第10話 3.目覚め

ヒコノは全身を包んでいる暖かい液体の揺らぎの中で、ボンヤリと浮かんでは消えていく記憶を徐々につなぎ合わせていた。ジルの事、謎の電波の事、時間を超越したはずの自分が、実は今せかされている事、そして前回の覚醒に失敗した事などを・・・ 記憶が鮮明になるにつれ焦りと、それを抑える自制心の狭間で身じろぎしていた。全ての記憶の糸がつながった訳ではない。開いている記憶の隙間を埋める為に、今すぐにでもアーニーに問いかけたいことが山ほどあった。

”もう二度と駄だっ子の様な真似はするまい・・・

体を包んでいる生体維持液を通して、アーニーの歩く微かな振動を感じていたからだ。覚醒が最終段階にきたので、慣例となっているアーニーの立ち会いに違いなかった。なにも分身をよこす必要はないが、味気ない声だけのやり取りよりも、目に見える相手が目覚めたときに安心感が得られることをヒコノ達種族は取り入れており、慣例化していた。

どれほどの時間が経過したのだろうか?ヒコノは自分が、永遠に終わりの無い我慢比べに、参加してしまった愚か者であるかの様に思われてきた時だった。遂に待ちわびた問いかけがあった。

「ヒコノ、ヒコノ・・・ いいかい、もう起きているんだろ? 維持装置を外すよ? 順調。順調。もう起き上がっていいから・・・。ゆっくり起き上がってくれよ。ボディーの方のメンテナンスは完全には終了しているけど、君の脳との馴染みにはまだ自信が無いんだ。」

ヒコノはゆっくり目を開けた。瞑想にはいる前と同じ白く輝く部屋の天井が見えた。照明灯といったものはないが、部屋全体が発光している。今は光を抑えてヒコノへの刺激を少なくしている。顔の前を覆っていたフードがゆっくり上がっていく。完全に上がりきったところでヒコノは手を動かすように考えた。動く。いつもながら奇妙な感じだった。手を目の前に持ってくる。なめらかだが、暖かさを感じさせない青みがかった合成皮膚に包まれた金属生の手をヒコノはしばらく見つめていた。次に指を動かしてみる。感覚もあるのだが、やはり借り物の感は否めない。最初の内だけなのだがいつも不思議な違和感があるものだ。体を横たえている縁に手をかけるとゆっくりと体を起こす。

ヒコノは出来る限り、ゆっくりそしてまぶしそうに目を開けると、自分を見おろしている白い薄絹をまとったアーニーの姿を認めた。喜びを悟られないように、そして落ち着きを装いながらヒコノは上体を起こした。

「おはようアーニー。やっとこさの解放だな。俺はもう本当に起き上がっても大丈夫なのか? 」

目覚めの言葉は用意してあった。後遺症が残っているとは思われたくない。自分の情緒安定をアーニーに印象付けようと試みた。

「ヒコノ、随分殊勝じゃないか? 一体どうしたって云うんだい?! 」

「そりゃそうさ・・・同じ失敗をそう繰り返す訳には行かないからな・・・」

かぶりを振りながら、ヒコノは素直に本音をはいた。体を濡らしている生体維持液が滴る。この油断のならないコンピューター相手に、下手な小細工は通用しないことは十二分に知り尽くしていたからだ。自分の右手を曲げ、指を動かしてみた。”何処かでまた、ジルが俺の覚醒の様子を観察しているかも知れない・・”

その恐れがヒコノを縛り付けていた。

「ヒコノ、ジルは今コントロールルームで”希望”に夢中になっているよ。」

「随分陽気じゃないか、アーニー。それに饒舌に過ぎる。」

ヒコノは何か見抜かれているような気がして、ドキッとした。しかしいくらアーニーであっても、知ることが出来るのは感情の起伏のみのはずだった。コンピューターにはテレパシーはない。アーニーが推測を口にし、それが図星だったことにヒコノは気分を害された。

