[5章1話-3]:キューピッドとの思い出




「……うん、ありがとぉ」


『千夏もせっかく頑張ったんだから、誰にも取られないようにね。まぁ、香澄はそこまで酷いことはしないと思うけど』


「うん。私もそう思うんだけどね……。美佳みかちゃんの方が客観的に見えるかなぁって……」


 家族も寝静まった深夜、千夏は同じクラスの美佳に携帯のメールを送った。彼女は千夏に悪評が立ったときも立場を変えずにいてくれたし、和樹との一件を知って最初に応援してくれたのも彼女だ。


 美佳は今日の千夏の異変をちゃんと感じていたらしい。すぐに電話をかけてきてくれた。


『まぁ、千夏の心配し過ぎと思うけどさ。 半年も経ったから倦怠期にでも入ったのかな?』


「それならいいんだけど……」


『とにかくさ、和樹は今千夏の彼氏なんだから、自信もって?』


「うん。ありがと……」


『あたしらみんな千夏のことは応援してるんだから、頑張りなよ?』


「うん。おやすみ」


 電話を切って再び参考書に目を落とした千夏。


「あ~あ……。こんなんじゃ勉強もはかどらないよぉ……」


 いつの間にか時計は日を越えたことを示している。


「やばっ!」


 慌てて今夜中に手を着けると計画していたところまでは進める。試験直前という時期ではないけれど、余裕がある内から始めないと後で懲りることは何度も経験済み。約束した成績を維持するために、千夏も睡眠時間を削っている。


「なんだかなぁ……」


 眠気覚ましにコーヒーを入れようと1階のキッチンに下りていく。一人分のお湯を湧かすのも面倒だったから、ポットのお湯でインスタントコーヒーを作る。昼間であれば最低でもドリップなのだけど、こんな時間では仕方ない。


「うー、やっぱ保温のお湯じゃなぁ……」


 熱いお湯ではなかったので、味が落ちるのは仕方ない。眠気覚ましには本当はブラックといきたかったけれど、あまりの味に冷蔵庫から牛乳を出して大きなマグカップに継ぎ足し、グラニュー糖のスティックを2本一気に入れてかき混ぜた。


「太るなぁ……」


 味のごまかしと同時に、夜中に甘い物を摂るのは悪いと分かってはいても、今眠ってしまう訳にはいかない。


 もっとも千夏は周囲の平均からも十分にアンダーサイズだ。和樹からも心配不要とは言われるものの、それは彼女も年頃だ。他人には分からない自分のリミットというものがある。


「よーし、今日は終わり」


 一段落ついて時計を見ると、時間は既に冬場の日の出まで4時間を切っている。


「さぁ寝よ寝よ」


 慌ててベッドに入るけれど、今度は先ほどの激甘コーヒーのおかげで目が冴えてしまっている。


「ダメだこりゃぁ……」


 今さら再び机に向かい教科書を広げる気にはならない。


 枕元の小さな明かりを付けて、机の上に飾ってある2連の写真たてを手元に引き寄せる。


茜音あかねちゃん元気かなぁ……」


 昨年の夏休み、千夏は遠く横須賀から来た片岡茜音という同い年の少女と出会った。兄から紹介されたその彼女は、それまで千夏がイメージしていた都会の高校生という苦手意識をあっさりと打ち砕いた。


 幼くして事故で両親を亡くし、今は養父母に育てられるというという境遇におかれながら、まっすぐに前を向き、児童施設に入所していた頃に誓った再会の約束を10年近く経った今でも覚えている。


 それだけでなく、その場所を探し出すべく、たった一人でこの四国の山奥までやってきたのだ。結局彼女の目標は達することは出来なかった。


 しかし当時、千夏が和樹との関係に悩んでいることを知ると、すぐに周囲を動かして、二人が素直になれる状況を作り出してくれた。今でも千夏は茜音が自分たちのキューピッドであると信じて疑わない。


 一見すると童顔と言われる千夏と変わらない茜音が、自分とは比較できないほど大人だったこと。それでも自分と二人だけの時に寂しそうな弱さを見せてくれた茜音とはすっかり打ち解けて、これまでの同性の誰よりも深い関係を築き上げている。


 時々交わされるメールなどで、茜音があちこちに出歩いていることや、そこであったこと、現地の写真などを送ってくれることから、その後も精力的に活動していることは分かる。


 自分たちを結んでくれたキューピッド自身は、まだ目的を達成できずにいることは申し訳なく思っている。自分たちが与えてもらった分のお返しをしたいとは思っていて、春休みには茜音の手伝いをするために上京する計画もしている。


「でもなぁ……」


 千夏は再びため息をつくと、もう一枚の写真を見た。


 幼なじみの和樹、一番の理解者である香澄と三人で一緒に写っている数少ないショット。あの日の庭先で、茜音に撮ってもらったもので、香澄はいつもの顔だが、自分たちは恥ずかしそうにしている。


 この頃は二人ともまだお互いに想いが通じたという嬉しさの方が上回っていたし、悩みなどは何もないと思っていた。

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