あれは死体ですか?
とあるアパートの二階の一室。その窓から公園を見下ろすことができる。
遊具は鉄棒とブランコとカラフルな色の動物のオブジェ。砂場とベンチもある。昼間は程良くにぎわう平和で小さな公園だ。
と言っても、この部屋の主であるユリエが帰ってくるのは仕事を終えた夜遅く。見下ろしたところで誰もいない。ただ静かな公園。
だがユリエはそこが気に入っていた。スケボーを抱えた若者が馬鹿騒ぎすることもない。それに朝なんかは窓の前の木の枝に小鳥がとまり、歌声を披露する。
風呂から上がったユリエはドライヤーで髪を乾かし始めた。暖房との相乗効果で真冬だがやや暑い。パジャマの襟をパタパタさせながら換気を兼ねて窓を開けた。
ヒンヤリ。静かで、いつも通り……いや、違う。ベンチで誰か寝ている。ホームレスか酔っ払い、どちらにせよ上は長袖Tシャツ一枚のように見えるけど……。こんな真冬に大丈夫なの? 凍死しちゃうんじゃ……?
そう考えたところで、ユリエは身震いした。冷たい風が部屋に吹き込んだせいだ。
窓とカーテンを閉め、テレビを点けると深夜映画が放送されていた。
ぼんやりとそれを見つめながらまたドライヤーで紙を乾かす。字幕だが内容は入ってこない。ちらちらと窓に目を向ける。どうしても、あのベンチにいる男の姿が頭に浮かんでしまうのだ。
ユリエはテレビを消して立ち上がり、窓に歩み寄る。なぜか自然と忍び足であった。
カーテンを開けると男は変わらずそこにいた。
まあ、私には関係ないか……。きっと自分でどうにかするよね。
ユリエはそう思い、またカーテンを閉めようとしたが、ある考えが浮かび、手を止めた。
もしかして、すでに死んでいるのでは?
目を凝らしよく見つめる。外は窓がビリビリ揺れるほど風が吹き荒んでいるが、ベンチの男はピクリとも動かない。
死んでいるとすれば警察を……。
いや、でも死んでなかったら……。
余計なお世話かな……。
怒られたり……。
……面倒。
そもそも、そう気軽に通報していいものなの?
うん、やめておこう。
あー、でも一度は経験してみたいかも。
もし死体だったらどうなるのかな?
テレビの取材がくるかも。
そしたら皆にも知られたりして。
ショックを受けた振りなんかして。
職場のあの彼に気にしてもらえたり……。
それがきっかけで……。
ユリエはあーでもない、こーでもないと窓の前で小鳥のように体を動かしながら考えた。
……よし、髪を乾かしてからにしよう。通報の後、警察が訪ねてくるかもしれないし。もしかしたらカッコいい人が来るかも。ああ、でもやっぱり面倒だなぁ。化粧も落としたばかりだし、どうしようかな……。
ユリエは悩みながら髪を乾かし終えた。
やっぱり通報してみよう。そう結論を出したのだが、再び窓の外を見ると男はそこにいなかった。
なーんだ、やっぱり生きてたんだ。
ユリエは体を伸ばし、欠伸を一つしてカーテンを閉めようとした。
その時だった。
違和感。何かが変。
カーテンを閉めようとした手が止まる。まるで間違い探しのようだった。だがそう時間はかからなかった。
目を凝らせば部屋から伸びる明かりが、その芋虫のような出っ張りを木の肌とは違うということを教えてくれていることに気づけた。
枝だ。
目の前の枝にロープが結ばれている。
どうして?
さっきは何も……。
見落としていた?
どこに続いているの?
ユリエが窓を開けると冷たい風が部屋の中になだれ込んだ。外では切り裂くような鋭い音を奏でている。
肌が痛み、ユリエは片目をつぶり、自分の腕で体を抱いた。
寒気が体を走る。風のせいではない。
ユリエがロープの下を見ると目が合った。
風がロープを揺らすと軋む音と共に男の体が揺れた。
ユリエを見上げる目。その目は生彩が欠け、空虚だった。夜の閑散とした住宅街も公園も何にも比肩することないほどに。
ユリエは窓を閉めた。カーテンも閉め、背を向けた。
あの目はもう何も見えていない。
そう、見ていない。
ユリエはそう自分に言い聞かせるが、ただ、さっきまでの窓際ではしゃいでいた自分をその目が見ていた気がしてならなかった。哀しく、恨めしく。
そして今もどこからか冷たい視線が……。
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