『勇者、奴隷を買う。』

<1.1ピム=約1000円>

『オレオレ、オレだけど。いま時間ある?』


 ベタな特殊詐欺を思わせる電話は、文字化けした記号からかかってきたものだった。

 俺は大きく息を吸い込んでから、スマホにため息を吹きかける。


『おーい、聞こえてんだろ。兄貴、何か言えよ』

「今度はなんだ。どんなモンスターが相手だ……」

『おう、兄貴』弟の声がうれしそうに弾む。『今度は違うぞ、モンスターなんて甘っちょろいもんじゃない。もっと厄介でシビアな問題にぶち当たった。また助けてほしい!』


 兄弟揃って事故に遭って、どうにか生存できた俺と違い、死んで異世界に転生した弟の陽介は、いまファンタジーな世界で勇者をしている。

 通信魔法という次元を超えた連絡手段に開眼した陽介は、困ったことがあると、こうして助けを求めるようになっていた。

 迷惑でしかない要請だが、生き残った後ろめたさから無碍にできない。


「いったい何があったんだ?」

『実は、奴隷を買おうと思ったんだけど金が足りない。どうにかして増やす方法がないか考えてくれよ』


 俺は一旦スマホから耳を離して、陽介の言葉を落とし込んでから、きっぱりと言った。


「買うな!」

『な、なんでだよ!』

「バカか、お前は。奴隷なんて買ってどうするんだ。奴隷が必要な生活してねえだろ――というか、そもそも奴隷ってなんだよ。どんな環境なんだよ、そっちの世界。社会道徳とか人権とか、そういうもんはないのか」


 陽介はかすかなうなり声をもらし、言い訳じみた反論を口にする。現代的な道義が残る転生者であるから、内心気まずい思いを抱いているのだろう。


『そんなこと言ったって、こっちの世界はまだそっちほど社会が成熟しているわけじゃないんだ。道徳にしたって人権にしたって、きちんと定められる前の段階だ。奴隷商も別に禁じられちゃいない。あまり褒められた仕事じゃないって感覚は、一応あるみたいだけど』

「そうだとしても、勇者が奴隷を買ってどうする」

『勇者だから、奴隷商を襲って助けるなんてマネできないんだよ。悪法も法なりって言うだろ、そんな感じ』


 俺はうんざりして、がっくりと肩を落とす。頑なな陽介に折れる気配はなかった。

 勇者様は、どうしても奴隷がご所望のようだ。何がそこまでさせるのか、俺にはまったく理解できない。


「なんで、そんなに奴隷がほしいんだ……。好き勝手できる女がほしいとか、そういうこと考えるヤツじゃなかっただろ」

「違うっての。兄貴はエロいこと考えすぎだ。――偶然、奴隷の女の子と話す機会があってさ。あまりにかわいそうな身のうえなんで、助けてやりたいと思うのは悪いことじゃないだろ』


 情に訴えられると、きついことは言いづらい。人助けならなおさら、やめろと言えない。

 結局俺が折れることになる。転生する前から、いつもそうだ。兄という立場は、強いはずなのに弱い。


「それで、いくら必要なんだよ」

『さすが兄貴、話がわかる。奴隷の代金は、だいたい1000ピムだと聞いた』

「ちょっと待て。ってなんだよ、そっちの通貨か?」

『そっかそっか、いきなり言ってもわかんないよな。うん、ピムはこっちの通貨だ。1ピムは、100コートってとこ』

「謎を増やすな、バカ。コートってのも通貨の単位なんだな――」


 転生してすでに十五年以上たつ陽介は、転生前後の常識が混ざって感覚がズレている部分があった。どれがどちらの用語なのか、時々わからなくなるという。

 丹念に話を聞いたところ、ピムとコートの関係は、ドル・セントの関係と似たようなものらしい。


「1ピムは、どれくらいの価値があるんだ?」

『うーん、物価が違うから難しいとこだけど、5ピムあれば宿に一泊できる。日本円に換算すると、1000円くらいかな、たぶん』


 計算式があるわけではないので、正確なことは何も言えないが、わかりやすく“1ピム=約1000円”と仮定して考えることにした。


「奴隷が1000ピムだから、こっちでは100万円ってことか。人間一人の金額としては少ないが、奴隷はそういうものなのかな。よくわかんねえや」

『奴隷商のオッサンは、良心的な価格だと言ってたな。ホントかウソかわからないけど』


 奴隷の適正価格など知るよしもない俺に、答えられることは何もない。提示された金額を受け入れるほかなかった。

 問題は、陽介のサイフの中身だ。そこさえクリアできれば、価格に意味はない。なんといっても、俺の金じゃないし。


「陽介は、いまいくら持ってる」

『さっき確認してみたら、1807ピムと62コートあった』

「待て待て待て――買えるじゃないか。それなら、何を悩むことがある!」


 陽介は腹立たしいほどあっけらかんと、とんでもないことを言いだす。


『だから、1000ピムは奴隷一人分の値段なんだ。奴隷は二十人いるから、合計20,000ピムいる。セット価格ってことで、全員分出すなら少しは色をつけてやるって奴隷商のオッサンが言ってたから、ちょっとは安くなるかもな』