「悪かったよ。確かに僕の感情回路も、若干興奮気味なのかも知れない。君の寝ている間に、随分色々なことが判明したもんだから・・・」

これにはさすがにヒコノも我慢できなかった。

「アーニー、俺をからかっているのか? 俺が何を知りたがって、あんなヘマをしでかしたか知らないはずはないだろう。俺がさっきから聞くのを長い事我慢しているのもだ!!!」

ヒコノはもう立ち上がっていた。体がふらつく。アーニーが、気が付かないうちに後ろに回り込んで自然に体を支えてきた。濡れそぼった体を丁寧に拭き取ってくれ始めた。ヒコノは高ぶっている感情を抑え、アーニーに体を預けていた。

ヒコノはさっきまで自分が浮かんでいた、風呂桶のようなケースの中に立ち尽くしていたが、ようやく意を決してそれを跨ぎ、床に用意されていたサンダルに足を通した。ヒコノは持てる能力の全てを総動員して、姿勢を保った。アーニーは用意してあった今自分が着ているのと同じローブをヒコノに着せてくれた。

「OK、ヒコノ。人造ボディーとのなじみは上々だよ。これならこれから始まる事にも十分対処して行けると思う。申し訳なかったね、神経を逆撫でるような事ばかり言って・・・ 僕には確認する義務があったんだよ。」

「状態を確認するにも他に方法ってもんがあろうが!!! まあいい・・・。ジルとの御対面の前に、現状って奴をこの寝起きの錯乱者もどきに教えちゃくれないか?」

だいぶましになっていた。ふらつきはするものの、自然さが増していた。「OK、ヒコノ。 もうそれなら、たとえ荒れすさんだメタンの海の中の遺跡の探索だって十分できるよ。」

「フーーッツ!!!お世辞なんかはいい・・・。それよりもうお前の確認から解放して頂ける訳だ!!!さあお待ちかねだ!。今すぐ話せ!!約束だぞ!。」

「ああいいよ。すばらしい自制心だよ。さてそろそろ種明しと行こうか・・・。コントロールルームに向かいながら話そう。あんまり焦すとまた爆発しかねないからね。」

今回はサブアーニーと共に前回同様、自室から中央部にあるコントロールルームを目指した。

「頭の整理は済んでいるかい?。瞑想に入る前の事で記憶が欠落している点は無い?。よし、今、館倫丸は”希望”から3光秒の距離にいるんだ。後3日位で”希望”の周回軌道に乗るよ。分析自体はもう完了しているし、後は君の覚醒を待って着陸して調査するかどうかを判断するかだけって所かな?」

「・・・もうそんなに・・・ なんでそんなに近くまで来てるんだ!?」

ヒコノは予期せぬ事態に、驚きを隠しきれずに叫んだ。

「落ち着いて聞いてくれ。君がコールドスリープに入ってから7年後に事態が急変したんだよ。その2年程前にジルは覚醒していて、例の電波解析に夢中になっていた。電磁場を放出している白色恒星脇の航路を進んでいたんだが、その影響が少しづつ薄れてきてノイズじゃない可能性が高まったんだ。昨日の事なんだけど、それまでの微弱な電波だけじゃなくて、同じ発信源からハイパー通信を受信したんだ。それも前とは比べ物にならない位力強く・・・パイパー波で全包囲に向かって叫び出したんだ。」

「ハイパー波だって?・・・そんな技術を奴ら持ち合わせていたのか・・・。 そうだ、それよりも何を喚き出したんだ奴ら・・・。 まさか誰も相手にしてくれないんで、しびれを切らしてトチ狂ったんじゃないだろうな?」

