七 章

 その日、営業の打ち合わせをするハルヒと古泉を見ながら、こいつら今後どういう展開になるんだろうかと考えていた。事故った歴史も一部消えてしまったことだし、ハッピーエンドになってもよさそうなものだ。だが安心しろ。もう物語もそろそろ終焉しゅうえんなのではと思った矢先、それだけでは済まないのがこのハルヒ的日常。野球で言えば0対0の八回裏ツーアウトランナーなし。まったくいまさらだが、ここから急展開がはじまるのだった。


「あたし、明日からしばらく私用で忙しいから。午後は休むわね」

ハルヒが珍しく単独行動をしている。

「私用ってなんだ?見合いでもすんのか」

何気なく聞いた俺のひとことに、ハルヒはピタと固まった。

「そうよ。悪い?」そこで四人も固まった。

「い、いいことじゃないですか。なにごとも経験ですよ。もしかしたら涼宮さんにぴったりの男性が現れるかもしれません」

そう祝辞しゅくじを述べる古泉の笑顔は右半分で引きつっていた。

「見合いって、俺たちまだ二十四歳だろ。そんなにあせることもないんじゃないか?」

「あんたはいいわよねぇ、有希がいるんだし」

長門がうつむいた。まるでハルヒからおやつを盗んで怒られた子供のように。

「あんた達、なに暗い顔してんのよ。適齢期てきれいきの女なら見合いのひとつやふたつはこなしてるものよ」

「いえ。僕たちは、涼宮さんが大恋愛の末に結婚されるのだろうと思っていたんです。おそらくですが」

「まあ、それも悪くはないわ。でもね、待っていてもそういう人はなかなか現れないものよ」

「そうですよね……。待っているだけじゃ」朝比奈さんが妙にうなずいている。

「たまにはこういう日本的行事に参加するのも悪くはないわ。なんたって費用は向こう持ちなんだし、キヒヒ」

不吉な笑いを浮かべたハルヒはやけに楽しそうに見えた。

「見合いって、親類のおばさんとかに紹介してもらうのか」

「なにいってるの、今は膨大ぼうだいなデータベースからコンピュータで相性を計算する時代よ」

そう言ってハルヒは見合い斡旋あっせん会社の分厚いカタログを見せた。俺はパラパラとめくってみた。なるほど、最近は結婚式の手はずまで整えてくれるらしい。

「というわけで、あたしはこれからキモノの着付け教室に行くから」

ハルヒはそう言い残して走り出ていった。前日に着付け教室かよ。相変わらず即席だな。

「俺も明日、ちょっと様子を見に行ってくる。どんなやつが相手か興味あるし」

「じゃあ僕も行きます。暇ですから」

「わたしも付き合いますよ。お見合いってどんなのか見てみたいわ」

「……」

必然的に長門も来ることになった。


 瀟洒しょうしゃな日本庭園のお屋敷が見合いの会場になっていた。なんだかありきたり過ぎないか。俺たちは竹やぶの物陰で忍者のように身をひそめた。

「ここ、蚊がいますね」朝比奈さんが両手でペチペチ叩いていた。

「長門、なんとかならないか」

俺はあちこち刺されて赤くれた腕をボリボリいた。

「……分かった」

長門がなにやら小型の電子機器らしいものを取り出して腕にはめた。近寄ってきた蚊がポトポト落ちていく。

「すごいなそれ。殺虫の超音波かなにかか」

「……ただの、蚊取りマット」

そ、そうだったのか。


 縁側のガラス戸の向こうに座敷が見えた。和服を着付けたハルヒがしゃなりと座っていた。

「涼宮さんきれいね……」

朝比奈さんがホゥとため息をついた。髪を後ろに結い上げたハルヒの晴れ着姿はなかなかのものだった。白足袋しろたびをはいた足をむずむずと動かしている。あれは足がしびれているに違いない。相手の男はというと、これまたかっこいい。

「おいおい、キリっとした美形だぞ。イケメンだぞ、トムクルーズ級だぞ」

古泉がムッとしたようだった。

「そうでしょうかね。あのネクタイはやたら派手だと思いませんか」ちょっとライバル意識が出たか。

「長門、相手の詳細分かるか」

「……年齢、二十六才。情報工学系大学院博士課程終了。某電機メーカー研究室勤務。父親がアメリカ人」

「ハーフか。どおりで」

「なにがどおりなんですか」

「ルックスいいじゃないか。結婚したらアメリカ暮らしかもしれんな」

「男は顔じゃありませんよ」

古泉がいつになく憤慨ふんがいしている。その顔とやらで何人の女を泣かしたんだ、お前は。

「失敬な、僕はいつでも涼宮さん一途いちずですよ」

よーしよし、その意気だ。


 会話の内容はぼそぼそとしか聞こえないが、学生時代のことやら家族のことやらを探り合っているらしい。ハルヒは相手の付き添いのどうでもいいような冗談に付き合ってオホホと小指を立てて笑ってみせていた。男のほうは肩をゆすって大げさに笑っている。冗談の披露ひろうがそれぞれ終わると真顔に戻ってお茶をすする。これが日本人の古式こしきゆかしい伝統にのっとった儀式なのか。なにやってんだあいつら。