「話が飛びすぎだ。なんだよ、二十人って!!」


 いきなり数字が積み上がって、頭が混乱した。

 20,000ピムは、日本円で20,000,000円ということになる。二千万円なんて大金、一介の高校生には想像すらできない。


『だって、一人だけ助けても意味ないだろ。どうせなら奴隷商のとこにいる奴隷全員助けてやりたい。ほらっ、オレって勇者だし、そういう親切なとこ見せないと、周りにカッコつかないんだ。だから、兄貴、なんとか金を増やす方法考えてくれてよ』

「ふ、ふッ、ふざけんなーッ!!」


 憤怒の叫びがむなしく響く。何を言ったところで、異世界にこちらの苦労は届かない。

 結局俺は怒りに震えながらも、放課後には図書室に向かい、書架を見て回ることになる。


「こんなんでいいのか?」


 手を伸ばしたのは、金融の歴史をつづった解説書だ。

 俗物的な金儲けの本が教育機関である学校の図書室にあるはずもなく、かろうじて見つけたのが、その本だった。指をかけて引っ張り出そうとしたが、いつぞやのように詰まってなかなか抜けない。

 スッと背後から手が伸びて、白く細い指が俺の代わりに本を取ってくれた。


「ひょっとして、また無茶な頼まれ事したんですか?」


 メガネの図書委員が、呆れ混じりの苦笑を浮かべて立っていた。後輩の早坂満はやさか みちるだ。陽介とクラスメイトでもあった早坂は、前回ドラゴン退治の方法を考えるという無茶ぶりに協力してくれた恩人である。

 早坂は本のタイトルに視線をすべらせ、メガネの奥で目を細めた。


「どうしたんだ。今日は当番じゃないだろ」


 受付所にいたのは、別の図書委員だった。早坂の週一の当番曜日は、すでに頭に入っている。


「センパイ、ここは図書室ですよ。当番でなくても、本を読みにくることはあります」


 これまで何度か図書室に訪れているが、他の利用者を見たことがない。口元まで出かかった「珍しい」という感想は、目の前にいる珍しい利用者に配慮して、声となる前に飲み込んだ。


 俺はちらりと受付所の方向に目をやる。幸いなことに本棚が目隠しとなって視認できる位置ではないが、静かな図書室だけに声が届く可能性はあった。常識離れした話題を口にすることになるので、注意する必要がある。


「それで、倉本くんに何を頼まれたんですか。前とはずいぶんと毛色が違うようですけど」


 心持ち声をひそめて、早坂がたずねてくる。


「実は、今朝陽介から電話があって――」事情を知る早坂に隠してもしかたがないので、正直にすべて伝える。「――と、いうわけなんだ。参考になりそうなのあるかな?」


 早坂は怪訝そうな表情のまま、ずらりと並ぶ本に目を向ける。人助けという名目はあるが、奴隷を買うことにあまり好意的な解釈をしていないようだ。

 女として、何か思うところがあるのかもしれない。


「お金儲けの本となると……ここでは、ちょっと難しいかもしれないですね。『国富論』や『資本論』は経済学ですし、『マネジメント』はビジネス書で直接的なお金儲けとは違う。これもネットで調べたほうがいいかもしれませんよ」

「ネットかぁ。金儲けで検索したら、やばいサイトばっかり引っかかりそうな気がする」


 早坂はフフと小さく声をもらして笑い――思わず笑ってしったことにハッとして、メガネを支えながらはにかむ。

 照れくさそうな彼女の姿を見ていると、不思議な安堵感に包まれて、ほっこりとした気持ちになった。


「そう言えば、前に子供の頃から投資をしているすごい二年生がいるって聞いたことがあるんですけど、その人にお話を聞いてみてはどうでしょう」

「ああ、須間か。投資をしてるからって、金儲けのヒントを授けてくれるとは思えないな」

「センパイ、ご存じなんですか?」


 俺は軽く肩をすくめて、書架によりかかった。立ち話が長引いて、少し右足が痛い。


「須間とは一年のとき、同じクラスだった。話をつけるくらいならできるけど、結構めんどうなヤツなんだよなぁ」

「聞くだけ聞いてみませんか。いまのところ、とっかかりもないわけですし」

「うーん、一応話してみるか」


 あまり気乗りしなかったが、早坂の薦めもあってコンタクトを取ってみることにした。放課後に居場所を見つけ出すのは困難なので、必然的に対面は明日へと持ち越しになる。


 そうして翌日――どうしても手助けしたいと強情に言い張る早坂を連れて、須間のいる教室をのぞいてみた。

 目立つ須間は、すぐに見つかる。窓際の席で、スマホを眺めながらのんきに菓子パンをかじっていた。その容姿は俺の知る頃よりも、だいぶパワーアップしている。


「須間、ちょっといいか」


 声をかけると、脱色した髪をかきあげながら、須間が顔を向けた。一年の頃は白かった肌が、ほどよく焼けて小麦色になっている。

 アイラインをしっかりと整えた目が、俺を見つけてわずかに細くなった。ボリューミーなつけまつ毛が、ふわりと揺れる。


「倉本やん、どないしたん?」


 女子高生投資家の須間千里すま せんりは、関西出身のゴリゴリのギャルだった。

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