○
『皆さん、繰り返しますが落ち着いて聞いてください。全人類に○がつきました。この謎の現象は――』
アナウンサーが神妙な顔をして言う。手の甲についた、その○を見せつけながら。
ある日、突如として全人類の体に印がついた。
まんまるまあるい、丸だ。○。○。○。
手の甲、顔、首、頭。主に目立つ部分に、一人ひとつ。その○は現れた。洗っても擦っても落ちず、この超常現象にマスメディアは大いに賑わった。それに煽られるように大衆も湧き立ち、グッズ展開や陰謀論が飛び交うカオスな空気感が漂った。
……しかし。
「おいっす!」
「ん、お、おお」
「なんだよ神妙な顔してぇ。元気ないなぁほれほれ!」
「はは、やめろよ、近いよ……」
「まーる。まる! まるまるまる!」
「手を、擦り付けるなって。毛も剃れよ」
「ふふふふふ! ま、確かにそうだな。俺のこの○が目立たないもんなぁ。んで、お前のも見せろよぉ」
「俺のはいいよ……」
「なんだよぉ。どこに出来たんだよぉ。あ、まさかお前……」
「え」
「尻の穴の周りに出来たんじゃねえの! ここよ、ここを掘って! 狼男さぁぁん! あおあおあおあおーん!」
俺は空中に手を添え腰を振り始めた奴を思いっ切りぶん殴ろうかと考えた。
が、副社長に話しかけられ残念。その機会は流れた。
「まったく、ロビーで何を騒いでるんだ」
「あ、副社長殿! おはようございます!」
「おはようございます……」
「また○のことで騒いでいたのか。もう一週間経つんだぞ。浮ついてるんじゃないよ」
「ははぁ、すみません! ……ですが、やっぱり嬉しくないですか?」
「○があるくらいではしゃぐな。わが社の社員なら当然なのだ。社長もそう言っておられる」
社長は額のど真ん中に○がついた。目立つしどこか間抜けに見えるが本人はまんざらでもないらしい。
「あの、副社長……」
「ん?」
「○がない社員はクビとの噂があるのですが……」
「ああ、当然だな。○がない理由があるに違いないのだから」
「欠陥品っすね、うぷぷぷ」
「まあ、君らは期待のエースだ。問題ない。いつまでもこんなわけのわからん現象に気を取られる必要もな」
「んふぅ、とか何とか言って、副社長殿も御手手にぃ、立派な○をお持ちで、それ、肌のケアとかなさっているんでしょう?」
「ふふん、わかるかね?」
「ええ、わかりますともっ。ははははは!」
「わはははははは!」
馬鹿。馬鹿。まん丸、大きく口開けて笑う馬鹿どもだらけだ。
そう、多くの者に○がついた。……多くの者。全員ではない。世界の二十分の一、三十分の一ほどの人間に○がついていないと言われているが実際のところはわからない。自己申告を避けているからだ。ただ少ないことは確かだ。
これはどういうことか? どこから湧いて出てきたのか知らないが超常現象の専門家やらなにやらがワイドショーでコメンテーターを務めるが言っていることは結局、どれも憶測でしかなかった。
『これはですねぇ、人の心。つまり潜在的なものが表面に現れたわけなんですねぇ』
『神の御業です。そうとしか言いようがないでしょう?』
『宇宙人の仕業です。実は私、冥王星人なんですけどもね、宇宙人の友達に聞きました』
『私の守護霊が言うには――』
『とにかく、○がない奴は欠陥品ですよ! あん? みんな思ってる事だろうが! 言っていいだろう! 何がいけないんだよ!』
しかし、これがどういうことかはわからなくとも、どうなるかはわかる。
迫害だ。
「ねえねえ、怖い顔してどうしたの?」
「……ん? ああ、君か」
「ふふっ、君か、なんて名前で呼んでよ。いつもみたいに」
「こらこら、指を絡ませるなよ。社内だぞ」
「ふふふふっ、ねえ、今夜どう? あなたの○○○に触れさせて。それで、私の○○○を撫でて」
「おい、やめろよ」
「むぅ、最近、そっけないなぁ。ねえ、知ってる? お互いの○を触れさせながらすると、もっと気持ちよくなれるって」
「迷信だろ。仕事があるんだ。じゃあな」
迫害。それは言い過ぎたかもしれない。だが、見る目が変わった。とある小学校と中学校はすでに○がない子がいじめを受けているらしい。職場でもそうだ。変な目で見られると警察や市役所に相談が寄せられているとニュースで報じられていた。
が、そんなこと言われてもどうしようもない。
人の意識というものはそうそう変えられない。それも、差別意識。あるいは特権意識か。大多数で少人数をいたぶる快感。それも正義が自分たちにあるとなお気分がいい。
正義。誰が○を善と決めた? 神か。馬鹿馬鹿しい。だが、○がついた連中は心のどこかに自分は認められたと感じているようで
誰も彼も浮ついているのだ。
そう……俺には○がついていない。そんな俺が何を思うか。○がない。つまり――
「今の音、なに?」
「外?」
「飛び降りだ!」
「屋上からか!?」
「いや、いやあああ」
「宗田さんらしいぞ」
「ああ、○がついてないって言ってた人か」
「じゃあ、まあ……」
