File 26: The Atonement

 爆発から数分後。

 赤々とした炎から、ただれた肉塊が姿を現す。それはぼこぼこと形を変え、瞬く間に怪物の風貌を成した。

 

 硬い鱗程度では到底防ぎきれないほどの爆撃。ひとつひとつはそこまで大きくはないものの、あれだけのボールをぶつけられたら、さすがにひとたまりもない。「やりやがったな……!」と悔しそうに怪物はぼやいた。


 だが、焦げ上がった臭いの中、爆発しそこねたひとつのゴムボールを発見し、拾い上げる。

 熱でドロドロに溶けており、その中にあるものを露出していた。


「あー? なんだこれ、髪?」


 無数の髪がボールの中に敷き詰められている。これが自分たちの頭を悩ませ続けた爆弾そのものかと直感した。

 

「なるほどな……だから証拠が残らない、と」


 江口の能力がただ人形を爆破する能力というだけでは、現場に証拠が残らない理由にはならない。その疑問がここでようやく氷解するも、そんなことはもはやどうでいいとばかりに怪物の興味は移ろい、


「ちっ。しかし、どこ行きやがった、あのガキ」


 怪物は屋根と屋根を伝い、江口を探す。

 電柱の先に手足を集中させ、止まって辺りを見回したりしたものの、その姿は一向に見当たらなかった。

 高所からずっと遠くを眺めていると、

 

「お?」


 江口を乗せていた黒のハイヤーをやっとの思いで見つけ、怪物は一直線に向かう。


 あの天井の穴は目立つ。

 一度見つけてしまえば、そう簡単に見失うことはない。


 疾風のごとき速度で接近し、その前に立ち塞がった。急ブレーキをかけるハイヤー。ガラス越しに中を覗いて、怪物はやられたと舌打ちをした。


「い、いないです、あの子は! だからお助けを!」

「……いいから、さっさと行け。早く失せろ」


 苛立ちを隠そうともせずにそう吐き捨てると、運転手は脇目も振らず一目散に逃げ出す。車のタイヤが擦れる音を聴きながら、怪物はぽつりと零す。


「……ったく、手間取らせやがる」



***



 キッカは途切れ途切れの血液の跡を辿り、建設中のビルの前に来た。

 車を爆破された後、急いでタクシーで追いかけた。怪物に襲われ、蛇行しているのを見つけたのはほんの数十分前。その後、車を降りた江口を尾け、途中見失いながらも血痕を発見して現在に至る。


 相手は怪我を負っている。

 反抗しようにも、逃亡しようにも、かなり難しいはずだ。ということは、ここが最終決戦の地となるだろう。逆に、この場所をそれにできなければ、数ヶ月間の努力は水泡に帰すのにも等しい。


「これ以上相手に時間を与えるわけには……仕方がない」


 キッカは無線を入れ、気を引き締めて階段を昇る。

 この伽藍とした空間のどこに奴がいるかは分からない。突然人形の大群が現れて、襲いかかってくる可能性もある。気休め程度にしかならないだろうが、銃を抜いて、安全装置を外した。


 4階ほど昇ったあたりで、暗がりに人影を認める。

 江口だ。間違いない。

 キッカは見つけるやいなや、銃口を向け、


「CPAだ。大人しく降伏しろ」

「……どうしてここが分かったの?」

「ただ後を尾けてきただけだ」

「ふうん。なるほど」


 江口は特に驚きも見せず、覚悟を決めた表情で、


「ひとつだけ言いたいんだけど」


 と注文する。


「なんだ」

「私は宇田を殺してない。だっておかしくない? 宇田の病室を知っている人間なんて、周りを探せばいくらでもいるでしょ? 私は関係ないわ」

「いや、いない。お前たちが襲った310Bの病室は、仮の病室だ」


 キッカがそう言うと、江口は眉を寄せた。


「どういうこと?」

「爆発の前日に病室を移したんだ。その後、彼女の部屋番号は外に漏れないよう厳重に取り扱った」

「でもあの捜査官は……」


 言いかけて、はっとする。


「なるほどね。まんまと罠に引っかかっちゃったわけか」


 考えれば、CPAの追跡が顕著になったのは宇田を爆殺した直後。

 

