今日は何を話そうか。
競 琴梅
第1話 誰かが強引であるほうが、物語はよく進むけれど、現実でそれを望むのは難しい。
六月某日、とある森――周辺住民からは親しみを込めて森と呼ばれているものの、その実、地図表記のうえでは山と定義されている――の中。
住宅街の外れから入れる舗装された道は、山頂の森林公園へと繋がっていて、多くの近隣住民が散歩道として愛用している。この所謂「表の道」は、登山というには余りに穏やかだ(ここが山だという定義に従って表現をした場合の描写である。誰もここを歩く時に登山に行ってくる! とは思っていないし、言わないと思う)。
そんな背景もあってか、最近の子供達は、ここが元来「山」であることすら知らないだろう。
訂正するものだって、この辺りにはもういない。
片田舎とは、そういうものである。
そんなこの土地や人間と深く関わり続けている、表の道からぐるりと離れた場所、舗装されたそちらよりも僅かにきつい坂道を、セーラー服の少女と学ランを着崩した少年が歩いていた。立ち位置的にも、少年が辺りを物珍しげに見回す態度からも、どうやら少女のほうが歩き慣れているようで、その後ろを、少年が木の根に躓きながら追いかけているのだと伺い知れた。
のびのびと好き勝手に生い茂る草木が太陽を隠しているからか、地面が濡れそぼった土のおかげか、辺りの気温は森の外より幾分か涼しい。そよりと風が吹く度に揺れる緑色と枝葉の影に身を染めながら平然と歩く様は、まるでここが彼女にとっての表の道であるかのようだ。
二人の足元は、草木をかき分けて作ったであろうけもの道が細く長く続いていて、熊が通っただけというには些かしっかりと耕された地面が見えているそれは、明らかに〝人工的〟だ。
そんなことをよく知っているらしい少女は、縺れることのない足取りで奥へと進んでいく。茶色いローファーの靴底が、先日の雨でぬかるんだ泥で汚れていることは、どうやら気にならないらしい。逆に少年は気休め程度にスラックスの裾を引き上げては、酷い水溜まりを避けながら歩いている。
そうして歩き続けて、じんわりと背中に汗をかき始めた頃、少女はゆっくりと歩みを緩めて「ふう」とここに来て初めて口を開いた。
――あともう少し――そうね、具体的にはあと五分も歩けば目的地に着くわ。
「暑い日には厳しい距離ね。冬の方が絶対に楽よ。だって寒ければ着込めばいいんだから」と、少女は変わらない森の景色を目の端に映しながら何ということもなく続けた。突然、軽口を叩き始めた少女に、少年は面食らった顔で「お、おお、そうかもしんねえな?」と曖昧にまごつきながら返した。
あと半年も経てば、「こんな寒い日には厳しい距離ね、だって着込んだら歩きにくいし、顔や手足着込めないから寒いし、何より雪が邪魔だわ!」なんてぶちくされることになるのだけれど。
結局のところ、彼女にとっては適温以外の屋外――いや、風呂とサウナを除く適温以外のほぼ全ての空間に長くいることがこの上ない苦痛なのである。
そんなワガママさを、少年が知るのはまだ先の話だ。
少女は一歩半ほど後ろの少年がまごついた返答をしたことに言及することなく、前を向いたまま、セーラー服の胸元をパタパタと揺らして火照った身体に風を送り込んだ。今日は気温も湿度も高いので、あまり意味がなかったけれど、こういうのは気持ちが大事なのだ。やらないよりマシ、それだけでやる意義があると思う。
少年のせいでぴったり五分とは行かなかったけれど、凡そ体感的に五分ほどで二人は足を止めた。
眼前には、天井のように生い茂っていた枝や葉を、大きな機械でくり抜いたみたいにぽっかりと白んでいる場所が広がっていた。森に入るまではさんさんと太陽が降り注いでいたことを忘れるほど今までの道が仄暗かったからだろうか、木陰に慣れてしまった少年の目には、なかなかどうしてそのぽっかりと開けた場所が白く眩しいと感じてしまったのである。
少女も少女で、眩しいとは思っているらしく、目を細めながら、
「着いたわよ」
と少年に向き直った。
そう言われて、改めて白んでいるその空間に目を投げる。だんだんと明るさに慣れてきた少年は、少女の横に並んで、また物珍しげに辺りを見渡した。
「こんな所にこんな場所があったことも、こんな物が建ってることも知らなかった」
そこは、けもの道と同じように〝人工的に〟平たく手を加えられた、縦横十メートルもない空間だった。遮るものがない天井――もとい空からはスポットライトのように太陽光が射し込んでいる。そんなステージみたいな空間の真ん中に、こぢんまりとした家がぽつりと佇んでいた。
