目覚め

 映像が突如切り替わる様に、意識の闇に引きずり込まれた私が次に目にしたのは、見慣れない白い天井。

 

「ここ……は」


 唇が渇いている所為かパリパリと皮が剥がれる感触をしながら私は声を発する。

 その声も何故かくぐもっていて広がらなかった。なんでだろうと私は目線を下に向けると、私の口に酸素マスクが装着されていた。そのマスクからぷしゅーぷしゅーと空気が送られている。

 

 なんで私はこんな物を付けているのだろうか……少し記憶があやふやになっている。

 てか……なんだか体が重いんだけど、体の節々が痛いと言うか……。


 重しの様に被せられる布団をもぞもぞと動かしていると、


「すず……ね。鈴音! 目を覚ましたんだね!? 良かった! 良かった……」


 うわっ! 驚いた……。

 隣に座っていたのか、お母さんが大声を張り上げて私の視界に入って来た。

 

「お母さん……私は?」


 お母さんの歓喜に涙する顔に私は困惑する。なんでそこまで私が目を覚ました事が喜ばしいのか。

 私は鬱陶しい酸素マスクをコツコツと指で叩くと、お母さんが頷く。

 その反応は取って良いって事だよね? 私は空気を送り込んで来る酸素マスクを外して上体を起こす。

 

「お母さん……私はなんでこんな所に眠って……痛ぅ……!」


 上体を起き上らせて言葉を発するとお腹部分に痛みが走り蹲る。なにこの痛みは……。


「無理はしないで鈴音。貴方は怪我をした部分を切ったり縫ったりしたんだから」


 切ったり縫ったりってどういう意味……?

 私は服を下から巻くって自身のお腹を確認……って、なんだこりゃ!

 嫁入り前の体に手術痕が!? え、私どうしてこんな傷を!?

 

 …………思い出した。私は、あの男に道連れにされて階段から落されたんだ……。

 そうだ……そうだッ! 全て思い出した! 

 私の魂が肉体から離れた幽体離脱した時のことも! って、あれは夢だったのかな?

 幽体離脱なんて非科学的で信憑性の薄い現象だけど、夢にしてはあれはリアル過ぎる。

 うわぁ……なんか凄い体験したんだな私。もしかしたら同い年でもこんな体験した人なんて探すのが困難な程だよ。

 もしあれが本当に幽体離脱だとすれば、私が感じた話……は。


「————————————ッ!」


 私は幽体離脱時に観た物を思い出して、周囲を見渡す。

 居ない、居ない! あの人が居ない!


「お母さん! 康太さんは!? 康太さんは何処に!?」


 私が大怪我を負い手術を受けたとなれば、あの人も居るはずだ。居て欲しい。

 なのに、私が目を覚ましたのにこの病室に康太さんの姿は何処にもなかった。

 私は腹部から来る鋭い痛みに挫けずにお母さんに詰め寄る。お母さん、康太さんは何処!?


 私が詰め寄り言うと、お母さんの表情は徐々に暗くなる。そして悲しそうに俯き。


「鈴音…………こーちゃんは、ね……」


 ……なに、その態度は……。

 嘘、嘘だよね? 有り得ない、よ。

 は、ははっ。あれは夢だよ、夢。幽体離脱なんて有り得ない。康太さんが自分の命を顧みずに私に血を分けたなんて。義娘としてかなり嬉しい事だけど、絶対にありえない!

 康太さんが、お母さんを、私を置いて死ぬなんて、絶対にありえない!


「お父さ―――――!」


「あー。マジで松葉杖は動きづらくて参るな……。怪我をして初めて痛感するぜ、健康体がどれだけ恵まれているのか」


 開かれた病室の扉から現れた呑気な康太さんの顔を見て私はガクッとベット上で転ぶ。

 

「生きてるんかい!」


「おっ、鈴音目を覚ましたのか良かったぜ……って、人の顔を見て開口一番がそれって不謹慎にも程があるぞ」


 独りで勝手に康太さんが死んだと思い込んで悲嘆しかけたのにこの人は……。

 けど、良かった……見るからに康太さんが無事で、って、無事? 

