57話 進水式と船釣りのこと

進水式と船釣りのこと








「ふんぬぬぬぬ・・・!!」




「ぎにゅううう・・・!!」




暑い。


汗があとからあとから出てくる。




「も、もうちょいだ!頑張れ朝霞ぁ・・・!」




「が、がってん~・・・!!」




渾身の力を込めて腕を押し出す。


手の先にあるモノが、ずずず、と音を立てて動く。




「これは・・・エクササイズにいいかもしれんな・・・!」




「どこにも・・・エクササイズの必要ないでしょあなた・・・!」




俺の右には朝霞、左にはアニーさんがいる。


俺たちは3人そろって必死に腕を押し出している。




「ふ、ふふ・・・男にはわからんことも、あるのだ・・・!」




「そう、だよにいちゃん!オトメゴコロは複雑なん、だし!」




「そう、です、か!」




駄目押しとばかりに腕を押し出すと、不意に感じていた重さが半減した。


よし!先っちょが海に到達したな!




「えらっしゃあああああい!!!」




「変な鳴き声をやめろ朝霞!力が抜けちゃうだろうが!!」




「ひどいしーっ!!」




腕を押し出すごとにどんどんと重さは軽くなり、遂にはほとんど感じなくなってきた。


同時に、足先に水の感触。




「・・・ふう、これで終わりか。イチロー、後で揉んでくれ」




「肩を、ですよね?肩だって言ってくださいね?」




何やら恐ろしいことを言い出しそうなアニーさんに釘を刺しつつ、俺達が今までひいこら押してきたモノを見る。




「よっしゃあ!パッと見浸水もないしいけそういけそう!最終確認だし!」




朝霞はざぶざぶと海水を掻き分け、それに近付いていく。




「・・・直りましたねえ」




「凄腕エンジニア2人がかりだからな、当然だろう?」




最大級のドヤ顔を披露するアニーさんの後ろで、海に浮かぶ物体を見る。


側面に達筆な文字で『 竜 神 丸 』と書かれている・・・元、ボロ船を。


・・・意思とか持つ3頭身くらいのロボットを思い出すな、漢字はたしか違うけど。


好きだったな、あのアニメ。


そう言えば最近リメイクされてたんだっけ。


今度探してみよう。




「やっぱ・・・はしご・・・つけときゃ、よかっ・・・にゃああああああっ!?」




意気揚々と乗り込もうとした朝霞は、側面で滑って盛大な水しぶきを上げて着水した。


梯子もそうだが、サンダルで乗り込もうとしたのも悪かったんじゃないかな。




「にいちゃっ!にいちゃあん!乗るの手伝ってええぇえ!!」




「まったく・・・はいはいわかったよ!」




バチャバチャ暴れる朝霞を手助けするべく、俺も海水を掻き分けて歩き出した。






ここは、ねえちゃん宅の庭にある船用倉庫から海へ続く水路だ。


いつもなーちゃんが無限ダッシュを楽しんでいる砂浜の丁度横に位置している。


横幅は広く、竜神丸くんでは大分余裕がある。




牙島に俺が流れ着いてからパーツ集めの旅をしたおかげで・・・竜神丸は蘇った。


今日は、その進水式というわけだ。




この水路を進み、ねえちゃんの旦那さんが船を係留していた場所までそのまま行くのだ。


すげえよなあこの家、庭に港あるんだぜ。


そうとう金持ちだな・・・と思ったが、朝霞に聞いた所この島ではありきたりのことらしい。


港から離れた漁師の家は、だいたいこういう感じの施設があるんだそうだ。


・・・この島全体が金持ちだったというわけだ。




「よーし、じゃあエンジンかけるかんね!」




シャツくんが無念の戦死を遂げてしまい、すっかり見慣れた下着姿の朝霞がハンドル・・・ハンドルじゃないよな、アレ何て言うんだったっけ・・・まあいいや。


とにかくそれを握りしめ、彼女は全身からやる気を漲らせている。




「おい、いくら好きだといっても尻を見すぎだぞイチロー」




朝霞と俺に続いて乗り込んだアニーさんがノーモーションで拙者を変態扱いしてきた。


本当にやめろください!