 つまり、からくりはこうだ。

 部屋に戻ってきた捜査官は、わざと忘れたフリをして、偽の部屋番号を口にした。それだけであれば何の文脈も成さない単語だったが、生憎自分たちは尾崎の人形の力によって通話を傍聴、そして本来ならば知る由のない行間を埋めてしまったのだ。3101Bが病室であると判断できるのは、あの状況では江口と尾崎の2人だけだった。


 不用意だとは思った。

 監視対象の前でわざわざ部屋番号を言うなんて。だが、それは断片的な情報では病室の話であると判断できないからと高を括っていからだとばかり。事実、江口も尾崎の提言が無ければ、素通りしていた情報だ。


「――ということはつまり、宇田は生きてるのね」

「ああ」


 こちらの攻撃は予測済み。誘い込むような手段を取った時点で、何らかの防御策を講じていたと考えるほうが自然だ。

 

 宇田は生きている。

 最後の一人を取り逃してしまった。だが、できることはやったので、それに関しては妙に清々しい気分だった。本当は殺すとか殺さないとか、どうでもよかったのかもしれない。人生を無茶苦茶にしてやった。忘れられない心の傷を負わせてやった。もうそれで、ある程度は満足だったのだ。深追いしたのは自分のミス。


 とにかく、そのせいでもう言い逃れはできないと悟る。

 尾崎によれば、CPAは拘束などせず、問答無用で射殺を行ってくるとのこと。この女は殺すしかない。


 そう思った江口は、次に不敵な笑みを浮かべた。


「何がおかしい?」

「いや、よく来てくれたってね」


 ありとあらゆる場所から、ぞろぞろと人形が姿を現す。

 江口は髪を内蔵している人形の場所を、事細かに知ることができる。その気配を察知した故の笑みだった。


「もう逃げ場は無いよ、お姉さん」


 形勢逆転とはこのことだろう。

 拳銃一丁に対し、爆弾数十個。とてもではないが、勝ち目は無い。だが、キッカは生きた心地のしない心境を抑え、つとめて冷静を装った。


「取り引きをしよう」

「なに……?」

「私を新宿に送り届けてくれたら、命だけは助けてあげる」


 それは到底受け入れがたい提案だった。

 超能力者の中でも極悪に位置する人間に加担するなんて、キッカの矜持が全力で否定する。だから、


「お前に譲歩するくらいなら、私はここで死のう」

「そう、残念」


 人形が飛びかかってくるのと同時に、銃声が鳴り響く。

 3体に弾丸が命中。が、人形は損壊を気に留めることもなく、そのまま突っ込んできた。


「くそっ……!」


 唐突に、自身の死期を悟る。

 様々な思い出がフラッシュバックし、走馬灯が頭の中を駆け巡った。


 良くも悪くも、超能力者に振り回された人生だった。

 超能力者に親を殺され、恨み、やがて殺す側へ。その生き方が正しかったかどうかは分からない。自分が恨んだのと同じくらい、超能力者に恨まれる生き方だ。あまり褒められるものではないだろう。


 だからこそ、超能力者に殺される最期はふさわしい結末と言える。捜査官としては本望だ。


 そう思い、観念して目を瞑る。


「…………?」

 

 おかしい。

 もう爆発してもいい頃合いだ。

 それなのに、爆音は聴こえず、灼熱も感じない。


 ゆっくりと目を開くと、人形たちは遠くの床や天井、壁などにがっしりと固定されていた。どうやら身動きが取れないらしい。この能力は――と振り返ると、そこには白髪の男がいた。


「あっぶな〜!」


 タイキは冷や汗を拭う。


「鮫島捜査官……」

「ギリギリ間に合いました。遅れてすみません」

「しかし、どうやって……」

「どうもこうも、無線が来た後、カオルに送ってもらっただけです。貴女の端末のGPSで、具体的な場所は目星つけていましたし」


 宇田を助けた後、タイキはタイキで奔走していたらしい。とにかく、優秀な部下のお陰で命拾いしたとキッカは一息ついた。


「それで、これは報告なんですけど、尾崎を見失いました。今、和泉捜査官とカオルが捜索してます」

「…………そうか」


 カオルにヨウカと遠距離のスペシャリストが揃っていたのでどうとでもなると思っていたが、敵を甘く見すぎていたらしい。おおよそ、群衆の中に紛れられたか。最悪、新宿に到達さえされなければ、また捕まえる機会があるはず。今は2人を信頼するしかない。


