5:クリスマスの出会い
「大丈夫ですよ、きっとすぐに会社の方が気付いてくれます」
太宰府は目の間に差し出された携帯と穏やかに笑う春日を見て一瞬肩に入っていた力が抜けるのを感じた。
しかし、携帯に映る圏外の文字が彼を現実へと引き戻す。
「って、でも…仕事で急ぎがありまして……こんな所で時間を食っている場合じゃ」
「俺も同じです。きっと会社では上司がカンカンで待ってます。今日までが納期のものをギリギリで取りに来てるので」
春日は言いながら、確かに今はそんな状況だったなぁと改めて思い知った。
本当に帰ったらまた宮野に怒鳴り散らされるであろう。
けれど、今は妙に心が静かだ。
「でも、もう俺がここで何か出来る事はない見たいなので。何かあったら会社に残った皆が的確に動いてくれると思います。あなたの会社もきっとそうだと思いますよ」
まぁ、怒られる未来は変わらないだろうけど。
春日は言いながら、焦燥に駆られた表情の太宰府を見て少しだけ自分の心が落ち着いている理由が分かった気がした。
それは多分。
「(目の前に自分より焦っている人が居ると、なんか平気な気持になるなぁ)」
そう、春日はやはりどこかのんびりした気持ちで太宰府を見上げていると、太宰府もつり上がっていた眉をヘタリと落とし、小さく息を吐いた。
「そう、ですね。すみません。慌てて騒がしくしてしまって」
「いえいえ。一人だったら俺もきっと凄くビビってたと思うので、貴方が居てくれて良かったです。ありがとうございます」
そう言って笑う春日に、イケメンである太宰府は目をパチリとさせた。
そして、それまで焦っていた気持ちが少しずつ治まるのを感じると、その場に腰を下ろす春日同様、太宰府も腰を下ろした。
「どちらから来られてるんですか?」
太宰府が座り込んだ瞬間、何気なく隣から聞こえてきたその言葉に、太宰府は一瞬その言葉が自分に問いかけられているものだと言う事に気づかなかった。しかし、ここに居るのは太宰府と隣の男だけ。
太宰府は隣でニコニコと穏やかな笑みを浮かべる相手を横目に見ながら、太宰府の中の感覚が次第に自宅にいるような気分になっている事に気付いていなかった。
「えっと、私の会社は中央区です」
「あ、俺の職場も中央区なんですよ。だったら、こっちの駅前のイルミネーションは見られました?」
「あ、見ましたよ。凄かったですね。思わず見とれてしまいました」
そう言って自然と笑みを浮かべる太宰府は仕事の最中に起きたイレギュラーの真っ最中の筈だった。
だが、今は確かに仕事中ではあったが、この自分ではどうしようもない閉鎖空間の中、見知らぬ男と二人きりという異様な状態は太宰府の調子を静かに崩していったのだ。
「ですね。市内じゃ中央駅が一番豪華かと思ってましたけど、こっちも負けてませんでした。俺、この駅で降りた事がないので、少し得した気分です」
「確かに、そうかもしれませんね」
しかし、最も太宰府の調子を崩したのは、このエレベーターに閉じ込められるという状態にも関わらず、出会頭と何ら変わらぬ穏やかな表情を浮かべる春日の存在だった。
そして、太宰府は出会っばかりの目の前の男に、妙な好感を抱き始めるのを止められずに居た。
「(……なんか、この人落ち着くなぁ)」
そんな風に目の前の初対面の男に対して好意的な感想を抱ける程に、太宰府には気持ちに余裕が出来ていた。
「もし、今日も仕事で会社の中に缶詰だったら、きっと俺、今日がクリスマスなんて気付かずに終わってたかもしれません。駅前でイルミネーションの綺麗さとカップルの数の多さを見て、そう言えばクリスマスだったなぁなんて思い出しました」
「確かに。いくらクリスマスなんて言っても所詮はただの平日ですから。この年になるとクリスマスだからと言って何かはしゃぐような年でもありませんしね。私なんか急いでたもんで、ここに来る途中何人もカップルとぶつかってしまいました」
太宰府はここへ来るまでの道中を思い出して、なんとも言えない気分になった。
世の中はこんなにも煌めいているというのに、自分は部下のミスと思わぬアクシデントで、一体何をやっているのだろうと、ふと我に返ってしまったのだ。
「はぁ……」
そう、予期せず漏れてしまった溜息に太宰府は思わず隣に座る男の方へと目を向けた。
「っ」
そこには、先程までと変わらぬ穏やかな表情を浮かべているものの、何やらジッと太宰府の方を見つめる男の丸い目があった。
何故だろうか。
その何とも言えない表情に、太宰府は自分と同い年程であろう男に何やら妙に“幼さ”を感じてしまっていた。
「あ、あの……何か?」
「っあ、す、すみません!なんか、本当にかっこいい方なのに、イルミネーションを見るカップルに対して……なんというか、第三者目線なのがちょっと意外で。俺からしてみれば、貴方みたいな人もイルミネーションを見ている人達の中に居てもおかしくないように思えるので」
そう言って、どこか照れたように笑みを浮かべる男に、太宰府は「っふふ」とつられるように笑った。
もう40も近くなった自分が、あぁして若者に交じってイルミネーションを女と見るなんて、それこそ自分では考えられない。
3年前に約5年付き合った彼女と別れてから、それこそ太宰府は仕事一筋で生きて来たのだから。
「ありがとうございます。そこまで面と向かって褒めて頂けたのは初めてです」
「うそだぁ。どうせ言われ慣れてる癖に」
「そんな事ありませんよ。そちらこそ、今日は早く帰って家族サービスの一つでもしないといけないんじゃないですか?」
「っ、俺はまだ独身です!今日も特に何の予定もないので帰ったら一人寂しくケーキでも食べながらテレビでも見ます。あなたの方こそ、早く仕事を切り上げて彼女と予定でもあるんじゃないですか?」
「残念ながら、俺も花の独身貴族ですよ。彼女も居ません。何時までだって残業してやりますよ」
そこまで言うと、二人は互いに顔を見合わせて声を上げて笑った。
「ははっ!私達、こんなところで本当に何をやってるんでしょうね。
「狭くて暗くて寒くて、本当に何やってるんでしょう。しかも、全然気付いてくれる気配ないですし!」
クリスマスの今日、互いに独身で彼女も居らず、仕事で来たはずなのにこうして狭いエレベーターに閉じ込められて身動きが取れずにいる。
しかも仕事は急を要しているときた。
それが、なんとも滑稽でおかしい。
いつの間にか気分良く話が弾み始めた二人の会話は、昨日見たテレビの話から、よく行く店の話、休日の過ごし方。
そんな他愛のない話を太宰府は、会ったばかりの男に向かって饒舌に話した。
そんな太宰府に、相手も穏やかな表情のまましっかりと耳を傾けて聞いてくれる。
社会人になってから初めてと言える、仕事以外での新しい出会い。
殊更、仕事を抜きにした同性との出会いは皆無に等しかった。
故に、太宰府はこのどこかのんびりとした男の心安らぐ空気感と、学生以来の胸の高鳴りに酷く気分を高揚させていた。
こんな、新しい“出会い”にワクワクするなんていつ振りだろう。
太宰府は狭くて薄暗くて寒い、閉ざされてエレベーターの中で思った。
「(この人、年上っぽいのに。なんかかわいいなぁ)」
なんて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます