第52話 さよなら

 黒塗りの車が次々と学園の敷地に入っていく。

 国連の職員や各国の大使、外相、首相に大統領といった人物たちが集まる様子を見ながら、葵は静かに水を口に含む。

 最後の一口を飲みきり、ペットボトルの蓋を閉めた。

 近場にあったゴミ箱へと放り投げるが、残念ながら縁に当たって弾かれ、地面に落ちた。小さくため息が漏れる。

 立ち上がろうとしたとき、歩いてきた少女がペットボトルを拾ってゴミ箱に入れる。


「ダメですよ御姉様。ちゃんと捨てないと」

「ただ外しただけだよ」


 肩をすくめた香織が葵の隣に座る。

 窓に小粒の雨が当たり、水滴は大きくなって流れ落ちていく。

 窓の向こう側、葬儀場の場所を尋ねられ、慣れない英語を使ってどうにか対応している同級生を眺めていた香織がポツリとこぼした。


「――みたい」

「え?」

「百合ヶ咲の制服です。入学してすぐ、そんな風に思っちゃって」


 黒を基調とし、凜々しく清楚な印象を与える制服。胸元のリボン、各部にあしらわれたちょっとした装飾から一般の学校を含めても制服の人気度は高い。

 メイド服、もしくはドレスのようだとよく言われる。


「でも、私には違うものに見えてしまった」

「それは……」

「御姉様は思ったことありませんか? ……なんだか、みたいだって」


 思わず黙ってしまう。

 実際、葵も大きな戦いを見聞きする度に何度も思ったことだ。黒く、胸元のリボン以外は派手な色合いを避けたデザインは、喪服を思わせる。

 百合ヶ咲の外と中で印象が違う制服だった。


「喪服、ねぇ。やっぱりそう見えるよね」

「御姉様もそう思いますよね?」

「ええ。こう、身近な人がいなくなると余計にね」

「……事実、本当にそんな感じに捉えることもできるようなデザインを依頼されたらしいってお姉ちゃんが言ってましたよ」


 背後からそう聞こえ、二人が声の主を見る。

 アサルトを担ぎ、ゆっくりと歩くのは百合花だ。ホロゥ討伐を終え、今学園に帰還した。

 購買でチョココロネを購入すると、窓に手を触れて袋を開封する。


「お疲れ様です百合花さん」

「大変だったんじゃない? その、こんな時にホロゥ戦なんて」

「いえ。簡単に葬れる雑魚だったので問題ないですよ」


 香織も葵も顔を見合わせて眉をひそめた。

 百合花の言葉遣いは明らかに乱れている。普段通りにしようとしているが、それでも隠しきれない憎悪がにじみ出しているのがよく分かった。

 百合花自身もそれを分かっているからこそ、甘いものを食べて少しでも気を紛らわそうとしているのだ。

 だが、皐月を喪った悲しみがその程度で紛れるならどれほど救いだったことだろうか。


「……珍しいね。イギリスからは皇太子殿下、韓国からは大統領が自ら足を運ぶなんて」

「それだけ皐月ちゃんの成し遂げたことがすごいから。禍神をアサルトによるデュエルで討滅なんてこの先もできる人はいないと思うし」

「さっきちらっと国連の人が話してるのを聞いたんですけど、皐月さんにシグルーンの名称が贈られるそうですよ。それと、百合花さんにブリュンヒルデの名前を贈ることが検討されているとか」

「勝利を促す者。それと、輝かしい者ね。私のは皮肉なのかな?」


 乾いた笑みを漏らした。

 皐月がシグルーンの意味を与えられることは分かる。

 だが、自分には輝かしい要素など一つもない。むしろ、あるのは光とは真逆の深い闇だというのが、百合花が思っていたことだ。

 誇らしい固有名称の話が出ても、何も感じない。

 視界が赤く染め変えられていく。また、思考が血に染まっていく。

 ふつふつと湧き上がる果てしない憎しみ、恨み、悲しみ……琵琶湖の時と違い、もうここには止めてくれる皐月はいない。


「せめて……杏華が……」

「百合花ちゃん?」

「大丈夫ですか?」


 心配そうな香織と葵の声で、意識が引っ張り戻される。

 血の滲みは消え、明るい世界が少しずつ帰ってきた。


「大丈夫です。少し、疲れてるのかも……」

「ゆっくり休むことも大切だからね。無理だけはしたらダメだよ」

「大変ならすぐに保健室に行ってくださいね。……私、もうこれ以上親しい人が死ぬ姿は見たくないです……」


 泣きそうな声音の香織に対し、百合花が頑張って笑顔を作る。


「心配かけてごめん。大丈夫。私は絶対に死なないから」


 視線を逸らし、誰にも聞こえない小声で呟かれる。


「死にたくても、ね」

「え?」

「何でもないの。気にしないで」


 百合花が香織から離れた。

 コロネを食べ終え、揃って葬儀場に向かう。

 皐月との、最後のお別れを済ませるために……。

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