「冴えてるよ、ヒコノ。僕の計算ではその確率が99.9999%を超えている。彼ら全宇宙に向かって、大出力でメッセージを放送しだしたんだ。」

「メッセージだって? 何でそんな事が分かったんだ?!。意味を解読出来たっていうのか? 」

「彼らほぼ間違い無く君らと祖先がどっかで継ながっているよ。論より証拠だ。今から再生して聞かせるから、耳をカッポじって聞いてくれよ。」

アーニーはもっ体ぶって上を見上げた。まるで天からの声を待つように。

”・・・・・・ウーーデガ・・・ダーダー・・・・ジュピテシム・・・ ”

ヒコノに取っては訳の解らぬ”希望”の住人の言葉が30秒程続き、また最初から繰り返され出した。

「一体何なんだこりゃ?何処でどうしたら、この訳のわからん言葉の羅列から奴らの先祖と俺らの先祖を結び付くっていうんだ! 」

「分からないかい? ハイパー波は通常空間を通らず全くタイムロスの無い最も進んだ通信方法なんだよ。その利点は今更説明する必要はないかも知れ無いけど、発信者の声帯で話せばアクセントから周波数まで正確に鮮明に送信することが出来るんだよ。つまり今聞いている声はそのまま”希望”の住人の声なんだ。何の手も加えていない生の声なんだよ。」

「だから何だって言うんだ!俺にはさっぱりわからん!!! 」

「もし君がこの放送の原稿を手にしたとしたら、おそらく正確に何の苦もなく発音できると言うことなんだ。機械的な手助け無しに君の生身の体についている声帯で正確に言える周波数帯にある。つまり彼らの声帯と君らの声帯はほぼ同じ構造を持っていると断言できる。こんな事は生物学的にあり得ないことなんだよ。それに君には意味不明に聞こえるこの言葉だって、僕の記憶バンクの中にある君らの古語と照らし合わせると、驚くほど似通っているんだ。だから解読もできた。」

「間違い無いのか?。本当に俺らと同じ祖先を持つ奴らなのか?。もしかしたら”希望”はそもそも俺達が捜し求めている[母なる星]なんじゃないんだろうか?。それに奴らは一体何て言っているんだ!!!?。」

「・・・サヨナラさ・・・さっき君が言ったろう? 翻訳するとこうさ・・ ”我ら誇り高き人類は永きに渡って待ち続けた。同胞或いは慈悲深き神を・・・。 我ら哀れなる漂流者に、救いの手の差し伸べられるのを永劫とも思える日々を費やし待った・・・。されど遂に御手は差し伸べられなかった。我らの力もはや尽き、ただ滅するのみ・・・。なれば最後にこの忌まわしき幽閉の地もろとも消えんと思う・・・ サラバ・・・ ” ・・・以上。これを繰り返しているんだ。彼らは自分を「漂流者」と呼んでいる。たぶん君達と同じく遥か昔に[母なる星]を離れた種族の可能性が高い。前から受信していたぶつ切りにされた電波はSOSだったんだと思う。その時は7光年離れたところだったからまだ受信できたけど、ハイパージャンプで恒星系X80950001に着いた時には消えていたよ。」

「遺言状じゃないか!!! え!!! アーニー!!!何をノンビリ構えているんだ!!! 返電だ!!!俺らが今助けに向かっている事を知らせてやるんだ!!!早まった事をするんじゃ無いって怒鳴り散らせ!!!」

「ごめん。それは既に昨日実施したよ。ジルの指示でね。本来は白色恒星を過ぎるまで亜光速航行予定だったけど、急遽星系近くまでハイパージャンプをしたんだ。さっきも言ったけど、今館倫丸は”希望”から3光秒の距離にいるんだ。減速中で後3日位で”希望”の周回軌道に乗るよ。そして呼びかけに関しては返事は無かった。今もないよ、念の為。」

ヒコノは立ち止まって呆然とした。アーニーの言う同胞は気の遠くなるような永い時を待ち続け、最後の最後になってヤケを起こし、貯めておいた虎の子のエネルギーを使って、馬鹿みたいに大食いのハイパー波で遺言状を喚き始めたというのか?。

