第24話山で蠢く深き闇の眷属
良かったらUCの劇伴「16 MOBILE ARMOR」を聞きながら読んでみてください。(シャンブロ戦の劇伴です)
ノルンの切迫した声が冷え切った山小屋の中へ消えてゆく。
ヨーツンヘイムは初夏を迎えているので、寒くはない筈。
しかしノルンの肌はうすら寒さを感じていた。
「グゥー……グゥー……っ!」
「ゴッ君!」
暗闇の中か現れたゴッ君を慌てて抱き上げた。
いつもは元気いっぱいなゴッ君が震えている。
もしかする怪我をしているのかもしれない。ノルンは暗がりの中、ゴッ君をくまなく調べた。しかしケガの跡などは見当たらなかった。どうやら心細かっただけらしい。
「良かった君に何事も無くて……リゼルはいるんだよな?」
「グゥ……」
熊の子供が答えを示してくれるはずもなかった。
それだけ動揺してしまっている自分に呆れてしまった。
ノルンはゴッ君を抱きかかえたまま、リゼルを探すために山小屋の中を巡りだす。
(野菜が切りっぱなしだ。何があったんだ?)
炊事場で放置された野菜を見続けていてもリゼルの所在が分かるわけでは無い。
試しに一階にある自分のノルンの部屋もみてみたが、いるはずもなかった。
(二階だろうか……?)
二階のほとんどはリゼルの好きに使わせていた。
彼女に遠慮をして普段はあまり二階へは行かないようにしていた。女性であるリゼルへのノルンなりに配慮だった。
しかし今は、そんなことを言っている場合ではないのは明白。
ノルンはリゼルの残り香が漂う2階へ踏み込んだ。嫌な動悸を感じつつ、彼女の部屋の前へ立った。
「リゼル、居るか! 寝ているのか!? おい!」
激しく戸を叩き、叫ぶ。返答は無く、気配さえも感じられない。
「開けるぞ、良いな!」
居ても立っても居られず、ノルンは大きく扉を開け放った。
瞬間、冷たい空気がノルンの頬を撫でた。
ベッドにはきちんと布団がかけられていた。
書物や小物が収められた棚は綺麗に整理されているままで、荒らされたような形跡はない。
窓際では一輪挿しの白い花が冷たい月光を浴びながら、花弁を散らせている。
「ゴッ君、ここで大人しくしているんだ。俺はリゼルを探してくる! 家の留守を頼んだぞ!」
ノルンはゴッ君へそう言い聞かせ、リゼルのベッドへ降ろした。そして無我夢中で部屋を飛び出してゆく。
「グゥっ……」
ゴッ君は、ノルンの声音から何かを察したのか、リゼルのベッドの上で体を丸めるのだった。
「オッゴ! リゼルだ! リゼルを探せ! きっとこの山のどこかにいるはずだっ!」
外へ飛び出し、小屋の前で待機をしていたオッゴへ命じる。
オッゴはすぐさま翼を広げて、咆哮を上げながら、夜空へ舞い上がって行った。
ノルンは改めて、リゼルの姿を求めて、小屋の周りを探り始めた。
水場、食料庫、農器具小屋――どこも近く人が入った形跡は見受けられない。
(どこへ行ったんだ……リゼルっ!)
本来は村へ降り、事情を説明して、皆で探すのが一番だった。
しかしそんな時間さえ惜しい――ノルンの元勇者としての勘が警鐘を鳴らしていた。
ノルンは器具小屋に立てかけてあった鉈と
「リゼルっ! 近くにいるなら返事をしろっ! ゴッ君がお腹を空かせてお前のことを待っているんだぞ!! おいっ!!」
叫びは暗闇に飲まれ消えてゆく。聞こえるのは、ノルンの声と気配に驚いて、逃げ出す野生生物の足音のみ。
強く歯噛みし、息苦しさを押し殺して、再度走り出す。
「リゼルっ! どこにいるんだ!」
ヨーツンヘイムにやって来てから今日まで、リゼルとは片時も離れず時間を過ごしていた。
そんな彼女の突然の消失は、まるで半身を失ったかのような不安を抱かせた。
「リゼルっ! 返事をしてくれっ! リゼルッ!!」
彼女がそばにいてくれたからこそ、再び生きる希望を見出せた。
いつも彼女が微笑みかけてくれたから、ノルンは山林管理人として頑張ることができた。
彼女の存在があってこその、今のノルンだった。
「はぁ、はぁ……リゼルっ! リゼルっ! リゼルっ!!」
もうだいぶ前から気がついていた。だけれども、久々の抱いたそうした感覚が、彼自信をを迷わせていた。
リゼルは助けられたことに恩を感じ、色々と面倒を見てくれているだけなのではないか。それ以上の感情は無いのではないか。
そんな彼女へ、自分が勝手に抱き始めたこの気持ちを、闇雲にぶつけてしまうのは迷惑なのではないか。今の心地よい関係が崩れ去ってしまうのではないか。
「リゼルっ……リゼルっ……頼むから、返事をっ……!」
しかしこの状況になって分かった。
この抱き始めた気持ちには今さら嘘を付けそうもなかった。
だからこそ、必ず探し出したかった。そして帰って来て欲しいと強く願った。
ノルンにとってかけがえのない存在となったリゼルに、心の底から……。
「あああああぁぁぁぁぁっ!!」
ノルンは弱気を叫びを吹き飛ばし、再び走り出す。
脳裏に浮かんだ、かつて母として、姉として、そして1人の女性として愛した剣聖リディの凄惨な最期。
魔物に汚され、犯され、失ってしまった最愛の人。
見ているだけしかできなかった、あの頃の自分。
「――――ッ!?」
ノルンは突然踵で急制動をかけた。全神経を周りの気配へ注ぐ。
すると腐肉のような嫌な匂いが鼻腔を刺激し、悍ましい気配が肌の上を滑りだす。
「っ、ぁ……」
そして僅かに聞こえた人の声。
そこから方角を割り出したノルンは、砂塵を巻き上げながら脇の茂みへ思い切り飛び込んで行く。
「ツぁぁぁぁ!!」
「――BUJYU!!」
ノルンは獣の咆哮のような声を上げながら、目前に捉えた奇怪な影へ、鉈を叩きつけた。
肉が鈍い音を立てて潰され、暗色の体液がノルンへ降りかかる。
鉈で叩き切った触手が、足元で蛇のように蠢いている。
「やはり……魔物か!」
ノルンは憎悪を燃やし、醜悪な怪物どもを睨みつける。
醜悪な怪物たちも一斉にノルンへ奇怪な視線を寄せてきた。
肉の柱に無数の目玉と触手を持つ、闇の中で蠢く醜悪な魔の眷属。
魔王軍を敵と捉える人々は皆、その奇怪な存在を【ローパー】と呼んでいる。
「ぁ……あぁぁ……っ……や、やめて……お願い、だからっ……これ以上はもう……やぁっ……!」
「リゼルっ!!」
ノルンはローパーの視線などものともせず、ローパーの触手に囚われ、吊るしあげられているリゼルへ叫んだ。
声は覇気を呼び、その覇気は衝撃となって伝播する。
リゼルのスカートの中へ侵入しようとしていたローパーの触手がぴたりと動きを止めた。
「……ノ、ノルン様……?」
粘液で汚され生気を失いかけていたリゼルの瞳が輝きを取り戻す。
「そうだ、俺だっ! しっかりするんだ! 今助けてやるからな!」
「ノルン様……ノルン様ぁぁぁ!!」
リゼルの悲痛な叫びが響き渡り、ノルンは素早く薪割短刀を抜いて逆手に構えた。
そして激しい憎悪を胸に、音もなく地面を蹴る。
「BUJYU――!」
ローパーの懐へ潜り込み、最も大きな眼球へ目掛けて鉈を叩きつけ、潰す。
背後から別の個体の触手が迫るが、振り返りもせず薪割短刀を振り下ろし、引き裂く。
潰したローパーの死体を蹴り飛ばし、隊列を崩す。そして魔物の間へ迷わず踏み込んでゆく。
「よくもリゼルを……許さん……決して許さんぞ……!」
ノルンはリゼルを汚した醜悪な闇の眷属を憎悪した。
憎悪を抱いたのは目の前の怪異たちだけではなかった。
王国、対魔連合、そして自分に成り代わった新たな勇者……ヨーツンヘイムのような辺境にまで魔物の出現を許したあらゆる存在へ、勇者でなくなってしまった自分自身にさえも、怒り、呪いながら刃を振り回す。
「ツァぁぁぁっ!」
鉈はまるで大剣ようにローパーを叩き切る。
ショートソードよりも遥かに短い薪割短刀であろうとも、本気を出したノルンにとっては十分な武器となる。
(もうあの頃の俺ではない!)
あの時はリディが魔物に犯されるのを、隠れた床下から見てるだけしかできなかった。
幼かったロトを守ると言って抱きすくめていたが、実は自分が怖気づいてしまっていたからだった。
あの時は勇気よりも恐れが幼い彼を支配していた。だから踏み出すことができなかった。
最愛の人の乱れ狂う姿から目を逸らし、悲鳴や嗚咽から耳を塞ぐことしかできなった。
あの時のノルンは確かに弱かった。無力だった。
「はぁぁぁぁっ!!」
鉈と薪割短刀を横水平にローパーへ叩き込む。
腕を交差させ、分厚い肉を真っ二つに断ち切る。
目にローパーの血が入り、一瞬視界を塞がれた。
しかし気配だけで鉈を降り、峰でローパーの弱点である最も大きな目玉を潰す。
あの時は弱かった。動けなかった。失うのは当然だった。
鬼人の魔物で四天王筆頭の“炎のゼタ”にさえそういわれてしまった。
だから力を求めた。もっと強く。同じ過ちを繰り返さぬよう。
いつでも飛び出せるよう。大事な人の命を守れるよう。だから鍛えた。鍛えて、鍛えて、鍛え抜いた。
そして、魔物へ死を呼ぶ黒き勇者――バンシィが生まれた。
「返せっ! リゼルを返せぇぇぇぇっ!!」
「BUJYU UUUU!!」
リゼルを拘束していたローパーへ、弱点特攻のスキルを付与した薪割短刀を思い切り叩き込む。
魔力を帯びた刀身から破壊の力が流れ込み、ローパーを風船のように吹き飛ばす。
聖剣を失いただの人となろうとも、十年以上鍛えた身体は嘘をつかず。
全てのローパーは肉塊へ代わり、無残な姿を晒している。
そしてようやくリゼルはローパーの触手から解放された。
ノルンはゆっくりと降りて来るリゼルを優しく抱きとめた。
華奢な肩が強く震えている。相当な恐怖だったのだろう。
少しでも安心して欲しい――その想いで、ノルンはリゼルを更に強く抱く。
「安心しろ。俺がそばにいる……大事はないか?」
努めて優しくそう問いかけると、彼の胸の中でリゼルは何度も頷く。
リゼルの服は粘液でベトベトにされていて、僅かに乱れが見られた。しかしそれ以外は特に怪我のようなものは見受けられなかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい、私……私っ……! またノルン様にご迷惑をっ……」
「気にするな。好きでやっていることだ。問題ない」
「ノルン様っ……うっ、うっ、ひっくっ……」
「話はあとでゆっくりと聞く。だがまずは帰ろう。俺も、ゴッ君も腹が減っているのだからな」
「そう、ですね……ノルン様」
「ん?」
「一度ならず、二度までも、ありがとうございま……ッ!?」
ノルンは咄嗟にリゼルを突き飛ばし、身体を開いた。
「ぐっ……ああっ……!」
「ノルン様っ!! いやぁぁぁーっ!!」
リゼルの悲痛な叫びが森に響き渡り、ノルンは血反吐を吐き出す。
「や、やってくれたな……魔物の分際でっ……!」
ノルンは腹に突き刺さったローパーの触手を恨めしそうに見やった。
たった一匹、ローパーを取りこぼしてしまっていた。
勇者の頃ではありえないミスだった。
ノルンは口に溜まった血を唾に絡めて吐き出す。
そしてローパーを睨みつつ左手を、夜空にぼんやりと浮かぶ月へ目掛けて思い切りかざした。
「げ、月光よ……我に力を! 凍てつく輝きの力よ、この手に集えっ!!」
言葉に応じて、左手へ月光の輝きが収束してゆく。
苛烈な太陽の輝きとは違う、穏やかだが冷たく、鋭利な輝き。
ノルンは光を集めきった左手をローパーへかざす。
「邪悪なるものを切り裂け! シャドウムーンっ!!」
冷たい輝きがローパーへ向かって突き進む。
鋭利な輝きは容赦なくローパーを切り刻む。
凍てつく月光の力を、無数の刃に変えて放つノルンの技。
ライジングサンが陽ならば、これは隠の力――殲滅攻撃魔法の一つ【シャドウムーン】
「BUJYU……! JYU! JYU……! JYUUUUーーっ!!」
幾重にも輝きの刃で斬りつけられたローパーは、無残な肉塊となって崩れ去る。
同時にシャドウムーンを放ったノルンの腕にも無数の切り傷が浮かび上がっていた。
魔法の威力が減退するのと同時に、彼の左腕から夥しいほどの真っ赤な血が流れ出る。
「っあ……」
力が抜け、前のめり倒れ込む。
真っ赤な血が広がって行き、身体がそこへ沈んでゆく。
やはり聖剣も、鎧も失った彼には、身に余る力だった。
ただの人となった彼の、これが限界だった。
しかしそれでもノルンは充足感を覚えていた。
「リディ様……今回こそは俺……ちゃんと大事な人を守ることが……」
リディの時は見ていることしかできなかった。怯えてることしかできなかった
だけど今は救えた。愛する人のために勇気を持って飛び出し、大切な彼女の命をこの手で守ることができたのだと……。
「オッゴ! 早くっ! ノルン様が、ノルン様がぁ……!」
リゼルの叫びが鼓膜を揺さぶり、大きな影が月光を覆い隠す。
(泣くなリゼル……君が無事なら、俺はそれで……)
ノルンはまるで眠りにつくように、意識を失ってゆくのだった。
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