 古きよき日本人のしきたりとやらを見に来たつもりだったが、来てみると奇妙どころかつまらないもんで、俺はあくびをしつつ早いところ終わってくれないかなどと考えていた。四人とも同意見なようで、くだらない世間話を続ける連中に飽き三十分くらいでそこそこに撤収てっしゅうした。


 翌朝、俺たちはハルヒの顔色をうかがっていた。結果がどうなったか早速知りたい。

「よう、ハルヒ。見合いどうだった?」

「だめね。写真見て決めたんだけど男は顔ばっかりじゃだめよ」

古泉がしてやったり、というポーズを取った。

「やっぱり顔と性格よね」

古泉は肩を落とした。

「まあ、断るわ。ピンと来るものがないの」

破談はだんしたようだ。俺たちはほっとした。まあハルヒにピンと来るような男はそうそういるものではない。長年付き合ってきた俺が保証する。


 ところが話はそこで終わらなかった。ハルヒの狂ったような見合い攻勢が始まったのだ。インターンの医者、アパレル会社経営、警察幹部候補、自衛官幹部クラス、大学講師、旅客機パイロットなどなど。いいとこばかりをピックアップしているようだ。珍しいところでは画家、劇団監督なんてのもいた。

 選り取りみどりだったが、連日の見合いに対して断ったり断られたりが続いていた。いつかも似たようなことを聞いたよな。中学の頃、毎週のようにとっかえひっかえしてたって話だが。

「古泉、このままじゃ誰かに取られてしまうぞ」

「もういいですよ」

古泉は肩を落としてうなだれていた。

「なにがいいんだ。今が肝心なときじゃないか」

「いいえ。涼宮さんがそう望んだから見合いをしたんでしょう。それを邪魔するつもりはありません」

まあ、古泉がそう言うならしばらく様子を見てみるか。

 毎日見合いに明け暮れるハルヒを見るにつれ、四人とも次第に言葉をなくしていった。二十も年上のコテコテのおやじが現れたときには驚愕すら覚えた。ここまでハルヒをかき立てているのはいったい何なんだ。

「涼宮さんは今、自分の中で葛藤かっとうしているんだと思いますよ」

「どんなジレンマだ?」

「ジョンスミスの存在を信じ続けるか、諦めるか、です」

古泉の観察はよく当たる。ずっと仕事でそれをやってきただけのことはある。

「以前にもお話したでしょう。涼宮さんはエキセントリックな方ですが、他方ではいたって常識的な人だと」

「でなければ、世界がこうもふつうに存在しているわけはない、ってやつか」

「そうです。気持ちの中ではジョンスミスにいてほしい、でも涼宮さんの常識がそれをはばもうとしている」

「それが葛藤かっとうなのか」

「……近年、それが閉鎖空間を生む原因になっている」長門がうなずいた。

それが、涼宮ハルヒの本当の憂鬱だったのか。つまり、ハルヒがジョンスミスと出会って十一年、あいつがメランコリーな日も元気な日も、雨の日も風の日も、ずっとそいつが心の中にあった。ときにそれが台風となり、旱魃かんばつを招く日照りとなり、ハルヒの奇妙な行動の源となってきた。

 見合い相手にシナを作ってみせるハルヒを見て、俺は少し泣けてきた。そこまで思いつめなくてもいいのに。

「どう考えても俺が悪いよな」

「そうよキョンくん、あなたが悪いの。ずっとあなたが原因だったのよ」

「……諸悪の根源」

「まあまあ、お二人とも。男というのは得てして女性の気持ちを理解できない生き物なんですよ」

古泉にフォローされるなんて、俺ってやつぁ焼きがまわったぜ。しかもフォローになってないし。

「だから、もうやめましょう。ここまでやってくれたあなたには感謝しています。ですが、もう」

俺にはもう何も言えなかった。長門も朝比奈さんも、ただ黙ってうなずいた。


 ハルヒはこれからどうなるんだろう。あわよくば誰かに気に入られて付き合い始め、結婚するかもしれない。でも、永久にジョンスミスには会えない。あいつが結婚するとき永遠に別れを告げるだろう。あいつは今、自分の中のジョンスミスに見切りをつけようとしている。

