№08・オーロラスパイス・4

 メイドに取り次いでもらって、屋敷の応接間へと通される。


「おお、待っていたよ。この街で一番まずいものはできたかね?」


「ええ、ここに」


 身を乗り出すあるじに、南野は皿に乗ったキーシャ作のカレー(?)を差し出した。


「ああ、ついに、ついに……!」


 感涙しそうなあるじは、スプーンを片手にカレー(?)を口にする。もごもごとかみ砕いて、そして。


「…………がふbふぁgfdん」


 味帝王と同じく奇声を上げてばたりとソファの上に倒れ込んでしまった。


「旦那様!? 旦那様ー!!」


 メイドたちが慌てふためき、屋敷は一気に騒がしくなる。もしかしたらとんでもないことをしでかしてしまったのかもしれない……と南野が罪悪感を覚えているうちにも、あるじは寝室へと運び込まれていった。


 小一時間ほどしてから、あるじはようやく目を覚ました。目を覚ました瞬間にすごい勢いで水差しから水をがぶがぶと飲み、ふう、と一息つく。


「…………すばらしくまずかった……」


「そ、それはなによりで」


 まだ放心した状態のあるじがつぶやくと、南野はぎこちない笑みを浮かべた。


「あれほどまでにまずいものがこの世にあるとは……いやはや、期待以上だった。南野君、よくやってくれたね」


 『よくもやってくれたな』と言われてもよさそうな場面なのに、なぜかお礼を言われた。世の中にはいろいろなひとがいるものだ。


「それでは、例の『オーロラスパイス』は……」


「ああ、約束通り、あれは君たちに譲ろう。私にはもう必要のないものだ。これからは美味も不美味も味わっていこうと思う」


「ありがとうございます」


 一礼する南野の元に、メイドが小瓶を持ってきた。褐色の粉が入ったスパイスポットだ。それを大事そうに抱えると、南野はもう一度だけあるじに礼を送った。


 屋敷をあとにして、三人は『レアアイテム図鑑』を使ってもとの酒場に戻ってきた。時刻はもう夕暮れになっていて、酒場は冒険者たちでにぎわい始めている。


「ああー、どうなることかと思った。よくあんな策思いついたね」


「いえ、以前会社のレクリエーション活動で提案して即却下された案でして……」


「まあ、そりゃそうでしょ……」


 呆れ気味に言うメルランスに、キーシャがおずおずと革袋を手渡す。


「あの、これ……賞金です。金貨十枚」


「ホントにくれるの? あんたいい子だねー!」


 嬉々として受け取って革袋に頬ずりするメルランス。つくづくお金が大好きらしい。


「それにしたってひどいですよ! ひとのこと料理下手みたいに言って!」


「いや、料理下手とかそういうレベルじゃなくて、なんか暗黒薬局っていうか……」


「だれが暗黒薬局ですか!!」


 しゃー!と南野を威嚇するキーシャをしり目に、メルランスは早々に席についてエールと夕食を注文していた。


「あ、そうだ。せっかくだからここで試してみたら? 『オーロラスパイス』」


 他人事のように言っているあたり、自分では試すつもりはないのだろう。だとしたら南野が身をもって試すしかない。


「だから、いつも言ってるじゃないですか! コレクションは新品未開封が至高だって!」


「これもいつも言ってるけど、人手に渡ってる時点で新品でも未開封でもないから関係ないじゃん」


「だいたい、なんで俺が試す前提になってるんですか!」


「そりゃあ、あんたが集めてるんだもん。キーシャ、『アレ』、まだあるんでしょ?」


「はい、ちょっとだけタッパーに入れて持って帰ってきました」


 ごそごそと懐をあさり、キーシャは例の黒い正方体が入ったタッパーを取り出してきた。まだあったとは。


 ふたを開けられたタッパーを前にして、南野は、ごくり、と唾を飲み込んだ。


「…………この冒涜的な名伏しがたい『なにか』を、食べろと……?」


「そうだよ? 大丈夫、『オーロラスパイス』あるじゃん」


「いやです!! 絶対にいやです!! SAN値が下がって発狂する!! 死ぬ!!」


「さんち……? まあいいや。とにかく、ここまでまずいもので試さなきゃ『オーロラスパイス』の真価はわかんないでしょ?」


「とにかく、なんかこれ体内に取り込むのがこわいですって!!」


「大丈夫ですよー、毒物じゃないですから」


 のほほんというキーシャ。なおも抵抗しようとしていた南野にしびれを切らしたか、メルランスはカレー(?)に『オーロラスパイス』を振りかけ、強引に南野の口をこじ開けると、スプーンですくった。


「ええい! つべこべ言わず食え!!」


「いやあああああああ!!!」


 悲鳴を上げる南野。その口に、『オーロラスパイス』をかけたカレー(?)が放り込まれる。十秒間ほど息を止めていたものの、限界がきてついに『それ』を咀嚼してしまう。


「…………」


「……どう?」


 メルランスが問いかけると、南野は不思議そうな顔で首を傾げた。


「……これ、本当にあの冒涜的な名伏しがたい『なにか』なんですか……? ちゃんとおいしいカレーの味がする……いや、これ、すごくおいしいですよ……!」


 続けざまにばくばくと黒い正方体をすくっては盛んに口に運ぶ南野。それを気持ち悪そうな目で見つつ、メルランスはとりなすように言った。


「や、やったじゃん! これ本物の『オーロラスパイス』だよ!」


「やりましたね!」


 ふたりはきゃっきゃとハイタッチをしている。そのうち、南野はカレー(?)を完食した。


「ごちそうさまでした。おいしかったです」


 手を合わせてから口元をナフキンでぬぐう。


「正直びっくりしました。こんなにおいしいカレーだったんですね。審査員のひとたちも大げさなんですよ」


 気が大きくなったらしい南野はふふんと笑って言った。


 それにメルランスが意地悪そうな顔をする。


「そんなに言うなら、『オーロラスパイス』なしで食べてみれば?」


 ほんの出来心で言ったのだろう、なんの躊躇もなしに『オーロラスパイス』なしのカレー(?)をスプーンですくって口に運んだ南野を見て、メルランスは明らかに青ざめた。


 数秒間、咀嚼する。


「…………南野?」


 おそるおそる様子をうかがう。すると、


「…………もぼ」


 たった一声上げて、南野は椅子ごと後ろへ倒れてしまった。


「南野おおおおおおおお!」


「きゃー!! 南野さん!?!?」


 意識が遠のいていく。


 まずい。


 まずい。


 まずい。


 言葉で表現するのが難しいくらいまずい。


 南野はそのまま、かく、と力尽き、意識を手放してしまった。

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