第十一話 廊下攻防戦
咄嗟のことであったが、僕は手に持っていたバールで反射的に棍棒を受け止める事に成功した。
不思議なことに、その衝撃は軽い。
受け止めることを想定していなかったのか、ゴブリンはそのまま器用にくるりと一回転して僕と距離を取る。
そのまま体勢を立て直して再度襲い掛かってきた。
「「先生!!」」
「くっ……!」
二人の心配そうな声が聞こえる。僕はその場で足を踏ん張りつつ、棍棒が襲う前にバールを右スイングした。
先端部のL字の二又に分かれた尖った部分がゴブリンの脳天を直撃し、その体を吹っ飛ばす。
吹っ飛ばされた勢いでゴロゴロと飛ばされたゴブリンは柵にぶつかり、動きを止めた。再度動き出す気配は無い。
「はぁ、はぁ……」
汗が尋常じゃ無いほど流れ出るのが分かる。まさに一瞬の出来事だった。
判断が間違っていたら死んでいたかもしれない。それに……人生で初めてこんな大きな生き物を殴った……。
「せ、先生……あの生き物と戦うなんて凄い……!」
「見たかよあの飛ばされよう! 先生が皆藤先輩を倒したのも事実だったんだ!」
「あのモンスター、殺したの?」
「いや……分からない」
脳天から穴が開いて、緑がかった青色の血液らしきものがどくどくと流れてそこに池を作る。
人間であれば死んだかもと判断出来るだろう、ただ相手は異界の門のモンスター。直接確認しない限りは死んだと判断は出来ない。
ただ、そんな確認をする時間は無かった。ゴブリンが屋上に居ると言うことは……。
「先生!」
中山の悲鳴で今現在の状況を一瞬で把握する。
屋上の柵を手で掴んで昇ろうとしてくるゴブリンの数がざっと数十匹は見て取れた。どうやらゴブリンたちは僕たちが屋上に居たことを察知していたらしい。
校舎の壁を伝って昇っているようだ。気が付けば完全に囲まれていた。
『大丈夫かね、御剣君!』
「校長先生、緊急事態です。屋上でゴブリンに囲まれているようです」
『な、戻れるか?』
「今から校長室に向かいます! 準備をお願いします!!」
僕は慌てて鹿島と中山に近づいて手を掴むと、叫んだ。
「どうする、こんな状況でもヒーローを見るか!?」
「「避難します!!」」
満場一致、僕と鹿島、中山は三人でその場から逃げ出した。
屋上の扉を塞ぎ、申し訳程度に差しっぱなしだった鍵を閉める。だが、窓は割れているし時間稼ぎにもならないだろう。
案の定、階段を降りる最中に頭上からゴブリンの笑い声とガラスの破片の音が響く。
「早く降りるんだ!」
「そんなこと言われても……ひぃ!!」
この学校の階段は飢えから見るとらせん状になっている。窓から抜け出して、その勢いのまま落下したのだろう。
四階と三階を繋ぐ踊り場に頭から落下したゴブリンが中山の傍で着地した。首の骨が折れたからかその場から動かない。だが、腕が痙攣を起こしたようにぴくぴくと動いている。
「まずい!! 降りてきた!!」
流石に飛び降りるのはダメだと感じたのだろうか、一匹のゴブリンが階段を伝って降りてきた。
僕はバールを握りしめると四階に着く直前に不意打ちの形でゴブリンの脳天を叩き潰した。
柔らかい、ぐちゃっと嫌な感触が伝わり、ゴブリンはその場に崩れ去る。
「先生!!」
「ゴブリンが居ないか確認して!!」
「い、いないよ!」
「ならば早く降りて校長室に行くんだ! くっ!」
いつの間に降りたのか、ゴブリンの一匹が僕の腕を棍棒で殴っていた。
木製の堅い衝撃が左腕を襲う。ニ撃目が来る前にバールで棍棒を受け止めるとその流れを利用して誰も居ない踊り場にゴブリンを突き落とした。
このゴブリンも頭から落ちたからか、そのままぴくぴくして動く様子は無いようだ。
「くうっ……」
木製の棍棒ってあんなに痛いんだ……。幸いにして腕の骨が折れた様子は無いが、痣にはなっているかも知れない。
もし鉄製だったらと思うと……折れてたかもな。なんて最悪な思考が僕の脳裏を過ぎる。
三匹目が来る前に早く降りた方が良さそうだ。僕はバールを握りしめて三段飛ばしで階段を駆け下りる。
三階に到着したとき、鹿島と中山は二階と三階の間の踊り場で下の様子を伺っていた。
下にゴブリンたちがいる気配は無いようで、素早く二階に降りている。
この調子ならシェルターまで早く着くかもしれない。その油断が僕の判断を鈍らせた。
三階廊下窓から襲う気持ち悪い悪寒がして、振り向くと同時に、窓ガラスが大きな音をたてながら割れてそこから何かが僕に襲い掛かった。
ゴブリンの様な軽い攻撃ではない確かな重み、その衝撃で僕は吹っ飛び、踊り場の壁に全身を打ち付ける。
「あがぁ……ッ!!」
言葉にならない痛みが全身を駆け巡る。バールで防御した筈なのに、と床に転がるバールを一瞥するとへしゃげているのが見えた。
鉄製のバールを曲げた? 一体何が……?
掠れる意識を奮い立たせて、攻撃の主の姿を確認する。
見た目は明らかにゴブリンだった。
緑色の肌に、二足歩行、腰に巻いた汚い布に醜い容姿。しかし、先ほどまで見た容姿と異なる点が一つあった。
成人男性くらいの恰好の良い、程よく筋肉が備わった大きなゴブリンが僕を見つめていたのである。
明らかに普通のゴブリンとは違う、何だ? この異質な感じは。コイツは奴らのリーダーなのか?
「先生!!」
突然三階から落下してきた僕に驚いた鹿島と中山が、僕に駆け寄ろうとしたのが見えた。
「来るな! 早く校長室へ行け!! 秘密の通路がある! そこに避難するんだ!!」
「でも……、先生は!」
「僕は大丈夫だから、早く!!」
腕で彼らを制止しながらシェルターに避難するよう促す。
その間に、大きなゴブリンはゆっくりと降りてくるのが見えた。このままでは標的が二人に向いてしまうかも知れない。
震える腕で壁に手を添えて、足を踏ん張ってその場から立つ。そうすることで戦える意思を示した。ただし立つことは出来たが全身痛いし、足も震えているのか動かない。これが恐怖ってやつなのだろう。
畜生、教師って職業がこんなに大変だとは知らなかったぞ。と亡き父親に文句を言いたい気分だ。
生憎、壁に体を打ち付けたことでイヤホンが壊れたのか管理室との通信は聞こえない。
なので一階にゴブリンが居るのかも判断つかない。彼らが無事避難できたことを祈るしか無い。
そういえば五年前も祈っていた。居るか分からない神に。家族の無事を願って。今回も祈るしか無いってのか。つくずくこの世の中が嫌になる。
『グゲゲゲ、グゲゲゲゲゲゲ』
相変わらずゴブリンは気味悪い笑い方をするなと思った。
僕は覚悟を決めて腕を握り、構える。ボクシングなどしていない素人の構えだ。
対するゴブリン(大)は棍棒を構えている。それが奴らの装備らしい。ただ、普通のゴブリンよりも大きいし、その分太いが。
『グゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲ!!!!』
この笑い声が合図だったようで、奴は棍棒を構えるとそのまま勢いをつけるように僕に向けて振り下ろした。
刹那――僕の視界が白く染まる。僕はあることを思い出していた。
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