神様に魅入られた娘
俺の自宅の近くには線路があり、そこにかかる陸橋の上から富士山が見える。
その橋を歩くとき、娘は必ず俺に肩車をせがむのだ。
俺は口では「しょうがないなぁ」と言うが、「わぁ~」と感嘆の声を上げる娘とのこの時間が大好きだった。
……だが今日は違う。娘はむくれ顔で繋いだ手をぶんぶん振り回している。
薄々は気づいていたことだ。建設中のマンション、あれが富士山に被るということを。
勿論、全部が隠れるわけではないが、見栄えは大分悪くなった。それに、あのマンションからは富士山が綺麗に見えると思うと、なんだか腹が立つ。
それでも仕方のないことはあるのだ。マンションの建設は止められないし、あのマンションに住むこともできない。妻を出産と同時に亡くし、父と子二人では何かと金と気持ちに余裕がない。
しかし、この繋いだ手は離さない。そう、娘さえいれば、いれば……。
っと、いつの間にか娘は手を離していた。
立ち止まり、何を? 願うように両手を合わせて目を閉じているが……。
「カミサマおねがいです。どうかあのマンションを消してください」
「ふっ」
余りも真剣な顔だったから思わず笑ってしまった。
危ない危ない。娘には気づかれていないようだ。
さて、どうするか。一緒になって祈ろうか? それとも、時にどうしようのないことはあると教育的な事を言お――
「なあああああぁぁぁぁぁぁ!?」
突然の轟音。唇がめくれ上がり歯茎がむき出しになるほど強い風、いや、衝撃波に陸橋が激しく揺れた。
バランスを崩し倒れる。が、娘は何としても……いや、なんだ? 娘はまるで、何かに守られているように一切よろけることなく、ジッと前を見て……。
「パパ! 見て! 消えた!」
陸橋はまだ揺れていた。
柵を掴み立ち上がり、娘が指さす方を見ると、美しい富士山が一切の障害物なく荘厳な姿を見せていた。
建設中のマンションは瓦礫と化していた。まだ土煙が上がっている。
ミサイル……隕石、いやミサイル……隕石。花占いのように交互に言葉が浮かぶ。
「カミサマに祈りがつうじたね!」
隕石……神様。
俺は空を見上げた。
そこに神の姿はない。夕暮れ時、オレンジ色の空とそれに染められた雲だけだ。
娘はその空に向かって「ありがとー!」と叫んだ。
確信はない。しかし得体の知れない胸騒ぎに俺は娘を抱えて家に向かって走った。
そして、その日から娘に神にお願い事をするのを固く禁じた。
勿論、偶然に決まっている。しかし、検証するのは余りにも危険だ。蓋をしてしまうのがいい、そう考えた。娘はいずれ忘れるだろう。
娘はしぶしぶ了承し、俺自身もこの事はすぐに忘れようと努めた。
だがある日、仕事を終え家に帰るとテーブルの上に大量のお菓子があった。
娘は慌ててそれを隠そうとし、小さな手から零れたお菓子がカーペットの上に落ちた。
「これはどうしたんだ?」
黙る娘。
「……お願いしたのか? 神様に」
「……うん」
詳しく話を聞いた俺は愕然とした。
何となくお菓子が食べたい気分になった娘は神に祈った。
すると、大きな音が。窓の外を見ると、このアパートの近くの道路でトラックが横転していた。
外に出てみると積荷が散らばっていた、恐らくはスーパーに搬入するトラックだったのだろう。そして中身のお菓子を持って帰ってきた。
俺は娘を叱りつけた。
娘は知らないのだ。あの工事中のマンションの倒壊により何人死んだか。恐らくはそのトラックの運転手も……。
神は何故だか俺の娘に魅入っている。他の人間のことなど、どうでもいいほどに……。
叱られ、泣きじゃくる娘を宥めたあと、外に連れ出した。
今日の夕飯はファミレスにしよう。パフェでも注文して機嫌を取る。神など必要ないのだ。
俺は掴んでいた手を優しく、でも離さぬように強く握り締め……られなかった。スルリと娘の手が抜けたのだ。
「どうし……」
振り返ると娘が両手を合わせていた。
「これだけ! 最後にどうしても!」
止めようとする俺に娘が叫んだ。
「カミサマお願いです。どうかママを……」
頭上を雲が覆い、風が吹き始めた。
俺は意識を娘から空に向けた。
まさか本当に?
霊体となった妻が天から会いにくるのか?
いや、なんなら霊体じゃなく、肉体。そう、神なら妻をそっくりそのまま生き返らせることもできるんじゃないか?
期待する気持ちを押さえられない。
空が光り、そして……なんだ? なんで俺は倒れようとしているんだ。
今の、今の身体を貫くような衝撃は……なん、あ……。
倒れた俺は走馬灯を、いや、娘の未来を見た。
娘と手を繋ぐ、優しい顔の女性。そしてもう片方の手には……。
そう、娘の傍には望んだとおり優しいママとパパがいる。
落雷によって父親を亡くし、孤児となり、養子に貰われ……。
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