ランプの精

 その男は湖に浮かぶボートの上で釣りをしていた。不機嫌そうな顔、と言うのも、かれこれ一時間は釣り糸を垂らしているのに魚が一匹もかかっていない。

 男はごく普通の会社員。魚釣りで生計をたてているわけではないので、釣れなくてもどうということはないのだが、面白くはない。せっかくの休日を利用して釣りに来ているのに『一匹も釣れなかった』では話のネタにもならない。おまけに同僚には大物を釣ってくると豪語していたのだ。

 だが、空が曇り、風が出てきてこんなことなら来るんじゃなかった、と男が思い始めたちょうどその時だった。


「お、お? おお?」


 釣竿に手応えを感じ、男は慌ててボートの上で立ち上がると、一気に引き上げた。すると……。


「いよおぉぉ……し、ああ、なんだ……」


 釣れたのは古びたランプだった。

 ため息をつき、こんな汚いランプなど捨ててしまおう、と男はランプを手に持ち振り被ったが、ふと思った。

 

 ――もしかしたらお宝かもしれない。

 

 男はしゃがみ込み、ランプをまじまじと眺めた。金や銀なら相当な値がつくだろうが、こう汚れていてはわからない。

 持ってきていたタオルで男がランプを磨く。すると、ランプから煙が吹き出し、その煙は大きな人の形になった。


「うわわわわ……こ、これはもしかして魔法のランプで

あ、あなたは何でも願いを叶えてくれる魔法の精ですか!?」


「いかにも……私の名前はディン。

その魔法のランプの中に閉じ込められていた精霊であります。

ご主人様がそのランプを一度擦ると現れ、もう一度擦るとランプの中に戻ります。

ご主人様の願いを三つ叶えると、私はそのランプの中に戻り、またどこかへ消えてしまうのです」


「三つもか!?」


「はい。私はいつだってそうしてまいりました。そう、いつだって……」


 ディンの顔が曇ったが男は願いを叶えられると聞いて大喜びしているので気がつかない。


「じゃあ、さっそく願いを……」


 そう言いかけ、男はふと気づいた。こんな小さなボートの上で大金が欲しいなどと言ったら重さでボートが沈むくらいの金塊や札束をよこすかもしれない。そして助けるためにもう一つ願いを……となるかも。


「すまないがちょっとこのランプを持っててくれ。

手が塞がっていてはボートを漕げないからな。

おっと、これは願いの一つに数えないでくれよ? 

ランプから出してやったんだから、それくらいのサービスはしてくれてもいいだろう?」


 ディンは黙って頷き、男はボートを漕ぎ岸に上がった。


「よし、待たせたな。それじゃあ願いを言うぞ。俺を大金持ちにしてくれ!」


 男は腕を突き上げそう言ったが、ディンはランプを見つめたまま黙っている。


「……あー、聞こえなかったかな。俺を大金持ちにしてくれ!」


 途端、ディンは何かに気づいたようにニヤリと笑った。


「おい! だから俺を大金持ちに――」


「はっ!」


 ディンはランプを持ったまま、ぐんぐん上昇し、雲の中へ飛び込みそして姿を消した。残されたのは唖然とした表情で空を見上げる男のみ。


 ――こんなマヌケな話、人には話せないな。


 結局、男はこの日、魚を一匹も釣ることができなかった上に話のネタも得られなかった。ただ曇天の空のように胸に後悔だけを抱いて。

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