第23話 本当の気持ち

「それじゃあ明日学校で」



 冬海と連絡先を交換した二人は駅前で彼女を見送り自分達も帰路に就くことに。

 彼女の家は二人とはまた別の高級住宅街が並ぶ一角にあるらしく、それを聞くとよりその後姿がカッコよく高嶺のように思えた。

「冬海ってさ、私も中学まではよく知らない子だったんだよね」

「そうなの?その割には仲良さそうだったけど」

「うーん、話してた感じ私に気があるみたいで―――」

「え」

「憧れてるってことね」

「あぁ」

 高校に入れば通う人間も十人十色。循環する改札にはウチの生徒と思わしき制服を確認できる。改めて朝がそれほど得意ではない二人は近場に通えてよかったと思いながら飲み屋が立ち並ぶ沿線を抜け緩やかな坂を上り並んで帰る。

「そんなわけで私も凄い仲良いわけじゃないけどさ、悪い子じゃないから友達になってあげて」

「わかった」

「ほら、人見知りと女性恐怖症克服するいいチャンスじゃん」

「そこまで酷くはないよ」

「柚香さんは友達できた?」

「ぼちぼち」

 これが姉弟らしい会話か友達らしく見えるかは不明だが、すっかり日が暮れた夜道を熱量の少ない会話で濁しながら歩く。

「明日から授業かー」

「すぐテストがあって春休みがあって、明けには体育祭があるみたいだね」

「僕って運動得意じゃないし、休めないかな・・・」

「私は逆に勉強苦手~春休み補習なんて受けたくないし、赤点回避できるくらいには頑張らないと」

 家が見えてきて、柚香はカバンを前に引っ張り手を突っ込む。

「さっきさ、斎藤さんに言ってたのってどういう意味?」

 ゴソゴソカバンの側面のポケットを弄る柚香に尋ねる葵だが、質問の意味を理解するのに時間を要した。

「意味って、苗字が変わるだけだよ」

 キーホルダーに括りつけられた高遠家の鍵を見つめながら言う。

「じゃあ僕達の関係、バレちゃう?」

「クラスは別なんだし大丈夫でしょ。私も上手く流しとくし、葵もわざわざ言わなくていいと思うよ」

 長年一緒だった名字はなくなって、母のためにも義父のためにも我慢しなければいけない。けれど私が我慢するだけで両親が幸せになるのであれば厭う必要もないだろう。

「それは・・・わかったけど」

 葵はまだ何か言いたげだった。

「もし柚香さんに高校で彼氏ができて、僕が義弟だって知ったら―――」

 葵には柚香が高校でけんに回る旨を伝えてはいない。だから気になってしまったんだろう。


「心配しないでよ」


 柚香は鍵を鍵穴に差し込み、振り向き様にこう言った。



「私の今の気分ってさ、葵と同じだから」



 幾許か悲壮感が混じった面持ち。

 どういう意味だろうと尋ねることもできず、柚香はノブを引いて玄関を潜った。


「好きとか彼女とか、よくわかんないや」

「どうだろうね?気持ちは嬉しいけど恋だとかはお話の中のものだと思ってる」


 あの時のアンサーが脳裏に過る。

 しかし葵は気の利いた言葉の一つもかけられず、


「入ろ」


 微笑みの裏側に隠された真実を慮ることもできず、明日からも過ごさなければならないのであった。


 ♦♦♦♦


「授業どうだった!!?」


 食卓には彩り豊かな日本食に洋食が並べられていて、今日ばかりは葵の皿にもおかずがてんこ盛りに乗せられていた。

「だから、授業は明日から。んでテストは明後日」

「今日は?」

「行事の説明だとか部活の話とか受けて、帰りは中学の子とお茶してた」

「そうかぁ、放課後は友達と遊ぶもんな」

 透は昔を懐かしむように目を細めると、

「柚香、パパからお小遣い遣ろうか」

 と気風よく提言される。

「透さん!」

「パパ、その言い方はちょっと危ないね」

 亜妃乃と柚香に指摘される透は間違ったかなと乾いた笑いを浮かべるが、

