告白祭 その3

 くそっ。

 幸せなはずなのに、望んだ結果であるはずなのに、どうしても受け入れることに抵抗がある。

 手を絡めてきてくれたいりすに、俺の手が汗ばんでいることを、本来とは違う意味で気付かれたくなくて、それがさらに緊張する。


 このドキドキはどっちなんだ?


 今だけを言えば、好きな子と手を繋いでいるドキドキと言うより、俺がいりすを疑っていることを気付かれるのではないか、というドキドキの方が勝ってしまっている。


 こんなはずじゃなかったのに。

 付き合うって、もっとこう、楽しいはずなのに!!


 今は息苦しくて仕方がなかった。


「どうしたの? 緊張してるの?」


 失礼な話だが、いりすが優しい……。手を絡めるどころか、さらに腕を組んで体を密着させてくる。別にあれのことじゃないけど、いりすのどこもかしこもが柔らかくて気持ち良かった……それに、温かい……。


「いいよ、ゆっくりで」


 いりすが、足早になりかけていた俺を引っ張る。


「そんなに急いだら、すぐに終わっちゃうでしょ?」


 幼くむくれるいりすを見たら、疑念なんて吹き飛んだ。


 狙いがどうあれ、目の前にいるのがいりすであることに変わりはない。今の彼女を悲しませることはしちゃいけないことだろう。

 好意が嘘で、付き合っている今がやむにやまれぬ事情の上で成り立っていたのだとしても、俺にとっては幸せであることに変わりはない。


 本来ならフラれて終わりだったと思えば、これは一時的な夢と同じだ。


 疑ったまま時間切れになるくらいなら、充分に楽しんで騙されてやろう。


「……それもそうだな。そしたら……遠回りするか?」

「うんっ、一緒にいられる時間が増えるもんねっ」


 いつも仏頂面しか向けてくれなかったいりすの、満面の笑顔が見れた。


 もうこれだけで、元は取れただろう。


 これから失うものがなんであれ、それ以上に得てしまえば、もう覚悟は決まった。


 いりすの手を握り返す。

 シンデレラのように魔法が解けるとしたら、俺といりす、さてどっちなのだろう。



 今日の文化祭を振り返って、雑談をしてしばらくした後のことだ。


 思い切って聞いてみることにした。

 雑談のおかげで聞きやすい流れになっている。


 そもそも、もうカップルなのだから、聞いてみてもいいはずだろう。


「そう言えば、いりすはいつから俺のことが好きだったんだ?」


 瞬間だ、いりすの表情が百八十度変わった。

 俺からすれば、見慣れた方のいりす。


「はぁ?」


 すると、俺と手を絡め、腕を組んでいたことに今更、気付いたように、俺を突き飛ばして慌てて離れる。


「……なっ、なにしてるのよ!?」


 いりすの悲鳴に似た声に、通行人がこっちを見てくる。

 さすがに介入はしてこないようで、痴話喧嘩だと解釈してくれたようだ。


 痴話喧嘩、ね。


 だったら良かったんだけど……やっぱり、俺の夢が覚めたか。


 それともいりすの魔法が解けたのか?


 慌てるいりすを見ていると、反面、俺は冷静でいられた。

 こうなるだろうと予感していたのも助けになっているだろう。


 最初からいりすが恋人だと信じて疑っていなかったら、俺にも戸惑いがあったはずだ。

 だが幸いにも、身構えていたおかげで取り乱すこともない。


 ……なんだか、大切な人が消えてしまった感覚だった。


 目の前のいりすが、いりすでないわけではないんだけどさ。


「…………はあ」


「なにその溜息っ。すっごくムカつくんだけど……! 

 そもそも人が気を失っている間に、どこへ連れていこうとしてたのよ!」


「気を失って、って……なんでだよ。

 どっちかって言うと、しがみついていたのはお前の方じゃないか」


「そんなわけ――」


 ふと、いりすが止まる。


 そう、俺が掴んでいたなら、いりすが俺を突き飛ばすことはできない――わけではないが、難しいだろう。

 それができたのは、いりすが掴んでいた俺の腕を離して、俺の体を突き飛ばしたからだ。


「あたしから、しがみついていたの……?」

「だからそうだって言ってるじゃんか」


「あんたはちょっと黙ってて」


 二人しかいないのに質問するから、答えただけなのに……。


 でもまあ、この理不尽な扱いが、俺が知るいりすって感じで安心する。


 もちろん、出会った頃はこんな風じゃなかったけど。


「人は変わるもんだなあ」

「そういうあんたは変わらないのよ」


 と、思わず口を挟んでしまったことに、珍しくいりすが自分の言葉を取り下げた。


「……あ、いや、なんでもないわよ……っ」

「それで。考えはまとまったのか?」


 様子を見ている限り、いりすには記憶がなさそうだ。

 恐らくだけど、告白中から今に至るまで。


 俺の告白に頷く寸前までは、今のいりすだった。


 でも、今のいりすからは考えられないくらい優しくなってからは、別のいりすになっていた――その間の記憶は共有されていないとしたら、辻褄は合うか?


 漫画の読み過ぎって言われるかもしれないが、じゃなかったらどう説明する?