「それで例の電波がハッキリ受信できると予測した14年より前倒しで君を緊急覚醒させたんだ。今は探査の準備とどうするかを君とジルの判断で決めてほしい。」

2人はもうコントロールルーム寸前まで着いていた。

ヒコノはいい気になって、ハイパー望遠鏡を覗き過ぎていたことを今更ながらに後悔していた。余りに単調な日々が続いていたので、こういった緊急時に対応できるような体調作りを怠っていたツケが来たのだ。自業自得と言えばそれまでだった。それにしても何という最悪の覚醒となってしまったのだろう。大抵こんな気分になるのはジルが先に目覚めているときだったが、ヒコノの長すぎる程の人生の中でも最悪のパターンと言って良かった。いつもジルが退屈からくるフラストレーションを抑えきれずに、覚醒直後の惚けたヒコノの質問をバッサリ切り捨てることからそれは起こっていた。この旅の出発時には確かに愛し合っていた2人だったが、溝は深くなるばかりだった。ヒコノとしては何度が修復を試みたが全て失敗に終っていた。ハイパー望遠鏡を使って哀れな巨大エイM51200ー1ー1を覗き過ぎていたことだって、ジルと共に観察したことへの感傷かも知れなかった。あの時は互いに生物の生への執着に関して、話し合ったものだった。ジルと感情的にならずに話したのは、それ以来無かったはずだった。               

それでも決定的な破局が生じないのは、お互いの存在意義を認めざるを得ないからであった。この広大無限とも言える空間の中で、最も身近な存在はヒコノとジル2人しかいなかったからである。確かにアーニーはよく気が付く2人の良き僕であり、理解者ではあった。しかしそれ以上ではなかった。頭のよい相談相手になっても、真のパートナーではないと少なくともヒコノは思っていた。ジルはどう思っているかは考えたくなかった。機械相手に嫉妬する程自分が未熟だとは認めたくはなかったからだ。

ヒコノ達が属する種族は、銀河の中心部に程近いある太陽系の第5惑星の出であった。温暖な気候と有り余る地下資源、そして数多くの動植物に囲まれて彼らは高度な文明を開花させた。帝国主義的な時期を過ぎ、ある程度の版図を得た彼らではあったが、周囲に彼らに敵対できるような知的生命体などいなかったためにすぐに膨張主義も廃れてしまった。文明と社会が成熟し、何の生産活動も必要としなくなった彼らには、もはや知的好奇心を満たそうとするか、日々ただ怠惰に暮らすかの道しか残されていなかった。加えて深刻な出生率の低下が問題となってきた。元々人口は少なかったのだが、徹底した個人主義と種の保存としてのセックスに関心がなくなってしまったために、年間出生は10名を切り、全人口1万人を切るほどになってしまっていた。不老不死のてっとり早い手段である自らの肉体を改造することや、自分の脳を生体人造ボディーに移植して肉体を冷凍保存することが一般化してしまっために人口はジリジリと減少していた。新生児の数よりも、事故死や自殺者の数の方が多かったからだ。ユートピアにも見えるマザータウンの住人であっても、不慮の事故は避けられなかった。大抵は進んだ医療技術で再生されるが、脳の50%が修復できなかった場合、別人格になってしまうとしてクローン再生個体は2級市民扱いだ。そのため政府は真剣に【種の保存】に取り組むまねばならなくなり、まだ生殖能力のある全市民に成人後10年以内に1人以上の子孫を設けることを義務づけた。これを守らない市民は、2級市民としてマザータウンを離れる事は許されなかった。自分の脳を人造ボディーに移して永遠ともいえる退屈な日々を過ごさねばならなかった。彼らの種族はこの制度によってかろうじて種の保存を保っているのであった。マザータウンにはそう言った理由で2級市民となったものがたくさんいる。ヒコノとジルもこの政策から半ば強制的に作られたカップルの1組であった。マザータウンの大コンピューターによって選び出された彼らには娘が一人生まれた。自前の体を使ったセックス自体は娯楽の一種として日常化していたので戸惑いはなかったが、彼らは最初の内は互いに対して夫婦としてどう対応して良いか解らなかった。しかし、子供を持つことによって愛が芽生えていったと感じるようになった。少なくともヒコノはそう思っていた。

娘は今頃何をしているのだろうか?