森の中によく馴染む、カントリーなログハウス。
サークルやら友達やら皆で泊まるには手狭であろうが、一人や二人寝泊まりするには困らないであろう適度な大きさだ。
野いちごのように赤い屋根と扉がなんだかおしゃれで、少年は無意識のうちに一歩、ログハウスに近づいていた。
近づいても、窓の向こうにある白いレースカーテンが揺れているだけでごちゃごちゃした装飾一つないこの建物は、赤い差し色を選ぶ奇抜なセンスとは裏腹に、落ち着いた雰囲気に包まれている。
例えるならそう――誰にも教えたくない隠れ家みたいな。
「ちょっと、先に行かないでよ」
「あ、悪い」
少女は暑さと眩しさに顰めていた眉を穏やかに解してから、少年の横を通り過ぎて赤い扉を叩いた。
インターホンもドアノックもない――あまつさえ鍵穴もついていない扉のノブを、少女はなんの躊躇いもなく引っ掴んだ。
「ここってお前の別荘かなんかなのか? お邪魔しまー·····」
「――やあ、いらっしゃい、モドキ。おや? 新しい人間だね?」
――え。
小綺麗な外装からも、ここが空き家や廃墟ではないことは推察できたが、まさか既に人がいるとは思わず、少年は最後まで言葉を紡げず、ぽとりと語尾を落とした。
(――いるじゃん、人!)
少年は、ぽかんと少女の後ろから出迎えた声の主を見やった。色素の薄い長髪は緩く編み込まれていて、毛先は太ももまで垂れている。ゆったりとした服装だが、除く首筋や手足の線はひょろりと細い。体型と同じくらい中性的で端正な顔立ちの家主は、朗らかに微笑んでいて、声色はどこか嬉しそうに跳ねていた。
少女はそんな家主の出迎えに驚く様子もなく、
「こんにちは、ナニカ」
とだけ返した。
少女は家主が居ることは分かっていたのだ。というか、出かけていることのほうが稀である。
子供のような、大人のような笑顔の家主は、モドキのこざっぱりした態度に気を悪くすることなく、パタパタと少女の手をとる。
ゆっくりとモドキの白い手を引いて、家主――ナニカと呼ばれているそのヒトは、それはそれは嬉しそうに口を開いた。
「今日もナニカとお話をしてくれるのかい、それに新しい〝おともだち〟も一緒だなんて、ナニカは嬉しい!」
モドキと呼ばれた少女は、その笑顔を自分の顔に写して、にっこりと「そうよ」と笑った。
モドキの返事に満足したナニカは、次に彼女の後ろでぽかんと突っ立っている少年のほうを覗き込む。ひょっこりと覗き込まれた少年は、我に返るなり不思議そうにナニカと目を合わせた。
「お、お邪魔します·····、えっと」
そう絞り出した少年に、ナニカは先程モドキに向けた笑顔をにっこりと向けて、
「ナニカはナニカっていうんだよ! 君はなんて呼ぼうか?」
と自己紹介をして見せた。
少女はそんな二人の間から、するりと身を滑らせた。途端、少年の手を握ったナニカにため息をつく。
距離感どうなってんのこの人! とたじろぐ少年を困らせている無邪気なこの人は、人間ではない。
人間ではないので、〝この人〟という言葉には語弊があると思うし、違和感もある。適切な呼称が見つからない以上、そう描写するほかないのだけれど。
――人間ではない、ナニカ
初めて出会った頃、少女はこの人間ではない何かを、そのまま「ナニカ」と呼び、一人称を知らないナニカもまた自分のことをそう呼んだ。
出会った頃のナニカは、見た目こそ人らしく、人の言葉を介していたけれど、その中身は、人らしいものを何一つ持っていなくて。
それなのに執拗に「人になりたい」とだけ望むナニカを思い出す。
その根拠のないあやふやな願望に縋る姿が、モドキの目にはひどく寂しげに、それでいて滑稽に映った。
見た目は人に馴染みたいからとそれっぽく真似ているようで、けれどよくよく見れば人ならざる形をしているところが目立つ容貌、人にはあって当たり前の自分を称するモノ――名前や性別がない、空虚な存在。
寝食を含めて生活という概念すらない、そんな掴みどころ――どころから掴むものすらないナニカに、その時、シンパシーを感じたのかもしれない。
人の常識、人として生きていく為の思惑や世渡りを知らないナニカの纏う、嘘偽りのない――良くも悪くも浅いぬるま湯のような空気、それはモドキにとってひどく心地が良かった。
だからモドキはここに通う。
否定も肯定もしないでいてくれるナニカと話をする為に。
「ナニカ、聞いて。この人は私が通う学校の同級生よ。私なんかよりずっと人間らしくて、お友達もたくさんいて、家族とも仲良しな男の子。私とは別の意見も聞いてみたいと思って連れてきたの」