 俺は頭を上げた。

「いいや、俺はまだあきらめないぞ。まだ終わっちゃあいない」

三人が俺を見た。

「まだ、ひとつだけ切り札がある」

「なんですか、その切り札とは」

「ジョンスミスの名前だ」

事故の事実が消えたこの歴史では、まだジョンスミスの名前は出てきていないはずだ。三人が古泉の顔を見た。古泉はまだやるんですかと困った顔をしたが、その半分は何かに期待している顔でもあった。


 ジョンスミス。ジョンスミス。やれやれ、俺がなにげなく捏造ねつぞうした名前にこれほどまで振り回される結果になろうとは。十一年前の俺を恨むぞ。あのときは適当な名前が浮かばなくて、キョンの語呂ごろからジョンを連想したのだが。考えてみれば、もっとましな名前にしとけばよかったよな。世界を大いに盛り上げるジョージクルーニーとか、ヤサ男がお好みならヒューグラントでもいい。

 入学式の自己紹介で「ジョージクルーニーがいたらわたしのところへ来なさい」などと叫ぶハルヒを想像して、ひとり笑いした。入学したその日から北高の名物女になるだろう。

「なにがおかしいんですか」

「いや、なんでもない。俺たちはここではじめてスタート地点に戻ったんだ。ハルヒはまだジョンスミスの名前を出していない」

「ええっと、そういうことになりますね」

「古泉、ハルヒをデートに誘ってこくってこい。俺がセッティングしてやる」

「分かりました。ただし、条件があります」

「言ってみろ」

「これを最後にしてください。もし涼宮さんに振られたら、これで終わりです」

「お前はそれでいいのか」

「僕のことより、涼宮さんの人生をいじるのはもうやめたいんです。歴史を書き換えるたびに、彼女の個性がひとつずつ消えていっているような気がしてならないんです」

そうか。そういう風に考えたことはなかった。

「それに彼女も大人ですから、そのうち折り合いをつけるでしょう」

「わたしもそう思います」朝比奈さんが言った。「ジョンスミスがいなくても、涼宮さんはそれなりに幸せになれると思います。彼女が望めばね」

「そんなものですか……」

「みんながみんな、理想の男性と一緒になれるわけじゃないですから」

うつむいてそう言う朝比奈さんはちょっと悲しそうだった。

「俺にはたぶん、女性の幸せって見た目でぐらいしか分からないです」

「ジョンスミスのような人物は、女の子なら誰にでもいるものよ。実在するかしないかは別としてね」

そういうものなのか。俺はちょっと考え込んで、長門に目をやった。

「長門もそうなのか」

「……わたしのジョンスミスは、あなた」

うう。あんまり俺を泣かせないでくれ。ここのところ涙腺がゆるいんだ。


 これが最後だ。俺はハルヒと古泉のデートのためにあれやこれや周到しゅうとうな計画を練った。

「キョン、さっきから熱心ね。何調べてんの?」

「いや、なんでもないなんでもない」

俺は南仏料理店のパンフやら地図をプリントアウトしたものやらを慌てて隠した。ここでバレたらすべてが水の泡だ。

「あやしいわね、見せなさいよ」

「なんでもないって、ネクタイ引っ張るな……く、苦しい」

「ちょっとぐらいいいでしょ」

ハルヒは俺を後ろから羽交はがめにして資料を奪い取ろうとし、それを阻止そししようとした俺は椅子ごとひっくり返った。

「なにやってんのよあんた」

ハルヒが腹を抱えて笑った。俺たちを見て朝比奈さんが微笑んでいた。

「こうして見てるとお似合いなのにね。あ、長門さんごめんね。今のは気にしないで」

「……いい。わたしも同意」

そういう長門は、ちょっとだけいてるように見えた。


 午後からハルヒがまた見合いに行っている間に、陰謀は着々と進んでいた。三ヵ月前から予約しないと入れないような南仏料理の店と、ハルヒがたまに聞いてるアーティストのライブのS席チケットを、例によって長門の情報操作で割り込ませてもらった。

