第87話 外敵脅威


「おい、ジェスタ起きろ。そろそろ皆が集まり出す時間だぞ?」


 いくら扉をノックしても向こうからジェスタの返答はなかった。


(シェザール殿が現れないということは、そこまで緊急事態ではないということか?)


 しかし良い加減、ジェスタには起きてもらわなければならない。

 女性の部屋へ踏み込むのは気が引けるが、ここは仕方なし。


「開けるぞ! いいな!」


 念のためにそう叫び、ノルンは山小屋の2階にあるジェスタの部屋へ踏み込んだ。


「ぬおっ!?」


 突然、足に何かが引っかかり、すっころんだ。

その表紙でうず高く積まれた本の塔が崩壊する。


「な、なんだこの有様ーーふぐっ!?」


 本を払い除け立ち上がると、急に目の前が塞がれた。

 よくジェスタから香ってくる白い花のような香りがするような。

恐る恐る顔に張り付いた三角の布切れを剥がしてみると……部屋干しされていた白いパンツだった。

しかもフリルなどがたくさんついていて、とってもラブリーでチャーミングである。


(しかしこんなに大騒ぎをしているにも関わらず……)


「くかぁー……すぴぃー……ううん……私は、大陸一のワインを……にゃむにゃむ……」


 連日の作業でジェスタには相当疲れが溜まっているのだろう。

本当は休ませてやりたいが今日は重要なことが山積しているので、そうも行かない。


「許せ、ジェスタ……起きろぉぉぉぉ!!」


 ノルンは叫びつつ、ジェスタのくるまっていたシーツを剥ぎ取る。

そして息を呑んだ。

 ベッドの上のジェスタはまるで胎児のように丸まりながら、全裸で寝ていた。

よくみてみれば、グチャグチャしたものの上にへ、服や下着が散乱している。


(迂闊だったか……!?)


「んっ……おはよう、ノルン……?」

「お、おはようジェスタ……」

「ーーってぇ!?」


 ジェスタは息を呑むと、耳の先まで真っ赤染めて、更に体を丸めた。


「す、すまない! 俺はただ君を起こしに来ただけで……!」

「みられた……ノルンに……ああ、もう……!」

「本当にすまない!」

「あ、いや、その……えっと……別に貴方だったら……」

「ん?」

「おはようございます! ジェスタさーん、ノルンさーん! もうみんな集まってーーってぇ!?」


 ノルンとジェスタは仲良く扉の方をみやる。

そこには呆然と佇む、リゼルさんの姿が。


「ま、待ってくれリゼルさん、これは!」

「そうなんだ! ノルンは悪くない! 私が!」

「ふふ……どうぞごゆっくり、獣のお二人さん?」


 リゼルさんはニンマリ笑みを浮かべると、そっと扉を閉じた。

 2人が慌てて山小屋を飛び出したのは言うまでもない。


⚫️⚫️⚫️


「中心のお二人が遅刻とは何事ですか!」

「申し訳ない……」

「ごめん……」


 農園について早々、シェザールにこっ酷く叱られるノルンとジェスタだった。


「ノルン殿は巻き込まれた側なのでこの辺りにしましょう。しかし、お嬢様はこのワイン事業の中心も中心でいらっしゃいますので……」


 お嬢様ーーとりあえずジェスタはバルカポッド妖精共和国から、ワイン造りのためにはるばるやってきた、お金持ちの令嬢という設定にしておいた。姫や、ジェスタという名前から正体が露見し、騒動を避ける狙いがあった。


「反省しましたか!」

「はい、ごめんなさい……」


 やはりジェスタはシェザールの前ではまるで彼女の娘のようにみえる。

戦場では常に冷静沈着で、時に勇ましくレイピアを振りかざす武人であるなど、誰が想像できようか。

しかしそれにしても、従者と姫君にしては、親しすぎる気がしなくもない。


「その辺にしてあげてください。それにいつまでも続けられていては、こちらも話が進められません」


 まだまだ続きそうだったシェザールのお小言を遮ったのは、先日剪定作業にも参加してくれたギラだった。


「確かにこれ以上は不毛ですね。終わりとします。ですがお嬢様は肝に銘じますように!」

「はい……」

「では改めて紹介をさせていただきます。彼はギラ。私とは古い友人で、かつてはジャハナムで共に葡萄栽培を牽引したことがあります。彼を当農場の農場長として雇い入れたいと思っているのですがいかがでしょうか?」


