恩人との出会い、そして決心

 私は先生を追いかける為になけなしのお小遣いを移動費に使い、お金が殆ど残らなかった私は知らぬ土地で1人彷徨っていた。

 何とかギリギリに食い繋ぎ生きていた私だが、日々大きくなる子供に栄養を全て取られた。


「は、ハハッ……この子は意外に丈夫だな……。不衛生な生活をしているのに……すくすく育つなんて……」


 先生に捨てられ何日経っただろう。

 もう何日もお風呂に入っていない。もう何日も膨れる程にご飯を食べてない。

 なのに、お腹の子は育っている。普通なら死産する恐れがあるのに……。

 1人彷徨う私は一目を避けて歩き、県を跨いだ時に遂に限界が訪れた。


「もうお金も尽きた……。食べられる物もないから、そろそろ潮時かな……」


 学生だった私にお金は無く。

 お金が無ければ宿も借りれない、ご飯も食べられない。

 もう先には絶望しかなかった。

 いつ、私は道を踏み外してしまったのだろう。

 こーちゃんとの男女間に不安を持たずに過ごしていたら、今頃は幸せに付き合えたのだろうか。

 あの時の私はこーちゃんとの日々を思い出す事だけが生き甲斐だった。

 そうしないと私は……今すぐにでも自らの命を投げ捨てかねなかったから……。


 私は服の上からでも分かる程に小さく膨らんだお腹を摩り、涙した。


「ごめんね……ごめんね。こんな馬鹿なお母さんで……。貴方もこんな私の所に産まれてこなかったら、もっと幸せだったのにね……」


 過去への後悔と同じぐらい、私はお腹の子供への罪悪感に苛まれた。

 私がもっとしっかりしていれば、お腹の子も真っ当に産まれさせたはずなのに……。

 孤独な私はこのまま1人……いや、2人で死ぬのだと覚悟した……その時だった。


「あれま。どうしたのそんな所で。怪我か何かい?」


 後の大家である林おばあちゃんに出会ったのだ。

 身体が汚れ、空腹で細々になった私に声を掛けて来た林おばあちゃん。

 人とまともに話したのは何日ぶりだろう。私は空腹と乾いた喉の所為で声が出せなかった。

 そんな私に買い物の帰りだったおばあちゃんは水とパンをくれた。


 空腹が限界に来ていた私は獣の様にパンを貪り、水を飲み干した。

 そんな私をおばあちゃんは汚い目ではなく優しい目で見守っていた。

 