「古泉、押しで行け」

「分かりました。ここが僕の正念場しょうねんばです」

酔ってハルヒとやってしまったときとは違って、今の古泉は凛々りりしく見えた。

正念場しょうねんばを何度もやってると疲れますが」

見直したところなのに、ひとこと多いんだよ。

「指輪など用意したほうがよろしいでしょうか?」

「それはちょっと気が早いんじゃないか」

「あら、それならブローチとかどうかしら?指輪だとサイズ合わせるのに時間かかるから」さすがは朝比奈さん。

「……アメジストがいい」

「そうでした。ジョンスミスのあかしですね」

十一年前の七夕で、朝比奈さんが機転を利かせてハルヒに渡したのがそれだ。


「まず花束を買おう。小さめのバラがいいだろうな。待ち合わせの場所でそれを渡せ」

「はい」古泉がメモを取る。

「ライブが終わったら三十分くらい、海岸沿いでもドライブするといい。高揚感が冷めるのを待つ」

「なるほど」

「店には八時ごろ予約入れといた」

「ありがとうございます」

「礼なら長門に言ってくれ。なかなか予約が取れない店だから」

「長門さん、ありがとうございます」

「……」長門はうなずいた。

「しみじみした演出でいけ、落ち着いた感じの店だからな」

「分かりました。告白は食事の前がいいでしょうか、後がいいでしょうか」

「デザートが出た頃ぐらいがいいだろうな。いい感じに酔いが回った頃だ」

「そのときに、ジョンスミスの話も」

「そうだ。あ、それからな」

俺は長門と朝比奈さんには聞こえないよう、声を落とした。

「お前の名前で日航ホテルのデラックスを取っといた。さすがにスイートは無理だが」

「ええっ、あそこ高いでしょう。デラックスだと一泊六万はしますよ」

「いいんだよ、俺からの差し入れだ。もう払ってあるから、もし泊まらなくても気にしないでキャンセルしてくれていい」

実はこれ、俺が別世界に飛んだときに古泉が貸してくれた金なのだが。その後古泉の記憶を消してしまい、ずっと返せずにいた金だった。

「このご恩はいつかきっと」

「俺がはじめたことだ。気にするな」

決行はあの日と同じ、七日の夜だ。

「これが最後ですから、僕も全力を尽くします」

「おう、幸運を」


 俺は笑ってはいなかった。


 当日、俺たちは店の前の駐車場で待機していた。待機というか、野次馬的な好奇心から二人の様子が気になって見張ってるだけなのだが。古泉とハルヒがなかなか現れない。予約した時間から、かれこれ三十分が経とうとしていて俺は気をもんでいた。

「あいつすでに死んでるんじゃないか」

「やだ、キョンくんったら縁起でもないこと言わないで」

「だってもう八時半ですよ」

俺は爽やかスマイルのまま死体袋で運ばれていく古泉を想像した。

「……もう少し、待って」


 八時四十分ごろ、ようやく二人らしき人影が現れた。BMWは古泉の手に戻ったらしい。俺たちも後を追った。とはいっても予約していたわけじゃないので、長門に不可視遮音フィールドを張ってもらって侵入した。誰もいないのに自動ドアが開き、ウェイターが首をかしげていた。

 いい匂いが漂い、腹の虫が鳴った。まわりから見ればグウグウという音だけが聞こえたことだろう。晩飯食ってくればよかった。

 店の中は満員だったが、スペースの割りにはテーブル数が少なく静かだった。客層もハイソな感じの連中ばかりだ。

 ウェイターがワインのお代わりを注ぎに来た。

「古泉くんなんか変ね、今日はどうしたの?」

「僕はいつもと変わりありませんよ」

「そう?なんだかキリっとしてる感じがするけど」

「たぶんこの店の雰囲気のせいですよ」

古泉は笑ったが声は乾いていた。少しだけナーバスになってるようだ。

「涼宮さん、昔のことを聞いてもいいですか」

「いいけど、昔っていつくらい?」

「そうですね。十年くらい前でしょうか」

「そう。なにを聞きたいの?」

「どんな少女時代だったんですか」

「そうね……気難しい子供だったと思う」

「そうなんですか」

「十二歳のときだったかな、親父と野球を見に行ったのよ。五万人くらいが入る球場で満員御礼まんいんおんれいだったんだけど。その五万という数字が日本の人口の二千分の一でしかないことを知って、自分がいかに小さな存在か気が付いたの」