「マジで!?もー!にいちゃんのエッチぃい!」




「少しは嫌そうな顔しろお前、〇ずかちゃんを見習えよそれじゃ痴女だ」




パンツに手をかけるんじゃないの!!


脱いだら一生口聞かねえからな!!




「そして誤解ですアニーさん。こんな朝っぱらから盛るわけないでしょ」




「おや、では夜にネグリジェでも着て誘惑するとしよう」




「相変わらず無敵だわこの外人」




もう何を言っても無駄だと思うので積極的に無視していく。


この人、打ち解ければ打ち解けるほどどんどん下ネタの度合いが増えていく気がする。


いやだなあ、そんなアンロック方式。




お、エンジンが無事にかかったようだ。


重々しい駆動音が響き、船体が軽く振動している。




「うっし!おけおけ!」




朝霞はさっきまでとは違ってかなり真面目な顔になっている。


下着姿じゃなければもっとカッコいいのになあ。




「えーっと・・・にいちゃん、あんま外海に出ないようにすんだよね?」




「ああそうだ、一応、用心のためだな」




ミサイル陣地の『マーヴェリック』はめでたくジャンクにクラスチェンジしたので、いきなり撃たれる心配はない。


古保利さんが派遣した偵察部隊も、中央地区で『レッドキャップ』が活動している様子はないと確認している。


だが、ミサイルがなくても遠距離攻撃の手段はあるので用心に越したことはない。


考えにくいが・・・偵察部隊の目を盗んで狙撃されることもあるかもしれん。


だから、今回の船旅は中央地区から狙われない程度の沿岸をうろうろするだけだ。




「それに試運転だからな、遠出して故障した挙句に漂流しました・・・じゃあ笑い話にもならんだろう?」




「にいちゃんとならヒョーリューしても楽しそうだからいいけどね!」




「申し訳ないがこっちは絶対に御免だ」




「ひどいしーっ!」




楽しい漂流ってなんだよ。


世界〇作劇場じゃないんだぞ。




牙島南の近辺には龍宮と詩谷の港しかないんだ。


もしも漂流したら巡り巡ってアニーさんの故郷に流れ着くわ、白骨死体で。


俺も実際そうなりかけてたわけだし。


こっから先は広い広い大海なのだ。




「うむ、エンジンの調子はいいようだな」




アニーさんがそう言うように、竜神丸は元気よく水路を自走し始めた。


以前乗ったエンジン付きのボートとは比べ物にならないほどの力強さである。




「キャウン!ヒャウン!!」




「ええ~・・・なんで今ぁ?キミ家出る時は寝てたじゃん・・・」




そして速度が出始めた船に並走するように、水路の脇をなーちゃんがダッシュしている。


『置いてかないで!』もしくは『一緒に連れてって!!』というような鳴き声を上げながら、俺達の顔をガン見している。


犬心と秋の空とはよく言ったもんである。


・・・聞いたことないな?




