戦火の果て 第十六話 港町クレア

 黒城市の対岸に位置する港町クレアは、帝国東部最大の都市である。

 帝国唯一の貿易港北カシルとボルゾ川で結ばれた舟運の拠点であり、東部地区の政治経済、そして軍事の中心でもあった。

 とは言っても、そもそも東部地域にはまともな町がわずかしかなく、最大都市と言っても人口は五万人に過ぎない。


 基本的には貿易で成り立つ町なのだが、人口五万の町に東部軍二万人が駐留しているだけに軍の存在は大きかった。

 軍人たちが町に結構な金を落とすからだ。

 彼らの金が流れる先は、酒と女に決まっている。お陰でクレアには売春宿と飲み屋が軒を連ねた歓楽街が発達し、王国人も訪れる名所となっていた。


 帝国と敵対している王国の人間がクレアに出入りするのは奇妙に思えるかもしれないが、両国にはちゃんと国交があり交易もしている。

 帝国は医薬品を始めとする先端技術に支えられた物品を王国に移出し、莫大な利益を得ていた。

 一方、クレアの市民と軍人を養う食糧は、ほぼ全量を王国からの輸入に頼っていたのである。


 開発の遅れている東部の村落は自給が精一杯で、余剰生産物を生み出す余力がなかった。

 帝国の中央地区から陸路で食糧を運ぶとなると輸送費がかさむため、目の前の王国から買い入れた方がはるかに安いのだ。

 王国第二軍と睨みあっている帝国東部軍が、王国の食糧に頼っているというのは皮肉な事実であった。


      *       *


 ユニとマリウスは、小高い山の上からクレアの街を見下ろしていた。


「さて、いよいよクレアに潜入するわけですが……」

 ハヤトの巨体に跨ったマリウスは、そう切り出して横を向いた。

 ユニが乗るライガはハヤトを上回る大きさだが、小柄な彼女がしがみついているのは妙に可愛らしい。


「いつもどおり、群れのオオカミたちは郊外で待機させるとして、ライガはどうするんですか?」

「もちろん連れて行くわよ。前回もそうだったでしょ?」


 マリウスは少し驚いた顔をした。

「じゃあ、またあの魔法具を?」

「そうよ。黒城での会議の後、黒蛇帝に頼んでウエマク様に会わせてもらったの。割と気前よく貸してくれたわ。

 もっとも、ライガの方は気に入らないみたいだけどね」


 話題に上っている魔法具とは、ライガの身体を一時的に仔オオカミに変身させるもので、エルフのアッシュとともに帝国に潜入した際に使用した実績がある。

 中型犬程度の大きさになれば飼い犬だと言い張れるし、いざという場合にはいつでも元の大きさに戻れるという便利なものだ。


「了解です。では、今夜忍び込みましょう。

 身分証どおり、僕らは医薬品を買い付けに来た商人の若夫婦っていう設定でいきますから、うまく話を合わせてくださいね」

「待って。夫婦ってことは、宿は同じ部屋なの?」


「当たり前じゃないですか」

「……襲わないでよね?」


 マリウスは両手を広げ、大げさに肩をすくめた。

 その態度にユニが蹴りをお見舞いしたのは、言うまでもない。


      *       *


 ユニたちは夜陰にまぎれ、クレアの街に侵入した。

 大城壁に囲まれた黒城市と違い、クレアは川港から発展した商人町である。

 港と街道口を除けば、出入りを妨げる柵も壁も存在しなかったから、ユニたちが街に入り込むのは簡単だった。


 適当に見つけた宿に一泊分の金を払って荷物を置くと、二人は用意しておいた商人風の衣服に着替えて街に繰り出した。

 目的地はクレアの歓楽街である。


 真昼のような照明に包まれた狭い通りは、人出でごった返していた。

 ユニは何軒かの飲み屋を覗いた後、一番賑わっている店に入った。


 元気のよい店員の娘に迎えられ、彼女たちは小さなテーブル席に着いた。

 店の中は紫煙でかすみ、多くの客が機嫌よく喋り、笑い、あるいは怒鳴って騒然としていた。

 注文をするにも大声を出さないとまったく聞こえない。


 ユニとマリウスは向かい合って座るのを諦め、椅子を動かしてぴたりと隣り同士に並んだ。

 そうしなければ会話が出来なかったのだ。

 すぐに大きな陶製のジョッキになみなみと注がれたエールが〝ドン!〟と卓上に置かれる。

 続いてほかほかに茹でられたジャガイモ(たっぷりの山羊バターと塩がふられていた)、川エビの素揚げの皿も並べられた。


 帝国ではエールをあまり冷やさない。

 北国だということもあるのだろうが、常温に近い温度で香り立ちを楽しむのが彼らの流儀であった。

 ユニはさっそくエールを喉に流し込み、頭や皮ごと食べられる塩気の効いた川エビをばりばりと頬張った。


「くぅ~っ! 効くわねぇ!