 彼女の自作自演……であってほしくはないな。


 考えられるとすれば、


 ……いりすは二人いる。


 ――そう、二重人格。


 そして、いりすにその自覚があるのか、ないのか。


 どちらにせよ、それを俺に告白するかどうかを彼女の中でどう整理をつけたのか。


 だからこその、「考えはまとまったのか?」だ。


「……いりす?」


「――なんでもないわよ。仮にあたしになにかあったとして、なんだっていいでしょ。

 あんたには関係ない。関わらせるつもりもない。……迷惑だから、詮索しないでくれる?」


 一方的にいりすから突き放されて、十秒にも満たない思考時間で導き出された答え。


 悩みも迷いもしたけど、結局のところ、ああ言われてしまえばどうしたって一つの答えしか出てこない。


 あいつはバカだ。

 あんな言い方をしたら、それはもう詮索してくれと言っているようなものだ。


 好きな子には、ちょっかいを出したくなるものなんだよ。


 離れていった背中が曲がり角を曲がって見えなくなったところで、


「さて、追うか」



 ……しかし、追いかけたはいいが、いりすをすぐに見失ってしまった。


 確かに直線の道ではないが、曲がったとしても彼女の姿が見えなくなるほど複雑に絡まった道ではないはずなのに。

 追いかけていることに気付かれて、身を隠された? その可能性が高い。そうなるとこのまま見つけるのは難しそうだ……。


「……今日の内に知っておきたかったんだけどな……」


 いりすのデリケートな部分を無遠慮に掘ることになるとしても。


 いりすがどう言おうが、事実、一度だが受け入れられた俺は、あいつの彼氏なのだ。

 知る権利はあるはずだ。


 なによりも、知っておかないといけない気がする。


 告白を受け入れたいりすと、

 いつものように俺を突き放したいりす。


 愛好と嫌悪という対極の感情をいったりきたりしている二重人格のような状況。


 あいつは今、困っているんじゃないのか?


 やがて、日が落ち、街灯を頼りにする時間帯。


 上の妹に、少し遅くなると連絡を入れて、歩道橋の上から周囲を見回した。


「もう少しだけ探してから――」


 その時だ。

 視線の先に見えた、街灯よりも明るい光。


 白光ではなく赤光。


 火の塊? それがゆっくりと、歩道橋の真下を通っていく。


「おい、おいおいおいおいっ!?」


 見間違いか? 慌てて歩道橋を下りて、火の塊を近くで再確認する。


 ……人、だ。

 火に包まれた、人間だった!!


「おいあんたっ!? なんでこんなになるまで誰にも――」


 助けを求めなかった? と口に出すよりも前に、周囲を見て気付く。


 人がいないわけじゃない。それでも普段と比べてかなり少ない。それに、元々混雑する道路ではないが、それにしても道路がスカスカだった。

 こうして俺が大きな道路の真ん中を歩いていられるのも、通る車がほとんどないからである。


 たまに猛スピードで真横を通り抜けていく車もいたが、火の塊を避けているようで、近くにいる俺のことも一緒に避けてくれている。


 荒っぽい運転なんて久々に見た。


 運転に限らず、争いごとはもうほとんど見られなくなった世の中だと言うのに。


『……私が、なにをしたって言うのよ……ッッ』


 低い声が火の塊から聞こえてきた。

 炎に包まれた二足歩行の影としか認識できなかったため、性別さえ分からなかったが、声から察するに、女性だ。

 熱いや苦しいとは一言も言わず、続けて出てくるのは恨みや怨嗟の言葉ばかり。


『憎い……ッ、あいつら全員、殺してやる……ッ』


 瞬間、彼女の炎が広がり、爆発したような衝撃が走る。


 気付いた時には吹き飛ばされていたようで、地面をごろごろと転がった後だった。


 一瞬、気を失っていたみたいだ……。


 硬いアスファルトの上に叩きつけられたため、全身が鈍く痛い。

 這う体勢だったおかげで、伸びた炎が俺の真上を通り過ぎた。


 横を走っていた車に炎が突き刺さり、車体が内側から爆発する。


 焦げた部品が八方に散る中で、肝心の運転手の姿はどこにもなかった。



「……なんだ、これ――」


 これは夢か? 夢だとしたらきちんと全身が痛いんだが……。


『もう、誰でもいい――』


 赤い女性が俺を見た。

 炎に包まれていても蒸発せずに流れる涙が頬を伝う。


『ねえ、私の判断は、間違っていたのかなあ……っっ』



 そんな彼女の胴体から見えた、三つの切っ先。

 彼女の背中から、貫通している。


 ぱぁん、という空撃ちのような音と共に、女性を包んでいた炎が綺麗に消えた。


 ぱたたっ、と周囲に飛び散ったのは、水滴だった。


 それから、炎がなくなり、見えた姿は、スーツ姿の会社員の女性だった。


 彼女は気を失い、前のめりに倒れる。


 刃がすんなりと抜け、危惧していた血も出ることはなかった。


 貫かれたことによる痛みはないようで、倒れた女性の表情に苦痛は見えない。

 そして、


 彼女を貫いた三又の槍が見えた。


 それを握っていたのは、一人の少女。


 いつも見る水色のセーラー服と似た、それでも肩やお腹の露出度が多い――、


「いりす……」

「やっぱりもぐらって、裏も表もなかったんだね」


 思えば。


 いりすの二つの人格は二重人格なのではなく、分かりやすくはっきりと区別させた、裏と表の顔なのではないかと――混乱する頭の中でふとそう思った。

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