【FGA:4】田代監督


「じゃあ向こうアメリカでもしっかりやれよ。藍葉、神戸」



 田代監督はそう言うと「これお前らのご両親への土産な」と言ってキレイにラッピングされた菓子折りの入ったビニール袋を亜蓮と雷人に手渡した。

 代わりに「ありがとうございます」と雷人が丁寧に感謝の言葉を田代監督に返すと「ふっ」と一つ笑い、おもむろに胸ポケットからタバコを一本取り出すと手慣れた手つきでこれまた胸ポケットから出したライターで火をつけた。

 シュボッと心地の良い音と共に小さな炎が上がる。その小さな輝きに伴って鈍色の煙も舞い上がりくうへ陽炎のような揺らぎとなって消えて行った。

 そんな日常の一コマにすぎないワンシーンに雷人は心なしか目を奪われ半ば放心している最中──田代監督は雷人に一瞥をくれると亜蓮に視線を移しおもむろに話を切り出した。



「亜蓮。お前は確かに天才だ。しかも天賦の才の上に不断の努力が乗っかってる。故にお前は強い。だがな……」



 ふぅ、と田代監督が口中に溜まった煙を吐いた。その煙もまた先ほどと同じように空に消えていくのを眺めながら今度は雷人の方をしっかりと見つめた。



「お前はバスケを楽しみすぎてる節がある。いや、それ自体が悪い訳じゃねぇが……そいつは時としてお前を事を辞めちまう」



 今度は携帯灰皿をズボンのポケットから取り出しトントンと一定のリズムで灰を落とす田代監督に亜蓮は思わず「どう言う意味だ?」と至極真っ当な疑問をぶつけかけた──が、あと一息のところでそれを思い止まると田代監督の次の言葉を待った。

 雷人はすでに空へ去りゆく煙を眺め終えたのか今度は急に説教じみた話を始めた田代監督とそれを神妙な面持ちで聞く亜蓮の話に耳をそばだてる。



「今はまだその実感が無くても良い──だがな、お前がNBAという大舞台に立つ時初めてを知ったんじゃ遅すぎると俺は思うんだ。いいか? "チームのエース"や"チームのキャプテン"と"チームをヤツ"は違う」



 タバコをふかしながらどこか遠い目で話をしていた田代監督が一転、今度はぐっと目に力を入れながら亜蓮の両肩を掴む。

 そんな田代監督に気圧されたのか亜蓮の右足は自然と後退する。だがそんな事は気にも止めず田代監督は依然両肩に込めた力を緩めない。



「真に強いヤツってのは……よく聞け藍葉、真に強いヤツっていうのは状況においても最善ベストに動くヤツだ。いいか? "成功"や"勝利する事"にこだわる事じゃない。常に"最善ベストは何か?"と問い続け、最善ベストが見つからなくてもより良い方法ベターを探すヤツだ」



亜蓮は困惑した。


 理由は単純。田代監督の言っている事は常に自分がやってきた事だったからだ。

 バスケットボールを行う上で──否。全てのありとあらゆる事柄において最善ベストを求めるのは至極単純な話、誰もがする事だ。

 亜蓮の脳裏に過去の思い出が走馬灯のように駆け抜けていくがどの場面においても自分が──"藍葉 亜蓮"が最善ベストを尽くさなかった事はない。


それに。


 亜蓮は田代監督の言葉を尻目にこうも思った。

「成功や勝つ事にこだわる事ではない?いや、成功や勝つ事にこだわるからこそ最善ベストというものは自然に見つけられるものではないか?」と。


 だが亜蓮の考えは恐らく間違っている──という事は目の前で熱弁をふるう田代監督の様子から見るに察せざる得ないと言える。


 そんな変わらず言っている意味が分からないと疑念を持つ表情の亜蓮に田代監督はさらに語気を強める。

 流石に堪えたのか亜蓮は思わず雷人に助け舟を出すように横目で見ると──雷人も変わらぬ表情──真顔で田代監督の弁を聞いていた。


 刹那、亜蓮は雷人が田代監督の事を理解している事に気付く。

 今まで何度も見てきたライト表情に仰天する。



(やっぱり────雷人コイツはオレより────)



「だぁッ! うるせー監督ジジイ! オレは今からNBAアメリカ行くんだからその前にムツカしい話をすんじゃねーよ!」



 亜蓮はいきなりそう憤ると無理やり田代監督の手を振り解き、雷人の手を引っ張り体育館の入り口へと走り出した。

 そんな亜蓮の突とした行動アクションに一瞬、動揺した田代監督だがすぐに亜蓮の罵声に対し怒りの色を示す大きな怒声をその背中に飛ばした。



「あっおい‼︎ バカ者! 話は最後まで聞かんか!」



「うるせー監督ジジイ! せいぜい元気でやってろよな! あばよ!!」



──広い体育館のロビーに静寂が訪れる。


 残るタバコの香りと未だ主張の激しい館内の暑さに田代監督は無意識に空を見上げた。

 ガラス張りの天井から空の──それはもう美しい青い空が見える。そんなどこまでも広がっていそうな青い空にかつて数年前に"自分"を求め椿ヶ丘の門を叩いた少年の顔を思い出す。



(あいつが……NBA入り、か……)



 かつて自分がそうであったように──大舞台NBAのコートに立てる日本人は多くはない。まして亜蓮のような選手プレイヤーはあの世界で生き残る事は難しい──が。


──田代 優我という人間は知っている。藍葉 亜蓮の強さを。


 がやや……。

ふと耳にすでに送迎会の片付けを終え、日常れんしゅうに戻っている椿ヶ丘のバスケット部の声が聞こえてくる。

 田代監督は「ふっ」とまた一つ、小さな笑みをこぼすと──先ほど未来へと走って行った残像せなかに一瞥をやると足早にコートに戻ろうと歩を進めた。

 もはや広い体育館のロビーに人はおろか、物音一つ残らずそこはあたかも──何も描かれていない白い地図のような静寂と希望を秘めている世界と見紛うほどの──青い空の光で満ち溢れていた。


 田代監督はその眩さに思わず目を細めると──思わずにはいなかった事を心中に思う。


 これからもっと暑くなるだろう夏の大地に飛び出していった──もう一人の、輝かしい未来をの青年の事を。


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