№06・スライムゼリー・3

「あの、水場で顔を洗ってもいいですかね?」


「好きにしなよ。ダンジョンの水はたいていきれいだから大丈夫」


 返事をもらえて、南野はスーツのジャケットを脱いでシャツの袖をまくった。水に腕をつけるとひんやりと冷気が伝わってくる。


 冷たい水で顔を洗い、少し気分がしゃっきりした。喉が渇いたので水を飲みたい。獅子のレリーフから流れ落ちる水に手を差し伸べた、そのときだった。


 ぼちゃん、と手の中に何かぶよぶよした透明なものが落ちてくる。いくらきれいだからといってもダンジョンの水だ、不純物が混じっているのかもしれない。少し顔をしかめて不純物を捨てようとする。


 すると、ぶよぶよしたものは水を蹴立てて跳ね、勝手に南野の顔に張り付いた。


「ぶばっ!?」


 悲鳴を上げてしりもちをつく。半液状のものが張り付いて息ができない。ばたばたと暴れているとメルランスがようやく南野の異常に気付いた。


「うげっ、なにやってんの!?」


「ぶばばばばばば!!」


「スライムじゃん……まさか水場に潜んでるとはね」


 彼女は冷静に印を切り、呪文を唱えた。


「『第二十八楽章の音色よ。創生神ファルマントの加護の元、小人のたいまつに明かりをともす旋律を解き放て』」


 顔ごと焼き尽くされると思っていたが、メルランスが発現させた魔法は小さな火種の魔法だった。その火種を南野の顔に使づけると、スライムはべちゃりと床に落ちる。


「スライムは火を嫌う。ほら、赤くなってきた。これは攻撃色だよ」


 言った通り、スライムは透明な色からほんのりと赤く色づいている。ぐちゃぐちゃとうごめきながら広がり、こちらの様子をうかがっているようだった。


「さ、さっさと済ませよ。生け捕りにしなきゃいけないからね、瓶の準備しといて」


 指示に従って、南野はリュックから大きな瓶を取り出してふたを開けた。


「こういうとき、凍結の魔法が使えればいいんだけど……」


 どうやらメルランスにも使えない魔法があるらしい。しかも軟体なので剣も聞かないという。どうやって生け捕りにするのか。


 彼女は簡単な印を切ってまた魔法を使った。


「『第百十五楽章の音色よ。創生神ファルマントの加護のもと、幼子に福音を与える旋律を解き放て』」


 ぽわ、と紫色の光がともり、スライムに向かって一直線にぶつかる。すると、スライムはもぞもぞと動いたかと思うと、もとの透明な色に戻って動かなくなった。


「……殺したんですか?」


「まさか。即死魔法なんて高度な魔法使えないし。眠らせただけだよ。すぐに起きるから実戦には使えないけど、こういうとき便利」


 こともなげに言うと、メルランスは眠ったスライムをひょいとつまみ上げて瓶へと詰め込んだ。しっかりとふたをすると、リュックに放り込む。


「これで原料はそろったね。あとはどうやってこいつをゼリーにするかだけど……」


「心当たりないんですか?」


「うーん、殺しちゃったらヘドロになっちゃうし、生かさず殺さずで食べられるようにしないといけないんだろうけど……その方法はよくわからない。ってか、スライム食べようとするやつなんてフツーいないし」


「デスヨネー……」


 前途多難だ。肩を落とすと、南野とメルランスは帰り支度を始めた。


 来た時よりも楽にダンジョンの外まで出ると、『レアアイテム図鑑』を使ってもとの冒険者ギルドに戻る。


 南野はリュックから瓶を取り出すと、ふよふよと揺り動かした。目を覚ましたスライムは瓶の中でうごめいている。


「さて、どうしたもんでしょう……」


「とりあえず、ギルド提携の工房へ行こう」


「工房?」


「狩ってきたモンスターや取ってきたマジックアイテムなんかを加工するための施設だよ。機材のレンタルはタダだから、そこでこいつを料理しよう」


「料理かあ……」


 一人暮らしの長い、蒐集以外には頓着のない男ひとり、料理はほとんどしたことがない。メルランスはどうだろうか?


 他に行くあてもないので、ふたりはギルド提携の工房へと向かった。冒険者ギルドである酒場からほど近いところにある簡素な建物に入ると、そこではモンスターの毛皮を剥いだり、マジックアイテムの鑑別をしたりしている冒険者たちが少しだけいた。


「よかったー、今日は空いてるみたい」


 そう言ったメルランスは受付で冒険者の身分証を見せ、広いシンクの料理台を陣取った。包丁からすりこ木まで何でもそろっている。


「あの、やっぱりモンスター食べるひとたちっているんですかね?」


「んー、これはモンスターっていうより野生動物の料理をするための設備だね。さすがにモンスターは普通食べないよ」


 言いながら、メルランスは南野からスライムの入った瓶を受け取った。うねうねとうごめくスライムも、瓶の中ならばかわいいものだ。


「さて、こいつをどうやって料理するか……」


「あ、あの!!」


 そのとき、横合いから若い女の声がかかった。見れば、学校の制服らしきものに黒いローブを重ねた眼鏡の女の子が必死の形相でこっちを見ている。メルランスと同じような年頃だろうか、腰まで伸びる黒髪は光の加減んで紫色に見える。


 意を決しました!と言わんばかりの少女に、ふたりは怪訝そうな顔を向ける。


「なに?」


 メルランスが問いかけると、少女はわたわたと慌てふためいた。それから深呼吸をして、じっとこちらを見つめる。


「あなたたちですよね、『緑の魔女』のレアアイテムを蒐集してるっていうの」


「そうだけど?」


「ああ、やっぱり!」


 途端に少女の顔が明るくなる。にぎやかな子だ。


「私、教会学校に通って魔法学の勉強をしてます、キーシャ・ハウルズと申します。冒険者ギルドにも伝手があって、あなたたちのことを聞きました」


「その学生さんがなにか用?」


「ええと、なにから話したらいいかな……その、私実は今年の春卒業予定でして。卒業研究を提出しなければならないんです。けど、私成績良くなくて……なにか、画期的な卒業研究のテーマが欲しかったんです。『緑の魔女』のレアアイテムなんてうってつけじゃないですか! だから、できればお供させてほしいと思いまして……」


 この世界の学校制度というものがよくわからないが、どうやら教会でいろいろと学べるらしい。魔法学、ということは魔法使いの卵だろうか。たしかにそれっぽい見た目だ。


 いっぱしの冒険者とはいえ魔法の専門家とは言えないメルランスに、学生とはいえ魔法の専門家のキーシャ。ふたりそろえば鬼に金棒だ。

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