 私は康太さんの体、正確に言えば足元を見ると、康太さんは何故か左足にギブスが巻かれていた。


「康太さん……その足は?」


 私が知る限りで康太さんが脚を怪我する所は知らない。私が寝ている間に何があったのだろうか。

 それを話してくれるのはお母さんで、お母さんは悲しい顔から、呆れ顔、そして怒り顔となり。


「本当にね、どうしようもない馬鹿だよこーちゃんは。血を大量に抜いたから安静にしている様にって言われたのに、エレベーターが混んでいるからって階段を降りて、案の定貧血を起こして階段から転倒……馬鹿なの、ねえ!?」


「だから本当にごめんって! ほら、幸い足を挫いただけだしさ」


「挫いただけだしさ、じゃないから! なんで私は短いスパンで家族2人も階段から落ちる所を見ないといけないのかな!?」


 おぉ~康太さんの頭をグリグリと、お母さんがあそこまで怒るなんて珍しいな。

 てか、病院内での痴話喧嘩は迷惑だから止めた方がいいよ。

 この部屋は私だけじゃなくて、もう1つベットがあるから、同部屋の人が……って。

 

 康太さんの説教を終え、その後はお母さんの補助を受けながら康太さんは隣のベットに腰掛ける。

 

「もしかして、康太さんもこの部屋に入院するの?」


「まあな。足の怪我だったり、血をギリギリまで抜いた事での安静だったりで2週間ほどな。お前も最低でも1か月は入院らしいから、半月ほど同室宜しくな」


 普通なら男女の同室なんてあまり聞かないけど。私達は家族って事での特別処置だろうね。

 まあ、伊達に狭い一部屋で2週間も過ごしてないから、全然良いけどね。


 …………それにしても、血を抜いた、か。

 やっぱりあれは、夢じゃないんだ。本当に私は体から魂が出て幽体離脱をして、事の一部始終を目の当たりにしたんだ。本当に、なんて体験だよ。

 

 そうか。なら私の体には康太さんの血が……。ふふっ。


「なんか鈴音嬉しそうだけど、どうしたの?」


「ふふーん♪ べーつに♪」


 勿論、血を入れたからと言って私が康太さんの実の娘に成るわけじゃない。

 だけど、やっぱり嬉しいな。 怪我をしたけど、地獄に仏って言うのかな?

 康太さんが、お父さんが私の為に頑張ってくれた事が嬉しくて笑みが止まらないよ。

 

 鼻歌を歌う私と、不思議そうに首を傾げるお母さんを他所に、テーブルに置かれていたスマホがバイブ音を鳴らす。それは康太さんのスマホなのか、康太さんはスマホを取り。


「あ、部長から電話だ」


 部長って康太さんやお母さんの上司の人だよね?


「白雪さんからなら私が出ようか?」


「いいや。もしかしたら入院中の仕事の引継ぎかもしれないし、少し出るわ」


「階段とか使ったりして転ばないでね」


「分かってるよ」


 そう言って松葉杖を突きながら康太さんは病室を出る。

 私とお母さんだけが残る病室に無言の時間が流れるけど、私は気になっていた事をお母さんに尋ねる。


「ねえ、お母さん……。あの人は、どうなったのかな?」


 名前を言わずにあの人なんて言ったけど、それが誰なのかお母さんは察してくれたようだ。

 あの人、それは私の実父でもあり、私を道連れにした最低野郎の宮下徹の事だ。

 お母さんはその後の事を聞いているのか、少し躊躇いながら私に言った。


「あの人は、鈴音と一緒に落ちた際に強く下半身を打った所為で下半身不随……つまり、一生歩けない体になったらしいの。しかも、体内からは薬物反応があって、恐らく、叩けば沢山の埃が出て来るかもしれない。もしかしたら、一生日の目を浴びないかもね」


「そう……なんだね」


「……ショックだった? あの人はあんなどうしようもない性格だけど、一応は貴方の……」


 お母さんは心配そうに言うが、私はそれを完全拒否する様に鼻で笑う。


「ぜーんぜん! 微塵もショックだと思ってないから。私のお父さんは世界でただ1人、康太さんだけだよ」


 お母さんは私の言葉に安堵した様に微笑む。

 そして私は病室から見える景色を眺めながら、お母さんにいう。


「お母さん。ありがとね。私に、あんな素敵なお父さんを連れて来てくれて」


「連れてくるだなんて……。こーちゃんが私を選んでくれた。そして、貴方のお父さんになってくれるって言ってくれた。私に感謝する事じゃない。するならお父さんこーちゃんにして」


「そうだね。だけど、本当にカッコイイ人だね、康太さん。この先、康太さん以上の男性に出会えるかな」


「出会えるよ。貴方の人生はこれからまだまだ先がある。沢山良い人と出会えるよ」


「むぅ。なんか余裕な人の言い草だね。あーあっ、本当に良いなお母さん。人生の伴侶が康太さんなんて。これから先ラブラブな夫婦生活を送るんだろうな~」


「もう鈴音! お母さんを揶揄わないの!」


 コツンと頭を小突かれて舌を出す私。

 まあ、私はお父さんが欲しいと同じぐらい、お母さんが幸せになってくれることをずっと願っていた。

 だから、お母さんが幸せになってくれて、私は本当に嬉しいよ。

 …………まあ、それとこれとは別として。私は冗談気味に、そして僅かに本気を籠め。


「ねえお母さん。頼みがあるんだけど――――――――」


 