「朝霞ぁ、あの子どうしよ?」




「あーだいじょぶ!この先で一旦止めるから!」




とのことなので、なーちゃんはしばらく走っていてもらおうか。


本犬は置いて行かれないように必死なので可哀そうではあるが。






「まったく、初めからついてくりゃよかったんだぞ?」




「ワウゥ・・・キュン・・・」




朝霞の言う通り、水路の先の係留場所で竜神丸は停船した。


今はロープで固定されており、朝霞とアニーさんが船内をごそごそ調べている。


水に浮いた状態で、各所の不具合を最終確認するのだそうだ。


ここで浸水や電気系統のトラブルなんかを確認して、何もないようなら晴れて試運転となる。




俺はできることも特にないので、邪魔にならないように船体後部でなーちゃんと遊んでいる。


船を追いかけて走ってきた彼女は、係留される前に飛び込んできたのだ。


さすがはボルゾイである、運動能力がダンチだ。


どうりで四六時中走り回っても疲れないはずだ。




「っていうかこれから遊覧・・・というか試運転なんだけどキミ大丈夫?船酔いとかしない?」




「ワフフ、ヴァウ」




「それなら心配ないよ!なーちゃんも他の犬も、漁にしょっちゅうついてきたし!」




俺の疑問になーちゃんは鳴き、朝霞はエンジンブロックから顔を出して答えた。


あらら、顔がオイルまみれじゃないか。




「マジで?」




「そだよー!えっちゃんなんかとれた魚を踊り食いしてたんだから!」




なるほど、それなら大丈夫だな。


漁船に乗る犬か・・・珍しいな。




「えっちゃんってのは?」




「なーちゃんのお姉さん!アニキが『エンガワ』ってかわいくない名前付けちゃったからね!女の子なのにかわいそうだし!」




エンガワ・・・刺身は大好きだが、たしかに犬の・・・それもメスにつける名前としては不適当だな。


朝霞の兄貴のネーミングセンスは最悪、無職再確認。




「・・・いつかみんなで会えたらいいな、なーちゃん」




朝霞の兄貴と一緒に目下行方不明の犬たち。


そのみんなと、サクラやソラと一緒に高柳運送で遊ぶ。


それは、きっと楽しいだろう。




「バウ!ワウゥ!」




それが伝わったのか、なーちゃんは目をキラキラさせて元気よく吠えた。


いつか、いつかそんな日が来るといい。


俺は、少し胸が締め付けられる思いがした。




「・・・いつもそんな顔でもしていれば、今頃両手に余るほどの恋人がいたかもしれんな」




「物理的大岡裁きで真っ二つになりそうなんで嫌です」




朝霞の横からひょっこり顔を出したアニーさんがそう言った。


そんな顔ってどんな顔ですか???


俺の顔はそんなに千変万化なのだろうか。




「ははは、まあ、そうなっては色々と不都合があるだろうしな(これ以上増えたら・・・リンに殺されてしまうな、私が。アカネは許すだろうが)」




「(あーし的にもそれはちょっと困るし。敵が増えるし)」




急に朝霞とアニーさんが内緒話でもするように声を小さくした。


なんだろう・・・?


まあどうせ船の整備関係なんだろうけどさ。






「ではでは、よーそろー!」




「バウゥ!ワォン!!」




最終点検が終わり、いよいよ竜神丸が船出することになった。


舳先にバランスよく立ったなーちゃんが、出港の合図をするように高らかに吠える。




その声が終わるくらいに、竜神丸はエンジンを雄々しく轟かせながら力強く進み始めた。


おっとと、結構揺れるな。


漁船に乗るなんて釣り船以来だ、船酔いしないといいなあ。


『酔い止め』を摂取しておこう。




「ん!ん~!」




「はいはい」




隣で雛鳥のように唇を突き出すアニーさんに煙草をおすそ分けし、俺も咥える。


ここは後部なので風向きの関係で朝霞やなーちゃんに副流煙がいくこともない。


最高の喫煙所ができちまったなあ。




「ふうぅ、広い海にいい潮風、さいっこう・・・!」




格別な味だぜ・・・




「おやあ?『隣に美女』が抜けているのではないかな?」




「・・・ほんと、俺前世でよっぽどいいことしたんだろうなあ。天使まで横にいるじゃん・・・アニーさんは美女のジャンルから飛び越えてますよ」




我ながら歯の浮くようなセリフだが、最近はちょっと慣れてきた。


師匠がいつか言ったように、言える時に言っておかないと後悔するかもしれないしな。




『褒めろ、とにかく褒めろ。なに恥ずかしい?馬鹿めが、一生女に相手にされぬほど恥ずかしいことがこの世にあるものかよ』




・・・師匠、モテたもんなあ。


あの年になっても。


若い頃なんてそりゃもうとんでもなかったんだろうなあ。




「ふふん、我が生徒は最近上昇志向が芽生えていいことだな」




かっこよく紫煙を吐き出し、アニーさんは笑う。


なにしてても絵になるなあ、この人。


紅い髪が風にそよいで、まるで映画女優だ。




「教師がいいからですね、たぶん。早く卒業できるように頑張りますよ」




「卒業試験会場はベッドの中だ。あせると失敗するだろうが、まあそれもかわいいものだ」




・・・ポルノ女優の間違いかもしれん。




「・・・一生留年しようかなあ」




「死が2人を分かつまで・・・か。おいおい、こんな日も高いうちから誘ってくれるなよイチロー、我慢できそうにない」




「我慢してください、大人でしょ」




何故俺は外国人女性に母国語でも勝てないのだろうか。


結局のところ女性にはどうやっても勝てない、ということだろうか。


逆らう気も特にないけれど。




アニーさんは『味方』の女性だ。


『敵』に属している鍛治屋敷の妻子には、容赦はしない。


和気あいあいと会話をする気もないけどな。




「むお?」




頬を掴まれた。




「こーら、隣にこんな美女がいるというのにまーた物騒なことを考えたな。まったく、サムライといえども公私はきっちりと分けたまえ」




「もみゃみゃも」




弁解したいが、ちょっと強く掴み過ぎじゃありません?




「本当にキミは面白いな」




アニーさんが正面から俺の顔を覗き込む。


綺麗な青い瞳に、俺の阿保面が映っている。




「まるで、心が二つあるようだ。純朴なかわいらしいキミと、苛烈な復讐者のようなキミが」




・・・俺のどこらへんに純朴カワイイ要素が?


後半については別に否定はしないが。




「・・・そろそろ前髪だけでも切ってみてはどうだ?艶やかな髪から覗く視線も捨てがたいが・・・どれ」




アニーさんが俺の長すぎる前髪をかき上げる。


確かに、切ろうかなとは思っていたんだがタイミングがないのと傷が増えまくるから・・・




「―――!」




かと思うとアニーさんが乱暴に前髪を下ろした。


そんな締まりの悪いシャッターみたいに・・・




「・・・いや、このままでいいか。少し刺激的過ぎる、なんだその目は、殺す気か」




いきなりひどすぎるな!?


別に睨んだりはしてないんですけど?




「もみゃももも」




そしていい加減手を放してくれませんか。


こうしている間にも煙草がどんどん短くなっていってるんですよ!


モッタイナイ!!




「ごらぁ!あーしが手が放せないのをいいことにいちゃいちゃすんなし!すんなし!!」




「おやアサカすまない。お詫びに今晩は3人で風呂に入ろうか」




「いいねそれいい!アニーちゃん最高!2人でにいちゃんをピッカピカにするし!!」




やだし!!やめろし!!!絶対にやめろし!!!!


朝霞だけでも大変なのにこの上アニーさんまで風呂乱入勢になったら俺の胃は死ぬゥ!!!


たすけてください師匠!こういう場合はどうすればいいんですか!!




『くはは、据え膳食わぬは男の恥じゃぞ、小僧』




師匠はそんなこと言わない!!!


いや言うかもしれん!!絶対言う!!ガッデム!!


畜生!!これが四面楚歌ってやつであるか!!!