「なるほど」

「それまでは自分を特別な人間で、特別な人生を送ってると思ってた。そうじゃないことに気が付いて愕然がくぜんとした」

「そう思えただけ、あなたは十分特別な人ですよ」

「まあ子供だったしね。古泉くんはそういうことで悩んだことはない?」

「子供の頃は、人生が平凡であることに不満を持っていました。ある日を境に世界が変わるまでは」

「へー。聞きたいわね」

「子供の頃の僕は親からなんでも好きなものを与えられて、苦労とか忍耐などといった言葉とは無縁でした」

「家に閉じこもって顔色悪そうな子ね」

「ええ。日に当たらないので青白い子供でしたね」

「それが変わったのは?」

「確か十一年前の七月だったと思います。まるで世界が変わってしまいました」

ハルヒは七月という言葉にピクと反応した。「どんな風に?」

「とある組織でアルバイトを始めたんです。最初は怖かったですけど、段々とその仕事が面白くなってきましてね」

「どんな仕事なの?」

「内緒です。秘密組織ですから」

「CIAとかモサドとか言うんじゃないでしょうね」ハルヒは笑った。

「あはは、そういうのとはちょっと違うんです。どっちかというともっと平和に貢献こうけんするための組織で」

十一年前と同じ話をしているが、果たしてハルヒが気が付くかな。

「MIBみたいな……。その話って確か前に……」

気が付いたようだ。ハルヒのこめかみから汗が出ている。動揺しているようだ。無言が二人を包んだ。ハルヒ、そこで何か質問することがあるだろ。


 いいタイミングでデザートが運ばれてきた。

「涼宮さん、僕と付き合ってくれませんか」

「ご、ごめんね。あたしには心に決めた人がいて……」

ハルヒは棒読みするように即答した。予想していたようだ。

「知っています。僕がその、ジョンスミスです」

古泉はハルヒのネックレスを示した。ハルヒは呆然としていたが、いきなり椅子から立ち上がり、テーブルをドンと叩いた。ワイングラスが揺れた。

「な、なんで今になって言うのよ!」

店員と客がそっちを見た。それから、つかつかと古泉に歩み寄り、ネクタイを引っ張った。こいつのネクタイを見りゃ引っ張りたがる癖はなんとかならんのか。

 ベッチン、ともパッチンともつかない音がして古泉のほっぺたが鳴った。往復、二発だ。ありゃ痛そうだ。

「あんた、あたしが何年待ったと思ってんのよ」

「待たせてごめんなさい。十一年前のあなたに会ったのは、僕にとってはつい先週のことなんです」

古泉は両手でほっぺたを押さえながら、ムンクのような顔をして言った。

「どうやったらそんなことが、」

「タイムトラベルです」

「まさかそんな……」

それからハルヒは、古泉に抱きついてわんわんと泣き出した。あいつの十一年は、それはそれは長かったことだろう。古泉が事情を話そうとすると、ハルヒはしゃくりあげながら、もういいと言った。なにがあったにせよ、こうやってやっと会えたのだから、と。

 ネックレスはもう古びて輝きを失っていたが、ハルヒの心の中ではずっと輝いていた。それから古泉は新しいブローチを、ハルヒの襟元えりもとに付けてやった。

「ジョンスミスはもう、あなたのそばを離れませんから」

小憎いセリフをさらっと言ってのける、それが古泉だった。


「うまくいったみたいだな」

「……あとは、二人だけにしたほうがいい」

「そうね。他人の恋路ですからね」

ドラマのラストシーンを見逃したくなさげだったが、女二人をせっついて店の外に出た。車の中で古泉が出てくるのを待った。

 少しして古泉が出てきた。左右のほっぺたに赤い手の形がついている。

「イテテ……。あ、どうもお待たせしました」

なぜか笑っている古泉。物陰から見ていたことはしらばっくれてえて尋ねた。

「どうだった」

「どうやらOKみたいです」

古泉は親指を突きたてた。

「古泉くん、大丈夫?」

「大丈夫ですよ朝比奈さん。顔はれていますが」

俺は内心ホッとした。やれやれ、歴史のページに書かれているたった一行を書き直したつもりが、こんなことになるなんて。正直言って疲れた。

「じゃ、俺たちは帰るわ。今日はハルヒのそばにいてやれ」

「そうします」

俺は車のエンジンをかけた。

「お幸せにね、古泉くん」

「いろいろとお気遣きづかいいただいて、ありがとうございます。長門さんも」

「……いい」

古泉が店に戻るのを見て俺は車を出した。一件落着だな。

「よかったわね。涼宮さんが幸せになれるといいわ」

「まあ、幸せかどうかはまだ早いかもしれませんが」

「……古泉一樹はこれから、苦労の日々を過ごす」

「だよな。閉鎖空間の発生源が自分になるとはな」

ハルヒと神人を往復する古泉を想像してか、三人とも笑った。すまん、古泉。まったく他人事ひとごとだよな俺たち。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る