 少しのパンと水だったけど、大分マシになった私は、改めておばあちゃんにお礼した。


「あ、ありがとうございます。助かりました」


「どう致しまして。それにしてもどうしたんだい。身体も大分汚れて……。お父さんとお母さんは?」


 おばあちゃんは聞いて来るが私は答えられずに口籠る。

 言える訳がない。妊娠した事で絶縁したなんて……。

 答えずに俯く私におばあちゃんは手を伸ばし、私のお腹を摩った。


「貴方……妊娠しているね……?」


 私は飛び跳ねた。

 私の成りから未成年だと知られたら、また……学校で皆に向けられた軽蔑の目で見られると思った。


「ち、違います! こ、これはただ単に太っているだけで……」


「嘘を言わない! あんだけパンにがっついてた子がお腹だけ太るわけがないでしょ! 嘘を言わずに本当の事を言いなさい!」


 私はおばあちゃんに諭され素直に答えることにした。


「…………はい。私、妊娠しています。それで両親と喧嘩して家出を……」


「そう……。付いて来なさい」


 普通ならここでの対応は、私の両親に直接連絡するか警察に連れて行くかだろう。

 私はおばあちゃんに警察署に連れて行かれるのだろうと覚悟したけど、着いた場所は警察署ではなく、ボロイ木造のアパートだった。

 おばあちゃんは一階の右から2番目の部屋の扉を開き。


「貴方、もし行く当てがないのなら、ここに住みなさい」


「…………え?」


 私は訳が分からなかった。

 確かに行く当てがない私だけど、なんでここに住んでいいと言うのか。


「け、警察の所に連れて行かないんですか……?」


 私の疑問におばあちゃんは深く息を吐き。


「そうだね。常識に考えればそうした方がいいのだろうけど。間違ってたらごめんだけど、私の予想だと……両親にその子を堕ろすように言われたんでしょ」


 私は驚き後ずさる。それが図星と取られおばあちゃんは言う。


「やっぱりね。なら、常識が欠けていると言われても、私は貴方を警察の所には連れて行かない。せめて、その子が産まれるまでは」


 おばあちゃんは私のお腹を指さし言う。

 私は膨らむお腹を摩り、


「……どうして?」


 短い言葉で聞くとおばあちゃんは悲嘆する様に遠い目をして。


「私ね……天涯孤独の身なんだよ。子供はおらず、夫には先立たれてね」


「そう……なんですか」


 何故、そんな話をするのか分からなかったが、おばあちゃんは自らのお腹を摩り。


「夫に先立たれたのは病気だから仕方ないけど。子供の方は……元々いなかったって訳じゃないんだよ」


 おばあちゃんの目から一筋の涙が頬を伝い落ちる。


「まあ、男の子か女の子かも分からない内に……死んでしまったけど」


 私はおばあちゃんの言葉に息をするのも忘れる程の衝撃を受けた。

 分からない内に死んだって……それってつまり。


「私たち夫婦には子供が出来にくくてね、けど、子供を諦めきれなかった私たちは、治療とか食生活の見直しとか努力して子供作りに励んだ。そして、奇跡的に私たちの間に子供が芽生えたの」


 おばあちゃんは辛さを堪えるように必死に微笑みを浮かべて語る。


「夫と私は本当に喜び、今か今かと子供が産まれるのを楽しみにした。2人で子供の名前をどれにしようか日夜話し合ったりして、産まれたら色々な思い出を作りたいってね。幸せだった……けど、ある日に私の不注意で階段から転び……流産してしまったの」


 私はおばあちゃんになんて声をかければいいのか分からなかった。

 子供を熱望して、念願叶って妊娠した子供をこの世に生誕する前に殺してしまった。

 

「夫は気にするな。また今度頑張ればいい。お前は何一つ悪くないって私を励ましてくれたけど……医者が私に叩きつけた現実は過酷だった。その流産によって私の子宮は損傷して……子供が望めなくなったの」


 おばあちゃんは腰に手を回して部屋を歩き、窓から見える景色を眺める。

 私に背を向けたのは、もしかしたら泣いている自分の顔を見られたくないからか。

 

「夫は子供がいる人生が全てではない。お前と一緒にいられればそれで良いってね。本当に出来た人だったよ。あの人と一緒に居られて私も幸せだった。けど、2年前に先立ってしまったけど」


「……おばあちゃんの辛い過去は分かったけど、それと私を警察署に連れていかないのにどういった関係が」


 当初の質問から大きく外れ、私が修正しようと質問すると、おばあちゃんは真剣な目で私を見据え。


「あなたを警察署に連れて行かないのは……。多分、私は許せないだからだと思うの……」


「許せないって……誰をですか?」


「……本当なら警察署に連れて行って、貴方を両親の所に帰した方がいいのだろうけど、もし貴方を両親の許に送り返せば、その子は中絶する事になるでしょ?」


 私はお父さん達の勧める中絶に反発して家を飛び出した。

 もし私が家に帰れば十中八九中絶させられるだろう。警察に送り届けられれば必然的にお父さん達の方にも情報は行くから……。


「これはおいぼれの勝手な正義感ってやつね。産まれるはずの子を大人の勝手な都合で惨く殺させたくないから」


 おばあちゃんは昔に不慮の事故で我が子を殺めてしまい、産まれる前に死なせてしまった。

 その自責の念と我が子が死んだのに、産めるはずの子を見す見す死なすのを見逃せないのかもしれない。

 多分、おばあちゃんは頭の中で自分の行いが間違っていると分かっているはず。

 だけど、子供の命を大人の勝手な判断で殺めさせられない。芽生えた時点で命は皆平等だから。


「けどね。これは私の勝手に言っていること。決めるのは貴方母親の判断よ。どうするか貴方が決めなさい」


 結局決めるのは私の意思。

 この子を殺すのも生かすのも、私の判断に委ねられる。

 けど、私の意思はとっくに決まっている。

 お父さん達に反発して家を飛び出した後からずっと……。


「私は……この子を産みたい。この子を幸せにしたい……」


 私の中でこの子を産む決心は付いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る