 冷えてない分、苦みや香りが引き立つわぁ!」

 ユニが目をつぶって親爺のようなため息を洩らすのを、マリウスが冷ややかな目で見やった。


「分かってるとは思いますが、僕らにはあまり時間がないのですよ。

 帝国に加担している呪術師を、どうやって探すつもりなんですか?」


 ユニは小さな唇にエールの泡をつけたまま、にやりと笑った。

「時間のことなら百も承知よ。

 黒城の参謀連中は、呪術師がこのクレアの街にいるだろうって言ってたけど、マリウスはどう思う?」


 マリウスはこくりとエールを口に含み、言葉を選ぶようにつぶやいた。

「確かに帝国にとっては重要人物ですから、東部方面軍の本部に滞在しているというのが常識的な判断ですね」

「マリウスはそうじゃないって思うの?」


「ええ。ルカ大公国へ行った時、呪術師は相当の距離を隔てて動物を操っていました。

 彼らは人前に出るのを極端に嫌いますから、この猥雑な都市の中心部に留まる理由がありません。

 もっと郊外の、人目につかない場所に潜んでいるような気がしますね」


 ユニはうなずいた。

「あたしも同感よ。

 帝国がわざわざ連れてくるのなら、きっと並みの呪術師じゃないと思うの。大物であればあるほど偏屈だと思うわ。

 でも、警備のことを考えると、確率は五分五分ってとこかしら」


「ですね。

 それで、どうやってそれを調べるつもりですか?」


 ユニはたっぷりの塩バターをのせたジャガイモを頬張った。

「あんた知らないの? 捜査の基本は聞き込みよ。

 あたしがただ飲みたくてここに来たとでも思う?

 もしそうなら、実に心外だわ」


「おやおや、それはお見それしました。

 名探偵としては、どういう作戦を立てているのか、是非お聞かせいただきたいですね」

「簡単よ。この店をよく見てごらんなさい」


 ユニの言葉に、マリウスは顔を上げて店内を見回した。

 客の半数は二人と同じゆったりとした白い衣装――商人たちだったが、もう半分は薄汚れた黒っぽい姿で、いかにも粗野な感じのする男たちだった。

 言うまでもなく軍人である。


「この店に決めたのも、向こうの席で盛り上がっている帝国軍の連中を見たからよ。

 まずは酒の勢いをかりて、あいつらと仲良くなる。そして酔った奴らから情報を引き出すの。

 我ながら完璧な作戦だわ!」


 マリウスはがくりと肩を落としてため息をついた。

「期待した僕が馬鹿でした。何という行き当たりばったりな作戦ですか。

 ……まぁ、いいでしょう。それで、どうやって帝国兵と仲良くなるつもりなのですか?」

「それはもちろん、あたしの魅力をもってすれば――」


「却下です!

 小官は方針に異を唱えます。もう少し現実的な策を練るべきであります!」

あにおぅ! あたしの美貌にケチをつける気?

 マリウスのくせに生意気だわっ!」


「なに一杯目で酔ってるんですか?」

「うるさいっ!

 文句があるなら飲んでやるわよ! お姉さん、エールお代わり!」


 ユニは空になったジョッキを高々と上げ、給仕の女性を呼んだ。

 その横を手洗いに向かう若い男が通り過ぎようとしたが、足元がふらついて、座っているユニにまともにぶつかった。


 衝撃で高く上げた手からジョッキが離れ、彼女は慌ててもう片方の手でそれを受け止めた。

 その拍子に底に残っていたエールが飛び跳ね、ユニの衣服を濡らしたが、ぶつかった男の方はそれに気づかず通り過ぎようとした。


 ユニは逆さに受け止めたジョッキをテーブルの上に乱暴に置くと、素早く男のシャツを掴んだ。


「ちょっと待ちなさいよ!

 人にぶつかっておいて挨拶無しってのは、ずいぶんいい礼儀じゃないの?」


 背中を掴まれた男は振り返り、初めてユニを認識したように睨みつけた。

「なんだめえ、女の分際で軍に意見するとは、いい度胸じゃねえか?」


 男はまだ若く、ユニよりも年下に見えたが、頭一つ分以上背が高い。

 しかもかなり酔っているらしく、目が座っている。


 マリウスはユニの耳もとに顔を寄せ、素早くささやいた。

「連中と仲良くするっていう作戦なんでしょう?

 喧嘩ふっかけてどうするんですか!」


 しかしユニはマリウスを振り払って立ち上がった。


「いい度胸なのはそっちよ!

