File 28: I dreamed a dream.
尾崎が私を庇った。
突然の出来事で、頭がパニックになる。
肩から脇腹にかけて、袈裟のように切り裂かれた尾崎は、私の胸に預かる形で倒れこんだ。
掌にべったりと付く血。まだ温かく、どくどくと流れていて、何か悪夢でも見ているような錯覚に陥る。
私は尾崎を抱きかかえ、そのまま膝を折った。
殺されるとか、殺されないとか、逃げるとか、逃げないとか、そんなのはもうどうでもよかった。
すぐそこに命を失いつつある人間がいることに、ひたすら驚愕し、現実を受け止められないでいた。井上の時とは明らかに違う。今回は何故だか、そこまで非情になれなかった。
「どうして……」
震える声で、そう尋ねる。もっとも、それは質問というより独り言のような、心の隙間から思わず漏れ出たような言葉だった。
「えへへ……江口さんは、友達……だから」
息も絶え絶えの状態で答える尾崎。
私はその答えに、信じられないような気持ちを抱いた。友達だからといって、普通命を投げ出すような真似をするだろうか。何が彼女をそこまで突き動かすのか、まるで理解できなかった。
自分の命よりも、私の命が大切とでも言うのだろうか。百歩譲って、家族ならまだ分かる。だが、友達なんてどこまで行っても赤の他人でしかない。
そう、友達なんて――。
阿笠や井上、宇田に裏切られた過去が鮮明に蘇り、余計尾崎の考えていることが分からなくなった。
「だから何よ……バカッ……」
しかし、理性的な思考とは裏腹に、涙がとめどなく溢れ出す。涙は捨てたはずなのに。達観すればいいだけのはずなのに。どうしてもそうはできなかった。
私にとって尾崎とは何だったのだろう。
同じ目的、同じ秘密を共有する仲間。それ以上でも以下でも無かったはずだ。だが、知らず知らずのうちに情が湧いていたのかもしれない。私は頑なに拒絶する一方で、心の底では友達に飢えていたのだ。
なんと滑稽なことか。
神を目指し、崇高な目標を掲げていたわりには、卑近なことで悩んでいたことを自覚する。
冷たくなっていく友の体を抱いて、私は泣きじゃくった。何もかもが、もはやどうでもよかった。疲れ果て、死に場所を求めていたのは私だけではなかったのだろう。なぜそのことに気付いてあげられなかったのか。お互いもう少し早く素直になれていれば、辛さを分かち合うことができたかもしれないのに。
様々な後悔の念が押し寄せ、しきりに嗚咽を吐いた。
「…………?」
次の瞬間には、瓦礫の山の中に一人、ぽつんと立っていた。状況がうまく飲み込めない。先ほどまでビルの中にいたのに、どうして急にこんな所にいるのか。
赤く腫れ上がった目元をあえて擦らずに、私はとぼとぼと歩き出す。ともすれば糸が切れたようにへたり込んでしまいそうだったが、現状の異様さを理解するためには歩くしかなかった。
かつて文明があった場所、というべきか。
ありとあらゆる建物は崩れ、動植物はすでに死んでいる。まるで終わった世界だ。
やがて、そこで少女を見つける。
白いワンピースを着た、儚げな少女。旅人に間違いない。再び会うとは思っていなかったので、私は虚をつかれたような気分になった。
「旅人……この世界はなに?」
私がそう尋ねると、彼女は鈴のような声音で悠然と答える。
「ここは終わった世界。数多の選択肢が帰結する場所」
「……? まあ、いいや。それで私はどうしてそんな所にいるの?」
「端的に言えば、貴女はハズレ。私が求めている能力者ではない。でも、その強い意志があれば或いは――そう思ったからここに呼んだの」
意味が分からない。
私を呼んだところで、一体何になるというのだ。
そもそも、
「……貴女の目的は?」
「私の目的は、この世界を回避すること」
「それで?」
「少しだけ、貴女の力を借りたい」
そこまで聞いて、私は嘆息した。
「あの、悪いけれど、本当に意味が分からない。私の能力は爆弾だし、とても平和的ではないわ。寧ろ、こんな世界になることを助長するほうでしょ」
「ええ、それはそうなんだけれど――」
その後ほどなくして、私は超能力者の真実を知った。
どの道すぐにこの世界からも、あの世界からも消えてしまうので、知ったところで特別役に立つわけではないが。冥土の土産としては中々興味深い情報だった。
悲しみのない世界を実現するために、私の存在が必要ならば喜んでくれてやろう。旅人の話の信憑性は怪しいところだが、この際、細かいことはどうでもいい。そこに一縷の望みがあるならば――最後まで縋るべきだと思った。それが尾崎へのせめてもの餞だろう。
「皮肉だな……」
それでも、私は旅人に手を貸すことに決めた。
ヒバナは涙を流す江口を見て、正気を取り戻していた。バラバラと剥がれ落ち、空中で消滅する黒鱗。変身が自然に解け、怪物が勝手にいなくなる。それは少女の涙が意味するところを悟り、「殺したい」という衝動が極端に弱まったからだ。
ずっと、感情の無い殺人鬼だと思っていた。
だが、どうやらそうではないらしい。
