宮ノ守奇譚

藤名

第1話 幸福な騎士(ナイト) -1

ねぇ、知ってる? 二丁目の神社の神様は人ではない者の相談に乗ってくれるんだって。神社の裏の黄緑のカーテンの部屋に相談に行くと、私たちと話のできる人間がいて、神様に取り次いでくれるんだってさ。本当かなぁ?



***


 こつん、こつん、何かを叩く小さな音に、学校が午後からなのをいいことに朝寝を貪っていた部屋の主、涌永青わくながあおいは目を開けた。しばらく待っても鳴りやまない音に、首を傾げて耳を澄ます。音の出所は窓だが、ここは二階、来客などあるはずがない。枕元のスマートフォンを手探りで見つけ顔に近づけると、すでに十時を回っている。九時には起きる予定だったのに、どうやら寝すぎたようだ。

 その間にも鳴りやまない音に、あおいはひとつ小さな息をついて、のろのろと体を起こした。枕元の眼鏡を掛けながら立ち上がる。面倒事が降ってきた、そう告げる直感に嫌がる腕を叱咤して、カーテンを勢いよく引き開ける。シャッと小気味よい音がして、朝、というには少々遅い強い光が部屋に入った。

 外には日に焼けてやや色褪せた向かいの家の屋根と、のどかを体現したような空と雲が広がっている。意外にも窓の外はいつもと変わらない景色で、嫌な予感は気のせいかと今度は窓を開けた。

 きょろきょろと見回しても変わったものはない。胸を撫で下ろし、半開きになっていた網戸を閉める。その時、小さな悲鳴と共に網戸が十センチほどの隙間を残して止まってしまった。

 聞こえた声に、青は恐る恐る足元に視線を落とす。下の方に網戸と窓枠の間に挟まった茶色い毛玉が見えた。その毛玉がゆっくりと後ろに倒れ、白い顔が現れる。ガラス玉のような緑色の瞳と小作りの鼻と口を備えたそれは、青と目が合うと、こんにちは、と小さな声で挨拶をした。

 言葉にならずふらりと尻持ちをついた青に、その挟まっている何かは目をぱちくりと瞬いた。座ったことにより全体が見えるようになったそれは、ヨーロッパの貴族のようなひらひらとした服の少年のアンティークドールだった。

 癖のある茶色の髪に緑の瞳、白い肌の三十センチに満たない人形は、挟まった網戸と窓枠から抜け出そうとバタバタしている。ようやく驚きから抜け出した青は、窓に近づき網戸を開けてやった。


「ありがとうございます」


 自由になった体に人形は丁寧にお辞儀をする。もともと動くようには出来ていないせいか動作は緩慢でぎこちない。驚きはしたものの、今更これぐらいの不可思議では動じなくなった青は、部屋を出て階下へと呼びかけた。


「すぐ来るから待ってて」


 自室に戻りドアに凭れて青が言った。その言葉通りすぐに少女が現れた。歳の頃は十二、三歳。山吹色の地に撫子を描いた着物の少女は、肩口で揃えた髪を頭の後ろで一房だけ結っている。つり気味の大きな目は少しきつそうな印象を与えるが、バランス良く配置された目鼻立ちはアイドルにでもなれそうな美少女だ。


「ったく、なんなんだアオ。せっかく幸子ゆきこと一緒に『吹雪』を見とったのに邪魔するとは何事じゃ。大した用でなかったら呪うぞ」


 まさに鈴の鳴るような可愛らしい声で、あおいをアオと呼んだ少女は物々しい発言をした。青の母親である幸子ゆきこと、この少女、一姫いちひめはアイドルグループ「吹雪」のファンで、よくテレビの前で歓声を上げている。厄介な時に少女を呼んでしまったようで、面倒臭そうに青が頭を掻く。


