第106話 ジェンダーレス

 東京都千代田区にある私立マルクス高等学校は今時珍しい革新系の学校で、在学生にはリベラルアーツ精神と左派系の思想が叩き込まれている。



 ある日曜日の昼間、私、野掘のぼり真奈まなはお隣さんの子供である6歳児の村田むらたれんくんを市民プールに連れていく予定に備えて新しく買った水着を試着していた。


「この水着結構いい感じかも。正輝と蓮くんしか見ないから気にしても意味ないけど……」

「お疲れ様です、久しぶりに用事があるのですが」

「ギャー変態!!」


 相変わらずノックもせずに入ってきた弟の正輝まさきにステンレス製の水筒を投げつけると、顔面に水筒が直撃した正輝は頭から床に倒れた。


 倒れている正輝を一旦部屋の外に出してから部屋着に着替えると、私は正輝を1階のリビングまで引きずっていった。


「今回もお騒がせして申し訳ありません。ちょうど水着の件に関してお聞きしたいことがありまして」

「いつもながら突然ですけど、宇宙人さんも水着って着るんですか?」


 目覚めて話しかけてきたのは例によって正輝に憑依した外宇宙の異星人であるローキ星人であり、今日はいつもとは違う事情で地球を訪れたらしい。


「直接的に水着の問題という訳ではないのですが、この地球という惑星の日本という国では現在子供たちの人権に配慮してジェンダーレス水着というものが導入され始めているとお聞きしました。人民の解放のため、私たちの母星では地球における人権という概念の研究が盛んなのですが、ジェンダーレス水着はどういう点で人権に配慮しているのでしょうか?」

「あーなるほど、確かに日本の文化とか社会情勢を知らないと分かりにくいですよね」


 主に小学校で導入され始めているジェンダーレス水着の話題については私も先日新聞で読んで初めて知ったので、外宇宙の異星人であるローキ星人が分からないのも無理はなかった。


「まず大前提として、この国では小学生ぐらいまでの子供にプライベートゾーンっていう概念を教えるんですよ。具体的には水着で隠れる身体の部分という意味で、ここは自分しか見たり触ったりしてはいけないって教えて性犯罪から身を守らせるんです。これまでは女子は体幹全体、男子は下半身だけだったんですけど、最近の女子は発育がいい子が多いですし男子は上半身裸でいいっていう価値観も疑われ始めて、それで男女ともに袖があって体幹全体を覆うジェンダーレス水着が導入されたみたいですよ」

「なるほど、ちゃんと考えられているのですね。プライベートゾーンという考え方には私も感銘を受けましたので、参考資料となる書籍を購入してから母星に帰ろうと思います。この近くに書店はありますでしょうか?」


 ローキ星人は目の前に小銭を召喚するとポケットに入れて外出しようとして、私は流石に心配なので書店まで付いていくことにした。



「ジェンダーレス水着は雑誌とかでも特集されてるのでこの辺にあると思いますよ。あの『ARERA』とかいいんじゃないですか?」

「ええ、表紙にジェンダーレス水着特集と書かれています。……おかしいですね、なぜこの棚にある雑誌は裸の男性の写真と水着の女性の写真ばかりが表紙となっているのですか? ジェンダーレスの思想は一体どこに……」


 ローキ星人は書店の雑誌棚にある女性誌『NANA』と男性誌『ZPA!』の表紙を指さしてそう言い、確かに男性誌と女性誌で表紙の傾向が違うと思った。


「それはまあ、購買層とコンプライアンス方針に合わせてるんじゃないですか?」

「いいえ、子供たちにジェンダーレスの思想が浸透してきているというのに、当の大人たちがこのような差別を容認しているのは許せません! こうしてはいられない、今すぐローキ念動力で男性誌の表紙を裸の女性に統一しイッーーーー」


 頭から生えている不自然に太いアホ毛を勢いよく引っこ抜くと、異星人に憑依されていた正輝はまたしても失神した。



「あれ、どうしたの姉ちゃん? なんで俺こんな雑誌のコーナーに?」

「漫画雑誌でも買って帰ろっか……」


 普段見ない週刊誌のコーナーの前で目覚めて驚いている正輝に、私はどっちみちこういう表紙の雑誌は買いたくないなあと思った。



 (続く)

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