3人で過ごした期間はそれほど長くはなく、他の子供たちと同様に次第に自身の興味が向いた事象に専念没入し出した。

ジルは政令化されている子育て期間が過ぎると【源流】を探したいと言い出した。【源流】探しはマザータウンでは最もポピュラーな「仕事」となっており、ジルがヒコノとの結婚以前から希望していたことであった。義務である子孫を設けたことで、マザータウンより1級市民の資格を得た今、ヒコノとジルは政府の全面的な補助の元、船やそれに付随する設備を手に入れることが出来た。補助の中には、マザータウンのメインコンピューターより複製された電子脳を持つアーニーも含まれていた。

政府から支給された諸々の設備を使って2人は「マザータウン」を離れた。自分達の勢力範囲である星系を訪れるだけで、ゆうに200年は費やした。初めの内こそ新婚気分で互いを尊重し、知的喜びを共有できた2人であったが、変わりばえのしない多くの星々を探索(観光といっても良いかも知れなかったが)し続ける内に互いに疎ましさをいつしか感じ始めるようになって行った。それはふとした弾みで、進化の極みにあるはずの自分達が思いもよらない感情の起伏に襲われ、いがみ合い、互いを傷つけ合ってしまったことによった。互いに接触することで、傷つくことが2人を臆病にしていった。互いに過ごしてきた時間が長くなればなるほど相手に求めるものが大きくなり、それが満たされないと感じたときに感情が爆発してしまったのだ。そんなことを数千年の間に幾度となく繰り返していく内に、ヒコノとジルは共同作業が避けられない場合を除いて、お互い顔を合わせないようになっていった。瞑想に入る時間をわざとずらしたり、相手が覚醒する予定時間直前に瞑想に入ったりするようになったのだ。そんな2人に決定的な別離(片方が「咸臨丸」を降りるなりして別々の旅を始めるなどがそれである。)が訪れないのには2つの理由があった。1つはマザータウンの制度がそれを許さなかった。政府が2人に与えた支援補助には守らねばならない義務があった。

”必ず2人以上のグループでの航海”、

”仲たがいによる紛争の末グループ解消を決定した際には、直ちに全員で帰国する。”

(その瞬間から全ての権利は船のマザーコンピューター「ここではアーニーになる」に移管され従わなければならない。)

”本国での詳細履歴の報告尋問の結果が出るまで、次の航海は認められない。その際に不適格と判断された人物は航海権を剥奪される。”

審査結果の末、たとえ許可が出たとしても新たなパートナーを見つけなければやはり航海には出られなかった。それが一番困難なことであることはマザータウンでは常識であった。「出戻り」は決して名誉にはならなかった。誰もが自分のパートナー選びをする際には相手の履歴書を詳細に検討する。その履歴書には「出戻り」が有ったこと、なぜ「出戻り」しなければならなかったのかの理由などが明記されているからだ。外宇宙での探求を望み、数千年以上も1つの船で暮らしていくことを選んだ以上パートナー選びは皆慎重にならざるを得ない。ましてや人口の少ないマザータウンに戻ったところで、すぐに最適のパートナーなど捜し出せるわけがなかった。大概はそこで航海をあきらめ、仲間達が持ち帰る未知の領域の新情報で好奇心をなだめる余生を送る羽目になってしまうのが常であった。永遠の時を過ごせるヒコノ達種族に取っては、それは出口のない時の監獄に入るのと同じであった。この制度は長いマザータウンの住人達の苦い歴史の中で、培われたものだった。1人だけでの航海、大っぴらな紛争を抱えたままの航海は必ず殺人または、無軌道な宇宙環境の破壊へとつながっていった。このようなことから大きな宇宙大戦まで経験したマザータウンの思想家達は、これを「基本指令」と呼び絶対厳守の憲法として定めた。これを変更することは何人たりともできなかった。もう1つの理由は、互いに存在理由を認めていたからであり、最低500年に一度義務つけられている「体接触」があったからであった。「体接触」とはヒコノ達が本来の生体機能を維持するために行うセックスのことである。ヒコノ達の不老不死は人造ボディーに脳を移植することによって成り立っていたが、生物としての痕跡を残したいという本能からか、生来の体は大事に保管されていた。しかしあまり長い間脳と本来の体を切り放していると、いざ純粋な自分の体に戻ろうとしたとき、拒絶反応が起こり完全に適合出来なくなることが分かっていた。そのため500年に1回1年間は、本来の体に戻ることになっていた。この「生物化」はグループ員全員が同時に行うことを義務としていた。その間のセックスは繁殖にもつながり、政府からも推奨されていた。