「さっきまであーしをほっといたんだからね!今のにいちゃんは椅子だし!椅子!」




「はいはい」




「はいは何回でもいいけどちゃんとあーしを労わえし!!」




「はいはいはい」




「にゃふふ・・・」




興奮する朝霞をなだめつつ船は進み、しばらく沿岸を進んだ。


そしてイイ感じの漁場にたどりついたのでそこで停船し、晩御飯の調達と洒落こんでいる。




朝霞は俺の膝の上に座り、上機嫌に釣竿を持っている。


地味に重い・・・朝霞、発育いいもんなあ。


ちなみに服は着ている。


大漁旗の竿に濡れた服を吊るしていたらあっという間に乾いたのだ。




「ホレ、ちゃんと帽子被らんと日焼けするぞ」




「それじゃ、うなじでにいちゃんをノーサツできないじゃん」




「将来の肌環境を担保に誘惑すんじゃないの」




家から持ってきた帽子を被せてやる。


『第56回牙島大遠泳大会』と書かれているクソダサキャップだが、帽子は帽子である。


この島の人間遠泳好きすぎだろ、それにしても。


戦国時代に、戦禍を逃れるために本土から泳いで逃げる人間がいたという歴史に関係しているのかもしれんな。




「いい椅子があるから今日は大漁だね!」




「おう頑張れ、頑張ってマグロの兜焼きを俺に喰わせてくれ」




「マグロは20キロは沖にでないと釣れないんだよね、行く?」




「冗談で大冒険に出るんじゃない」




行動力がありすぎるぞこの子。


燃料は満タンだって言ってたが、試運転で遠洋漁業はロック過ぎるだろ。




「アサカ、後で椅子を貸してくれ」




「しょうがないなあ、アニーちゃんだからトクベツだよ?」




「椅子の意思もちょっとは尊重して?ねえして?」




船が完成してテンションが高いのかしらんが、2人ともちょっと今日は愉快すぎるぞ。


相も変わらず俺の意見を聞き入れる気がない女性陣に見切りをつけ、舳先周辺で寝転んでいるなーちゃんに視線を飛ばす。




「アゥウ」




俺を見たなーちゃんは、『がんばれ』とでも言うような哀れみの視線を返してきた。


・・・そういえばキミも女の子だったね、そうだったね。


畜生、今日はしばらく椅子にトランスフォームしている必要がありそうだ。




「ギガゴゴゴ・・・」




せめてもの抵抗によくわからん変形音を口にしながら、俺は降り注ぐ日の光に目を細めた。






「いやあ、これは最高の椅子だなあ。うん、家に置いておきたい」




「あの・・・ちょっと、これは違うっていうか・・・その・・・」




「うん?どうした?あまり動くと魚が逃げるぞ?」




朝霞が満足して解放されたと思ったら、今度はアニーさんに座られた。


座られたんだが・・・




「どうしてお互いに向き合うんですか!」




「ふふふ、刺激的だろう?」




さっきまでは朝霞が普通に?膝の上にいた。




だが今は違う。


船べりを背にして座った俺に、向き合う形でアニーさんが座っているのだ。


正確には俺の両足をまたいでアニーさんが座っている。


この姿勢は・・・非常に、非常に良くない。


和気あいあい膝椅子とはレベルが違うのだ。


なんというか・・・その・・・公共の電波に流せないタイプの姿勢だ!




「ほらほら、動くんじゃない」




「ひぎい」




アニーさんは俺の上で心底嬉しそうな顔をしている、たぶん。


見れるわけないじゃん、こんな状況で。


声の様子から察するだけだ。




「体が硬いぞイチロー。こいういうときは『オキャクサン、コノオ店ハジメテ?』と言えばいいんだったかな?」




「それ絶対キャシディさんから教わったでしょ!駄目ですよあなたみたいな美人さんがそんな言葉使っちゃ!!」




駐留軍女性兵士の日本語事情どうなってんの!


教科書にエロ本でも使ってんのか!?




「にいちゃあん、あとであーしもそうしてね!」




「やだし!」




「やだしー!!」




何やら羨ましそうな顔の朝霞に釘を刺しておくが、刺した場所が豆腐かぬか床だったので無意味だったようだ。


ここには防波堤となってくれるねえちゃんはいない・・・アカン、詰んだ。




「おっと、きたきた・・・はは、いいサイズだ!椅子のお陰かな?」




「ならその椅子をねぎらってはいかがかな?たぶんサバであろうお魚さんが今いるのは俺の頭の上なんですが!?」




うああ!?ビチビチ暴れるんじゃないの!頭髪が生臭くなっちゃうでしょ!!




「仕方なかろう、この姿勢ではこうもなる」




「まずこの姿勢がバグってるって認識をお願いだから持って!」




「淫靡な姿勢ではあると思っている」




「その思考は水底に捨てて!もう浮いてこないくらい深くに!!」




アニーさんは器用に魚を外すと、船に備え付けられているいけすへと放り込んだ。


うわわ、お願いだから体重をかけないでくれ!母性に殺されちまう!!




結局、もう何匹か釣り上げるまでこのドキドキ変態椅子は維持されたままだった。


地獄を見たので心が渇きそうである。






「いっぱい釣れたね!にいちゃん!」




「今更だけど釣り過ぎでは?魚河岸に卸すわけにもいかんだろ・・・古保利さんたちにもおすそ分けすっか」




あの後椅子から解放された俺も釣りに混ざり、3人でほぼ入れ食い状態だった。


このゾンビ騒動からこっち、漁船を使う人間が減ったからかもう釣れる釣れる。


若干釣り人が復活してるっぽい沿岸と比べて、船じゃないといけない場所はほぼ手付かずなんだろうな。


その釣果が、いけすにギチギチと詰め込まれている。


なーちゃんはその縁に寝そべり、『はえ~・・・』みたいな顔をして魚たちを覗き込んでいる。


ホント表情豊かだな、キミ。


飼い主に似たのかな?




「これは帰ったら捌くのも大変だな。イシカワも応援に呼ぶとするか」




「その手があったか」




石川さんに手伝ってもらえば楽に済みそうだ。


とりあえず処理さえしちまえば、余っても干物に転用できる。


干物に関してはねーちゃんやミチヨさんにお任せしておこう。


いや、俺も作れるんだけどあの2人は年季が違うんよ・・・味に雲泥の差が出ちゃうんだよなあ。




「んじゃ、かえろっか。エンジンかけるねー」




「ちょっと待ってくれ朝霞。おまじないをしよう」




「オマジナイ?」




朝霞が不思議そうに俺を見返してくる。




「ああ、ここではない他府県の言い伝えなんだがな。試運転の時に船の名前を大海原に叫ぶことで海神と船魂に挨拶をし、平穏と無事を祈る神事があるんだ」




真っ赤な嘘である。


俺がこの船の名前を聞いた時から是非ともやってみたかっただけだ。




「へー!にいちゃんモノシリだね!」




「ほう、そのような決まりごとがあるのか」




重ねて言うが嘘である。




「じゃあ俺が叫ぶから朝霞はそれが終わったらエンジンを景気よくかけてくれ。本当は酒があればよかったんだが・・・なんで持ってるんですかアニーさん」




「椅子があまりに気持ちよ・・・いや、興奮・・・いや、座り心地がよくて忘れていた」




嘘を補強しようとしたら小瓶のウイスキーが出てきた。


・・・まあいいや、一応神事っぽくしておこう。


あとなんかとんでもないことを言っていたような気もするが、無視する。




「ではそれを少し海に流して・・・そうそう」




アニーさんが興味深そうに少しずつ酒を流す。


・・・なんで一回飲むの挟むんですか?


『もったいない』?


あ、そうですね。




そして、俺は舳先に移動し、大きく息を吸い込む


何故かなーちゃんまでついてきた。






「りゅうううじんまるううううううううううううっ!!!!」「アオォオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!」






俺となーちゃんの叫びが海原に響く。


・・・やっべ、超気持ちいい。


やってよかった。




朝霞がかけたエンジンの音に耳をすませながら、俺は子供時代の思い出に浸っていた。


人生のやりたいことリスト、1つ終了。


残りはあと5万個くらいあるから、まだまだ長生きしないとな。

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