第50話 赤い呪い

 血に濡れた自分の手を見つめて震えが止まらない。

 雨も、地面も、空も真っ赤に染まっている。本当に血で染まっているのか、目に血が溜まっているのかよく分からなかった。

 呼吸が速くなる。息を吸う度に鉄臭い臭いが鼻を刺激した。

 現実から目を背けるように後ずさる。

 が、後ろに数歩下がった時に何かに足を取られて転倒してしまった。水たまりに倒れてしまう。

 起き上がろうとしたが、動きを止めてしまった。目の前に飛び込んできた光景が信じられない。

 刀身が真っ赤に染まった自分のアサルト。先端からは血が滴り落ちている。

 そして、水たまりだと思っていたその場所は赤い血だまり。バラバラになった人体や、苦悶の表情を浮かべた人々の死体が至る所にある。

 ホロゥから受けた傷とは思えないものが致命傷になっている死体も多かった。自分のアサルトが血に濡れていることから、誰がその人たちを殺したのか悟ってしまう。


「違う……やってない……私じゃないッ!!」


 それでも、必死になって否定しないと自分を保つことができなかった。

 だが、死んだ人々は容赦なく睨み付けてくる。

 本当はそんなことないのだが、そう思い込んでしまうほど心が衰弱していた。


「やめて……私は……私は……殺してなんか……」

「――しっかりして百合花!!」


 蹲って壊れる寸前だった百合花を、現実に引き戻す声が聞こえる。

 二人の少女が百合花の傍らに立つ。そのうちの一人――五十嵐皐月は、震えて過呼吸状態の百合花を強く抱きしめた。


「皐月ちゃん……! 私は……あああぁあぁぁぁぁ!」

「百合花のせいじゃない! 落ち着いて! ……お願いだから……!」


 錯乱状態で暴れ出す百合花を必死に皐月が押しとどめる。

 叫び声を聞いたのか、ホロゥが数体集まってきた。三人を見つけて飛びかかってくる。

 鋭い爪が振りかぶられた瞬間、赤い空を一筋の青い閃光が貫いた。閃光は襲ってきたホロゥを全滅させる。

 射撃形態のアサルトでホロゥを仕留めた少女――御劔杏華みつるぎきょうかが膝をついた。


「杏華……」

「今のでブルーシャイニングが死んだ。後は絶望を切り払う刃が残っているけど……我が輝きもそろそろ失われようとしているよ……」

「要するに射撃機構が壊れて、近接形態でしか戦えないけどリリカルパワーが底をつきそうなのね。この大変なときにややこしい言い方をすな!」


 満身創痍の三人。

 百合花がふらふらと立ち上がった。皐月が心配そうに後ろ姿を眺める。


「百合花……?」

「私じゃ……あぁ……あああぁぁぁ……!」


 断片的に記憶が蘇る。アサルトを砕き、体を刺し貫いた嫌な感触が手に戻ってくる。

 赤い液状の腕が地面から伸びてくる。

 百合花の首を締め上げ、心臓を握り、恨み言を吐き続けている。


『お前が殺した……』

『どうして殺した……?』

『お前も死んでしまえ……』

「いや……いやああぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 悲痛な叫び声が反響して――


◆◆◆◆◆


「はぁ……はぁ……!」


 全身に汗をかき、荒い呼吸を繰り返して百合花は目を覚ました。

 ゆっくりと確かめるように周囲を見渡す。

 死体も血だまりもない普通の部屋だ。時計の秒針が刻む音だけが聞こえている。

 今まで見ていたものはすべて夢だったと安堵し、胸をなで下ろす。同時に、久しぶりにここまで強烈な悪夢を見たと怖くもなった。

 パジャマのボタンを外し、胸元を緩める。汗がどうにも気持ち悪かった。


「百合花ちゃん? 大丈夫ですか?」


 二段ベッドの下から静香が心配そうに顔を覗かせた。

 声が漏れていたのか、それともベッドを揺らしてしまったのか。どちらにしても起こしてしまったことに申し訳ないと謝りつつ、頑張って笑顔を作る。


「大丈夫だから。悪い夢を見ていただけ……」

「そう、ですか。でも、それにしては普通じゃない様子ですけど……」

「……琵琶湖血戦で起きたことを。あの時の出来事を今でも夢に見るの」


 悪夢として今でも頭から離れない血の地獄。

 実際に体験していない静香には、あの場所で何が起きたのか分からない。だが、どれだけ辛い記憶を背負って生きているのかは理解できてしまう。

 百合花と同室になって長い時間を過ごしたが、それでもここまでうなされることはなかった。悪夢に苦しむ百合花というのも初めて見た。

 その原因となっているのはやはり……


「今はゆっくり休んでください。今日、皐月さんの……」

「ごめん。やめて静香ちゃん」

「っ! ご、ごめんなさい……」


 夜叉と相討ちになって戦死した皐月。

 彼女を喪った心の傷が相当深く百合花を抉っているのだろうと静香は思った。軽率な発言だったと反省する。

 窓に雨粒が当たる音が聞こえてくる。こういう日は決まって雨が降るように思ってしまう。

 深呼吸をした後、百合花が再び丸くなって眠りに落ちる。閉じられた目から涙が一粒こぼれ落ちた。

 静香もそれ以上何も言わず、黙って自分のベッドへと帰る。

 上から静かな寝息が聞こえてくるが、静香は眠ることができなかった。ついさっき見てしまったものが信じられずにいる。

 百合花が目を覚ます前、苦しそうにしながら伸ばされた腕。

 パジャマの隙間から肌が見えていた。そこに刻まれたものに静香は目を疑ったのだ。

 確証はない。今でも見間違いか、勘違いだと思いたい。

 静香の背筋に冷たいものが走る。

 腕に刻まれていたのは、赤黒く薄く発光する線だ。体中を巡る血管のように浮かび上がっていた。

 静香の知識が正しければ、あれは……
















 間違いなく、の発動現象だった。

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