仲が険悪になり、顔も合わせなくなってきたヒコノとジルもこの間だけは、生身の体でシブシブ一緒に過ごした。2人とも新陳代謝機能の維持、ホルモンの関係からもセックスが自分の体の健康のために必要なことは理解していたのでその期間に数回はセックスをしていた。しかしこの「体接触」は少なからず2人のほどけかけた仲を修復する機能を持っていた。「体接触」はヒコノにもジルにも文字通り血と肉を与え、感情と理論だけでない生物としての本能を呼び覚まさせていた。ほぼ500年間互いを疎み、時には憎しみさえも感じあっていた2人の心を僅かではあったが溶きほぐすのだった。

「神に近づいたといっても、生身の体を持って生まれてきた以上切り放してはいけないか...」ヒコノは思った。

実際ジルも同様に生物化した最初の内はぎこちないが、1年が過ぎる頃にはかなり昔の状態にまで中を修復させてくれていた。しかし1年の“生物化”が終わり、2年もしない内に2人の仲はまたもとの通り冷えきり、自分の方から生物化したいなどとは言えない雰囲気になってしまっていた。互いに修復する意志はあるのだが、感情が理性に押しつぶされてしまう。そのまま残りの500年近くをむなしく過ごす他はないのであった。

「いったい誰なんだ500年っていうリミットを決めたのは! 100年でも長いくらいだ!! こんな長期の航海で500年毎の生物化っていうのはどうかしてるぜ!!」

ヒコノもジルも生物化のリミットがくる頃、互いを抱きしめ合いながら呟きあっていた。生物化の1年というリミットは、本来の体を出来る限り若く保つためには必要なことだった。クローン再生による代替ボディは本来の体がひどく損傷し、再生不能にならない限り使用されなかった。「生のサイクル」の外に外れた彼らにとっては、生まれたままの体が唯一自分達もか弱い生物なのだと自覚させてくれるものであり、慰めでもあった。かってはヒコノ達の内にも精神の高見を目指すもの達がいた。彼らは環境、体調によって精神に影響を与えられることを嫌い、本来の体を捨て、疑似ボディ機械化した体のみで生活し始めた。その結果、彼らは次第に感情を失って行き下手な感情回路を持ったコンピューターより無機質になってしまった。無感情となった彼らは生物的には死んだも同然となり、他者との接触を拒みマザータウンでは孤立した存在となっていた。ヒコノ達はこうして永遠の命を得るためには継続的に生物化しては感情に刺激を与えなければならないことを知ったのだった。


「さあいざ我が愛しのジルと希望の星への対面といくか。」

それでもコントロールルームの前まで来ると立ち止まって深呼吸してみた。呼吸など必要のない体なのだが、生身の肉体を持っていた時の習性は出るものだ。

意を決してヒコノは前へと進んだ。ドーム状の白く輝くコントロールルームの壁がいつもの様に音もなく開く。部屋の中央に複数のモニターと天球儀が浮かんでいた。違っているのは画像だけでなく、複数の観測データを示すグラフが示されていた点だった。

