古泉一樹の誤算

のまど

プロローグ

 そろそろ本格的な夏がはじまりそうな七月中旬の、政府推進の省エネ週間なんかがはじまりそうな憂鬱な月曜日の出勤。

「あっついわねー。キョン、この地球温暖化なんとかなんないの」

「肺から二酸化炭素を出してるお前に言われても困る」

「ったく、寒いギャグのひとつでも言いなさいよ」

「……隣家りんかの小規模和風庭園に、高さ二メートル幅五メートルの密集型低木ていぼくの境界線が施工せこうされた模様」

「なによそれ」

「……へー、かっこいい」

「有希、それって寒いというより永久凍土えいきゅうとうどで化石になりそうな勢いね」

長門の込み入った回りくどい古典的ダジャレに俺とハルヒは冷や汗を垂らした。長門は汗ひとつかかないからいいよな。

「皆様おはようございます。職場のプリンス、古泉一樹です」

「なんだその寒い登場の仕方は」

古泉はどっかのファーストフードの店員が着るようなパステルグリーンのストライプの制服を着ている。こいつもとうとうコスプレに目覚めやがったのか。

「身近なところだけでも地球寒冷化を促進しようかと思いまして。おひとついかがですか?」

ジェラートアイスの屋台が引いているようなカート付きアイスボックスをゴロゴロ引いている。

「さすが古泉くん。夏といえばアイスよね。なんでもいいわ、チョコミントひとつ」

「……マンゴーオレンジ」

「まいどありがとうございます」

朝っぱらからアイスかよ、なんでもとか言ってチョコミントを指定してんじゃねーか、などとツッコミどころを間違えそうな雰囲気である。

「そんなもん、どこで手に入れたんだ?」

「そのすじの知り合いに借りました」

機関はいつからファーストフードに業種変えしたんだ。

「思いついたわ!」

「なにがだ」

「今日はみんなでアイスの行商ぎょうしょうに行きましょう」

うわ、このクソ暑いのにか。

「何言ってるの。暑いからこそ営業効果抜群ばつぐんじゃない。そうよね、古泉くん」

「まったく、そのとおりかと」

相変わらず古泉はハルヒを動かすのがうまい。ただお世辞せじで持ち上げてるだけかもしれんが。


 そのようなわけで俺たちは、十二時になるとどこからともなくやってくる弁当屋のような登場の仕方で、ビジネス街を練り歩いてジェラートアイスを売ることになった。用意のいいことに制服、サンバイザー、パラソル付きカート、商売道具が二セットずつそろっている。はかったな古泉。

「じゃあ、あんたと有希は駅前広場ね。あたしと古泉くんは事務所とかビルとか回ってくるから」

「こんなところで勝手に営業はじめちまって大丈夫か、保健所とか」

「大丈夫よ。いざとなったら逃げられるように車輪が付いてるでしょ」

いや逃走のためのカートじゃないんだが。まあ弁当屋の近くで屋台を出せば雰囲気的には見逃してくれるか。


 俺と長門は駅前広場で、アイスボックスに小型のビーチパラソルみたいなのをさしてぼーっと立っていた。二人ともどちらかというと客寄せに愛想笑いができるたちではなくて、バックエンドの職人系なのだが。

 人が見たらなにかのパフォーマンスだろうかと思いそうな、じっと動かない、呼び込みすらしない二人だった。

「……」

「……」

俺も長門のまねをして無言のまま突っ立っていた。日が高くなってセミが鳴き始めている。アスファルトから立ち上る熱気に蒸発する雨後うごつゆもまじって、もう十分なくらい不快指数ふかいしすうが上りつつあった。通りがかったおっさんがひとり買っていったくらいで、それ以外の通行人は愛想もくそもない二人を遠巻きにして見ている。

「長門、食べてていいよ」

「……そう」

長門はコーンを取り出すと、しゃもじでご飯をよそうように丁寧に三段重ねた。

「……あなたも食べて」

「じゃあ、ふつーのミルクで」

ミルクを三段重ねで渡してくれた。いや、同じのばっかり重ねてもな。

「……」

「……」

ぼそぼそと食っていると、子供連れのおばさん連中がぞろぞろとやってきた。長門はなにを思ったか、コーンをまとめて指の間にはさみ、ランダムに一種類ずつアイスを載せていった。子供にひとつずつつ配り始めた。