「母さんと見てたってこの時間ならDVDだろ。いつでも見られるじゃんか」

「当然じゃ、LIVEだったらお前なんぞの呼びかけに応じやせん」

「酷っ」

「はっ、アオと吹雪じゃ比べるべくも無い。お前もせめておなごの前ではちゃんとした格好したらどうだ。寝ぐせだらけの髪しおってだらしがない」

「しょーがねーだろ、寝起きなんだから。ていうかお前が女の子のうちに入るか。俺より何百年も長く生きてるくせに」


顔を出した早々言い争いを始めた青と一姫に、人形が、あの、と声を上げる。ようやく我に返ったのか、青が人形に視線を戻した。


「っと、そーだった。姫にお客さん」


促されて一姫が部屋の中へと目を向ける。

 もともと動くようになっている目元以外は上手く動かせないのか人形の表情は乏しい。ただ纏う空気から察するにおそらく困ったように笑っているだろう彼は、一姫に深くお辞儀をした。いわゆる「妖精」とか「妖怪」とか呼ばれるものの類の中では珍しく礼儀正しいその姿に感心しながら青が言った。


「こんなんだけどこの一姫が、一応 和久永神社わくながじんじゃの神様」

「『こんなん』と『一応』は余計じゃ」


一姫がぎっと青を睨みつける。

 和久永神社とは大通り沿いに参道を持つ神社で、涌永家が代々管理を引き継いでいる。現在は青の父親の涌永晴一わくながはるいちが宮司を務め、規模は小さいがおおよそ千年の歴史がある。昔は貴族の名のもとに広い敷地と財力があったそうだが、戦禍で財のほとんどを失ってからは自慢できるのは「歴史だけ」だ。その神社の神様として祀られているのがこの一姫で、この自己主張の強い神は、何故か少女の姿で代々 涌永わくながの一族と生活を共にしていた。

 その一家が現在住む家が神社の裏のこの一軒家で、宮司の晴一、大学生の青の他に、専業主婦の傍ら神社を手伝う幸子と、青と歳の離れた弟、小学生のそらの四人がこの家に暮らしている。その中で二階のベランダに面したこの部屋が青の部屋だ。

 一姫の紹介を終えた後、これから起こるであろう面倒事を察知した青が、部屋を出て行こうと後退る。そんな願いも虚しく一姫が青の服を掴んで引き留めた。


「おい、シャツが伸びる」

「で、そこの人形はわらわに何の用だ?」


青の抗議など聞こえていない態度で一姫が問いかける。諦めた青は仕方なく話を聞くことにした。それに満足したのか一姫があっさりと手を放す。


「あの、一姫様にお願いがあって来ま」

「嫌じゃ、面倒臭い」

「……は」


みなまで言う前に遮られた人形がぽかんと口をあける。


「先日雀がこの和久永神社の神様はあやかしの相談に乗ってくれると噂をしていました。それは一姫様の事ではないのですか?」


相変わらず表情は乏しいが、おそらく必死に訴えているのだろう。人形の全身から泣きだしそうな空気を感じる。さすがに哀れになって青は口を挟もうとしたが、先に一姫が話しだした。


「いかにも和久永神社の神はわらわだが、そんな慈善事業はしておらん。いつのまにかここらの妖にそんな噂が広がって迷惑しているところだ」

「で、ではどうしてそんな噂が?」


めげずに食い下がる人形に、一姫は面倒そうに青に視線を移す。


「アオがお節介にもそやつらに手を貸してやることがあるのでな。相談には神社の裏のこの部屋に行けって言われたろう? ゆえになんぞ相談事があるならアオに言え」


用は済んだとばかりに踵を返した一姫を、今度は青がその細い腕を掴む。くるりと一回転させその肩を両手で掴んだ。人形を哀れと感じたのは本当だが矛先が自分に向くとなれば話は別だ。

 なんと言われようがわざわざ進んで妖怪の類に関わりたくはない。青はいたって普通で平凡で一般的な生活を送りたいと日々願っているのだ。


「俺だって好きでやってんじゃねぇ。そもそもこの部屋に相談に行けなんて噂が広がったのは、お前がいつもこの家に入り浸ってるせいだろ。俺以外は妖怪が見えないから消去法で俺のとこに来るようになっただけだ」