こちらに背を向けて観測データを見ているのがジルだ。

「お目覚めの具合はどう?頭ははっきりしている?アーニーから現状は聞いた?」

ヒコノは振り向いて話しかけてきたジルを見て美しいと思った。黄金の長い髪、白い肌、意志の強さを感じさせる青いの大きな目。そしていつも厳しい内容を告げるがヒコノにとっては楽器の音色にも感じられる言葉を発する口。身に纏ったローブ越しに見えるしなやかな肢体。生身の時のジルを模した人造ボディーではあるが、かなり現物に近い容姿のジルをみてヒコノは落ち着くことが出来た。

ヒコノはジルの棘のある言葉に傷つきながらも、ジルを見つめていた。感情を隠せる合成皮膚に覆われた顔には出さなかったが、ヒコノは自分がジルをパートナーに選んだわけを思い出していた。ただ黙っている訳にはいかなかったので、意を決して口を開いた。

「ああ。予定より早く起こされた理由とパイパー通信、それと現在位置。これからどうするのかを決めなきゃならない所までかな。」

「そう。それじゃ続きの説明を私とアーニーでするわ。今咸臨丸は減速中であと2日は準備期間があるから。」

「そうだね。まずこれを見てくれないか。」

アーニーは天球儀の方へヒコノを導いた。

「まずここ。この地点でヒコノと僕が“希望”の通信に気付いたんだ。約7年前にね。そして君がリフレッシュに入った後、僕は“希望”について光学分析などを行った。“希望”は恒星系X80950001にある5つの惑星の内、1億2000万キロの軌道を回る第2惑星だった。地軸は6.7°傾いているから四季はあると思うけど、恒星X80950001がもう寿命が近くて、“希望”にいる生物体系に十分なエネルギーは与えられていないようだよ。凍りつきつつある惑星だ。」

「すると何か?やっぱり生物は死に絶えていて、かっての文明の遺物がむなしく全宇宙に遺言状通信を送ってるってことなのか?」

「その可能性は高い。ほぼ100%かな。とにかく“希望”からはその前までは例のぶつ切りにされた電波通信以外何もキャッチされなかったし、太陽系自体が死にかけていたから僕もジルも遺跡発見がいいところだと思っていたんだ。」

ヒコノはアーニーをせかして肝心のところを早く聞きたかった。しかしそうした場合のジルの反応が怖くて、自制心を働かせた。

「恒星系X80950001に変化が現れたのはハイパー通信受信後まもなくなんだ。活動が活性化したんだ。最後の光の様なね。」

「最後の光?」

「画像を見せてあげたら?」ジルが割って入った。

部屋の中央に浮かぶ、先程まで咸臨丸を中心に映していた天体儀が徐々に画像を変え、恒星X80950001 と“希望”を並べて映し出した。恒星X80950001は躍動感感じさせる強い光を巻き知らしているように見えた。そして隣の別映像は“希望”のようだ。そこには白く輝き、赤道周辺が青みがかっている惑星があった。

「見て欲しい。恒星X80950001の活動が活性化したおかげで、“希望”を覆っていた氷が融け出しているんだ。赤道中心の辺りの氷が融けて湖や小さな海が出来ている。そのせいで気圧変動が起きて地表は嵐が吹き荒れているよ。」

今や恒星系X80950001は久しぶりに躍動感にあふれているように見えた。しかしそれも終結間近の仮初めのものだった。

「この状態を詳しく説明してくれないか?」

ヒコノはこの劇的な画面に心を奪われ、尋ねた。今までの分析結果をすべて知っているジルはヒコノに一瞥をくれたが、何も言わなかった。

「ヒコノ。この変化は咸臨丸がハイパージャンプで恒星系X80950001外縁に到着してすぐに観測されたんだ。恒星X80950001が突然放出熱量を増大してね。もう死にかけている恒星がこんな風に活性化するなんて自然現象としてはあり得ない。ペテルギウス級の巨大恒星ならブラックホールへの変化過程で考えられるけど、中型恒星X80950001では起こらない。死にかけとは言え、まだヘリウム核融合が終わっていないから赤色巨星への移行じゃない。さっきも言ったけど、高出力レーザーによる中心核の破壊が一番可能性が高いとみている。」