彼女は、自分が追い求めている答えのようなものは持ち合わせていない。絶対的な正義など持ち合わせてはいないのだ。自分と同様、揺れに揺れて、もがき苦しみ、葛藤の末に動いていた。
彼女も、彼女ですら、単なる人間でしかない。あれだけのことをやっても、その内実は普通の女子高生だった。
急速に冷めていく関心。
同時に、全身の力が抜けるような虚脱感に見舞われる。
目の前にいるのは駆逐対象の超能力者だ。
早急に殺さなければならない。だが、どうしても体が動かなかった。再び迷い始めてしまった。本当に殺さなければいけないのか、と。ここで殺さなければ、今までしてきたことの筋が通らない。自分の罪を認めることになる。だから、是が非でも動かさなきゃいけないのに――。
冷や汗が頬を伝う。
目の焦点が定まらないのが、自分でも分かった。
「どうした、武本捜査官! 早く!」
後方からキッカの声。
それは分厚い壁を隔てているかのように、くぐもって聴こえた。
その時だ。
少女の瞳が金色に光り、大気が重々しく揺めき出す。万物をはねつけるような斥力と、空間が割れるような異質な音を聴いて、ただごとではないとすぐに感じ取った。
「突然変異――」
キッカは目を見開いて驚愕していた。
眼前で起こりうる衝撃的な現象に、ただただ恐れ慄く。だが、すぐに自身の使命を思い出し、銃を構えたところで斥力が更に強化。それは弾かれ、無惨にも床に転がっていった。
まるで爆風の真っ只中にいるような、そんな状態になる。立つのもやっとであり、気を抜けば簡単に吹き飛ばされてしまう恐れがあった。
そこにいるヒバナ、キッカ、タイキの3人ともが、ここでどうにかしなければ被害が拡大するということを直感していた。だが、体は異様な力に抑え付けられ、うまく言うことを聞かない。
最も恐れていたことが起こる。予感が現実味を帯び、ここが自身の墓になることを覚悟した。
しかし、一筋の光が外から差し込むことで、爆風は突如として止んだ。
それは精確に江口の頭を打ち抜き、容赦なく破壊したのだ。床に散らばる血液と脳漿。広がる赤色は夢を見ているかのような感覚を徐々に揺り戻す。
だが、辺りが深夜にふさわしい静けさを取り戻してもなお、3人の鼓動は落ち着かなかった。
「あああ危なすぎやろ! 何やってんねん!」
ほどなくして、光を放った張本人であるヨウカが、カオルとともに出現する。
その声は半ば恐怖に震えており、そして現場の惨憺たる状況を嘆いた。
「…………すみません。俺のせいです」
「違う! 誰のせいとか、この際どうでもええねん! 何が起きとったんや!」
ヨウカの問いに、キッカが答える。
「……突然変異だ。江口が、それを起こした」
「突然変異!? そんなまた急な……。とにかく、皆無事でよかったわ、ほんま」
「ああ。和泉もありがとう。お陰で、ギリギリ助かった」
ヨウカがいなければ、3人全員が木っ端微塵になっていただろう。あと数秒遅れていたらと考えるだけで、背筋が凍るほど恐ろしい。本当にギリギリだった。
「あれ? 江口の体……あれは……」
ふと周りを見渡したカオルが、江口の体の異変に気がつく。
一同が見やると、そこにあるのは人ではない何かだった。側で横たわる、焼け焦げた尾崎の遺体とは明らかに違う。言葉で形容するのは難しいが、「畏怖」というイメージを凝り固めて作ったかのような、普通のセンスでは到底測れない肉の芸術作品。
どこか神々しさすら覚えるそれは、よく見ると人の形をとどめている箇所もあるが、時間が経てばどうなっていたかは分からない。ヨウカが撃ち抜いた頭部も既に変形を始めていたので、奇跡的なタイミングだったと言える。
「突然変異の副作用、というやつか」
「そんなのあるの?」
「いや、私も目にしたのは初めてだ。そういう事例が、過去数件報告されているのはたしかだが――」
尋常ではない破壊行為を実現するための代償。
突然変異はいまだに未知数なところが多い。自分たち含め、全ての超能力者がこれを起こしうるという事実に、改めて身が縮むような思いだった。
いくつか確認を終えると、キッカはこちらに向き直り、
「とりあえず、武本捜査官。詳しいことは後で聞く」
「……はい」
怪物の暴走。
自分でも分からないことが大半だが、さすがに説明責任は免れないだろう。II課の面々は、各々煮え切らない気持ちを抱えながら、本部の連絡を待った。
こうして、原因不明の爆発事件は幕を閉じる。
勧善懲悪や快刀乱麻を断つといった、すっきりとした幕切れではなかったものの、II課だけでなく全ての捜査官に、超能力者の恐ろしさを再認識させるには充分な事件であった。
超能力者。
それは一体いつから現れ、どうして生まれるのか。その出生や正体に関しては、いまだ多くの謎を残す。まるで誰かが恣意的に隠しているかのように。敵はもしかしたら内部に、いやそれどころか、仕組みの根幹にいるのかもしれない――。
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