「あとですね。超能力者なしで立ち向かうなんて、無謀すぎです。悪い癖ですよ」

「……すまない」

「美味しいところはそう簡単に渡しません」


 タイキはそう言って白い歯を見せる。キッカもつられて強ばった表情を柔らかくし、


「ひとまず、雑談は後だ。来るぞ」


 江口に向き直ると、彼女はボールを取り出し、投げつけてきた。跳ね回るボールの軌道は予測が困難。まるで四方八方から猛獣が襲いかかってくるような感覚を覚える。


「鮫島捜査官!」

「合点承知ッ!」


 タイキは呼び声とともに、念波で2人を覆うような壁を作る。それはドーム状であり、壁というよりもバリアと言ったほうがいいかもしれない。無造作な動きで飛来したボールを跳ね返し、爆風を相殺し続ける。


「やるわね! でも、これはどう!?」

「……ッ!?」


 順調かと思われたその時、真上から押し潰すようにして巨大なクマのぬいぐるみが降ってきた。隕石を思わせるそれは、バリアと接触した途端、煌々とした光を発して大爆発を起こす。

 

 辺り一帯を飲み込むほどの爆風。能力の使用者自身の身の安全を一切顧みない攻撃に、タイキは怯みながらも必死で念波を発した。焼けつくような高温が、指の先まで伝わってくる。


「うおおおおおおおおおッ!!」


 大気が揺らめき、念波の濃度が徐々に落ち始める。一方、ぬいぐるみの中には予め複数の爆弾が仕込まれていたのか、時間差で次々と炸裂した。


 もう駄目か、と思われたその時、爆風が止む。

 濛々とした煙が立ち込め、焦げ付いた臭いが鼻腔を掠めると、2人はゴホゴホと咳をした。クマのぬいぐるみの残骸が、黒い雨のように散乱。相手の最大火力は防ぎきったと安心したのも束の間、


「ぶっ」


 タイキは鼻から、夥しい量の血を流す。

 リバウンド。能力の使用限界だ。


「おい、大丈夫か!」

「しばらく休めば治ると思いますが……まずいですね」


 タイキが能力を使えなくなったことで、今まで抑えられていた人形たちが続々と動き出す。それらは好機とばかりに目を光らせて、ゆらゆらと近づいてきた。


「さあ、行けっ! 尾崎ィ!」


 江口の掛け声に反応し、人形たちは再び飛びかかる。が、その動きは途中で凍ったように急停止した。


「な……なにやってんだ!」


 焦る江口。

 その頭の中には最悪の展開が描かれる。すなわち、尾崎が殺されたのではないかという推測だ。それを詳しく確認する前に、突如として黒い残像。


「やーーーーっと見つけたぜえ!!」


 大きく口を開け、怪物は笑う。

 そのまま間髪入れずに、掌を強張らせ、指先の5本のナイフで江口に切りかかった。


 彼女は不思議と、避けるような真似はしなかった。

 まるで自身の死を受け入れるかのように、その爪が空を裂いて眼前に迫ってくるのを、粛々と見つめる。

 

 もしかしたら疲れていたのかもしれないな、と思う。

 ずっと人間の陰湿な攻撃性を取り除くことを目標としてきたが、一番それを持っていたのは自分に他ならない。だが、そのことから目を逸らし、自分に嘘を吐き続け、虚栄を張ってきた。疲れた原因は主にそんなところだ。罰せられるというストレスから、人格が乖離しかけていたのも含め、ここらが潮時だったのだろう。

 元々、人を殺すなんて望んではいなかったのだ。そこまでの覚悟は無かった。だから、それにしては良くやったほうだと自分を褒めてやりたい。


 しかし、母には何と謝ろう。

 どう転んでも、親孝行な娘ではない。ちょっとした掛け違いでこんなことになってしまったが、どうせならもっと何か言っておくべきだった。


 尾崎にも謝らなければならない。

 生きているのか、死んでいるのか分からないが――どうにせよ、同胞が目標を達成できずにくたばるというのは、さぞ無念だろう。


 もし、自分に超能力が無かったら。

 虐げられる日常は変わらず、一生癒えぬ心の傷を背負って、それでも世に数多ある人生の中では、比較的平凡なものを送っていたはずだ。それはそれで幸せだったのかもしれないな、と心変わりするも、時はすでに遅い。


 温かく、赤い鮮血が飛散する。

 その様は思いの外とても綺麗で、これが映画のフィルムだったら良かったのに、と思わずにはいられなかった。

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