことや、がむしゃらなことが本気とは思わない。怪我に繋がる恐れだってある。
それでも、巧は体が勝手に動いてしまったのだ。野球の一つ一つのプレーを欲しているかのように。
そして、マウンド上で奮闘する秀のために、アウトを取りたかった。
巧はもう、完全な状態でマウンドに立つことは叶わないのだ。だからこそ、アウト一つを欲する気持ちは、一生なくならない気持ちだった。
「……とにかく、一点でも多く取って秀さんを楽にしよう」
自分がピッチャーというポジションへの未練を残しているからこそ、特別で尊いポジションだ。
そのピッチャーのためにできるのは、攻撃で点を取るだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます