第85話人手が足りない!
「姫様、剪定方法はいかがいたしましょうか?」
「私の希望では
「確かに。ヨーツンヘイムの気候を考えるに、まもなく発芽が近いと思われます」
ジェスタの葡萄栽培を手伝い始めての初日。
早速、シェザールとジェスタが何を話しているか全くわからないノルンだった。
「ああ、すまないノルン。今、剪定……今年の枝選びの話をしていたんだ」
ジェスタはそう言って、すっかり綺麗になった葡萄の木を指し示す。
例えて言うなら、逆さまにした熊手のような形だった。
「ギヨーはこの細い枝の中から1本ないし2本枝を選んでそれから発芽させる方法。コルドンは今ある枝を短く切り詰めて仕立てる方法なんだ」
「ギヨーは枝を選ぶ必要があり、コルドンは機械的に作業ができるということだな?」
「そうそう! はは! さすがノルンだよ! まぁ、ギヨーの方が葡萄の品質はよくなるんだけどさ……今は何よりもこの畑から結果を作るのが優先だからな!」
ノルンは山林管理人の立場として、ジェスタへ自由に栽培醸造を行う代わり、相応の結果……つまりヨーツンヘイムへの利益を確保を要請していた。つまり、ちゃんと葡萄を作ってワインにし、きちんと売ってお金に変えて欲しいということである。
「では始めよう! シェザールと護衛隊は各自の判断で。私はノルンへ指導をしつつ、作業する!
ジェスタの号令で、作業が始まった。
ノルンは嬉しそうなジェスタの背中に続き、葡萄の木の前に立つ。
「枝をよくみてくれ。ふくらみのようなものがあるだろ? これが芽だ。短梢剪定は下から二芽残して、それ以上は全部切る」
「なるほど。承知した」
ノルンは言われた通りのところへ鋏を当てる。
パカン! と気持ちの良い音が響き、あっさり枝が切れるのだった。
「これは……!」
「?」
「すごく気持ちがいい!」
「あはは、その気持ちよくわかるぞ。こんな感じだ。さぁ、どんどんやってゆこう!」
「ああ!」
ノルンはジェスタに教えてもらった要領で、どんどん枝を、黙々と切り詰めてゆく。
暫くは枝に集中して作業をしていたが、ふとジェスタが気になって視線を向けてみる。
「……」
無言ではある。しかし緩んだ口元、葡萄の木を見つめる真剣な眼差しから、彼女が心の底から楽しんでいるのがよく分かった。
出会ったばかりの頃を思い出させる、純情無垢な様子だった。
(作業は大変だが、ストレスは少ないようだ。やはり心の凝りは適度に解さねばな)
これまでジェスタが抱えてきたものがよくわかるノルンだった。
作業は黙々と続いてゆく。
明るい日差しの元、ただひたすらに枝を切り詰める。
早朝から始めたと思えば、すぐに昼になり、夕方となって……また朝となり、同じことを繰り返して……そんな日々が続いてゆく。
「まずい……これは本格的にまずいぞ……」
ある朝、ジェスタは切り詰めた葡萄の木を見てそうこぼした。
昨日切り詰めた葡萄の枝から、水のようなものが溢れ出ている。
「この水がよくないものなのか?」
「そうじゃないんだ。樹が水を吸い上げ始めてるんだ。剪定を急がないと……」
葡萄の樹から視線を上げれば、まだまだ手がつけられていない場所が広がっている。
「姫様、少しこちらへ! 醸造設備の設計のけんでご相談が!」
「わ、わかった! すまない、ノルン。先に1人で作業を始めていてくれ!」
ジェスタは慌ただしく、シェザールのところへ走ってゆく。
どうやらこの付近に醸造場を建設するつもりらしい。
(やはり人手が足りないか)
農業は大規模になればなるほど、人手が必要となるのは情報では理解していた。
どこか半信半疑なところがあった。
しかし実際自分でやってみて、それが強くわかる。
(今は少しでも作業を進めよう。手は動かしていても、頭は働く)
結局、今日の作業にジェスタは一切加わることができなかったのだった。
⚫️⚫️⚫️
「わぁ!? ノ、ノルンさん……?」
診療所から出てきたリゼルさんは、心底驚いた声をあげた。
確かに外へ出て、いきなりノルンのような怖い顔をした人がいれば、悲鳴をあげるのは当然である。
「驚かせてすまない。少し君に用事があって……」
「な、なんですか?」
「君を見込んでお願いがある! 人集めを手伝って欲しいんだ!」
ノルンは今ジェスタと共に行っている葡萄栽培の経緯と実情を話す。
リゼルさんは真剣な様子で聞き耳を立ててくれていた。
「良いですけど、私も日中はこころで働いてるんで、過度な期待はしないでくださいよ?」
リゼルさんはヨーツンヘイムから遠く離れたスーイエイブ州ゾゴック村出身の移住者だった。
しかし日々診療所でたくさんの人と触れ合っていて、今では殆どの村人が"リゼちゃん"と親しみを込めて、彼女をそう呼んでいた。
正直、今のノルンよりも、村人たちに顔が効くのはたしかだ。
「でも、ノルンさんもちゃんとご自分で人集めをしてくださいよ? 私はあくまでお手伝いをするだけです。良いですね?」
「分かっている。ありがとうリゼルさん!」
「はい、用事が終わったらさっさと帰る! 今日も1日頑張ったジェスタさんへご飯つくってあげる!」
「こ、心得た!」
何故かリゼルさんには逆らえない……ノルンはそんな感想を抱きながら、脱兎の如く駆け出して、家路を急ぐのだった。
そうして親しくなった営林場の頭目のガルスへも、人集めをお願いする。
そんなことをしていたので山小屋へ戻れたのは、夜遅くになってからだった。
「戻ったぞ」
「すぅー……すぅ……大陸一のワインを、私は……」
すっかり疲れ切ったのか、ジェスタは机に突っ伏しして眠っていた。
そんな彼女の頭を、シェザールが母親のように優しく撫でている。
「遅くなってすまない。夕飯は?」
「食べさせたのでご安心ください」
「そうか。手間をかけたな」
「いえ。ノルン殿が姫様のために奔走してくださっているのです。これぐらいはさせてください」
シェザールは少し名残惜しそうに立ち上がった。
そして殆ど足音を立てずに歩き出す。
「シェザール殿」
「なんでしょう?」
「……いや。なんでもない」
予感はずっと前からあった。
しかしこれは聞いても良いことなのかどうか。
「それではこれにて」
「ああ」
「姫様を……お願いします」
シェザールは深々と腰をおり、山小屋から出てゆく。
もし、聞く機会があれば、その時でも構わないことだった。
第一、ノルン自身もジェスタや皆に話していないこともある。
「んぁ……あっ、バンシィ……お帰り」
「だから今の俺はバンシィではなく、ノルンだ」
「あ、そうだった……」
「これが醸造設備の設計図か?」
ノルンはジェスタが敷いていた設計図を指し示す。
最低限度の設備だということがみるだけで分かった。
こういう状況を踏まえての適切な判断は、いかにもジェスタらしい。
「ああ。立派なものにはできないけど、せめてこれぐらいはさ」
「業者の手配は済んでいるのか?」
「それがまだ……はは! でもなんとかするから。やる気があればなんでもできるだし」
「宛がある」
「本当か!?」
ジェスタは嬉々とした様子で飛び起きた。
「あ、ああ、まぁ……」
「ありがとうノルン! 本当に! やっぱり貴方はとっても頼りになるよ!」
「いや、これから交渉を……」
「さぁ、明日も頑張るぞっ!」
多少元気が出たなら良しとしよう。
そう思うことにするノルンなのだった。
⚫️⚫️⚫️
「早く終わらせないと早く……!」
これまで楽しそうに作業をしていたジェスタは、苦々しい表情で葡萄の樹へ向かってゆく。
気温はすでに春めいてきている。
しかし剪定は三分の一も残っている。
「安心しろ、ジェスタ。そろそろ来る頃だ」
「え?」
「お待たせしましたー! ジェスタさーん、ノルンさーん!!」
遥遠くからリゼルさんの元気な声が響き渡る。
彼女の後ろには、たくさんの村人たちがいたのだった。
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