「でも確かに、お小遣いは増やしてほしいな~って思うよ」

「ぼっ、僕も!」

 子供達は欲に正直だった。

「それじゃあ二人共、テストでいい点取れたら考えてあげる」

「俺はいいんだけど、亜妃乃さんがそう言うのなら・・・」

 柚香の一睨みが亜妃乃に向けられた。

「はいはい頑張ればいいんでござんしょ」

「そう!本分は勉強なんだから、部活も恋も楽しむのはいいけどほどほどにね」

「どうだ葵、クラスに可愛い子いたか?」

 今度はチラリと、柚香の冷めた視線が隣のお年頃に向けられる。

「えっ?・・・まぁ普通」

「普通って」

 父は息子のことが心配になるが、この年頃の子はどこもこんな感じだろう。

「柚香は?」

「私もふつー・・・ってか男子と会話全然しなかった」

「あら。悠馬くんは別のクラスなんだっけ?」

「?、悠馬くんって?」

「柚香の昔からの幼馴染で、多分初恋の子!あとで卒業アルバムで見せてあげます!」

「おーそれはそれは!」

「違うし、別に好きとかないし」

 対面の二人は嬉々として盛り上がっているが、当の本人は浮かない顔でやんわり否定した。

 そうしてテーブルの食べ物はどんどん減ってゆき、和気藹々とした談笑も落ち着いてゆく。食後はすっかりリビングも静かになって、ソファーで寛ぐ夫婦を尻目に姉弟は自室に向かうのであった。


 ♦♦♦♦


「葵は勉強人に教えるのって得意?」


 風呂上がり、時刻は九時過ぎで部屋で寛いでいた葵の部屋に訪れた寝間着姿の柚香。

 夕食を鑑みてももうすっかり高遠家に打ち解け、同時に他人には見せられない姿も見せ始めていた。


「えっと」


 相変わらずラフな服装は目のやり場がなく、しどろもどろになる葵。柚香は気にせず押し入って、まだ義弟の温もりがあるベットに飛び込んだ。

「ちょっと!?」

「おーこっちは柔らかいな~」

 ゴロゴロ寝返りを打つ義姉を見下ろす葵。実際に姉がいたとしてこんな感じなら困っちゃいそうだ。

「んでさ、やっぱお小遣い上げてもらいたいわけじゃん?」

「まぁ」

「なら頑張らないとね!」

 うつ伏せで両肘をベッドに埋もれさせる柚香だが、その輝いている屈託のない首から下は健康的な肌の色を覗かせている。

「っ、頑張るっていったって・・・」

「金曜は五教科一気にくるんだよ?やーばいでしょ」

 確かにヤバイ。

「今日はもう遅いし、明日じゃ・・・」

「ちょっとだけ!睡眠学習ってあるじゃん?」

 正しいかどうかわからないが意外にも食い下がってくる柚香を邪険にはできないので、寝る前の読書は取り止め勉強机に向かう。彼女は隣から化粧台用の折り畳み椅子を持ち込んできた。

「とりあえず今日は苦手教科とかのおさらい?」

「私は理数系苦手~。あと英語も」

「僕も理科っ・・・んんっ!はそんな得意じゃないや」

 何故一度咳払いをしたのかわからないが、柚香は葵と距離を詰める。

「中学の時の平均は?」

「・・・60前後」

「そっかぁ」

「葵は?」

「僕は・・・90」

「つまんないの。こういうなりで頭までよかったら何の面白みもないよね」

「ひどっ!?というかそんな風に言うんだったら教えないよ!?」

 葵は日頃、図書室や空き教室で梨華と勉強する機会があった。その時は教えられてばかりだったが、逆に彼自身にも勉強を教えるというスキルが身に付いた。

「うそうそ、ごめんごめん」

 風呂上がりだからかのほほんと力が抜けたような柚香を尻目に作戦を立てる葵。しかし視線は常に机に向けていなければならなかった。


「えーっと、じゃあここから―――」


「うん」チラッ



 そして、男子にとってかけがえのない時間が始まった。

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