「へえ、すごいな。本に出てくる人みたいだね」
「いや、そんな凡庸な褒められるタイプじゃねえけど、俺は」
「そうそう、そういうところも、すごく素敵。普通とか地味とかそういうのを嫌うところもとっても人間らしいでしょ?」
「褒めてんのかそれ」
「わあ、本当にモドキとは違った雰囲気の人なんだね。ねえ、何かとこれからもお話してくれるかい?」
「ん? おお、まあ、いいけど·····」
キラキラとした笑顔のナニカに圧されて、少年はへどもどと頷く。モドキはそれを見て、くすくすと笑う。
「さて、ナニカについて説明しないといけないわね。一先ずお茶にしましょう? 話すのにはノドが渇くから飲み物は必須よ」
「用意しよう、ナニカは、お茶を入れるのは上手なんだよ」
「へえ」
――ところで。
椅子とテーブルのあるリビングに案内しようとしていたモドキと少年に向かって、ナニカはまっすぐな目を向けたまま、こてんっと首を傾げた。
「君のことは、なんて呼ぼう?」
自己紹介をしていなかったことの申し訳なさに目を泳がせる少年の横で、モドキは、そうね、と何ということもなさげに返す。
「ヤンキーさんだし、普通が嫌いだし――〝ハグレ〟とかどうかしら」
(そこは自己紹介をする流れではないのか)
(自己紹介をすっ飛ばしてニックネームを言うなんて、失礼だろ·····)
まともな常識を持った少年は、改めなければと口を開こうとした刹那、そんなことに気を悪くするわけもないナニカが「そうか!」と声をあげた。
「ハグレ、ハグレだね。改めて、ナニカはナニカっていうんだ。モドキがくれた名前なんだよ。よろしくね」
(名前それでいいのかよ)
――たかが数分間のやりとりで、不思議の国にでも迷い込んだみたいな、常識のズレをひしひしと感じる。
少年は諦めたように「まあ、よろしくな·····?」とぎこちなく口角をあげて見せたのだった。
これは、
――人に馴染めない人間嫌いの人間と、
――人間になりたい人間が大好きなナニカと、
――人間らしい感性を持った心優しい人間、
この三人が織り成す、だらだらとしたひとときの会話を抜粋したものである。
今日もまた、お茶とお菓子を持ち寄って。
――さて。
「今日は何の話をしましょうか」
みたいな感じ。
人物紹介とこれからの傾向と、注意。
■■■登場人物紹介■■■
ナニカ
人間ではない〝何か〟。人間になりたいので色んなことを勉強中。モドキ達が来ない時は本を読んだり、テレビを見たりのんびり過ごしている。名前をくれたモドキのことが大好きで、とっても甘やかしたいし甘えて来てほしいけど、その気持ちに名前があることは気づいていない。モドキは近づきすぎると離れて行ってしまうので、あくまで対等にディスカッションができる立ち位置に納まっている。
モドキ
人間。人間が嫌い――というか、何をしても社会に馴染めず嫌われやすい。基本的に何でもそつ無くこなせるし、容姿も悪くないので、何とか普通に地味に生きようと努力しているのに、努力が実った試しがほとんどない。何故か普通じゃないと言われて浮いた存在として扱われるので、いい加減にしてくれと思っている。過度に優しくされると訝しむ癖が抜けない。否定も肯定もしないで意見をくれる素直なナニカの傍は居心地がよく、実はわりと懐いている。
ハグレ
人間。兄貴肌のヤンキー。人間らしく常識的。「普通を嫌いマイノリティを気取りたがるところなんか本当に人間らしい、けど、人を許容する優しさも持ち合わせているなんて理想的だわ」とモドキから気に入られている。結構家庭的で、お茶菓子を作ってきたりもする。普通とかどうでもいいけど、普通じゃない人って面白いから結構好きというふわっとしたタイプ。順応性が高い。ナニカとモドキが話をしている時、たまについていけなくなってお茶うめえなーとなることがある。
次からは地の描写はほとんどありません。
明記してある通り、三人の「会話文」を書き連ねたものになりますので、読むドラマCDだと思って読んでいただけたらと思います。
全文が会話になりますので、誰が話しているのかを分かりやすくするためにカギカッコの前に誰のセリフか名前を入れるようにします。
どういう意図でこの会話がうまれたのか、作者の話を後書きでだらだら語ることがございます。
誹謗中傷、意見は受け付けておりません。
ご配慮のほう、よろしくお願い致します。
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