第26話 魔女の遺産
刺繍を縫ったのでもない、魔女でもないキャメリアが呪いを解く手段はないはずだ。
しかし彼女の堂々たる態度に変わりはない。
国王も僅かに瞠目し、訊ねた。
「キャメリア・ドーレス、申してみよ」
「はい。わたくしはアンティークの収集という趣味がございます。実はその中に万物の呪いが解けると言われている、魔女の遺産があるのです。一回限りしか使えませんが、それを試したいのです。いかがでしょうか?」
「替えの効かぬ貴重なものであろう。何故、ハインリヒに使っても良いと申せるのか」
「ハインリヒ殿下はオルレリア国の尊い血を持つ王族でございます。臣下としてお役に立てるのであれば、貴重な魔女の遺産も惜しくありませんわ」
そう言ってキャメリアはハインリヒを見た。その目を見てミランダはドキリとした。
完璧な令嬢として感情の読めないキャメリアの瞳に、初めて血が通ったような光を見たのだ。
同じ思いを抱いているから分かった。キャメリアはハインリヒを慕っているのだと。そして彼女の視線が、ハインリヒの隣にいるミランダに移された。
「――っ」
一瞬にして瞳に込められた感情が変化した。光から闇へ。ミランダには嫉妬の視線がぶつけられた。
だがミランダは臆することなく、見返した。
(まさか呪いを解いてお救いすることで、正式な婚約者の座が欲しいと褒美を求めるつもりなのだわ!)
王族を救ってもらって褒美を与えなければ国王としての裁量が疑われる。それを初めから狙って起こした事件だとしたら、なんという自作自演なのか。
しかし証拠がない。静かに奥歯を噛みしめ、出方を窺う。
「ハインリヒ、そなたはどう思う」
「呪いが解けるのなら試したい。しかし魔女の遺産はどのようなもので、どのように使うのだろうか」
ハインリヒが聞くと、キャメリアは微笑んだ。
「石の付いた杖でございます。解呪を行使するものが握り、口付けによって叶うものですわ」
キャメリアは唇に人差し指を添えた。
愛の口付けによって、呪いが消える。まるでどこかで読んだ童話と同じだ。なんてロマンチックな方法だろうと素直に思えれば良かったのだが、キャメリアが用意したものだ。ハインリヒは渋面を作った。
「口付けか……婚約者でもない未婚の令嬢であるキャメリア嬢に頼むわけにもいかない。適任を定めた後、試してみたい」
「いいえ、ぜひわたくしに。これは繊細な魔女の遺産……他の魔女が触れれば、力が変質して使い物にならない可能性がございます。ずっと黙っておりましたが……実を言いますと、わたくしは以前よりハインリヒ殿下をお慕いしておりました。わたくしに一度だけ、夢を見る機会をくださいませ」
キャメリアは胸の前で指を組んで、懇願した。まるで英雄に恋する聖女の図だ。この切実に訴えてくる申し出をどう断れようか。
さすがにハインリヒも大胆な告白に翡翠の目を見開いている。そして困惑の色を強く宿してミランダを見た。
「――っ」
ミランダはズキリと胸の奥に強い痛みを感じた。たまらず視線を逸らし、誤魔化すように老齢の魔女に問うた。
「魔女の遺産なるものならば、呪いを解くことはできそうですか? 口付けという方法は正しいと思いますか?」
「口付けは生き物に魔女の力を与えるには効率が良い。妥当な方法さ。そして杖が本物なら、殿下の呪いは消えるだろうね」
「そうですか」
更に胸の痛みが強くなり、息が苦しい。好きな人が自分ではない女性と口づけを交わすなど、誰だって嫌なものだ。
しかし呪いを解くには必要なことであるならば、ミランダの個人的な事情で反対もできない。呪いの源である老齢の魔女の力がない中、奇跡を起こす遺産に頼る他ない。揺れ動く心が苦しくて、思わず涙の膜を瞳に張ってしまう。
「私が最初から呪いを解くことができれば、本当は良かったのですが……申し訳ありません」
「ミランダ……」
涙を隠すように、申し訳なさそうに、瞼を伏せた。これなら恋心からの涙ではなく、魔女としての悔しさからに映るだろう。
視界の横ではキャメリアが僅かに勝ち誇った表情が見え、ミランダの悔しさに火をつけた。
(ハインツ様を好きな気持ちは分かるけれど、そのために誰かを犠牲にする方法は許せない。呪いだけ……それだけは解いてもらうわ。でもその後は――)
拳に力を入れ、ドレスに皺を作った。
国王も一番に優先すべきことが分かっているのだろう、判断には時間はかからなかった。
「どうやら魔女の遺産という奇跡に頼るしかなさそうだ。ドーレス卿は娘が解呪を行うと云っているが、どう思う」
「尊き血の救済のために、どうぞ娘をお使いください。しかしハインリヒ殿下の身に何かあれば、厳罰に処してかまいません。娘は適任を選出せず、個人的な勝手な申し出をしておりますゆえ…」
ドーレス卿は失敗すれば、娘すら切り捨てるつもりだと宣言した。
「さて、ハインリヒ。余としては、真実の追求よりまずは呪いを解くことを優先したい。心通わせた女性以外との接触は好まない堅物なのは知っているが、今は目を瞑ってくれぬか」
外堀を埋められ、ハインリヒはぐっと息をつまられたように、眉間に皺を寄せた。
「分かりました。キャメリア嬢の申し出を、受け入れます……宜しく頼む」
キャメリアは魔女の遺産を控室で待つ母親に任せてあったようで、すぐに法廷に持ち込まれた。形は王笏を一回り小さくしたような杖だった。
宮廷魔女たちが杖に触れないよう、害のある魔法が仕込まれてないか検分する。問題はなく、ついに解呪の儀式がおこなわれることになった。
分かってはいるが、やはりミランダの気分は沈んでしまう。
「ミランダ……儀式とはいえ、これは私の本意ではない」
席を離れる前、ポツリとハインリヒが呟いた。思ってもいなかった言い訳に、ミランダは目を瞬いた。
変身するために唇同士は合わせなくても、何度もキスを送りあった。その時もハインリヒは嫌がる様子もなく、躊躇うこともなく受け入れていた。だから変身のためならば、相手の好き嫌いとは割り切っているものかと思っていた。
だからハインリヒだけに聞こえる小ささで囁いた。
「私だったら、良かったですか?」
「そうだな。あなた以外は本意ではない」
つまりミランダなら本意とも取れるような言い方だ。
それだけ言い残し、ハインリヒは法廷の中央へと向かって、ぴょんと椅子から飛び降りた。彼はすでに待っているキャメリアと正面に向き合った。
「ハインリヒ殿下、全てわたくしキャメリアにお任せくださいませ。どうか心を開き、身を委ねくださいませ。そうでなければ魔女の遺産は効果を発揮できないでしょうから」
「努めよう」
うっとりと微笑むキャメリアに対して、ハインリヒは端的に述べた。
いよいよ始まる。ミランダは薄紫の瞳を真っすぐに見据えた。
「始めます」
杖についている石が光る。魔女の力が宿っている証拠だ。法廷にいる人の視線が杖に集まった。呪文はないらしい。
「失礼いたします」
「あぁ」
キャメリアは膝をついて視線を下げた。それに対してハインリヒは背筋を伸ばし、顔を上げる。二人の顔の距離が縮まっていく。
ミランダは直視できず、僅かに視線をずらした。その先はキャメリアの髪飾りで、ほんのり光っているように見えたとき――バチっと音を立ててハインリヒとキャメリアの間に火花が散った。
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