「レーザービームだって?そんなものを使って恒星を活性化させてどうするんだ?“希望”の住人がやっているとしたら自殺行為じゃないのか?やつらはSOSを出していたんだろ?」

「以前はね。そしてハイパー通信による遺言だ。それから暫くして恒星X80950001は活性化しだしたんだ。高出力レーザーといっても、一機に破壊出来る程では無いようでね。でもいつ爆発してもおかしくない状況だよ。」

「ハイパー通信に、高出力レーザーを持っている連中だというのに…やけくその断末魔かよ…」

「とにかく咸臨丸のバリアーでも、恒星爆発には耐えられない。いつでもハイパージャンプで脱出できる準備をしているところだよ。」

「そこであなたの同意が欲しいの。私は“希望”に上陸して調査がしたい。」

「はっ? 上陸? 脱出じゃなくて?」

「常識ならそうでしょうね。でもこのチャンスあまりに奇跡的なのよ。SOS電波を受信出来て“希望”に向かっていた事。そうあの星を“希望”と呼ぶことは了解したわ。そしてその途中で遺言状の様なハイパー通信を受けてすぐに到着できた事。そしてもうすぐすべてが崩壊して、もう二度と調べる事が出来なくなること。絶対に逃したくない!」

ヒコノはしばらく言葉を失っていた。ジルから強い決意がヒシヒシと伝わってきている。言っている事に間違いは無いだろう。こんなチャンスはこの先ない事も分かっている。しかしいつ恒星が爆発するかも判らないこの状況で上陸するのはあまりに命知らずだ。

「言いたいことは判るわ。でもこんな時の監獄に閉じ込められているような生活をこの先もずっと続けて、後悔するのは絶対に嫌。」

「少し考えさせてくれないか…“希望”に上陸するってこんな状況じゃ時間もないし、何を調べるっていうんだ?」

通常であれば、十分な距離を取ってから恒星系X80950001に探査機を飛ばして時間をかけて探査を行う。安全が確認されてから探査機は対象となる惑星及び衛星に向かう。そして探査価値のある惑星があれば、長い月日をかけて探査するのが通例だ。

「ハイパー通信を今も発している箇所1点よ。アーニーは私達が合意するのであれば、上陸に1日だけ猶予をくれると言っているわ。」

「僕の絶対使命はホストを守る事だけど、ホストが自身の生命への危険性を認識し、合意の上での僕への命令。それだけじゃ足りない程危険度が高いけど、今回の事態は基本指令の一つ“源流”につながる情報は最優先で入手努力する事にも合致している。特例中の特例として君が合意すれば、受諾できると判断しました。」

「上陸中に恒星が爆発が起これば、私達だけでなく待機中の咸臨丸も終わりよ。それでも賭けたいの!危険なのは十分承知しているわ。ヒコノそれでもお願い。合意して。私一人でも上陸するから。」

こんなに真剣なジルを見るのは初めてだった。そしてこんな風にお願いされる事も。目的を果たす前に全員が終わりを迎えるかもしれない賭けにヒコノは恐怖を覚えたが、初めて見るジルの熱意にヒコノは決断した。

「この航海を始めるときに、最後まで運命を共にするって誓ったしな。それにこのまま逃げ出したらもう航海を続ける気力も失せそうだ。」

「ヒコノ!ありがとう!見直したわ!」

「一言余計だよ…」

人工皮膚で表現されているとはいえ、ジルの満面の笑みを見てヒコノも笑顔で返した。


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