 シェザールに紹介されたギラは一歩前に出て、ジェスタの前に立つ。


「推薦をしていただきましたギラです。自分でお役に立てるのでしたら是非!」

「シェザールからは色々聞いています! 貴方なら任せられると思いました! こちらこそどうぞよろしくお願いいたします!」


 ジェスタとギラ農場長はお互いに手の甲を打ち合って、マルティン州式の握手を交わした。


「じゃあトーカちゃんもたくさん手伝ってくれるのかい?」

「はい! 教会がお休みの日だけですけど、頑張ります!」


 ギラの娘のトーカは元気よく返事をする。

 ジェスタもそんなトーカをみて満足そうだった。


 かくして今日の作業である"芽かき"が始まった。


 すでに剪定を終えた枝からはわずかに緑の新梢(しんしょう)が伸びだしていた。

葉は銀貨程度の大きさまでに生育している。

このタイミングで不必要な芽を摘む作業が“芽かき"である。


 ノルン自身も多少自分自身で今後の作業に関しては勉強している。

してはいるのだが……


(むぅ……わからん。学ぶとやるとではやはり違うか……)


 摘むにはもったいなくらいの立派な枝もいくつかあり、ためらいが生じてしまう。


「基部から生えている新梢は全部取って構いません。あと、この辺りのも全部構いません」


 そっと後ろからギラ農場長がアドバイスをしてくれる。


「わかった。ありがとう」

「わからないことがあれば聞いてくださいね。あと、摘んだ芽はとっておいてください」

「何か用途でもあるのか?」

「食べたり、他の用事で使ったりしますので。ちなみに芽をあげて食べると美味しいんですよ」


 ギラは他の人に呼ばれて、足早にノルンの元から去った。


 ギラは基本的には物静かな男だが、人柄が良いので村人からとても信頼されている。

更に葡萄栽培に詳しいともなれば、頼もしいことこの上なかった。


 芽かきは経験が必要な作業なので、シェザールや護衛隊、ギラは、それぞれの列に散って各位へのアドバイスに奔走している。


「ここと、ここ。あとこれも取っちゃっていいよ」

「わかりました!」

「この摘んだ芽をね天ぷらっていう、ウェイブライダ族の伝統調理法でたべるとねすっごく美味しいんだ」

「へぇ! すっごく楽しみです!」

「だね。よぉーし。じゃあどっちがたくさん早く摘めるか競争だ!」


 ジェスタはトーカに付きっきりで指導と作業をしていた。

 並んで楽しげに作業をしている2人をみていると、まるで姉妹のように錯覚してしまう。


 そしてそんな2人を時おき、気にしているのか、ちらちらみているシェザールがいる。


(きっとある。絶対に何かある。気にはなるが、しかし、あまり聞いてはいけないような……)


 その時、突然背筋が凍りつく感覚を得た。


「トーカッ!!」


 シェザールが悲鳴にも似た叫びをあげて飛び出す。


「がっーー!!」

「シェザールさん……?」


 気がつけば、トーカの目の前で、シェザールが突き飛ばされていた。

 彼女は宙へ赤い飛沫を撒き散らしながら飛び、芝生の上へ崩れ去る。


 これまで穏やかだった農場が騒然としだす。

 森の奥から続々と巨大な虫の大群が迫ってきている。


「みないますぐこの場から離れろ! リゼルさん! すまないが皆の誘導を頼む!」

「わ、わかりました! ノルン様! 気をつけてください!」

「ああ! ありがとう!」


 ノルンは雑嚢の中から魔法上金属で作られた籠手を取り出す。

そしてそれを左手へ装着し、赤い魔石は砕いた。

瞬間、ノルンの左手が真っ赤な炎に包まれる。


「灼熱! フレイムフィンガー!」


 炎で肥大化した左腕が、ジェスタとトーカの前に立つ、巨大な虫の魔物を掴んだ。

 虫の魔物は炎に焼かれ、すぐさま倒れる。


「シェザールさん! どうして私のことなんかを!」


 トーカは涙をボロボロこぼしていた。

傍ではジェスタが苦虫を噛み潰したような表情をしている。


「ジェスタ、トーカとシェザール殿を頼む」

「……分かった。トーカちゃん、そっちを支えてあげて」

「は、はい!」


 ジェスタとトーカは血まみれのシェザールを抱えて歩き出す。


 ジェスタは怒りと悲しみがないまぜになったかのような複雑な顔をしている。

戦えない自分を悔やんでいるのかもしれない。


 できれば愚痴の一つでも聞いてやりたかったが、流石には今そんな暇はないらしい。


 森の奥から続々と巨大な虫の魔物ーーメガフィロキセラが押し寄せてきている。

元勇者のノルンが1人で相手どるには困難な数である。


「ノルン様、ご指示を。貴方の命に従います」


 気がつくと4人の妖精の精鋭、護衛隊の面々がノルンを囲んでいた。

 これほど頼もしい援軍は他にはない。


「分かった……敵をこれ以上一歩も圃場へ入れるな!」

「「「「御意!」」」」

「アタック!」


⚫️⚫️⚫️


「命に別状はありません。でも思った以上に傷が深いので、一週間ほどは絶対安静です」

「分かった。いつもありがとう」


 ノルンが礼をいうと、ハンマ先生は爽やかな笑みを浮かべて去ってゆく。


「ギラ、どうかしたのか?」


 待合室へ出ると、そこには農場長のギラがいた。


「彼女の……シェザールの容体はどうなのでしょう!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る