言外に自分の方が迷惑していると主張して、青が一姫を睨みつける。

 一姫のような神や力の強い妖怪、この人形のようにもともと形を持っているものは別として、通常、あやかしの類は人間には見えない。しかし幸か不幸か、青はそれらを見る目を持っていた。俗っぽく言えば「強い霊感を持っている」わけだが、青に言わせれば「外れクジを引き当てた」だけだ。世の中には知らない方が幸せなこともある。


「あの、つまり貴方にご相談すれば良いのですか?」

「いや、悪いけど俺も無理。そもそも相談事なんて受け付けてない」


申し訳ないがきっぱりと断る。今まで妖の絡む話で碌な事になった例がない。しかし青の予想以上に人形はショックを受けたらしい。それこそ人形に戻ったように静止して、やがて大粒の涙を流しはじめた。


「お、い、何も泣かなくても……」


嗚咽を漏らすわけでもなくただただ流れ続ける涙に、青はさすがに居た堪れなくなる。一姫に視線を移すが、我関せずとばかりにあくびをしている。どう考えても一姫は当てにならない。仕方なく上を見たり下を見たりしていた青だが、結局耐え切れず人形を抱き上げた。


「あーーー、わかったよ。とりあえず話は聞くから、泣きやめ、な?」


 青は指先で小さな頭を撫でる。後ろから、ほんにお人好しだの、と一姫の呆れた声が聞こえる。自分でもそう思うが認めるのは癪で、気付かない振りをして青は人形の目元を拭った。



「つまり、お前の持ち主の女の子が病気だから助けてほしいと」


 声を震わせながら語った人形の話を要約して、青は眉を寄せた。今までの相談事は、落とし物を探してほしいだの、近所の子供に苛められただの、妖には悪いが若干どうでもいい内容で、大抵適当に付き合ってお茶を濁せば満足して帰って行った。しかしどうやら今回はそんなに軽い話ではないらしい。

 人形の持ち主は既に通院しているようで、そうとなればもう青に出来ることは無い。


「おまえの持ち主の娘はいくつだ?」

「姫?」


面倒臭いとごねた割には共に話を聞いていた一姫が口を開いた。扇子をぱたぱたしながら、今の今まで明らかにひやかしで聞いていたのに意外なほど真剣だ。


「今、一四歳です」

「わらわと、そう変わらんな」


 実際に生きている年数はさておき、一姫の見た目はまだ十代前半の少女だ。幼さの残る顔立ちは、死を迎えるには早すぎる。内容が内容だけに一姫もやる気を出したらしい。曲がりなりにも「神」を自称するくらいだから、病気の一つや二つ治せるに違いない。

 青の期待に満ちた視線に気づいた一姫は、絵巻物のお姫様のように扇子で口元を隠した。


「アオ、がんばれよ」

「は? 姫がどうにかしてくれるんじゃないの?」

「何を甘えた事を言っておる。お前が受けた依頼だろう」

「え、だって姫がぱぱっと治してくれればいい話だろ」

「無理じゃ。わらわには病を治す力はない。そんな事が出来たら辺り一帯の医者が路頭に迷うわ」

「そう言われればそうだけど。じゃあ、どうすりゃいいんだよ」

「知らん。自分で考えろ」


一姫はひらりと優雅に扇子を振ってドアへと向かう。青の制止の声など気にした風もなく、廊下へ出たところで振り返った。


「ひとつだけ教えてやろう。神が起こす所業はすべて予定調和、つまりは必然。お前が望む『奇跡』はお前自身が起こすものだ」

「あ、おい、こら薄情者! なんか格好良さ気な台詞で逃げんなよ」


言うだけ言ってドアを閉めた一姫を追いかける。しかしドアを開けた先には山吹色の着物の端さえもう見当たらなかった。

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