「はぁ……白雪部長の話はいつも長いんだよな。まあ、それだけ心配してくれてるって事だから無碍には出来ないよな。って、なんだ凛と鈴音。なんか話をしていたのか?」


 白雪部長からの気遣いと説教を受けた俺は未だに慣れない松葉杖を突きながら病室に戻る。

 そして戻るや否や何かしら会話をしていた凛と鈴音に尋ねるが、2人は首を横に振り。


「「なにもないよ」」


 嘘だと分かり、会話の内容が気になるけど、女2人の会話だから追及するわけにもいかない。

 俺は用意されたベットに腰掛ける。 

 それにしても本当に笑い話だな。病院内で転んで足を挫いて入院だなんて。医者も看護師も苦笑いされるしよ。


「それじゃあ、そろそろ面会時間も終わるから、私はそろそろ帰るね。何か必要な物があったら連絡してね。仕事帰りでも時間があれば面会に来るから」


「ああ、分かった。仕事の方も頼むな」


「じゃあねお母さん」


 俺達が手を振り凛を見送ると凛は病室を後にする。

 そして面会時間が終わり、病院の営業時間も過ぎたからか、廊下は一気に薄暗くなる。

 うぅ……夜の病院ってなんか不気味なんだよな。


「まあ、久々の長期休みって事で折角だからゆっくりさせて貰うかな」


 入院とは言え2週間も仕事を休める機会なんて滅多にないからな。


「社会人って大変だね」


「そうだぞ。お前も後何年かすれば社会人になるんだから覚悟しておけよ。学生みたいに気楽には過ごせないからな」


 隣のベットに寝る鈴音にカラカラ笑いながら言い、鈴音も返す様にクスクス笑う。

 そして数秒程無言の時間が流れ、鈴音が呟く。


「ねえ、康太さん」


「ん? なんだ?」


「ありがとね、私に……血を分けてくれて」


「……凛から聞いたのか?」


「んーまあ、そんな所だよ」


 別に恩を着せるつもりはないが、なんか含みのある言い方だな。何か隠してないか?

 まあ、いいや。鈴音が無事に生きていてくれるだけで、俺はそれだけで満足だからな。


「ふわぁ~眠くなって来たな。消灯時間まで時間があるけど、そろそろ寝るか」


 時刻は8時を過ぎた頃だけど、血を抜いた影響か瞼を重くなる。

 俺は鈴音に報告する様に言うと、鈴音は俺を寝かせるつもりがないのか体を俺の方に向け。


「ねえ、康太さん。お母さんといつ、籍を入れるのかな?」


 その一言に俺の眠気が彼方に吹き飛ぶ。


「お前いきなりなんて質問をするんだよ!」


 俺が怒鳴るが何処吹く風の様に鈴音はニヤニヤと俺を見て。


「いいからどうなの?」


 このマセガキは! 年頃だからってそこまで深入りするなよ!

 ……まあ、こいつも家族になる奴だ。気になるのも無理はないのかもな。


「少なくとも俺とお前が退院して、落ち着いた頃だな。多分、来年の4月頃くらいか」


「そうなのか。まだ半年近くあるんだね」


「そうだ。てか、お前は来月辺りに編入試験があるんだろ? その身体で受けれるのか?」


「周りが許してくれるなら私自身は受けるつもりだよ。勉強だってその為にして来たんだし」


「そうか。頑張れよ、鈴音」


 俺の激励に鈴音はニシッと笑って返す。

 

 俺は鈴音の父親になるんだ。けど父親だからって鈴音が歩む道を作るんじゃない。

 鈴音が決めた道を挫けずに歩けるように支えてやる、それが俺の中の父親像だ。

 これから先、暇な時間は無いかもな。まあ、どんとこいだ。


「ねえ、康太さん。1つお願いがあるんだけど、いいかな?」


 父親としての決意を改めていると、鈴音に呼ばれ俺は鈴音を見る。


「なんだ鈴音? 俺が出来る事ならしてやるが」


「そっか。ならさ。私達が退院して、私の編入試験も終わって、色々と落ち着いたらさ―――――私とデートしてよ」


「……………はい?」

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