お前は不用品なんだ、と、そう言われているように感じる。毎分、毎秒。
ネット上では○がない者に対する煽り、罵りが飛び、下種な週刊誌、やがてテレビまでも嘲笑するような流れができた。いいや、意図して作られたのか。連中はろくでもない。
そして、その空気に煽られ実社会でも、嘲笑された○がない者が反発、喧嘩に。警察沙汰。リンチ事件など目に見えて状況は悪くなっていった。
社で近々、○のチェック。身体検査が行われると発表があったので、俺は逃げるように会社を辞めた。
再就職は困難を極めた。『○ある? 見せてよ』だと。変態っぽいクソジジイの面接官が言う。だが、もはやよくある話だ。
『○がないのは社会不適合者の証』馬鹿な噂。囚人にだって○はあるというのに。
更に『○がない者は数年以内に死ぬ』などの噂が流れ、絶望し自ら命を絶つ者や犯罪に走る者が出始め、昨今ではますます世間の風当たりが強い。
○をペンで書いて偽装する者もいたが、それは多分、カツラ被るみたいなものだ。自分には嘘つけない。内から湧き出る劣等感、不安感はごまかすことができない。心を病むのは当然と言えた。
自殺自殺。○に首を通し、首吊り自殺。飛び降りて血で○を描く。あいつは○なしだ。気にすることはないさ。むしろよかった。
と、こうして、謎に包まれたこの現象はゆるやかに世の中を荒れさせたが、芸能人のスキャンダルが続報がなければ、そういつまでも関心を集めないのと同様に、この件も続報がないため大衆は次第に飽き、最後の一波『○なしに対する差別をやめよう』などと遅すぎる意見が出たところで落ち着いてきた。
ふざけた話だ。受けた屈辱、仕打ちは忘れられない。おまけに潜在的な差別意識は消えてはいない。
「来月、この会社を閉めることにしたよ……。悪いね。君は仕事ができる人だから、きっと大丈夫だと思うけど……」
「そんなこと……ない、ですかね……ははは、自分がわからなくなってきましたよ」
「大丈夫、自信をもって。○がなくたって、これまでうまくやってきたんだから……って、ははは。○がない私が言ってもなぁ、って話か、はははははは……」
「○がない俺を受け入れてくれたこの会社、社長がしてきたことは間違ってなんか……ないですよ……」
「うんうん、ありがとう……でも、取引先がね、ははは……○がない人とはってね……」
社会が憎い。煽り立てる奴が憎い。乗せられるや奴が憎い。この現象を起こした奴が憎い。
神なのか。これは罰なのか。いいや、×はお前らだ。お前らお前らお前らみんなみんな死んじまえ……。
俺の呪いは天に届いたのか。いいや、初めからそういう予定だったのだろう。審判の日。それは前触れもなく、訪れた。
「あ、あれ……」
「嘘だろ」
「で、でも、あはははは」
「ああ、きっと大丈夫さ……」
「でもまさか……」
「宇宙船が……」
空に浮かぶ、いくつもの巨大な宇宙船。それが世界各地に同時に現れたのだ。
奴らだ……。全て奴らの仕業だったのだ! 奴らのせいで俺は、俺たちは……。
「降りてこいクソ野郎! 俺をなめるなよ!」
俺は空に向かって叫んだ。驚いた顔で空を見上げていた周りの奴らが、次は俺を嘲笑するような顔で見てきた。
奴らは、自分には○がついているから大丈夫だと思っているんだ。
「ねえ、あれって」
「ああ、○なしじゃないか?」
「ぷふっ、こわーい」
「あいつ、きっと殺されるぞ」
「そのための印だったんだ!」
「不良品」
「不能者」
「不適格」
連中がこちらにも聞こえるような声でそう囁き合う。
クソ食らえ。……だが、連中は正しかった。
体の芯まで響くような重低音。開いた。宇宙船のハッチが開いたのだ。
だが、そこから宇宙人は降りてこなかった。無論、吠えたてる俺に恐れをなしたわけじゃない。
「光だ!」
「人が! 人が吸い込まれていくぞ!」
「私たちを連れ去る気よ!」
「いや、これは……」
「はははははははは!」「はははははははは!」「はははははははは!」「はははははははは!」「はははははははは!」
光に包まれ空に、宇宙船に向かって、ゆっくりと体が浮き上がるその最中。俺は手足をだらしなくぶら下げ、地上から噴き出るようなその笑い声に耳を塞ごうともしなかった。
食用、実験台か何かに利用か、それとも廃棄処分か。
もうどうでもいい。
○なしの俺は何されても仕方がないのだ。
恐らく、これは地球の環境保全。増えすぎた人類の調整に奴ら、宇宙人は不要な人間を品質の悪いコーヒー豆を摘むように処理しに来たのだ。
完全に根絶やしにするのは慈悲の心が咎めたのか、それとも急激な変化は却って環境に悪影響を及ぼすと考えたのだろう。
だが、どうでもいい。どうでも……。
あ、○だ。
ははははははは!
地球を離れた宇宙船。その窓の外には大きな○。
巨大な隕石がまあるい地球に向かっているのが見えた。
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