 酒の飲み方も知らない若造が、調子こいてんじゃないわ。

 家に帰ってママのおっぱい飲んでた方がいいんじゃない?」

「何だと、このアマ!」


 一気に険悪な雰囲気となったことに周囲の酔客たちが気づき、やんやの喝采を浴びせる。

 若い軍人と若妻風の商人の女が睨み合っているのである。恰好の酒の肴であった。


 すぐに若者の仲間である軍人たちが駆けつけ、二人の周囲を取り巻いた。


「おいおいハンス。喧嘩相手にしちゃ、ずいぶんと手強そうじゃねえか?」

「ああ、乳はねえがな!」

「どうすんだよ? 自慢の槍を使うんなら、先に皮を剥いておけよ!」

「ぎゃははは、ちげえねえ!」


 囃し立てる軍人たちをちらりと見たユニは、不敵な笑みを浮かべた。

「あーら、ずいぶんと頼もしい応援団がいるじゃない。

 あんたが皮かむりの童貞だって言うんなら、見逃してあげてもいいのよ?」


 からかわれたハンスは顔を真っ赤にして怒鳴った。図星だったのかもしれない。

「うっ、うるさい!

 俺だって女の一人や二人は……その――ええいっ、どうでもいいっ!

 ぶちのめしてやるから覚悟しろ!」


「あらまぁ、さすが童貞君、男らしいわね。

 じゃあ、これで勝負といきましょう」


 ユニはそう言うと、隣りのテーブルから焼酎の瓶を取った。

 帝国、王国を問わず、庶民の酒は焼酎と決まっている。特に北国の帝国ではアルコール度数の高いものが好まれていた。


「それ、俺の酒……」

 焼酎を奪われた隣りの客が抗議しかけたが、すぐに野次馬に口を塞がれた。


 若者の連れである軍人たちは一気に盛り上がった。こんな面白い見世物はない。

「おい、給仕の姉ちゃん! ショットグラスをありたけ持ってこい!」

 誰かが野太い声で叫び、すぐにユニのテーブルに小さなショットグラスが並べられ、男たちの手できつい焼酎が注がれていった。


「あたしが勝ったら、這いつくばって足を舐めるのよ。いい?」

 ユニが早くも勝ち誇った顔で宣言すると、見物人がどっと湧く。


「おっ、お前が負けたらどうするつもりだっ!」

 ハンスが顔を真っ赤にして怒鳴り返すと、ユニは馬鹿にしたような表情で言い放った。


「そん時は、あたしがテーブルの上で裸で踊ってあげるわ。

 童貞君には刺激が強すぎるかしら?」


 ユニのその一言で、周囲の野次馬たちの興奮は一気に爆上がりした。

「よおし、姉ちゃんよく言った! その言葉、忘れるなよ!」

「ハンス、めえ負けたらどうなるか分かってんだろうな?

 死んでも勝て! 骨は俺たちが拾ってやるぞ!」


 ユニの横でマリウスが絶望したような表情を浮かべていた。

「もう、何やってるんですか……」


 しかし、乗りやすい性質たちのユニは、すっかりこの雰囲気に呑まれていた。

「あたしに勝負を挑んだことを後悔させてやるわ!」


 ユニはそう言うと、なみなみと焼酎が注がれたショットグラスを取り上げ、くいっと一息で飲み干した。

 周囲の男たちから「おお~っ」という嘆声が洩れる。

 タンッ! 小気味のいい音を立てて空になったグラスを卓に叩きつける。

 誰かが持ってきた小皿に盛られた塩に、レモンを絞って小指ですくい取ると、小さな舌でぺろりと舐める。

 その唇が、「どうだ?」というように笑みを浮かべた。


 挑まれたハンスも、テーブルの上からグラスを一つ取って、一気に飲み干して見せた。

 ユニはそれを見ると、即座に次のグラスを空ける。

 ハンスもまたそれに続く。


 テーブルにショットグラスを叩きつける〝タンッ!〟という音が続き、そのたびに笑いを含んだ歓声があがる。

 だが、その戦いは長くは続かなかった。

 六杯目を空にしたハンスが、青い顔をしてそのままぶっ倒れたのだ。

 どっと笑い声と拍手が沸き起こり、誰かがユニの手を取って高々と差し上げた。

 倒れたハンスの方は、仲間たちによって素早く店の外に運び出された。彼が吐き戻すのが目に見えていたからだ。


 こんなあっけない幕切れを、野次馬たちが許すはずはない。

 すぐに軍人たちの中から逞しい体躯の男が押し出された。


「姉ちゃん、やるじゃないか。

 だが、あんなひょろひょろの新兵に勝ったからって、大きな顔をされたんじゃ軍の名折れだ。

 俺と勝負をしてもらおうか!」


 ユニを囲む輪からすっかり追い出されていたマリウスは、ことの成り行きにため息をついた。

「あーあ、こうなることは目に見えていたのに……」


 彼の嘆きをよそに、クレアの酒場ではこの日一番の盛り上がりを迎えていたのである。

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