「……子供は、ただ」

おばさんはそれを聞いて感心したらしく、ラムレーズンとメロンの二段重ねを買っていった。それから駅周辺に、口のまわりをベタベタにしながらアイスを食う子供がうろうろしはじめた。なるほど歩く広告だな。それを見たOLやら青年やらがカートの前に並び始めている。

「長門、当たりだな」

「……そう」

まったく、商売はアイデアだぜ。長門が子供に配る役、大人には俺が売る。利益回収のために料金を二十円値上げした。


「いよっ、やってるねっ」

客の肩越しに目をやると、横断歩道の向こうから鶴屋さんが白いドレスに日傘をさして歩いてきた。長い髪がサラサラと風に流れてせめてもの涼しさを感じさせる。

「鶴屋さんじゃないですか。いつもお世話になっております」

「キョンくんと長門っち二人だけかい?」

「ハルヒと古泉は向こうのビル街をまわってるみたいです」

「そうなのかい。で、もうかりまっか?」

「ええ。長門のアイデアで子供にサービスしたら大人が買ってくれてます」

「さっすが副社長。考えることが違うねっ」

「……」

「鶴屋さんもおひとついかがですか」

「そうかい、じゃ、いただくよ。抹茶まっちゃ大納言だいなごんあずき頼むねっ」

「まいどあり」

俺はコーンに緑とあずき色のドームを二段重ねて渡した。

「あ、お代はけっこうですよ。株主優待です」

「あははっ。うまいこというじゃないかキョンくん」

「数千万の株式に対して二百円のアイスじゃあ、とても足りませんが」

「いいっさぁ、こういうのは雰囲気だしね。実は今朝、古泉くんから電話があってさ。傘下のアイスクリーム店から行商ぎょうしょうのボックスと制服を借りたいって言うのさ」

「あいつ、鶴屋さんのところから借りたんですか」

「何すんのつったらハルにゃんとアイスの行商ぎょうしょうをしたいって言うから、もう笑いが止まんなかったさ」

「すいませんねぇ。あいつはカッコばっかしつけて、俺たちには闇ルートで入手したって感じだったんですよ」

そこで鶴屋さんはまたあはははっと笑った。

「どれ、あたしも手伝うっさ」

鶴屋さんは道行く人に向かって大声を張り上げた。

「いよっ、そこのお兄さん、今なら二百円ぽっきりよっ、ミント、オレンジ、バナナにメロン、いい子そろってるよ」

道行く野郎どもの耳がピクと反応した。それじゃポン引きですって。

「いいのいいの、風俗行ってるおっさんには受けるんさ」

確かに中年コテコテのおっさんが大勢寄ってきた。アイスより鶴屋さんにたかってる虫みたいな感じだが。

「キョンくんも長門っちも食べなよ。そろそろ品切れしちゃいそうだよ」

鶴屋さんは俺にメロンを差し出した。

「いえいいです。客が来る前に大量に食ったので」

「そうかい。んじゃ、あたしはそろそろ帰るっさ」

「どうもおつかれさまです」

鶴屋さんは来たときと同じ、髪をなびかせてささっと横断歩道を渡って帰っていった。


 近くで弁当を売ってるワゴン車の行商ぎょうしょうが売り切れになる頃には、俺たちの在庫もそろそろ底を尽きかけていた。

「長門、コーンがもうなくなってきたんで俺たちも帰ろう」

「……そう」

俺は最後のひとつを長門にやった。長門がハンカチを取り出して俺の口の周りを拭いてくれた。

 通りの向こうから、ハルヒと古泉が戻ってくる。盛んに手を振っている。

「あいつら、うまくいってるみたいだな」

「……そう、よかった」

 やれやれ。俺は未来に向かって感謝した。職場に朝比奈さんの銅像でも立てて毎朝拝みたいくらいだ。彼女は今ごろ膨大ぼうだいな始末書の山に追われていることだろう。もうあんな騒ぎはごめんだ。しばらくは倦怠けんたいに浸りながら、ぬるま湯人生をゆっくりと過ごしたいものだ。


 ここはまあ未来よりも過去に話を戻そう。事の起こりはいまから二週間前にさかのぼる。


「ちょっとキョン、なにテンション落としてんのよ!今回はあたしの話なんだからもっとシャキっとしなさい」

「お、おう。波乱万丈はらんばんじょうスペクタクル展開、古泉一樹の誤算!崖っぷちに爪先立ちで踊っていたピエロはいよいよ転落か。はたしてヤツは生きて戻れるのか。話はいまから二週間ほど前にさかのぼる!!」


はぁ……やれやれ。

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