第142話 パターナリズム
東京都千代田区にある私立マルクス高等学校は今時珍しい革新系の学校で、在学生にはリベラルアーツ精神と左派系の思想が叩き込まれている。
ある日の昼休み、私、
「今日は来てくれてありがとう! 学校の先生になった時から、生徒さんが直接質問に来てくれるのが夢だったの」
「こちらこそ時間を取ってくださってありがとうございます。先生のプリントにあったこの用語なんですけど……」
朝日さんが持ってきたプリントをお見せしつつ私が指し示したのは「パターナリズム」という用語で、これは語義的には「立場が強い者が立場が弱い者に対して相手の利益になるからという理由で考えや行動を押し付ける姿勢」という意味だった。
「教科書に載ってた具体例は医師が自分の医学的見地を患者さんに押し付けるっていうシチュエーションなんですけど、これって一体何が問題なんですか? 普通の患者さんは医学どころか中高レベルの理科さえ分かってない場合もありますし、そういった患者さんに医師が専門家として意見を言うのは駄目なんでしょうか?」
「確かに、パターナリズムっていうのは倫理の用語の中では比較的新しいし、概念もちょっと複雑なのよね」
朝日さんの質問に対し、新米教師とはいえ公民科教育の専門家である路堂先生は解説を始めた。
「まず、パターナリズムは日本語で父権主義って訳されるように、父親が我が子を思いやるように相手の利益を考えているっていうのが大前提なの。あくまで善意に基づいているっていうのがポイントで、例えばさっきのお医者さんの例だと一般的なお医者さんは患者さんの利益を最大限に考えて治療方針を提案するでしょう? でも、そこでお医者さんが考える『患者さんの利益』はあくまでそのお医者さんの価値観に基づいているから、必ずしも患者さん本人の意向とは一致しないの。また例え話をすると、55歳の若さで進行がんが見つかった患者さんには最大限の延命治療を勧めるお医者さんが多いはずだけど、患者さん本人は積極的な延命を望まないかも知れない。パターナリズムっていう用語には、自分より弱い立場にある人に悪気なく自分の意向を押し付けてしまうような事態を避けるための自省が込められているのよ」
「なるほど、先生のお話でパターナリズムの問題点が分かってきた気がします。これで大学入試に出てもちゃんと答えられそうです!」
私と同様に朝日さんも路堂先生の例え話でパターナリズムについて理解できたらしく、その日は先生に2人でお礼を言って職員室を後にした。
その数日後……
「梅畑君、来週テストなのにまた深夜までゲームしてたんでしょ? 目の下にクマができてるよ」
「あちゃー、気づかれちゃったか。最近ついついパケモンの新作遊んじゃうんだよね」
朝から眠そうな目で登校してきた同じクラスの高校生プロゲーマーである
「でも俺って別に難関大学とか受けるつもりないし、定期テストは赤点にならなきゃいいとも思うんだよね。プロゲーマーの実績で推薦入試も受けられそうだし、まあ健康崩さなきゃいいかなって」
「そんなこと言っちゃ駄目だよ! 高校生ならせめて学校の勉強はちゃんとしないと将来困ったことになるし、推薦入試だからって勉強しなくていいなんて……あっ、ごめん。こういう言い方よくないよね」
朝日さんは勉強を真面目にする気がない梅原君を思いやりから注意しようとしたが、その姿勢がパターナリズム的だと自分で気づいたらしく語気を弱めた。
「あのね、梅畑君。私は梅畑君に何かを命令したい訳じゃなくて、ただ……ほら、プロゲーマーで勉強もできる高校生って文武両道みたいでかっこいいでしょ? 頑張った梅畑君を、いい子いい子って褒めてあげたいなって……」
「朝日さん、そんな風に思ってくれてたの!? それなら俺だって真面目に勉強しない訳にはいかないよ。よし、次の定期テストでは全科目平均点以上を目指して頑張るぞ! ウオオオオオオオオオオオ!!」
梅畑君はそう言うとカバンから教科書を取り出していきなり暗記ものの勉強を始め、私は人を動かすには
(続く)
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